2008年6月21日 (土)

変化の可能性を示した国会

国会(第169回)が閉会した。国会が終わって、内閣改造が政局の焦点になるといっているマスコミがいるけれど、とりあえずいま大事なのは、今国会が国民にとってどういう国会だったのか、その意味を問い直して総括し、胸に刻むことではないだろうか。

いまの国会は参議院と衆議院が与野党逆転している「ねじれ国会」だといわれている。2007年7月の参議院選挙では、国民生活が第一だといった民主党が国民の期待を集めて圧勝した。このことが、後の政局に大きな影響を及ぼした。

本来、民主党は消費税増税をねらっている。小沢代表も、もともと消費税増税論者だ。マニフェストにも2005年の衆議院選挙で扶養者控除、配偶者控除などをなくせと主張していた。99年の派遣労働の原則自由化にも賛成した。本質的には、「対決」はかっこうだけで、国民生活の破壊をすすめる政党である。

しかしながら民主党へ寄せられた国民の期待は、政局を動かすきっかけとなった。とりわけ、後期高齢者医療制度での与党の一部手直し、同制度の廃止法案の野党4党共同提出などの動きは、参院選の自民党の大敗北の影響を色濃く受けたものだと僕は思う。自民党内部からさえ後期高齢者医療制度には反対する声が一部から出るほどだ。

国民の願いが、政治を動かすきっかけとなった。そして運動と世論が政治を変える可能性を示した。それが今国会の重要な点ではなかっただろうか。

けれども油断はできない。民主党は、財界にも国民にもよい顔をしようとする“風見鶏”だからだ。大手マスコミは“風見鶏”と自民党を「二大政党」だといい、対決しているように描く。だが、地方議会を見るがいい。他の野党も地方議会ではしばしば自民党と仲良く与党の座におさまっているではないか。彼らは本質的にはペテン師だったり、国民の期待を寄せるにはあぶなっかしく、頼りない存在なのだ。

では、どうするのか。やはりひとつは、公約をきちんと守り、国民の利益のために行動する政党はどこなのか見極めて投票すること。同時に、公約を守らない政党への批判を強め、投票しないということをとることだろう。第2は、国民の世論と運動を弱めず、強めることだろうか。

第1の点についていうと、日本の政党の大半は、よく「物忘れ」を起こす。これが政治不信の大きな種になっている。「消えた年金」問題では、2007年の参議院選挙で“年金記録を全部照合する”と自民党は豪語したのに、福田首相は「そんなこといったかな」と後にすっとぼけた。野党に目を転じても、派遣労働問題に理解をしめしているように振る舞う野党がいるが、大半の野党は、派遣労働の業種原則自由化に賛成した。そのこと自体が今日の過酷な実態を生み出した主要因なのだから、まるで一貫していない。

逆に日本の政治は、資本家や資産家などに都合がよいが、国民の反発をかうと思ったものは選挙では公約せず、選挙後に国会で持ち出して法律にしたり、法律を変えることも得意だ。89年の消費税導入、97年の5%への増税はその典型だ。このような、約束もしていないことを勝手にやり、約束したことを逆に反故にする政治家を、国民は受け入れず、国会議員の座からけ落とすべきだ。

第2の点についていうと、後期高齢者医療制度を中止・廃止しろといちばん最初に主張したのは共産党だったと思う(昨年10月)。しかしその共産党も、もともとは後期高齢者医療制度の抜本的改善を唱えていた。だが、国民世論は違った。制度そのものが許せない、という声が大きくなっていった。世論と運動におされる形で制度の廃止を共産党がいったのが前回の国会(第168回)だった。そして民主党、社民党、国民新党が廃止をいい、廃止法案を共同提出するところまでいったのが今国会(第169回)だった。議席の数も重要だが、世論と運動が政局を動かす力を持つことがあるのだ。

だが、その廃止法案は、野党で共同提案したはずなのに、民主党をはじめ共産党以外の野党が衆議院での審議をボイコットした。廃止を本気でやる気がないからだろうか? それとも衆議院では与党の議席が多く、劣勢だからだろうか? 僕は劣勢だとしても、審議はやるべきだと思う。与党は、制度を守るためにさまざま詭弁を弄している。だからこそいま、もう一押しふた押しの論戦が必要だ。制度の考え方、根本が間違っていることを国民の目の前にいっそう明らかにすべきだ。ボイコットするのは、与党をホッとさせ、手助けする行為ではないのか。

政府は、後期高齢者医療制度の考え方そのものは間違っていないといっている。だが、僕がこの間お年寄りに話を聞くと、「何よりも許せないのは、なぜ75歳で区切るのかということそのものだ」という声が多いのだ。政府は制度の説明が足りない。制度そのものは間違っていないというが、その制度、考え方自体への批判が根強いのだ。

国会における議席、政党分布も大事だが、国民の世論と運動もまた、国会を動かすのだ。国民こそが政治を動かす。その可能性を今後もより大きくするために、僕は微力ながら、今後も力を尽くす。

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2008年6月18日 (水)

鵜(日研総業)も悪いが、鵜匠(関東自動車)こそ悪い

本日、メディア向けに開かれた、とある懇談会に参加した。

http://gatenkei2006.blog81.fc2.com/blog-entry-161.html

「ガテン系連帯」(製造業の派遣労働者の団体)が開いた、秋葉事件を考える懇談会だ。派遣が犯罪者の巣窟のようにいうような一部メディアの言説は、派遣労働者を好奇の目で見たり、いじめやパワハラを助長させることにならないか危惧している、ということで開かれた懇談会である。詳しくは上記URLに懇談会開催趣旨が掲載されているので、ご参照を。

ところで、この懇談会、結論的にいえば、ガテン系連帯から、派遣労働の問題点が非常にわかりやすく、説得力を持って語られたと思う。

なかでも、“鵜匠こそ悪い”という話は説得力があった。“あゆ(派遣労働者)を食べる鵜(派遣会社)も悪い。でも、操っているのは鵜匠(この場合、関東自動車)だ”という趣旨のことを話していた。

関東自動車は、5月26日、派遣会社4社に6月末を期限とした解約通知を出した。「一般の正社員であればありえない、労組に申し入れなどがあるだろう」とのことだった。だが、派遣であれば簡単に解雇(解約)の通知を出せる。一年契約の期限がまだ残っていたが、契約途中で解約を通知したということだった。

派遣会社は通知を受けて撤退できるかもしれない。だが、雇われていた労働者はそんなに簡単に「わかりました」というわけにはいかない。打ち切る場合は、法律で派遣先は雇用を関連会社に斡旋することになっているが、それもやった形跡がないようだ、とのことだった。

ガテン系連帯の小谷野さんは、犯罪は容認できないといいながら、「(突然解雇を言われたら)キレるかどうかといえばキレますよ」というようなこともおっしゃっていた。まさに偽らざる心情だろう。

怒らない方がおかしい、ということだった。死ぬか、暴発するかしか加藤氏には選択肢がなかったのかもしれない。別の選択肢=せめてガテン系連帯に相談するという選択肢が彼に思い浮かべば、秋葉原の事件はおこらなかったかもしれない。

また、突然解雇通知を突きつけられたのは、200人ほどの派遣労働者なのだ。狂気に走ったのは加藤氏だった。でも、残りの派遣労働者の中には腹に据えかねた、首切りなんて許せないと思った人も少なくなかっただろう。あるいは生存を脅かされたように思って、本当に困っていた(そして困っている)人もいるかもしれない。そういうことに思いをはせるとき、犯罪を起こしたのは加藤氏だったが、ほかの人だって何らかの事件を起こす(起こした)可能性だってあるのだ。もちろん、だからといって犯罪を容認する訳じゃない。でも、このような不当なことを不当といい、きちんと派遣労働の非人間的側面をこの社会からなくしていくようなことをさぼっていたら、やはり今後、殺人ではなくとも、また別の犯罪は誘発されていくかもしれない。そして罪には問われずとも、まずもって非人間的なことをやって派遣労働者を追い詰めているのは、派遣会社はもちろん、派遣先企業なのだ。このことを抜きにして、派遣労働者は犯罪者集団、予備軍のようにいうのは、一方的、一面的ということになろう。

ちなみに、関東自動車は、周知の人もいるだろうが、次のようにいっている。

                            2008 年6月9 日
                            関東自動車工業株式会社

       6 月8 日秋葉原通り魔事件の報道について

この度の事件で犠牲者となられた方々とその家族の方々に心から哀悼の意を表します。
また、怪我をされた方々の一日も早いご回復をお祈りいたします。
お騒がせして誠に申し訳ありません。
加藤容疑者は、人材派遣会社・日研総業株式会社の社員として、平成19 年11 月より弊社東富士工場の塗装工程に派遣されておりました。
勤務態度は6 月4 日(水)までは欠勤も無く、真面目に仕事に取り組んでおりました。 また、日常のミーティングを通じコミュニケーションを図り、管理、監督に努めている中では変わった様子はみられませんでしたので、今回の事件に対しては弊社としても非常に驚いております。
今後、人材派遣会社に対しては、このような不祥事が二度とないように、人材の確保、管理、監督について要請していきたいと思います。
また、弊社としましても管理、監督を含めて良い職場づくりに努めていきたいと思います。
                                       以上

  (赤字は管理人)

  …小谷野さんもおっしゃっていたが…、被害者面するな、と正直思う。

  さらに懇談会では、原油高、資源高などに対して危機感をあおっているトヨタ自動車がコストダウンをはかろうとして、その影響がトヨタの下請けである関東自動車に影響し、今回の契約途中の派遣首切りとなったのではないかとの見方を小谷野さんが示していた。

 「見かけは派遣も正社員も同じ。でも環境は絶望的なほど違う。そのことに対するイメージをめぐらせてほしい」と小谷野さんは語った。僕自身、派遣問題は少し調べたり、取材してみようと思う。

 なお、別の自動車会社の実情では、熱中症になっても翌日にはすぐに出てこいといったり、倒れて3日(4日?)休むと労災になってしまい、労基署(だったかな)の調査が入るので、「休憩室で休んでいてもいいから出てきてくれ」というようなことを会社がいうのだそうだ。また、遅刻した派遣労働者を安全靴で社員が踏みつけていたという別の現場もあったそうだ。

 「派遣労働者を部品の一部としか見ていない。いかに休ませないかということだけ考えている。代わりはいくらでもいるから、けがや病気をすれば捨てる」と小谷さん。

 ある自動車会社では年間その自動車会社自身がいっているだけでも15人も昨年の夏だけで倒れたそうだ。どうなってるんだ…自動車産業って…。

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2008年6月13日 (金)

後期高齢者医療制度/自ら提案した廃止法案をボイコット?

 本日の「赤旗」。正直びっくりした。後期高齢者医療制度の廃止法案を参議院に自分で提出しておいて、衆議院に廃止法案がまわったとたん、趣旨説明もおこなわずに本会議を野党がボイコット!

また“ボイコット”かよ。 民主!…って民主だけじゃありませんが。

共産党はボイコットしてないみたいです。本日の赤旗記事から。

「後期医療」 廃止法案 審議入れず
民主などボイコット
共産党、実現へ努力
衆院本会議

 衆院本会議での審議入りが十二日に予定されていた後期高齢者医療制度廃止法案(野党四党提出)の同日の趣旨説明と質疑が見送られました。十一日に参院で首相問責決議案が可決されたのを受け、民主党、社民党、国民新党が本会議をボイコットしたためです。

日本共産党は十二日の審議入りを実現するため、同日午前から、与党や他の野党に要請するなど、努力を重ねました。

  日本共産党の穀田恵二国対委員長は、自民党の大島理森国対委員長と国会内で会談。穀田氏は「与党から提起のあった趣旨説明・質疑は、ぜひやるべきだ」「自公両党議員の質問要旨も昨夜(十一日)、わが党の発議者である小池晃議員のもとに寄せられ、答弁準備も(徹夜で)整えた。答弁の機会を与えていただきたい」と求めました。

  大島氏は、日本共産党が趣旨説明、答弁することについて、他の野党の同意を条件としました。

  日本共産党は、民主、社民、国民新の各党に同意を求めましたが、了承を得られませんでした。

  この後、衆院本会議の議題を協議する議院運営委員会理事会で、日本共産党の佐々木憲昭議員は重ねて審議入りを求めましたが、与党側は審議入りの前提が整っていないと述べ、議題となりませんでした。

  (後略)

 

  なお、同じ記事の共産党・志位委員長の談話によれば、

一、後期高齢者医療制度の廃止法案は、十二日の衆院本会議で、日本共産党として、仮に野党のなかで一党だけの出席となったとしても趣旨説明と答弁の用意はあると与党側に伝え、これが実現するように求めた。

 しかし、与党側から、日本共産党が野党四党の代表として趣旨説明、答弁に立つことがはっきりすることが必要だとされ、党として、そのための努力をおこなった。残念ながら民主党などの同意を得ることができなかった。

  

  だそうだ。

  僕がいちばん頭に来るのは、民主党に対してだ。11日、国会に行った同僚が、うちわを持って帰ってきた。民主党議員が国会内集会で配ったものだ。そのうちわは、二年前から民主党は後期高齢者医療制度に反対してきたんだってアピールしているものだった。

 だが、自分で法案を提出しときながらボイコットじゃ、どうするんだよ。怒りの国民世論はどこへいくのさ? 後期高齢者医療制度を本当に廃止する気ないだろう? もっとも民主党は国民世論と財界の両方のご機嫌をうかがう風見鶏にすぎないのだろうけど。そして自民との大連合騒動に対しても何の反省もしていない政党だし。

 はじめから僕は民主党など、全幅の信頼など寄せちゃいない。でも、それにしたってヒドイ。かっこつけてるだけじゃないの? 何がしたいのさ、民主党。

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2008年6月12日 (木)

秋葉原無差別殺傷事件/その覚悟があるなら

今月8日の秋葉原無差別殺傷事件に関連して。

今日も秋葉原駅を利用。「秋葉原~」っていうアナウンスを毎日聞いている。何ともいえない嫌な気持ちだ。胸が苦しい。ご遺族やご友人ともなれば、悲しみや怒りの深さは僕には察せないほどだろう。

ところで、青狐さん経由で知った記事。読売の「編集手帳」。

http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20080611/p1

“世の中が嫌になったのならば自分ひとりが世を去ればいいものを”といっている。

①世間様が嫌になったので、他人を殺し、狂気に巻き込んだ。これが今回の犯人だ。

②一方で読売は、世間様が嫌になったら、一人で死ねといっている。

もしかして人を巻き込むくらいなら一人で死ねといいたかったのかもしれないけど、僕は「編集手帳」は、嫌になったら一人で死ねばいい、と素でいっているように見える。

それはさておき、一人で死ぬか、他人を狂気に巻き込むか? 「編集手帳」は明らかに、他人を殺したことを批判している。だが、自分ひとりが死ねばいいってのも、まったく違う。それって、現実の日本で苦しみ、自尊心を持てず、日常に絶望している人たちに対する暴力にならないか?

 “世間が嫌になったのか? だが、嫌だろうが何だろうが、お前は悩んだままでいい。お前は孤立したままでいい。孤立し、誰にも受け入れられず、死ねばよいのだ”。

そういっていることになる。死にたくない人間は、

③世間の現状に耐える。

しかない。だが、本当は

④現状を変える。

って選択肢もあるはずなんだ。

派遣労働で苦しもうが、進路選択や受験などに失敗しようが、③を多くの人々はとっている。だが、いま必要なのは③ではなく④だ。正確には、現状を変え、自分も変えるってこと。派遣労働で人間らしさを踏みつけにするような世間様を変える。踏みつけにされている者同志で手をとりあって変える。国民全体が派遣問題や教育の問題に目を向ける。自分だって捨てたもんじゃないと思えるように、自分で自分を変える。人間が孤立せず、ささえあうような社会を築く(えらい抽象的だが)。

世間が嫌なら手をとりあい、世間の方を変えようじゃないか。そして孤立から逃れる。絶望している自分も変える。そういうことが大事なんじゃないのかな。

自分が孤立していて、世間も嫌になったとき、人を殺すような残虐行為を働き、人生を台無しにする覚悟があるのならば、むしろ手をつないで世間に挑み、自分も変える覚悟を決めるべきだ。

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2008年6月11日 (水)

首相でもないのに、麻生太郎氏のお菓子

6月某日、参議院の議員面会所にて。

議員面会所には売店がある。

お菓子もあった。

福田首相をモチーフにしたキモイお菓子も二つあった。

「やっくん」(何が“やっくん”だよ! いい歳なのに!)の「ねじれ餅」や、“ビンボーくじのあとに福が来た!”とか何とか書いてる妙な餅だか饅頭だかが売られていた。

つまり、この菓子をつくったメーカーは、福田首相はビンボーくじを引いたという認識なのかな。つまり、安倍某氏の突然の辞任を貧乏くじだと(失笑)。バカじゃん。そういうのがお菓子になっていまも国会で売られているってことがすでに失笑ネタだ。そもそもいまのような低支持率のもとでは、福田首相の後をつぐ首相は、ほぼ間違いなく「ビンボーくじ」をひくように思うでしょう。

さて、僕がそれ以上に注目したのはこれです。

080606_113800011  なぜに麻生太郎氏?

 首相でもないのに、お菓子になってる!

 前回の首相選挙で福田氏と争った「大物」だからお菓子になって登場してるとか?

 それとも、会社が今後も首相に推したいので、がんばって販売しているとか?

 いずれにしてもアホらしいな。

 お菓子になるほど、麻生太郎氏って話題性や人気があったっけ? 

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2008年6月10日 (火)

秋葉の事件に対しての感想

秋葉原の事件について。

たくさんの方が亡くなった。たくさんの人が傷ついた。多くの人が恐怖に陥れられた。僕も「おちおち街を歩けないようになるのでは」と危惧を抱かされている。この事件をどう受け止めていいのか心の整理がつかないが、犯人の蛮行は許せない。

同時に、事件をめぐって、僕は二つの感想を持つ。

■1■

第一に、事件の背景に人間を孤立させたり、人としての尊厳を損なうような社会の構造があること。学歴主義や、派遣労働など。まあ、僕がいわずとも社会の構造が背景にあるって思ってる人は普通にいるだろうけど。

容疑者は派遣労働者であり、リストラされるとの不安にさらされていたのではないかとの報道もある。同時に事件の引き金となった、出勤すると作業服(つなぎ)がなかったトラブルは、容疑者にこれで解雇されると思わせたのではないかとの報道もある。リストラは、自らの生存条件を失うことを意味している。生存条件を損なうことへの不安や恐怖が、強いストレスになっていたのだろう。

犯行前、携帯サイトに友だちがいない、というようなことも書いていたようだ。
http://s01.megalodon.jp/2008-0610-1538-43/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080610-00000059-mai-soci(魚拓)
資本主義の発展にともなって核家族化もすすんだし、孤立する日本人は増えたと思う。実家から遠く離れてはたらくことも珍しくなくなった(僕もそうだ)。身にこたえることがあっても、誰にも相談できなかったのだろう。

切り離され、相談相手もおらず、いつ首を切られるかわからない。友人もいない。そうした中で自分という人間が認められない、世間に相手にされていないという屈折した感情、自尊心を傷つけられたような屈辱感を容疑者は持っていたのではないか。
上記(魚拓)を見る限り、周りのフォローも受け入れず、手がつけられない感じもするが、劣等感を募らせすぎて、周りが何をいっても「この俺の悩みがお前らにわかるものか」と思っていたかもしれない。

http://s04.megalodon.jp/2008-0610-1727-28/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080610-00000914-san-soci(魚拓)

また、リストラされることは、自分が排除されることだ。お前は会社に、社会に必要ないといついわれるのかと思っていたのだろう。「出勤したらつなぎがなかった」トラブルでも、その会社だけというより、世間一般が自分を認めず、排除するように思ったのではないか。青少年期はとりわけ、自分が他人に認められたい、認められる人間になりたいと思う時期でもあるし、リストラされるのではないかという不安感、疎外感、圧迫感は相当なものだったのでは。

http://s01.megalodon.jp/2008-0610-1730-26/excite.co.jp/News/society/20080609120300/20080609E40.040.html(魚拓)

一般的に貧困が増えると犯罪が増加するといわれる。不安定雇用をなくすとりくみを本格的に行わなければ、犯罪防止策としては片手落ちではないかと僕は思う。貧困が犯罪を増やすという論理は、僕はまだほとんど勉強できていないけど、正義を守れ、犯罪はいけないという「戒め」だけでは、安心して暮らせる社会は来ないのでは。「そんなことしちゃダメだ!」といっても、人間の尊厳や生存権を損なう「ストレッサー」がある限り、予想外の行動をとる人はいるだろう。

今回の容疑者の場合、犯行を大々的におこなうことで、自分の存在を軽視している(と思っている)世間を見返してやろうと思ったのだろう。ただ、会社に突撃せず、秋葉原に突撃したっていうところに、彼の弱さがまた露呈しているように思う。まったくの推測だが、“秋葉原なら自分のような人間でも少しは許容される”という心理が働いていていないか。つまり「世間に相手にされない人間も許容される秋葉原」と思っていなかっただろうか? 世間が嫌になった腹いせなのに、自分を許容して欲しいと思って秋葉原に突っ込んだ。違うだろうか? 秋葉原は普通の人もいく街だけど、自分に自信のない人も許容する街という印象を僕は持っている。

■2■

第二に、死刑は当然だという声も出ているようだ。だが僕は、まだ死刑は当然だと判断できない。そもそも死刑自体、刑罰として存在していていいのかとの議論もある。慎重に考えたい。

なぜ慎重に考えたいか? 事件から見れば僕は他人だからだ。他人であるからこそ余計に僕は、「死刑が当然だ」という意見はまだ持てない。相手が凶悪犯罪者だからといって「死んで当然だ」ということは、命を損なうことに違いはない。またそのように主張することは、下手すると、不条理なことが裁かれない社会への不満・ストレスを「死刑にしろ」と叫ぶことで発散させることになりかねないと思っている。正義が通らない社会への鬱積した気分を、勧善懲悪のヒーローものの映画やドラマで発散させるように、犯人への糾弾ではらすことになりやしないかと思うのだ。

僕は不安にさらされた(さらされている)一人という意味では、決して他人ではない。秋葉原は僕の日常にとって、遠い存在ではない(勤務地が徒歩圏内)。しかし、事件当日僕は秋葉原にはいなかった。被害者も身内にいない。そのような僕が「死んで当然だ!」と叫ぶことには躊躇がある。犯罪が裁かれるのは、犯罪のない社会を築くためであり、被害者と被害者家族への償いや権利保障のためである。他人のストレス発散のためじゃない。ストレス発散のために「死ね」というのなら、容疑者に一歩僕は近づくことになる。それだけは戒めたい。もっとも犯罪を恐れるからこそ、死刑になってほしいと願う人も少なくないだろうけど。…難しい問題だな。

【余談】

最後に余談だが、自民党の国会議員牧原秀樹氏のサイト。

http://www.hmacky.net/2008/06/post-1885.php

こうした事件の犯人を憎み、極刑を課すのは当然だが、これだけ頻発するというのは単なる個人的要因だけなのかという疑問が湧いてくる。街中から自然を破壊し、子供たちの遊び場所を奪い、命の大切さを知る機会が減り、むしろテレビゲームなどで残虐に人を殺す楽しみを小さい頃から植えつけるという背景がないかどうか検討が必要だろう。貧しく苦しい時代と比較して人間が弱くなっており、世の中や周囲を逆恨みする人が増えていることも問題である。高齢化社会の深刻さを考えず、ひたすら「お年寄りいじめ」などと情けない批判と悪口を繰り返す政治もこうした「すべて他人のせい」とする風潮を蔓延させている原因かもしれない。

意見を全否定するつもりはない。だが「極刑を課すのは当然」? 死刑制度を廃止すべきだという国際的な動きにどう答えるのだろうか。

同時に自分が社会的弱者を生み出した支配者の側におり、足蹴にしている当事者だという認識がなさすぎる。「他人のせい」にしているのは、あなたではないのか。人を虐げておいて、正義を掲げているつもりなのだろうか。こんな程度の認識の政治家のもとで、犯罪は減っていくだろうか? 不安だ。犯罪防止のために、やっぱり社会の構造もメスを入れるべきなんじゃないのかなあ。

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2008年6月 9日 (月)

現代版“姥捨て山”制度に姨捨山から抗議する!?

6月8日、姨捨山に行ってきました。

長野県にある山です。

正式名称は冠着(かむりき)山。通称「姨捨(おばすて)山」で、なんと姨捨山伝説というのがあるのです…。

この姨捨山伝説は、お年寄りを結局大切にしなきゃだめなんだという伝説らしいのですが、諸説あるみたいなので、詳しくはいいません。

とにかくその姨捨山で集会をする。姨捨山に登る。そして捨てられずに降りてくることで後期高齢者医療制度に抗議するという、妙な(?)コンセプトの集会と行動がおこなわれました。その名も「怒りの姨捨山一揆」です。

Photo  「信濃の国」などを歌っておりました。

 

 

 

 

Photo_2  集会には地元・長楽寺の住職さんもかけつけて、あいさつ。 集会は300人以上が集まりました。

 電車も一時間に一本しかないようなところへ300人も来る事なんてそうそうないでしょうね。

  

  

Photo_4  集会後、有志が姨捨山へ移動。40人ぐらいはいたと思います。これは姨捨山の登山入り口です。…実際にはこの地点で1000メートル以上だと思います。

 1・1キロ歩けば頂上、というところに車で連れて行ってもらいました。

 ここからみんなで登山です。

 

 Photo_6  

  登山中です。緑がきれいでした。     

 

 

  

Photo_7

 山頂からの景色です。

 

 

  

 

本当は頂上でみんなで後期高齢者医療制度への抗議のおたけび(?)を上げたのですけど、やはり個人情報さんに遠慮して載せないでおきます。

余談。

僕は大宮から新幹線で長野までのチケットを券売機で購入。そのまま乗車券を姨捨(おばすて)まで延長して購入しようと思ったら、そんな駅はないよという趣旨の表示が出て、チケットが購入できなかったのです。姨捨駅は思いっきりJRで、かつ長野駅から30分もかからないところにあるのですけど、これにはちょっと困ってしまいました。

↓おまけ。姨捨山駅近くの民家周辺にいたねこ。

Photo_9

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2008年6月 8日 (日)

秋葉原。

今日、秋葉原でたいへんなことがあったみたいですね。僕は長野に出張だったし、ここ半年ほどは秋葉原にパソコンの部品やオーディオ製品などの物色はほとんどしていないのですけど、やっぱり帰宅途中によくよっていたポイントだったので、かなりショックです。現場にいた人は本当にこわかっただろうな。

「世の中がいやになった。人を殺すために秋葉原に来た。だれでもよかった」なんて容疑者はいっているらしいが・・・世の中が嫌になったら、世の中を何とかしろよ・・・ってムリか。どっちにしても、人殺す理由にはまったくならないけど。

・・・許し難い。

でも、“世の中が嫌になった”という中身は何なんだろう? 

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2008年6月 4日 (水)

恥ずかしい…。

けっこう気になっていたんだけど。

立命館大学がやらかした問題で、やっぱり罰が下ったようだ。本日、時事通信記事より。

2008/06/04-13:24 補助金15億円を減額=立命館大「入試の公平性欠く」-私学振興共済事業団
 立命館大が今春の入試で定員超過となった生命科学部の新入生を不当に他学部に転籍させたとして、日本私立学校振興・共済事業団は4日までに、学校法人立命館(京都市)に対する今年度の経常費補助金を25%減額すると決定した。文部科学省が「入試の公平性を欠く」と認定したことを受けた措置。減額幅は15億円に上る見通し。

おお、25%の減額とはなかなかスゴイぞ。

 文科省によると、立命館大は3月、今年度開設した生命科学部(定員280人)の新入生が定員の1.48倍に当たる415人と見込まれたため、転籍希望者を25人募集。8人がこれに応じ、他学部に移った。
 入学者数が定員を超過した場合、私立大学への経常費補助金を不交付とする条件がある。今年度は「定員の1.40倍以上」が不交付の基準だった。

転籍ってふつう試験がいるんじゃなかったっけ? この場合、試験なしだよね? たしか。

・・・ちょっと恥ずかしいね。

ただ、私学は学生を多数ゲットしないと経営が成り立たないのかも。でも、営利主義の行き過ぎではないかいう気がしないでもない。何だかなあ。

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四川/本当にそういったのかな?

四川大地震の問題で、下記のような報道が目にとまった。(下記は魚拓)

http://s04.megalodon.jp/2008-0604-2017-08/www.recordchina.co.jp/group/g20009.html

<四川大地震>「感謝しても歴史忘れるな」異例の「日本ブーム」に“待った”―新華社報道
6月4日12時0分配信 Record China

6月3日、新華社は四川大地震の救援活動を契機に中国国民の間で起こっている「日本ブーム」について報道、「援助に感謝しても歴史は忘れるな」と手放しで融和的な態度をとることにクギを刺した。

具体的には、

新華社配信の記事では、こうした「日本感謝」ブームについて、「日本に対する新しい見方が生まれているようだが、こんな時こそ冷静に」と呼び掛け、「日本人は思ったより『悪くない』という中国人が増えているが、我々が今感じているほど『素晴らしい』とも限らない」と手放しのブームをけん制した。

さらに、「中国の民衆は、日本の援助に感謝するが、歴史を忘れることはない」と強調。日本の航空自衛隊による救援物資輸送の報道と、その後の派遣見送りについても触れ、「慎重な中国人は理性を取り戻した」と指摘した。

(略)

今回、政府系メディアである新華社がこうした報道をしたのは、中日関係を重視しながらも、国民が無制限の日本礼賛に流れるのは好ましくない、との政府の意向を反映したものと見られる。(翻訳・編集/NN)

「日本人は・・・我々が今感じているほど『素晴らしい』とも限らない」なんて、本当にこの通りの言葉で記事が出たんだろうか? 

“すべての”日本人が素晴らしいとは限らないんってんならわかるけど、ちょっと気になります。本当にこのとおりの言葉で記事になっているのなら残念なことです。

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2008年6月 3日 (火)

『フリーダム・ライターズ』

http://www.paramount.jp/freedom/

Fw1

フリーダム・ライターズ(2007米)のDVDを先日見ました。

感想は、感動的です。ちょっとテーマが重いけど。「ほぼ実話通り」との本作なので、それだけ現実社会の実態が重いのでしょう。

本作は、公立高校が舞台である。ドラッグに、民族・人種間対立、貧困問題。さらに殺人ととなりあわせの生徒の現実。高校を無事卒業できるかもわからない。そのような現実の中で新米教師エリンが、ノートを生徒に手渡し、何でもいいから日記を書いてとすすめる。ノートにかかれた生徒たちの生きる現実に驚いたエリンは、アルバイトをしながら教材を与えたり、学校の外の世界にも連れ出し、生徒にあきらめないこと、「CHANGE」を教える。生徒は自ら変化を勝ち取っていく。

僕がちょっと意外に思ったのは、生徒たちに与えられた教材・そして教育の中心テーマがホロコーストだったこと。(実際にはこればっかりやっていたわけではないのかもしれないけど)ホロコーストを通じて、死と隣り合わせで慣れていたはずの生徒の心が揺さぶられる。それだけでなく、自分のおかれた境遇と重ねながら生徒はホロコーストについて学んでいく。アンネの日記と、自らをとりまく現実を重ねていくところが、何となく理解できるようでわかりません(笑)。アンネの日記を読もうかな。

なお、「教育」といいながら、荒廃していた生徒をいつまでも見下したり、教育の機会を制限しようとするベテラン教師の姿はこっけいだ。

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2008年6月 2日 (月)

どっちが本当?

今日、雑誌校正作業をしていて、あることに気がついた。

日本人の男性、女性の育児・家事にかける時間、ならびに国際比較なのですけど(6歳未満の子どもあり)。その統計の図が、あっちとこっちで違います。

まずあっち。

http://www8.cao.go.jp/shoushi/whitepaper/w-2006/18webhonpen/html/i1412220.html

Photo これだと、日本の男は1日平均25分しか育児をしないことになる。

 

 

 

 

Photo_2 つづいてこっち。これは厚生労働白書(2006年)の図表。日本の男性は育児時間=0:25ってなってるけど、位置はどう見ても0.25時間のところになってるぞ。

 

 

 

こんなのもある(下記URL)。

http://e-tsuchida.blog.ocn.ne.jp/thought/2007/09/post_c670.html

厚生労働省の調査によれば、6歳未満児がいる男女1日あたりの育児・家事関連時間(週全体)は、日本人男性の家事関連時間全体は0.48時間(うち育児0.25時間)、アメリカ人男性の家事関連時間全体は3.26時間(うち育児1.13時間)、スウェーデン男性の家事関連時間全体は3.21時間(うち育児1.07時間)だそうです。

ほえ~。「時間:分」なのか、それとも「○.○時間」なのか、どっちが正しいんだろう? 明日厚労省に電話してみよ~っ。いまごろ直しってことになったら、編集長に怒られそうだな。すまんです。ひそかに謝っておきます。こんなところで謝っても何の役にも立ちゃあせんけどな(泣)。

ってわけで、日本人男性は育児と家事に参加が悪いみたいですよ。がんばろう。

え? 僕? 僕はまだ子どもいませんので、まったく比較できませんが、下記のような配分になっております。

★おさかな=ゴミ出し、食器洗いは全部僕。掃除は半分くらい僕。お風呂掃除とお風呂のお湯入れるのも全部僕です。洗濯は半分。布団たたむのは全部僕。

★彼女=食事は全部彼女(僕もたまにやりますが、基本は彼女です)。掃除は半分。洗濯も半分くらいかな。

【6/3追記】

男性、女性の家事、育児時間の比較ですが、本日厚労省に確認しました。結果、厚労省のものは、数字はあっているけどグラフの長さがおかしいということがわかりやした。つまり日本の男性は、育児が1日平均25分、家事全体で48分ということです。また、厚労省のものは年度がおかしくて、実はこれ↓

Photo  

 

 

 

 

 

少子化社会白書(2007年〈平成19〉、46ページ)のものが年度は正確だそうです。「週全体」というのは、週全体で25分、48分ということではありません。「少子化社会白書」原本(本文)を見ればわかりますが(HPで見ることができます)、週全体の育児・家事時間を合計した上でならした上での1日平均が25分、48分ということのようです。

ところが、これもよく見ると、家事全体と育児のバーの色が反対じゃないか! ははは・・・ま、ご愛敬。

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2008年5月31日 (土)

反日国家なら国民を助けないのか?

中国の自衛隊派遣のとりやめが報道され、「やっぱりな」と思いました。

自衛隊機でもよい。支援物資を送ってくれと中国が要請し、日本がこれにこたえることになったなんて報道を聞いたときには、「中国政府は本気でいってんのかな?」と思っていましたから。

そもそも僕は正直「何で中国がわざわざ自衛隊でもいいから送ってくれなんて軽率なこというんだ?」と思っていました。自衛隊海外派遣なんて、日本政府の改憲論者を喜ばせるだけじゃないのかと思ったから。また、中国において日本軍がやったことや、歴史修正主義が日本政府中枢では盛んであることをを考えても、反発は必死ではないかと思っていました。すると案の定、中国内で世論の反発が大きく、自衛隊機派遣はとりやめになりました。ちょっとホッとしやしたぜ(苦笑)。

ところが、次のようなことをいう人がいます。

http://constitution.blog109.fc2.com/blog-entry-63.html

 どうやら中国が自衛隊機の派遣を拒否したようだ。流石は反日国家。しかも物資だけはよこせ、というのだから、日本もとことんコケにされたものだ。この期に及んでも、「被災地の方の救援が何よりだ」などと能天気なことを言える日本人は、自分がどれだけ馬鹿にされているのかを理解することさえもできない。

〝この期に及んでも、「被災地の方の救援が何よりだ」などと能天気なことを言える日本人は、自分がどれだけ馬鹿にされているのかを理解することさえもできない〟なんていいきっていますけど、そう断言するのは早計ではないでしょうか。

第一に、相手が反日だから救援しない、という論理を僕は受け入れません。もちろん中国政府が要請しないのであれば、ムリに救援活動はできません。けれども、相手が支援してほしいというのであれば、やることはやるのは当然でしょう。かかっているのは、中国の人々の生命、生存権だからです。それなのに支援できませんよというのなら、日本のいう国際貢献など、嘘っぱちってことですよ。

米女優シャロン・ストーン氏が「大地震はチベット弾圧の当然の報いだ」ということをいったらしいが、生存権は犯罪者でもないかぎり、言動の如何にかかわらず保障されるべきです。犯罪者にしたって〝のたれ死に〟していいわけじゃありません。「救援に入ったら鉄砲で殺されそうだ」っていうんなら話は別かもしれませんが、「反日」程度では救援しない理由になどならないと僕は思います。生存権は、相手の態度で守ったり守らなかったりするものじゃありません。

第二に、自衛隊派遣は中国が要請したものではなく、日本政府が派遣したがったというのが本当のところみたいです。次のような記事がありました。

<四川大地震>自衛隊機派遣見送り 「成果」焦った?日本
5月30日23時37分配信 毎日新聞

 (略)

 「昨日、北京の日本大使館に中国政府から要請がありました」

 中国からテントや毛布などの物資の輸送のための自衛隊派遣を要請されたと発表したのは28日午後の町村信孝官房長官の会見。町村氏は「輸送手段について自衛隊によるものを含めて要請があった」と説明した。

 ところが、ある政府関係者は「要請したのは中国軍の少佐」と明かす。少佐は防衛省だと3佐に相当し、陸海空幕僚監部の課長にも満たないレベル。初の自衛隊派遣という歴史的な局面で、課長にも満たない軍人が要請してきたことになる。

 「少佐と聞いた時、この話は大丈夫なのかと感じた」と政府関係者。首相周辺も「中国政府が意思決定したものでも、権威あるものでもなかった。その意味では最初から自衛隊派遣の要請はなかったとも言える」と語る。

 つまり、単なる打診だった可能性があるのだが、中国軍の一部による一つのアイデアは日本政府に伝わる過程で要請に姿を変えていったようだ。

 そのころ、米軍はC17輸送機でハワイから支援物資を四川省・成都まで空輸し、中国軍関係者の出迎えを受けていた。「米軍も受け入れているわけで、過去の経緯からあまり自衛隊を特別扱いしすぎる必要はない」(外務省幹部)との楽観論が広がり、大々的に報道されたこともあって政府はどんどん前のめりになっていった。

 政府関係者は「中国から求められた」と口をそろえたが、実際には日本側が持ち出していた。12日の地震発生の直後、政府は(1)資金援助(2)物資援助(3)緊急援助隊の派遣(4)医療チームの派遣--の4提案とともに「自衛隊の派遣を要請してはどうか」と提案した。

 検討されたC130輸送機での支援内容は、数千万人規模という被害に比べ、テントや毛布の量がかなり限定的。外務、防衛両省には「実現すれば日中関係にとって画期的で、関係改善の象徴的出来事になる」と色めく幹部がいた。自衛隊派遣案がもともと人道支援ではなく、政治的意味合いから出発していたわけで、政府関係者からは「最終的に見送られたのは必然」との声も聞かれる。【古本陽荘】

 つまり、自衛隊派遣は日本側がいいだしたものだと。断られても不思議ではないってことみたいです。まあ、この報道の真偽の判断は保留しますけど。

最後に、中国国民も自衛隊派遣反対一色ではなかったみたいです。でも反対意見も強かった。だから自衛隊機はやめてくれといった。

もし中国が自衛隊機派遣を持ち出したとしても、災害規模が甚大なので、焦って自衛隊機でも何でもいいから受け入れるという可能性はあったかもしれません。でも世論が割れた。だから中国政府は自衛隊はやめてくれといった。別にいいじゃないですか、それで。

【6/1追記】

1点だけ。紹介したこのエントリ

http://constitution.blog109.fc2.com/blog-entry-63.html

にこんなコメントがついています。

>なんかこのエントリーに可笑しな反論をしてTBしてきている人がいますが、どうしようかな。タイトルが「反日国家なら国民を助けないのか?」って・・・誰もそんなこと言ってないというに。

そちらのエントリのタイトルが「反日・四川を助けるな」だから、「反日国家なら国民を助けないのか」といっただけです。

【6/1追記その2】

くわえて、その前のエントリは「自衛隊を四川に派遣するな」であり、http://constitution.blog109.fc2.com/blog-entry-62.html

次のようにもいっています。

>反日国家に人道上の支援をするということは、将来の反日工作員を日本が扶養することにもなりかねない。「馬鹿でお人良しな小日本人のおかげで命が助かり、立派な反日工作員になりました」というシナ人を増やしたいのか。

要は、反日国家に人道支援するな、といっているのではないのでしょうか。

 

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2008年5月29日 (木)

他の医療機関の診療報酬まで引き下げる「後期高齢者診療料」

 後期高齢者医療制度では、保険料が上がったり、強制的に年金から保険料が天引きされることなどをめぐり、国民の怒りがわき起こっている。しかし制度の問題は、経済的負担だけではない。医療を抑制するしくみを診療報酬(注)に持ち込んでいることも重大だ。厚生労働省は“今までと同じ医療を受けられる”というが、制度の実態を偽るものだ。

  その典型が、「後期高齢者診療料」だろう。診療所(周囲4㌔に診療所がない場合は病院でも可)が届け出るもので、「医学管理料」「処置」「検査」などをまとめて一カ月6000円でやれというものだ。
 これを診療所が届け出るとどうなるか? 医療機関は処置や検査をがんばってやるほど、損をすることになる。逆に検査や処置をせず、薬だけ出して患者をさばくような医療機関でも6000円の収入となる。

 また、急に病状が悪化した場合(急性増悪という)は、6000円とは別に検査してもよいことになっているが、5500円以上の検査しか認められない。したがって、腹部エコー(超音波検査)などは5300円だから医療機関の収入はない。やってもよいが、それはまったくの「奉仕」となる。

 さらに、後期高齢者診療料を適用するには、診療所が届け出た上で、患者自身が自分を総合的に診てくれる「担当医」になってほしいと、当該医療機関の医師(主治医)に申し出て、同意する必要がある。
 
 この「担当医」制度に、ヘンテコなルールがつきまとう。後期高齢者診療料は「主病」を治療する「担当医」だけに認められる。「主病」は、厚労省の決めた慢性疾患のうち必ず一つを選ばなければならないことになっている。だから「担当医」も必然的に一人となる。

 だが、病気が複数あり、別々の診療所にかかる必要がある高齢者もおおぜいいる。糖尿病、脳梗塞後遺症、喘息などでかかっているような患者は、いったいどれが主病だというのか?

 しかも「担当医」が決まると他の医療機関の収入まで下がってしまうしくみまである。「担当医」以外の医療機関は同じ患者を見ても後期高齢者診療料はもちろん、医学管理料もとれなくなった。
 医学管理料とは、特定の病気に対して必要な管理を行い、また、病気の治療計画や、運動、栄養、自己注射、服薬などの指導をおこなうと算定できる診療報酬だ。糖尿病や脳血管障害、喘息などの慢性疾患にも特定疾患療養管理料が認められているが、他の診療所(と200床未満の病院)では、これがほとんど算定できなくなった。つまり「担当医」を決めている高齢者は、「担当医」以外の診療所(と200床未満の病院)などにとって、「通常の患者より診療報酬が低い患者」になる可能性が非常に高いということだ。

 このように、後期高齢者診療料は一つの医療機関に高齢者を縛り付け、他の医療機関はできるだけ診ないようにしむけるものであるといえる。厚労省は「いつでも好きな病院に行ける」「担当医が必要な方のみ、お医者さんに申し出ればよい」などといっている。しかしそれは「いまのところは」ということだろう。「かかりつけ医」制度を導入して、医療費を制限しようという議論は、九〇年代後半から、僕自身もしばしば聞いてきた。医療費抑制の議論の流れからして、「いつでも自由に病院へいけるよ」なんてスタンスを保ち続ける確固とした意思など、厚労省は持っていないだろう。いずれ、厚労省のいう「フリーアクセス」は制限されかねない。

 後期高齢者診療料は「選択制」なのに、いったんどっかの医療機関が選んでしまうと、他の医療機関の診療報酬まで引き下げることになる。こんな制度、やはりおかしいと僕は思う。

(注)診療報酬 公的医療保険利用時に適用される、医療行為や医療材料、薬剤の「値段」のこと。この診療報酬に基づき、一般の75歳以上の高齢者の場合、医療保険組合から医療機関へ9割、患者が1割を支払うことになる。

【参考】神奈川保険医協会HP

http://www.iiiryou.com/top/h/post_417.html

http://www.iiiryou.com/top/h/post_414.html

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2008年5月18日 (日)

「社会保障を守るなら消費税」との世論誘導に警戒を

後期高齢者医療制度のことでは、全国の医師会からも異論・反対意見が続出し、国民(とくに高齢者)の怒りも大きく、政府は何とか火消しをしようと躍起である。

基礎年金受給者の保険料軽減=後期高齢者、首相と公明代表が一致
5月17日19時1分配信 時事通信

 福田康夫首相は17日午後、公明党の太田昭宏代表と首相公邸で約3時間会談し、後期高齢者医療制度(長寿医療制度)について、基礎年金受給者の保険料を引き下げる必要があるとの認識で一致した。会談後、太田氏は「手法はいろいろ検討しなくてはいけないが、(首相と)意見は一致している」と記者団に語った。

(後略)

 ただ、火消しをしようとしているとはいえ、政府の対応は、保険料の問題にとどまっている。怒っている人も、保険料の問題や、後期高齢者という名称について怒っているけれど、保険料以外の後期高齢者医療制度の問題点については、ご存じでない方が多い。

 後期高齢者医療制度の本質は、あくまで医療費の抑制・削減にある。この点に注意が必要だ。保険料以外の手段によっても、抑制・削減はできる。なぜなら、医療行為の「値段」を決める診療報酬を抑えればよいからだ。検査、処置、指導料などをどんなにやっても一カ月で6000円までに抑えるという「後期高齢者診療料」は、その典型だ。いまは医療機関の選択制だが、やがて義務化をねらうのではないかと僕は危惧している。

 ところで、政府は、医療保険制度の変質をはかる一方で、次のようなこともいいだした。

 消費税上げの議論を=自民党の古賀選対委員長
5月17日17時2分配信 時事通信

 自民党の古賀誠選対委員長は17日、京都市で講演し、道路特定財源の2009年度一般財源化に合わせた税制抜本改革に関し「消費税率引き上げや弱者救済、少子高齢化の問題を議論することが必要だ」との考えを明らかにした。

 (中略)

 与党内で社会保障費の圧縮は困難との声が続出する中、十分な予算を確保して道路整備を進めることも狙い、消費税に言及したとみられる。

 

つまり、政府は、つぎのような「悪魔のサイクル」に国民を乗せるつもりなのだろう(不始末や悪政を、悪政合理化に用いるのは、政府のいつもの手口だけど)。

①社会保障制度の国民負担を増やす。

②「こんな負担はたまらない」という国民感情をまねき起こす。

③「そんな負担はたまらないでしょう。でも財源はどうするのですか?」と国民に問いかける。

④「だから財源は、消費税アップなんですよ!」という。

⑤しかし実際には、消費税は上げても、社会保障にはまわさない。

⑥ところが、消費税を社会保障にほとんどまわしていないことはごまかし、表向きは「財源がない」「足りない」とかシラを切る。

⑦①にもどる。

総選挙では持ち出すかどうかわからないけど、必ず早晩、政府は消費税アップを持ち出して押し通そうとしてくる。実際に昨年から消費税を上げなければいけないんだというキャンペーンを政府筋がだいぶやってきたし。

「社会保障制度はたいへんだ。だから消費税!」という政府のキャンペーンに抗して、「消費税を社会保障に使うなんて嘘っぱちだ。税金の無駄遣いをなくせ」という声を国民があげるときだ。

かつては40%を超えていた法人税も、いまは30%に下げられている。これも消費税の導入、消費税率アップと平行しておこなわれてきた。いま、大企業は大もうけしているみたいだ。だったら、法人税にも政府は手をつけるべきだ。国民だけ「社会保障費を負担しろ」っていうつもりか? 勘弁しろよ。

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