昨日、明治大学のリバティタワーで、イラクを訪れた3人による報告会がおこなわれた。報告者はイラクの支援・ボランティアをしてきた高遠菜穂子さんと写真家の森住さん、ジャーナリストの志葉玲さん。
http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2009/05/post-7a47.html
今回行ってきたのは、アンバール州という、イラク西部の地域。時期は4月下旬。8泊9日で、大半がラマディ、1日だけファルージャ。ファルージャは掃討作戦で有名になったが、ラマディもまた、米軍の掃討作戦の犠牲になった街だということだった。
高遠さん、志葉さん、森住さんの三人で行動をともにし、地元の人の協力を受けながらのイラク訪問だったそうだ。
高遠さんといえば、2004年に「自己責任」だとずいぶんバッシングされた。その彼女が5年ぶりにイラクに入ることができた! そのこと自体が、僕にとってはうれしいことだった。
3人が同様に語ったのは、アンバール州の治安は現在、かなり劇的に改善したとのことだった。森住さんが写真を見せてくれたが、夜中に買い物にいったり、アイスクリーム屋さんにいく人などがいて、大人だけでなく子どもも夜出歩く姿が見られたそうだ。日本人がきたぞというので、めずらしがってフレンドリーに迎えられたということだ。
なぜ、アンバール州の治安が改善したのか? 米軍の成果なのか? そうではない。地元の部族社会を基礎とした「覚醒委員会」の命がけのとりくみがあったようだ。
「覚醒委員会」というと、高遠さんいわく、ブッシュ大統領が「覚醒委員会と手を組んだ」などといっていたので、「米国に金で買われたあやしい人たち」だと思っていたそうだが、実際はアンバール州では、「覚醒委員会」が米軍を撤退させ、自分たちで治安を回復させるとりくみをおこなったそうだ。
覚醒委員会の治安改善のとりくみは、主に高遠さんが語ってくれた。交渉を何回も重ね、交渉の最終段階になって、何年かかっても治安を回復できない米軍に「覚醒委員会に3日くれるか、米軍が3カ月で治安を回復するか、どちらかだ」と迫り、米軍側が「やってみろ」といったところ、覚醒委員会が平定作戦をおこなって、本当に治安を回復させたということだった。米軍はほとんど最初、平定できるとは信用していなかったそうだ。
なぜそんなことが可能だったのか?
高遠さんはつぎのようにいった。
「市民は、米軍には情報を渡さない。しかし部族には話す」
どこに怪しいヤツがいる…などの情報を、部族には話す。そのことが治安回復につながったということだった。当たり前のことだが、治安悪化のなかで、そんな平定をよく決意したなあ。考えてみればすごいことだ。きっと。
上記の話と関係するのかどうかよくわからないが、高遠さんは次のようなエピソードも紹介してくれた。
▽覚醒委員会のその地域の代表で、ある部族の有力者は、自分の家の前の通りを米軍に占拠されていた。仕方ないので裏口から出入りしていたが、「覚醒委員会は親米派」だと思われたのか、やがて家の裏手に反米強硬派の武装勢力がしめるようになった。表からも裏からも出入りできない。そのときにこの部族有力者は、近くにある米軍基地まで丸腰で歩いた。
「丸腰で歩く」ということは、イラクでは「死んでも当たり前」の行為だ。イラクでなぜたくさんの人が死んでいるか? “武装勢力がはびこっている”という理由の他に、米軍が無差別殺人を行っているからだ。志葉さんによれば、ラマディのある地域では米軍が占拠し、そこを通る者は民間人であろうが何だろうが米軍のスナイパーがいて、射殺したという通りがイラクにはあったそうだ(「ハンティングロード」と呼ばれていた)。もちろんそのことが知れ渡って住民は通らないようにしていたが、それでも1日に3人ぐらいのペースでイラクの人たちが射殺されていた、という話を聞いたと志葉さんは語った。それぐらい、米兵が住民を殺すのは、当たり前だったということだ。
話を元に戻す。
▽この部族有力者は、米軍基地の入り口で責任者を出せといい、その日は自宅の連絡先を教えて帰った。後日米軍から連絡が来て、家に来た。この部族有力者は、最初は本音を語らず、米兵を何回ももてなし続け(それが部族社会のやり方だと高遠さんはいっていた)、やがて交渉して米兵の地域からの撤退を実現した。
高遠さんは、アンバールでうまくいったからといって、それがイラクの他の地域でもうまくいくとは限らないといっていた。それは僕も同感だ。でも、米軍、武装、それが安全確保…のような意見は、つくづく吟味を繰り返さなければならないと感じさせられた。
報告が長くなりそうなので、あと何回か概要報告を続けることにする。…あと2回ぐらいかな?
(つづく)
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