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2009年5月

2009年5月24日 (日)

イラク報告会の報告です③

森住さん、高遠さん、志葉さんのイラク報告会の前回、前々回のエントリは下記。

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2009/05/post-7d9a.html

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2009/05/post-8147.html

前回、前々回の報告にくわえて、3点だけ、印象に残ったことを書きます。

■1■まず、一点は、高遠さんがイラクに5年ぶりに入れたことで、「とまっていた時計が動き出した」という趣旨のことを話していました。

高遠さんのブログにも書かれていますが、

http://iraqhope.exblog.jp/10912207/

イラク戦争が始まって「なぜイラクに日本は軍隊を送ったのか」とイラクでバッシングされ、日本では人質事件で「つかまったのは自己責任」だというバッシングを受けた。イラク国内の協力者とともに学校再建のプロジェクトなどをおこなってきた高遠さんでしたが、ずっとイラクには入れませんでした。あの事件以来、時計の針が止まっていたという高遠さんは、今回イラクに入り、「おめでとう」「よくきたね」と迎えてもらえた。これが非常に大きな意味をもったようです。

まあ、くわしくはちょっとうまい言葉が思いつかないので、高遠さんのブログを読んで下さい。気持ちが伝わってくると思うので。

■2■2点目は、「日本の憲法第9条の精神を実践しているのは、実は厳しい状況におかれた紛争地の人たちだ」という趣旨の話をしたこと。これは①で話した覚醒委員会の人たちを中心にした、治安回復、米軍撤退の交渉の努力などのことを指しています。とりわけ、米軍に殺されてもおかしくない中を、丸腰で歩いたってことをさして、「そんなこと、日本でできる人はそんなにいないでしょう」と高遠さん。同感です。

■3■3点目は、ロイターが高遠さん一行がイラクに入ったことを受け、在イラクの日本大使館が大あわてで高遠さんらの同意を得ず、護衛をつけたことです。ロイターに大使館が一行の連絡先を教えるようにしつこく迫り、イラクの武装警官を護衛につけたそうです。実は高遠さんたちは覚醒委員会の人たちの協力を得て、ほとんど装備無しで行動していたそうです。「それで十分だった」と志葉さん。しかし武装警官が何人もついて、ピックアップトラックで2台もついて高遠さんたちのまわりにくっついてきたそうです。

このことで取材したかった人がいたが、武装警官がいることを理由に取材を断った人もいたということです。また、志葉さんいわく、「武装警官に引き返してもらった方がいいのか」と覚醒委員会に聞いたら「もう遅い」といわれ、武装警官がついてきたことで「危険になった」といったそうです。どういうことかというと、ラマディは治安は改善したとはいえ、まったくの安全というわけではない。また、イラクの武装警官は、アメリカといっしょになって、国民を虐げてきたからです。まあ、イラク国民の反感を買いかねないし、反米強硬派の的に成りかねないというわけです。志葉さんいわくでっかい銃を持って護衛にあたられたので「目立って仕方ない」といっていました。

重装備で護衛することが、必ずしも安全を確保・向上させられるとは限らないということを感じさせるエピソードだな、と思いました。

(報告会の報告は、とりあえず以上です)

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2009年5月23日 (土)

イラク報告会の報告です②

イラク報告会のつづき。前回は覚醒委員会のことを述べたが、話はそれだけではない。

一回目は、下記URL参照。

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2009/05/post-7d9a.html

僕が話を聞いて、驚いたエピソードがある。それは、高遠さんがイラクでボランティア活動をする際の「相棒」、カーシムさんの兄は米軍によって「殺された」のだ。

高遠さんいわく、カーシムさんの兄は結婚していて、子どもがいた。だが、交通事故に遭い、出血した。助手席にいた子どもは偶然にも窓から外に放り出されて助かったが、兄は重傷を負った。すぐに周囲の人たちがかけつけて救出し、親戚に連絡をとった。親戚が駆けつけて、車で病院に向かった。ところが当時、病院の近くには、多くのところで米兵の検問があった。米兵は、何時間も検問を通さなかった。時々米兵は脈を測って(死んでいないかどうか確認しているのだ!)、米兵が通ってもよいといったときには、すでに兄は息絶えた時だった。

こんなひどいことってあるだろうか? 病院ぐらいさっさと通せよ。

だが、そんなことはイラクでは日常だった。この日、3人が語ったのは、次のような実情だった。

▽ある産科病院では、米兵の検問があったために病院へたどり着けず、長時間待たされてようやく通されたときには、途中の道で子どもが産まれてしまう、などのこともあった。
(なお、産まれてくる子どもの3%ぐらいが奇形。劣化ウラン弾の影響?)
▽あるジャーナリストは、自宅アパートを米軍に攻撃された。奇跡的に助かったがアパートはずたずたになり、壁には巨大な穴が空いた。
▽アンバール州のカイムという街では、砂漠にテントを張って結婚式をしていたが、米軍が攻撃を加え、虐殺をおこなった。
▽通りにでた親子連れが米軍にねらわれ、親が殺された。子どもはまだ小さかったが、他の住民も子どもを助けようとすれば自分が狙われる。仕方ないので、住民はロープでその幼い子どもをひっかけ、救けた。

また、これは「フライデー」(2009.5.29号)にも紹介されているが、米軍はラマディで大量虐殺をおこない、その墓地が街中にいくつもあるそうだ。3人が今回訪れたあるひとつの墓地(ラマディ)だけでも、「数えたら2000人ぐらいいた」(森住さん)という。その中には米軍の大量虐殺のため、誰か誰かわからず、名無しのものも多かったそうだ。
本来は、こうしたお墓は郊外につくるのだそうだ。だが、なぜ街中にあるのか? しかもそこはもともと公園だったという。

理由は簡単で、米軍が街を封鎖した上で、ラマディで虐殺をおこなったからだ。2006年には「インクスポット作戦」なるものがおこなわれた(一点を米軍が占拠し、そこからインクが染みいるように攻撃、制圧していくので、こういう名前がついているのだそうだ)。住民は街の外に出られないため、空き地を使って墓地をつくった。だから公園が墓地になってしまったのだ。

報告を聞いて、住民を虐殺すること、殺すことのどこが、世界の平和のためなんだ? こんな戦争を支持する日本政府も、いったい何様なんだ? との思いがあらためてこみ上げた。

(つづく)

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イラク報告会の報告です①

昨日、明治大学のリバティタワーで、イラクを訪れた3人による報告会がおこなわれた。報告者はイラクの支援・ボランティアをしてきた高遠菜穂子さんと写真家の森住さん、ジャーナリストの志葉玲さん。

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2009/05/post-7a47.html

今回行ってきたのは、アンバール州という、イラク西部の地域。時期は4月下旬。8泊9日で、大半がラマディ、1日だけファルージャ。ファルージャは掃討作戦で有名になったが、ラマディもまた、米軍の掃討作戦の犠牲になった街だということだった。

高遠さん、志葉さん、森住さんの三人で行動をともにし、地元の人の協力を受けながらのイラク訪問だったそうだ。

高遠さんといえば、2004年に「自己責任」だとずいぶんバッシングされた。その彼女が5年ぶりにイラクに入ることができた! そのこと自体が、僕にとってはうれしいことだった。

3人が同様に語ったのは、アンバール州の治安は現在、かなり劇的に改善したとのことだった。森住さんが写真を見せてくれたが、夜中に買い物にいったり、アイスクリーム屋さんにいく人などがいて、大人だけでなく子どもも夜出歩く姿が見られたそうだ。日本人がきたぞというので、めずらしがってフレンドリーに迎えられたということだ。

なぜ、アンバール州の治安が改善したのか? 米軍の成果なのか? そうではない。地元の部族社会を基礎とした「覚醒委員会」の命がけのとりくみがあったようだ。

「覚醒委員会」というと、高遠さんいわく、ブッシュ大統領が「覚醒委員会と手を組んだ」などといっていたので、「米国に金で買われたあやしい人たち」だと思っていたそうだが、実際はアンバール州では、「覚醒委員会」が米軍を撤退させ、自分たちで治安を回復させるとりくみをおこなったそうだ。

覚醒委員会の治安改善のとりくみは、主に高遠さんが語ってくれた。交渉を何回も重ね、交渉の最終段階になって、何年かかっても治安を回復できない米軍に「覚醒委員会に3日くれるか、米軍が3カ月で治安を回復するか、どちらかだ」と迫り、米軍側が「やってみろ」といったところ、覚醒委員会が平定作戦をおこなって、本当に治安を回復させたということだった。米軍はほとんど最初、平定できるとは信用していなかったそうだ。

なぜそんなことが可能だったのか?
高遠さんはつぎのようにいった。

「市民は、米軍には情報を渡さない。しかし部族には話す」

どこに怪しいヤツがいる…などの情報を、部族には話す。そのことが治安回復につながったということだった。当たり前のことだが、治安悪化のなかで、そんな平定をよく決意したなあ。考えてみればすごいことだ。きっと。

上記の話と関係するのかどうかよくわからないが、高遠さんは次のようなエピソードも紹介してくれた。

▽覚醒委員会のその地域の代表で、ある部族の有力者は、自分の家の前の通りを米軍に占拠されていた。仕方ないので裏口から出入りしていたが、「覚醒委員会は親米派」だと思われたのか、やがて家の裏手に反米強硬派の武装勢力がしめるようになった。表からも裏からも出入りできない。そのときにこの部族有力者は、近くにある米軍基地まで丸腰で歩いた。

「丸腰で歩く」ということは、イラクでは「死んでも当たり前」の行為だ。イラクでなぜたくさんの人が死んでいるか? “武装勢力がはびこっている”という理由の他に、米軍が無差別殺人を行っているからだ。志葉さんによれば、ラマディのある地域では米軍が占拠し、そこを通る者は民間人であろうが何だろうが米軍のスナイパーがいて、射殺したという通りがイラクにはあったそうだ(「ハンティングロード」と呼ばれていた)。もちろんそのことが知れ渡って住民は通らないようにしていたが、それでも1日に3人ぐらいのペースでイラクの人たちが射殺されていた、という話を聞いたと志葉さんは語った。それぐらい、米兵が住民を殺すのは、当たり前だったということだ。

話を元に戻す。

▽この部族有力者は、米軍基地の入り口で責任者を出せといい、その日は自宅の連絡先を教えて帰った。後日米軍から連絡が来て、家に来た。この部族有力者は、最初は本音を語らず、米兵を何回ももてなし続け(それが部族社会のやり方だと高遠さんはいっていた)、やがて交渉して米兵の地域からの撤退を実現した。

高遠さんは、アンバールでうまくいったからといって、それがイラクの他の地域でもうまくいくとは限らないといっていた。それは僕も同感だ。でも、米軍、武装、それが安全確保…のような意見は、つくづく吟味を繰り返さなければならないと感じさせられた。

報告が長くなりそうなので、あと何回か概要報告を続けることにする。…あと2回ぐらいかな?

(つづく)

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2009年5月22日 (金)

森住さん、高遠さん、志葉さんのイラク報告会。

下記のメールがきたので、お知らせします。…っていうか、今日だな(笑)。僕は行きますよ。

********************

写真家の森住です。

このたび訪問したイラクの緊急報告会を開催することになりました。
高遠菜穂子さんとジャーナリストの志葉玲さんと森住の3人で行います。

日時:2009年5月22日(金)
場所:明治大学駿河台キャンパス
リバティタワー8階1083教室
開場:18:00
開会:18:30
資料代:500円

<明治大学駿河台キャンパス>
〒101-8301 東京都千代田区神田駿河台1-1
■JR中央線・総武線、東京メトロ丸ノ内線/御茶ノ水駅 下車徒歩3分 ■東京メト
ロ千代田線/新御茶ノ水駅 下車徒歩5分
■都営地下鉄三田線・新宿線、東京メトロ半蔵門線/神保町駅 下車徒歩5分
共催:イラクホープネットワーク 現代史研究会 問い合わせ:
info08*iraq-hope.net 03-6228-0746(JIM-NET事務所)

以下のサイトをクリックして、チラシをダウンロード出来ます。宣伝してくださる方
ご自由にお使いください。
http://morizumiphoto.sakura.ne.jp/sblo_files/mphoto/image/1A1A1A_meidai.doc
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森住 卓

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2009年5月13日 (水)

スピーカー自作②

スピーカー自作↓

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2009/05/post-4ec4.html

のつづき。

結局、オリジナルのエンクロージャーをFX120用に作成することにしました(一応、F120Aも使える)。

設計図がこれ。

Photo  

 

 

 

 

設計図は、基本的にフリーソフト「SPED」で作成した物です。手書きの図(上)と、SPED作成の図(下)は、補強剤もどきがエンクロージャーの中央に通っているかどうかという点の他にも、微妙に違う点がありますが、ほぼ同じです。

Photo_2  実際にはユニットや補強剤の容積、吸音材の量などによっても特性は変わってくるでしょうが、まあまあ普通に音楽が聴けるエンクロージャーになると期待しております…。下が62Hz~65Hzぐらい出れば十分かなあ? さっそくMAKIZOUさんにカット材を依頼しました。

http://hb6.seikyou.ne.jp/home/makizou/

 納期は3週間ほどはかかりそうですが、いまから楽しみです。板厚15mm、送料込みで2万円弱。「スーパーシナアピトン合板」。

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2009年5月12日 (火)

スピーカー自作

スピーカーの自作に興味を持ち、ちょこっと挑戦しました。

僕はAUDIENCE52という、安くはないスピーカーを持っていますが、何だか温度感が足りない気がして、悪戦苦闘してきました。この温度感を何とかしたい。でも既製品のスピーカーを買い換えるのは、お金がバカにならない。じゃあ、エンクロージャーはそのままでユニットを交換したりできる自作に挑戦してみようかな、と考えた次第です。

で、買ってきたのは、FOSTEXのエンクロージャーE122Bと、同じくFOSTEXのFE127E。ちなみにE122Bは、スピーカーターミナルがしょぼいので(裸線接続しかできない)、バナナ対応のターミナルを購入して(ペアで1000円程度だったと思う)、無理やり背面に取り付けました。写真は、取り付ける前に、コードを通すための穴をあけたところ。

Photo  

 穴の位置が左にずれているが…まあ、いいや。

 

 

 

で、ユニットもとりつけて、聴いてみる。

127e  

 

 

 

 

 

 

情報量はもちろんAUDIENCEには及ばない。帯域も当然せまい感じだ。だが、思ったよりも低音は出ている。ボーカルや楽器などにも熱気が感じられる。

一方、ちょっと見過ごせないなと思う欠点は、シンバルの音がシャラシャラいうこと。余韻のはずの音がシャラシャラ、ザラザラと前面に出てきてうっとうしい。

そこで、FE127EをFX120に換えてみたが、やっぱりシャラシャラいう。でも、FX120の方が少しマシだ。イコライザで3KHz以降を下げて調整して、まあまあ気にならない程度にできた。FX120も押し出しがあり、熱気のある音を聴かせてくれる。

自作、けっこういけるかも。次はオリジナルのエンクロージャーの作成に挑戦したいと思います…。低域を少しのばしてみたい。60Hz~65Hzぐらいまででもいいから伸びてくれればいいのだけど。

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