『美しい国へ』(安倍晋三著、文春新書)読みました。読みやすい本ですね。ただ、中身は軽すぎて論理の飛躍がひどいです。おさかなと立場の違いがあるのははじめからわかっていますが、立場が違うなりに、論理構成はきちんとしていただきたいなあ、というのがおさかなの感想です。
論理の飛躍や、明らかな間違い、またおさかながとても疑問に思った点をいくつか例示しましょう。
なお、(※)は、おさかなによる注です。
■「安保条約をすべて読み込んでみて、日本の将来にとって、死活的な条約だ、と確信をもつことになるのは、大学に入ってからである」(21ページ)
ところで・・・20ページには「社会党、共産党の野党、そして多くのマスコミは、日米安保条約の破棄を主張していた。『日米安保の延長は自衛隊の海外派兵を可能にする。すでに日本はアメリカのベトナム侵略の前線基地になっており、日本帝国主義はアメリカと結託して、ふたたびアジア侵略をはじめようとしている』というわけだ」と1970年のことをいっている。
しかし、ベトナム戦争の拠点になったことが、日本の将来の死活にどう関係したのか、本書にはひとことも説明がありません。ベトナム戦争は今日の国際社会で、侵略戦争だったといわれるものの一つですが、そのベトナムの地に日本の基地から飛び立った米軍が、どのように日本の将来に死活的な役割を果たしたというのです? 自分の論理の飛躍は棚に置き、「うさんくさい気がした『安保反対』の理由」などという小見出しを堂々と掲げていますが、厚顔無恥というものです。
■「たしかに軍部の独走は事実であり、もっとも大きな責任は時の指導者にある。だが、昭和十七、八年の新聞には『断固、戦うべし』という活字が躍っている。列強がアフリカ、アジアの植民地を既得権化するなか、マスコミを含め民意の多くは軍部を支持したのではないか」(25ページ)
「大東亜戦争」当時のことのようだが、報道や言論の統制をはかり、「隣組」を組織して思想まで監視させたような背景があったことを抜きにしていないだろうか。もちろん、支持した国民も多数いたが、当時の時代背景は、そんなに単純ではない。
■「国に見捨てられたかれらが、悲痛な思いで立ち上がっているのだ。私たち政治家は、それにこたえる必要がある」(北朝鮮の拉致問題で。46ページ)
中国残留孤児にも、日本が戦前、満州への移民を推し進めた結果として生まれた人が多数いる。彼らも国に見捨てられた人たちだが、ずいぶん政治は冷たいようですね・・・。
■「公害訴訟など、過去の国の失政を追及する国家賠償請求訴訟において、原告が勝訴すると、マスコミは『国に勝った』と喝采することが多い。しかし、その賠償費用は国民の金から支払われるのであって、国家という別の財布から出てくるわけではない。だからこそ、その責任者は被害者への責任だけでなく、納税者である国民に対する責任が厳しく問われるのである」(65ページ)
そういえなくもないが、本当に法学部出身者(彼は成蹊大学法学部卒)ですか? 意図的に問題の所在を狭くしているように思います。納税者である国民への責任が問われているというよりも、たとえば薬害であれば、薬害を起こしてしまったり防げなかったその責任を問われているのであり、そういう過ちを二度と起こさないよう措置をとることが問われているのであり、社会不安を起こしたその責任が問われているのであり、被害者の健康や人生を侵害した責任が問われているのであり、国の責任として償う気があるのかどうかが問われているのではないのでしょうか。
■「ところが日本では、安全保障をしっかりやろうという議論をすると、なぜか、それは軍国主義につながり、自由と民主主義を破壊するという倒錯した考えになるのである」(66ページ)
仕方ないでしょう。「大東亜戦争」を正当化する「つくる会」の教科書採択で協力し、また檄をとばす御仁(=安倍氏)のいる自民党が、「安全保障をやろう」といえば、本当に安全保障のためなのか? 大丈夫なのか?と思う人がいても不思議ではありません。次のURL参照。http://www.tsukurukai.com/01_top_news/file_news/news_040616.html
■「(※東京裁判で)指導的立場にいたからA級、と便宜的に呼んだだけのことで、罪の軽重とは関係がない」(70ページ)
なんじゃそりゃ。そんなに単純なものなのか? 指導的立場とは、責任が重い立場ではないのか?
■「米国のアーリントンの国立墓地の一部には、奴隷制を擁護した南軍将兵が埋葬されている。小泉首相の靖国参拝反対の論理にしたがえば、米国大統領が国立墓地に参拝することは、南軍将兵の霊を悼み、奴隷制を正当化することになってしまう」(74ページ)
靖国神社は、遊就館でどうどうと「大東亜戦争」はやむをえなかった、間違っていなかったとのたまう神社です。その神社に参拝することの是非が問われているのに。そもそも、単純にA級戦犯が合祀されているからけしからんということだけが「靖国問題」と呼ばれているのではないでしょう。
■「かれら(※日の丸・君が代を快く思わない人たち)にとっては、W杯の日本のサポーターの応援ぶりも、きっと不愉快なことなのにちがいない。ただ、その不愉快さには、まったく根拠がないから、かれらの議論にはなんの説得力もない」(83ページ)
日の丸・君が代を問題している人たちの主張を、単純化しすぎだと思います。そのようなあっさりとした断定にこそ根拠がないと思います。
■「だが、すごいと思うのは、いざ外に向かうときは、アメリカ国民は、国益の下に一枚岩になることだ」(86ページ)
イラク戦争を起こした責任を問う声や、イラク戦争反対の運動がアメリカでも起きているようですが、いったいこの現象は「一枚岩」と呼べるのでしょうか。ちょっと単純すぎる断定ではないでしょうか。
■「(※ミリオンダラー・ベービーが)とりわけアイルランドへの帰属意識という点に注目して作品を見直すと感慨深い。クリント・イーストウッド自身がアイルランド系だというから、その思いが込められているのかもしれない」(90ページ)
どう感慨深いのかよくわかりませんが・・・「モ・クシュラ」は娘にも相手にされない、不器用な老トレーナーの、彼なりのマギー(女性ボクサー)への精一杯の愛情表現だと思いましたけど。帰属云々の大切さを表現しているようには見えませんでしたが、ちょっと単純な映画評では? 私には、違和感があります。自分の主張=愛国心に意図的につなげたいようにしか見えません。
■「世界を見わたせば、時代の変化とともに、その存在意義を失っていく王室が多いなか、一つの家系が千年以上の長きにわたって続いてきたのは、奇跡的としかいいようがない。天皇は『象徴天皇』になる前から日本国の象徴だったのだ」(104ページ)
え? 江戸時代は、天皇なんてかなり影薄くありませんでしたか? そんなに単純に言い切っていいんですか?
■「日本、ドイツ、イタリアは、あいついで国際連盟を脱退、『アメリカは自由の理念を世界に広めるという特別な使命を持つ』と宣言したウィルソン(※大統領)の理想は、ここにいたって挫折をよぎなくされることになる。一九四一年の日本の真珠湾攻撃は、アメリカ外交に決定的な変更をせまることになった。いまや孤立主義を捨て、自分たちの信じる独立宣言や憲法にうたわれたアメリカの価値観を世界に広げなければならない-理想主義の追求が、はっきりと外交にもちこまれたのは、このときからである」(115~6ページ)
え? 何言っているのかよくわかりません。「理想主義の追求が外交にもちこまれた」のは日本の真珠湾攻撃のおかげだといいたいのでしょうか? ここでいう「理想主義」「理想」とは、「国際連盟の創設を提案し、世界史上初めて、国際機構による平和の維持という理想」(114ページ)とも同義語のようですが。ところで国際連盟から日本が脱退したのは、世界から満州事変、満州国建国を非難されたせいだったと思います。自分で国際社会に挑戦して連盟を脱退しておいて、アメリカが「国際機構による平和の維持という理想」を外交にかかげたのは日本のおかげだとも読めますけど、そういうことがいいたいのでしょうか?
■「憲法前文には、敗戦国としての連合国に対する”わび証文”のような宣言がもうひとつある。《われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたい》という箇所だ。このときアフリカはもちろん、ほとんどのアジア諸国はまだ独立していないから、ここでいう《専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会》とは、おもに連合国、つまりアメリカをはじめとする列強の戦勝国をさしている。ということは、一見、力強い決意表明のように見えるが、じつは、これから自分たちは、そうした列強の国々から褒めてもらえるように頑張ります、という妙にへりくだった、いじましい文言になっている」(122~3ページ)
かわった憲法前文解釈ですね。
■「たとえば日本を攻撃するために、東京湾に、大量破壊兵器を積んだテロリストの工作船がやってきても、向こうから何らかの攻撃がないかぎり、こちらから武力を行使して、相手を排除することはできないのだ」(133~4ページ)
え? 現行憲法のもとでも、領海侵犯でだ捕できないの? 領海侵犯なら、当然海上保安庁が排除するはずですが?
とりあえず疲れたので、今日はここまで。
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