お出かけ、旅行

2008年10月25日 (土)

フランスです②

フランス旅行(新婚旅行)に行ってきたことは、以前に述べた。

本当は、いってきたところを全部写真入りで展開しようかと思ったが、長くなりすぎるなあ、と思ったので、短くすませることにした。僕は面倒くさがり屋なのだよ(それでも、長い?)。

フランスに行って、印象的だったものを中心に、感想を述べることにしたい。

【1】フランスにいってまず意外だったこと。朝が明けるのが遅いことだ。夜の7時半を過ぎても、まだ薄暗い。9時頃に、ようやく日本でいう7時ぐらいの明るさになる印象だ(あくまで、10月の比較)。
逆に、夜は7時前でも、まだ日本の5時程度だなあ、という明るさである。

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これは、パリ郊外の写真。朝の7時50分ごろ。

 

 

  

Pa130834_2 これは、ルーブル美術館前のチェイルリー公園。夜の6時半すぎの写真。夕景っぽいよね?(遠くに見えるのはエッフェル塔)。夕食を食べようと思っても、レストランが開くのはだいたい7時で、日本人の感覚だと「おい、はよせんかい!」といいたくなるだろう(たぶん)。

 

 Pa120720【2】ほかにも不思議だったこと。フランス人はやたら外でお茶したがる。カフェの話。あちこちにカフェがあるけど、その辺の道沿いにある。車もがんがん通るし、別に空気がきれいなわけでも何でもないのに。それなのに、やたらパンをムシャムシャ。「ひょっとして、排気ガスもいっしょに食べている? もしもし?」ってフランス語で話せたら、きっとお友達になれること請け合いだ。

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試しに、僕はカフェに2回ほど入った(パリで)。店の中はかなりすいていたカフェもあった。だが、そのカフェ、外はぎゅうぎゅう。空きがほとんどない。でも、みんな外でおしゃべりしながら、お茶しているのである。店の中は40席ぐらいは空いているだろうに、客は5人もいないあり様。
何だかこっけいな感じ。日本人な俺には理解できんな。でも、みんな楽しそう。まあ、これも文化だ。俺は排気ガスといっしょにコーヒー飲むのはごめんだけど。室内で勘弁してくれ。

【3】パリでは、やたら一人演奏会が勃発するので面白い。しかも、メトロ(都市鉄道)の、しかもホーム内とか、列車の中だ。一日半しかパリ市内をふらついていないけど、それでも僕はその間、三度もメトロで「一人演奏会」を目撃。

Pa140848 バイオリンを弾く少年。タンバリンをたたきながら歌う女性。ジャズを演奏する男性。それで、チップをもらおうとするのだ。

だが、パリの人はほとんど「チップをくれ」攻撃を無視してた。そりゃそうだろう。ほとんど毎日、こうした「チップくれ」攻撃を受けているに違いない。一日半動いた僕たちだけでも、3回も遭遇してしまうのだから。でも、日本の駅頭でバンド演奏やってるような連中より、総じてレベル高い。いや、マジで。僕はそう思ったな(主観だけどね)。

【4】あと、予想通りというべきか、あちこちでカップルがキスしたり抱き合ったりしてる。さすが、自由の国だ(?)。1日半で、4組か5組はいちゃいちゃキスしてるの、みたな。でも、そういうカップルだけでなくて、こんな人もいて笑ってしまった。

Pa130807 これは、セーヌ川を走る船「バトビュス」を追い越した、ジョギング中のおっさん。船の方をちらちら見ながら、船よりも速く駆け抜けていった。何が彼をそんなに本気にさせるのか? もちろん、この画像は「バトビュス」の中からおっさんを撮影したモノだ。背中は汗びっしょりで、船の中の客にももちろん、注目されていた。

 

 

ほかにもセーヌ川沿いにはこんな人がいた。

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 いや、こんな人もいたぞ↓

Pa130817 …なぜ君は裸なんだ!?

さすが、フランスは自由の国(?)だ。

ちなみに、僕が行ったときは、フランスにしてはあつかったが、日本よりは遙かに温度は低く、コートを着て歩いているような天気だったことは付言しておく。

【5】フランスが偉大だと思ったのは、芸術的遺産の建物がデカイ! 芸術というのか、遺産のスケールが違うというのか。

Pa120690 ヴェルサイユ宮殿。

 

 

 

  

Pa110528_2 シャルトル大聖堂。

 

 

 

  

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これはオペラ座(パリ)。パリみたいな大都会でも、こんなにすごい芸術品のような建物が建っているのには驚く。

 

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これはエッフェル塔。昼間は別におしゃれだとは思わないけど、夜8時以降、1時間おきに、きれいなイルミネーションが数分間輝くのがおしゃれだ。

 

Pa130749さらにはパリにある、オペラ座近くのギャラリーズ・ラファイエット。左は百貨店のトイレなんだが、なぜかトイレまでちょっと、おしゃれ (笑)。

  

Pa120729さらにギャラリーズ・ラファイエット本館の天井! 

これ、本当に、百貨店の天井? ありえないでしょ。
「ぎょえ~。何でこんなにきれいなの?」とパシャリ。

 

 

 

 

 

【6】しかし、あまり見とれて天井をカメラをぱしゃぱしゃしていると、スリがやってくる可能性があるので、ご用心。パリにはスリが多いんだって! ガイドにずいぶん注意するよう、釘をさされた。子どものスリ団もいるとか。したがって、僕は、鞄はたすきがけ。身体の前に持つ。ファスナーは開けず、できればコートの下に隠し持つようにして、上に手を添えるようにして歩いた。そうだ、コートの下に銃を隠し持つようにするんだ!(?)

また、デジタルカメラは、まだフランスでは半分の家庭にも普及していないんだって! だから、デジタルカメラは意外に高級品で、首からぶらぶらさせるのは、危ないらしい。僕もできるだけ、ジャケットの下に隠して歩きました(笑)。…5万円程度のデジタルカメラなんですけどね。

Pa130791 日本では、デジタルカメラ、当たり前なんだけど。フランスでは失業率が10%近くで、給料も安いんだと。…欧州の方が雇用も守られているって印象があるんだけど、なかなかそれで安心ってわけでもないみたいだ。したがって、パリの街並みを写真でとりつつ…。ひょっとしたらスリがこの中にいるかも…とか思いながら冷や冷やしながら街を歩いてました(苦笑)。

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また、日曜日は働くと罰金!っていう制度があるらしいのには笑った。大きなデパートは罰金を払って店を開いたりするらしい。マジかよ、罰金だぜ…。日本じゃ考えられないな。

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まあ、そんなわけで、フランスは面白くございました。

Pa090282 最後におまけ。

 モン・サン・ミッシェルです。

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2008年4月 3日 (木)

ぶた。

先日、職員旅行に行きました。おじさん、おばさんな諸先輩方の中で、僕だけ極端に年齢が低い・・・あの、僕ももうそんなに若いとは思わないんですけど・・・、まわりはみんな僕よりずっと上!本当に若い人々は、別の職員旅行にいってしまいました。

僕は静岡に行きました。

とある港町に行くと、お魚などを売っている商店街で、こんな生き物に出会いました。

Photo   やる気なさそうだな~。 

 

 

 

 

 

  

こんな生き物もいました。

Photo_3 なぜに、ぶたが?

 バンダナ巻いて、かわいい。

 「かわいい~」って子どもたちの声援に応えて、「むひっ」といっとりました。

 思わずかわいかったので撮影。

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2008年3月16日 (日)

ことしの春も京都の桜

京都にまたことしも行くことにしました。花見です。一昨年にも京都に花見に行ったのですけど。

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2006/04/post_09f9.html

僕は一人で旅行に行くような性格ではないので、やはり同居人の提案でございます・・・。行くのは来月ですが、宿も休みもとれました。1泊2日ですが、いまから楽しみ。

僕は、学生時代を京都で過ごしたので、京都は懐かしいです。京都の街並みが好きだし、今日の僕の世界観の基礎を築いたのも京都の大学においてでしたし、一人暮らしをはじめたのも京都でした。

通学路の途中に京都の中でもけっこう有名な桜の名所があって、いま考えるとぜいたくなのですけど、当時の僕にはそれが普通でした。

春が来て、キャンパスに桜が咲くと、何だか新しい年度がまたはじまるんだな、と思って、何だか心が希望に満たされるような、不思議な気持ちになったことが思い出されます。・・・いまでも桜を見ると同じような気持ちになるのですけどね。

さて、京都とはいっても、名所だらけ。ことしはどこの桜を見に行こうかな。悩むな。

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2008年1月20日 (日)

温泉。

銀山温泉に行きました。山形にあります。彼女の提案で二人でいってきました。

雪だらけです。お湯は、けっこうよかったです(ボキャ貧?)。お風呂に入ったら、何だか体がすっきりしました。温泉街(町?)も、旅館の中も全体としてこぎれいでよかったよ。

Photo これが温泉街。すごくちっちゃくて、あんまり何にもないんだけど。旅館でまったりして、何にもせず、JAZZの雑誌を延々と眺めて飽き、昼寝して、風呂入って、食事して、酒飲んで寝ました。

・・・温泉地にいって何をやっていたのか? 

何にもすることないんだもん。仕方ない。

 

P1190073  山形付近。帰りの車窓から。すげえ雪だ。

 

 

 

 

P1190076  これは米沢牛と米「どまんなか」の弁当。ちょっと味濃いかな?

 でもけっこううまいよ。・・・たぶん。

 帰りの電車のなかで。

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2007年8月 5日 (日)

岩手旅行です

先日、岩手旅行にも行ってきました・・・。岩手は涼しかったです。もちろん、それなりには暑いけど・・・。浄土ヶ浜、盛岡、小岩井牧場、花巻に行ってきました。

■1日目■

で。浄土ヶ浜はアクセスが悪い・・・。盛岡まで新幹線で出てから、さらに二時間ほど電車にゆられて宮古に。ほええ~。電車の中で爆睡するさかな。宮古につくと・・・。

やっぱり海鮮ですよ! 宮古の駅前で。

Photo 2600円だったかな。たしか「海鮮丼」。

 うまかったっす。宮古まで来てまずかったら困ってしまいますが・・・。

 

 

そして浄土ヶ浜へ。浄土ヶ浜は遊覧船が出ている。この遊覧船が爆笑。ご存知の人も多いでしょうが、ウミネコがついてくるのです。船内でウミネコパン(ひとつ100円)を購入し、ウミネコにえさをあげることができます。なので、ウミネコさん、大挙して大接近です。

Photo_2  見つめてます。

 「えさ、よこさんかい、われ!」ビーム発信中です。

 付近の風景について、アナウンスが流れているのですが、みんなウミネコにえさをあげるので喜んで(?)ぎゃあぎゃあいう人が多く、アナウンスはほとんど聞いていません。・・・もちろん、僕もその一人です。

Photo_3  これは、ナイスキャッチしたところ。

 

 

 

ふたたび陸に戻り、展望台から浄土ヶ浜。

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浄土ヶ浜パークホテル泊。うにづくし(というより、うにだらけ)の食事が。く、食いきれない・・・。写真とっとけばよかったな。殻ごとでてきたうには、まだ生きとりました。

■2日目■

二日目は盛岡へ戻る。午前いっぱいかかって、盛岡へ戻り、昼ごろ小岩井農場へ。

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Photo_6  すがすがしいです。

 こういう自然に囲まれた生活、あこがれです。まあ、不便は不便なのでしょうけど。

 いい空気です。

 

Photo_7  農場内のひつじさま。

 ハムハムしてます。

 草を食べながら、前進します。そのようすがプリティです。

 耳が傷だらけなのはなぜ? タグをつけたりはずしたりするせいなのでしょうか?

で、この日は盛岡で「中村工房」へ。ホームスパンをやっているところで、何でも、羊の毛をおうちでつむいでいるんだって。ついついそこのおじさんと長話に。ブライスドールもコレクションして、写真も獲ってたけど、かわいい。僕もひとつ買おうかな・・・。でも、そのへんで堂々と買ったりしたら、僕って変態かな・・・。ちなみにそのおじさん、ブライスドールの「スターダストダンサー」がふたつあって、もうひとつほしいっていってました。思わず長話になって、夏なのにマフラー買いました。かわいい感じのマフラーです。

同じ盛岡市内にある雑貨屋「hina」をまわって、花巻温泉泊。

■3日目■

まず、宮沢賢治記念館へ。宮沢賢治ってどういう人なのか、わかったような、わからないような・・・。館内は撮影禁止なので、入り口の写真だけ。

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これは「イギリス海岸」。どうしてイギリス海岸なのかっていうと、イギリスの海岸に似てるんだって。川底の岩が浮き上がって見えてくるらしいのだけど・・・この日は残念ながら普通の川です。

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そして盛岡市内に。

これは光原社。陶器などを売っていた・・・と思います。光原社の中庭にまわっての写真。

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Photo_11  これは市内を流れている川のようす。何だか静かに流れていて気に入った。波が微妙にざわざわする感じも個人的には好きです。

 盛岡って川が静かに流れるいい町だなと思いました。

 

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2007年4月 1日 (日)

新宿御苑

お花見に行ってきたよ。新宿御苑。

新宿御苑は4年前、今一緒に住んでいる彼女と初デートでお花見に行った、由緒正しきデートコースなのだ(意味不明)。

お花見は・・・いまデジカメ壊れちゃったので写真撮れませんでしたけど、とってもキレイでしたよ。

さて、インターネットも昨日無事開通。何でも、電話回線がマンションまで来てるのだけど、マンションの配線を一度引き込んだところで、おさかなの部屋だけ接続されていなかっただけだったとのこと。接続してもらったら、あっという間に開通。

そういうわけで、ブログの更新も週3~4回ほどまで回復しそうです。

前の住居では実質1.1Mbps前後でしたが、今回は2.6Mbps程度に改善。目に見えて快適に。ラッキーです。

んなわけで、みなさん、これからも「おさかな日記」、よろです。

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2006年12月 3日 (日)

富士屋ホテル行ってきたよ!

富士屋ホテル、行ってきましたよ。おさかなみたいな庶民には場違いかなあと思いつつ。

_073 紅葉がちょっとおそかったかな?というか、紅葉の赤も少し鈍い赤になりつつあったけど。さすが富士屋ホテルの中は、景観がすばらしかったです。写真をあちこちでパチパチ。

 

_072  う~ん。かっこいい! ロマンですよ!

 

 

 

Photo_33  これは主食堂。

 

 

 

 

_068  これは日本庭園。ホテルの中に庭園があるんですな。

 ちなみに富士屋ホテルの中には、「昭和天皇」「岸信介とネール首相」とかの写真もあったりして・・・。

 そういえば、富士屋ホテルってすんごい高いホテルなのに、人が混みこみでした。

・・・若干カップルもいたし、きっとおさかなたちのようなセレブじゃない「セノビ」もきっと何組が着ていたのではと推測しますが、おじいちゃんやおばあちゃんその他30代以降が圧倒的に多かったように思います。

 

このほかは・・・

_053 ポーラ美術館。1800円は高い!と思ったけど、中に入ってぜんぜん高くないなと思わせた近代美術館です。

 

 

  

_054 芦ノ湖(桃源台付近から)。

 すんごい寒かった。遊覧船に乗ろうかと思ったけどやめました。根性ありません。

 

 

 

_081  大湧谷。

(あまりにも寒くて5分と外にいわれなかった。風がびゅうびゅう寒かったよ~)

 

 

_075  ちなみにこれは「早雲山」から大湧谷までいくロープウェイ。ちびっこくてかわいい。

 プリティだなあと思っていたら。

 

 

_078  フィーンと浮上! 

 こっこわいよ・・・

  

 

_045  富士山きれいなんだけど、

 

 

 

 

_046  下はこれです。

  風もびゅうびゅう吹いて室内にも入ってくるし、すんごい揺れるし。揺れまくり。

 彼女「こわいよ~」

 おさかな「まあ、死ぬときはいっしょだし、あっという間だよ。いいんじゃない?」

 彼女「いやだ、私にはまだ若いし、人生がある」

 (お、おさかなとは死にたくないと・・・?)

 彼女は結局このロープウェイにもう二度と乗りたくないといって、バスでロープウェイを使わず、彫刻の森美術館ではなく、ラリック美術館に予定変更。  

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 で、これはラリック美術館。

 香水を量り売りしていたのを、瓶で大量に販売するようになったのは、ラリックの香水瓶のデザイン・開発によるところが大きいのだとか。香水瓶の数々は、必見かも。おさかなも気に入りました。

 さて。箱根の旅行は、フリーパス(4000円ちょっと)を買えば、かなり便利。桃源台→千石案内所(ラリック美術館のある付近)までバスで20分くらい。ここから「ホテル前」「宮ノ下」(富士屋ホテルのある付近)までもバスで20分くらい。ルートを覚えると、バスなどの本数も多く、観光スポットを渡り歩くのは苦ではありません。

 箱根登山バス意外にも、登山鉄道やケーブルカー、ロープウェイまで使えたり。乗らなかったけど、観光船にもフリーパスが使える。西武バスとか、一部使えない会社があるのは気をつけないとだけどね! 

 さて。帰りはすんごいたいへんでした。千石原で温泉に入り、5時9分ごろに「仙郷桜前」のバス停から乗ったのだけど、6時前に「湯本駅」につくだろうと思って乗ったのに、すんごい渋滞! タクシーとタクシーが正面衝突のせいでした。おいおい、プロ同士が正面衝突かよ・・・。

 で。タクシーの事故現場を通り抜け、これで安心かと思いきや、また渋滞。あと少しなのに! 「上塔ノ沢」付近でジリジリ。あと3停留所で「湯本駅」なのに、なかなかすすまないよ! もう6時回ってるよ! 電車は6時18分だよ! おろおろ。気が気ではありません。

 箱根湯本駅のバス停に着いたときには18時12分! すると彼女が猛烈にダッシュ! ちょっと待ってよ~、出発は18分だよね? え? 16分? え? え?

 おかげで改札を大慌てでくぐり、売店へ行くと、酒とお菓子やつまみ、おみやげしかない! おい、弁当置けよ・・・。彼女がおみやげ買う隣で、おさかなはビールをかって。でも弁当がない・・・。もう一度確認すると、出発は18分。「もう、時間に少しは余裕あるんだからちゃんと出発時刻確認してよ・・・」といってたら、彼女がお弁当を売り子さんのところまで他の車両へ歩いていって、お弁当を買ってきてくれました。す、すまんです。

それがこのお弁当。

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  ロマンスカー?

 

 

_048  ぱかっ。

  

 

 

最後にハプニングはあったけど、楽しかったな。ああ、よかった。

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2006年10月26日 (木)

いざ、あこがれの富士屋ホテルへ!

おさかなは、鎌倉に紅葉を見ようと出かけていったことがある。2004年の11月だったが、中旬だったので、あんまり見ごろではなかった。都内などを見ているともう紅葉しているのかと思ったのだが、意外にも鎌倉は11月下旬や12月初旬が見ごろとなるようだった・・・。

で、「あんまり紅葉してないじゃん!」と彼女と二人で次こそはとリベンジを果たすことに。そこで先日彼女が提案してきたのが、鎌倉→富士屋ホテル一泊→箱根で美術館へいくというもの。交通費が近場なら浮く分、豪華に泊まろうということのようだ。まあ、おさかなが落ち込んでいたのを励まそうと、旅行のパンフレットを旅行代理店からもらってきたというのもあるようだ。

富士屋ホテルといえば、超有名ではないか! ジョンレノンが泊まったとか、天皇がカレーがうまいといっておかわりしたとか・・・。そんなことはさておき、そんな高級なところに一回は泊まってみたかったので、12月の頭に富士屋ホテルをおさえました・・・。

仕事の関係では年末は忙しいのだけど、一応谷間になる日を探して予約できた。富士屋ホテルでどんな料理が出てくるんだろ。楽しみでし。庶民なおさかなは基本的に1万円をこえるのだけでも抵抗があるので、二万円超えるようなホテルなんてとまったことないよ・・・。いまから楽しみです。

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2006年10月 9日 (月)

国立駅の三角屋根

そういえば、国立駅が高架化するってんで、国立駅の三角屋根の駅舎が見納めになるんだって!‥っていうことで、昨日(10月8日)、おさかなは彼女と国立駅の三角屋根を見に行きました。何でも大正時代からあるそうで、そんな古いものなら見に行かなきゃ! と思ったのです。でも、見た目は「だから何?」って感じですけど。見ても別におしゃれじゃないし。ふぜいもない、大したことない駅舎なのだけど。でも、見なくちゃいけない気がしたのですよ。10年ぶりくらいに国立駅で降りました。写真撮っている人、おさかながとっているときも駅の周りに7~8人くらいいましたよ。

その後は国立駅の周辺をごそごそ。昔行ったことのある本屋に寄ったり、インテリアショップに寄ったり。その後、国分寺駅の駅ビルでぶらぶらしてお茶をして、タイ料理を食べて帰りました。グリーンカレーが辛いけど、すごいうまかった! 国分寺駅の周辺、飯屋も多いし、けっこう気に入って帰ってきました。

でも今朝起きてみたら、香辛料がお腹に響いたのか、なんだかお腹が張ったような痛みが‥マシになったけど、まだ痛い(泣)。

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2006年10月 1日 (日)

中国旅行の報告

お待たせしました! え? 待っていない? そうですか(泣)。

9月7日から10日の中国旅行報告です。詳細には報告しません、簡単に。中国から帰ってしばらくお腹の調子が悪かったせいもあり、ずいぶん遅れてすみません。

今回の旅行は南京がメインでした。先日ブログでも話したとおり、南京大虐殺の記念館があるのですが、記念館は展示拡張のための工事中で、今年6月末から来年の12月12日まで工事中なんだそうです。つまり、南京占領70周年に再オープンってわけですね。

そんなわけで、常志強さんという南京事件の生存者の方に証言を聞くことになりました。証言の内容は、下記URL参照。

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2006/09/post_d386.html

淡々と記録しましたが、声に出して音読すると、おさかななどは泣けてきます。ただ、大変な被害をこうむった常さんですが、証言の最後で、日中両国が隣国同士発展すればよいと話していること、日本にも平和を愛する人がいることを知り、考えが変わったと話していることなどは、救われたというのか、励まされた気がしました。

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 これは常さんです。

 

 

 

 

 

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 これは把江門(ゆうこうもん。「把」の字が厳密には違いますが・・・)。

 

 

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 これは記念碑。大虐殺(大屠殺と書いていますが、家畜のように殺されたということ。日本で言う屠殺と同じ意味さとのこと)の記念碑は、南京市内に全部で13あるそうです。

 

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 これは長江大橋。南京事件当時、橋はなかったのだけど、この川を渡って逃げようとした中国兵が多発したそうです。こんなところを寒かっただろうに、わたって逃げようとしたというのは、すごいですね。想像を超えています。 

あと、中国で驚いたのは、ものすごい高層ビル建設ラッシュだということです。

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 これは南京玄武飯店(ホテルです。飯屋ではありません。念のため)から。

 

 

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 これは上海のテレビタワーから。テレビタワーは468メートルありますが、これは270~280メーターくらいのところから。それ以上あがろうとすると有料になるらしい・・・たしか、そうだったと思う。

 

上海も南京も、このあたりは地震がおきたことがこの数千年ないらしく、そのことも手伝ってがんがんビルが建設されているとのこと。設計はフランスやアメリカ人みたい。マンションは上海市内の郊外でも2000万くらいはするが、平均的な月給は日本円で4万円くらいだとのこと。マンションや車のローンで借金地獄、借金返済の奴隷のような生活だと嘆いている中国人が多いと、地元・南京の旅行者のガイドさんが話してくれた。

で。

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 これは南京の貧民街。活気はすごいけど・・・高層ビルがあるところと、こういう街が並んでいるって言うのもすごい格差だ。上海の旅行者の人が、「いまの中国の政策は、一部の人をまずお金持ちにしようという政策だ」といっていました。

 

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 これは上海ガニ。向こうでは日本で言うまつたけのようなもので、庶民は普段はそんなに食べられないと言っていたけど、正直、期待していたより小さいし、そんなにおいしくない。ガイドさんいわく、「養殖で、十分大きくなるより先に出荷してしまう。需要に生産が追いついていない」とのことでした。淡水のカニってこともあるのかな、日本の海のカニの方が絶対うまいです!!

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 これは上海の雑技団。とにかく連日満員だそうで、予約しないと見れないみたい。「え? マジ? まだやるの?」みたいな、人間離れした技をこれでもか!と見せ付けられ、圧倒されました。本当に面白かったです。

 

中国へ行っての感想は、とにかくすごい伸びているなあということ。経済格差などの問題や、医療や社会保障などが十分ではないなど、いったいどこが社会主義なのだという感じの問題点も山積しつつ、ビルがガンガン建って、外資もすごい入って、きらびやかな街やデパートなども林立し、数多くの人々が往来しているのを見ると、日本もそのうち追いつかれそうだなあ、という印象を強く持ちました。また上海も、あと記念館の見れなかった南京もいってみたいです。

ほかにも上海の王仏寺なども少し見ましたが、上海の繁華街は新天地くらいしか見れなかったので、また見にいきたいです。

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2006年9月11日 (月)

南京大虐殺の証言を聞いてきたよ

先日の中国旅行で、常志強(じょう・しきょう)さん(=78歳)の証言を聞いてきました。本当は南京事件の記念館に行くはずだったのに、記念館は何と6月末から来年12月12日まで展示拡張のための工事中だというではありませんか・・・。大ショックでしたが、そのかわわり、地元の旅行社や記念館の館長、役所の協力を得て、証言を聞くことができました(9月8日南京市内にて)。

 常さんは、時折涙で声を詰まらせながら、通訳を交えて3時間近く休憩もせずで語ってくれました。ほかの中国旅行で見たり感じたことも紹介したいのですが、いっぺんにはできないので近日中ってことで・・・。まず、南京にいくことが中国旅行の最大の目的だったので、勘弁してください。

 では、以下、聞いてきた証言です。

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 南京事件(1937年12月13日に日本軍が南京を占領したことにともなう、その前後の期間の、南京市内でおこなわれた虐殺・略奪・暴行・強姦などの総称)のとき、私は9歳だった。家族は10人。そのうち6人が1日のうちに日本軍に殺された。その悲劇を紹介したい。

 家族は私と、両親と姉一人、弟は4人で一番下の弟はまだ小さかった。それに祖母と曾祖母がいた。父は夫子廟(=ふうしびょう。南京城内の南部にある)の近くで雑貨店をしていた。豊かではなかったが、父の収入に家計はささえられていた。

 日本軍が8月に上海を占領した後、(南京への)空襲がひどかった。焼夷弾が家から0・5キロほど離れたところに落ちて火事になったりした。商業の中心地だったが、民家が焼き払われた。後で廃墟と化した街を見に行った。たくさんの人が死んでいた。子どもを抱えたお母さんが黒くこげて焼き殺されていた。腕や足がなくなった死体も見た。

 空襲は頻繁になり、お金持ちの人は南京から出て行った。また、一部の人は、近くの農村に出て行った。国民党の首都は重慶に移っていった。一般市民が逃げ込むところとしては、南京城内に国際難民区(【おさかな注】安全区ともいう)というのがつくられた。外国の大使館や教会、大学などがあるところを中心につくられた。

 私の祖母は60歳、曾祖母は70歳あまりで、逃げて連れて行こうと思っても連れて行けなかった。祖母と曾祖母はやがて、「私たちをおいて、子どものために逃げて安全なところへ」と話した。両親は涙し、私も涙を流した。難民区へ行こうと決めた。私たちは、二人のおばあさん(祖母と曾祖母)と別れた。

 しかし、内橋(ないきょう)の近くで国民党が交通規制をしていて、先へ進ませてくれない。何回も頼んだが通してくれず、親切な人の家に泊めてもらうことになった。しかし中華門(南京城南部にある門)が攻撃され、爆音が聞こえる。近くの防空壕に逃げた。逃げて三十分後、砲撃の音が静かになってきた。私たちは外に出た。南京城が占領されたのではと思ったら、大通りから「助けて!」という声が聞こえてきた。日本軍も間近に迫ってきていた。銃剣を持ち、発砲してきた。人が何人か倒れたが、こわくても人だかりで行き詰まり、すすむことができない。後ろは行き止まりになっており、逃げ道はなかった。日本軍は市民に近づくと、銃剣で直接刺してきた。男性が子どもや妻を後ろにして、自分は前に出て守ろうと抵抗する姿が見られた。ある背の高い頑強な体格の男は、銃剣で日本兵に胸を刺された。その銃剣を男はひっぱった。しかし別の日本兵が刀でその男の頭を真っ二つにしてしまった。

 殺されて倒れて、殺されて倒れて、たくさんの人が殺された。人ごみの中で、(一番下の弟を除く)3人の弟がどこへいったかわからなくなった。母は一番下の弟を抱えて後ろへ下がったが、日本兵が来て胸を刺した。母は子どもを抱えて立ち上がろうとした。姉は「お母さんを刺さないで!刺さないで!」と叫んだ。母は何とか立ち上がったが、姉は日本兵に五箇所刺され、母のそばに倒れこんだ。母は銃剣を無理やりひっぱり、(刃で手をけがして)手が血だらけになった。

 私も「お母さんを刺さないで!」といった。しかしお母さんはもう一度胸を刺され、倒れてしまった。一番下の弟は地面に落ちてしまい、お尻を銃剣でさされた。日本兵はズボンを持って、別のところへその弟を放り投げてしまった。私はその一番下の弟を助けようとして、上に覆いかぶさった。すると見失った3人の弟が母のところに来た。日本兵は母の体を何度も何度も刺した。3人の弟は母を守ろうと抵抗した。銃剣の帯をつかんだり、手をかじったりした。しかし別の日本兵が来て、4歳の弟を刺し殺して放り投げた。他の二人も刺そうとした。私は早く逃げよう、早く逃げようといったが、意識を失った。

 目が覚めると、あたりは死体と血だらけだった。三人の弟は死んでいた。姉は重傷だったが生きていた。私は母のところにいった。呼んでも母は何も言わず、涙だけを流していた。母からはまだ血が吹き出ていた。私は母の襟をはずし、傷口を手で押さえた。見ると、母は目だけがある方向を見ている。一番下の弟を心配していることがわかった。一番下の弟が泣いている方向へ行こうとしたが、死体でいっぱいでなかなかすすめない。死体を引っ張ったり死体をよけて遠回りをして、弟のところへたどりついた。弟の名前を呼んだ。弟は私に気がついた。しかし全身血だらけだった。弟を私は抱きかかえた。母のところへ連れて行った。母はおっぱいをあげようとしたが、血が傷から湧き出てくる。私は傷を押さえ、「おかあさん、がまんして、がまんして」といった。まもなく母は、弟に授乳しながら死んでしまった。私は「目を覚まして!」と言い続けた。

 最初はお母さんがどうなったのかよくわからなかった。疲れて眠ってしまったのかと思ったり、意識不明になってしまったのかとも思い、「お母さん、目を覚まして!」といって泣きながら母の体をゆすった。母は死んでしまったのだとようやくわかってから、今度は父を探した。そして父を見つけた。ひざまづいて両手で顔を覆っている父を見つけた。

 父の背中に傷があった。しかし指で触ってみたが、切りつけたような傷はなかった。父の体をゆすったら倒れてしまった。父の口からたくさんの血が噴き出した。それで射殺されたらしいことがわかった。次に姉のところへ戻った。姉に父が射殺されたことを告げた。

 姉と私は、「日本軍がまた来るだろう」と、近くの建物のベッドの下に逃げ込んだ。ベッドの下から様子を伺うと、日本兵が死体を物色していた。時計や指輪などを取っていった。私たちの近くにも来たが、日本兵は詳しく調べなかったので助かった。

 父と母と、4人の弟が死んでしまった。姉と私はベッドの下で鳴き続け、いつの間にか眠ってしまった。翌日目が覚めると、外で女性の泣き声がする。二つに頭を割られた男性の妻だった。一人、子どもを連れていた。難民区へ向かおうとしたが、私と姉は二日間何も食べていなかった。その女性は「ごはんを食べましょう」といって自分の家に案内してくれた。その女性の家に、また日本兵がやってきた。日本兵はごはんをつくっているふたを開けて中身を確かめ、つぎにその女性を外に連れて行き、強姦しようとした。女性の子どもは母親の足をつかんだ。日本兵は子どもを蹴飛ばした。女性を無理やりつれていき、強姦した。

 また、別の日本兵が私の姉を見つけた。姉はまだ12歳だった。姉を無理やり連れて行こうとしたが、姉は重傷を負っていたので抵抗し切れずに強姦された。連れて行かれるときの、「助けて、お母さん!」という姉の声を、いまもはっきりと覚えている。決して忘れない。女性が重傷の姉を連れて帰ってきたが、泣いていた。私は悲しくて、日本軍への憎しみでいっぱいになった。

 難民区へ行こうと思ったが、その前に一番下の弟が生きているか確かめようと思った。母の乳を飲みながら静かになったので死んだのだと思ったが、もしかしたら死んでいなかったのに死んだと思っただけかもしれないと思った。しかし「確かめるために戻るわけにはいかない、間に合わない」と女性が言った。難民区に向かう途中、女性が裸にされて刺され、内臓が飛び出しているのも見た。

 4人は安全区の外についたが、門は閉まっていた。難民が多くて入れないらしかった。銃剣を持った日本兵が迫ってきた。市民が、日本兵が近くに迫っていることを訴えると門が開いた。私たちは難民区に入ることができた。

 2日ほどして、突然日本兵が難民区に入ってきた。部屋から追い出し、男性と女性に分けた。男性は家族に確認してもらえないと市民だと認められず、敗残兵の容疑者とされ、連れて行かれた。女性が子どもを肩車してお父さんを確認させようとする姿が見られた。日本兵は家族だと確認させるために男性を台の上につぎつぎ立たせたりしたが、確認作業はほんの数秒ずつで、強制的に連行された。翌日の夜、ある男性が逃げ戻ってきたが、下関(シャーカン。南京城北西部にある把江門(ゆうこうもん)を出たところにあり、揚子江に面したところ)に連れて行かれて、ほとんどが射殺されたり、切り殺された後に揚子江に投げ込まれたということだった。揚子江は血で赤く染まったという。このような集団虐殺をしたところは全部で13箇所あり、現在では記念碑が立っている。

 難民区に私たちは二週間ほどいた。一番下の弟が気になったが、遺体はすでになく、弟のくつだけを見つけた。その弟らしい子どもが死んだことを、人から教えてもらった。

 おばあちゃんのところに戻った。生活は苦しかった。金持ちの人は南京から逃げて、残されたのは普通の市民ばかりだった。年をとった祖母と曾祖母は相次いで死んだ。その苦労は、一言では言い表せない。

 1943年から44年ごろ、姉は原因不明の伝染病にかかり、死んでしまった。紫色のじんましんのようなものが体にできて、死んでしまった。現在では当時、第100軍の日本軍が南京の中央病院で731部隊のように細菌のテストをやっていたことがわかってきている。姉はそのテストの犠牲になったのではないかと思っている。

 難民区は25万人を助けたといわれている。

 思い出すと悲しみでいっぱいになるので、証言を97年まではしなかった。南京大虐殺の記念館ができても、その門をくぐることはできなかった。

 1997年ごろ、家のテレビで、日本の右翼が大虐殺は捏造で、30万人も殺されていないといいはじめた。私は怒ってきた。私の父と母、弟は日本軍に直接殺されたのだ。日本の右翼がなぜウソをいうのかわからない。私の家族が殺されたのは事実だ。もう黙ってはいられないと思った。

 私は憎しみで生存者として語り継ごうと決意した。しかし、私の考えは変わってきた。日本軍は悪い。しかし日本で平和を追求する人たち、平和を愛する人たちがいることがわかってきたのだ。最初は、日本人や平和に対する考えは広くなかった。しかしナガサキやヒロシマも訪問し、私の考えは別の角度からのものになった。お互いに隣国同士発展していけば、それはよいことだと思う。靖国神社は戦犯をまつっている。侵略戦争だったということを否定していると思う。戦犯は、たくさんの中国人を殺したのに、英雄、神様として祭られていることが許せない。

 南京大虐殺の生存者(幸存者)は、1796人。そのうちいまも生きているのは400人ほどになってしまった。

 歴史のことを若い人に学んでほしい。学ばなければ、中国の若い人と友好を結ぶのは難しい。憎しみが友好の中で解けていくことで、本当の友好をつくっていくことができると思う。歴史を知ることは、将来の平和を築くために大事だと思う。

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2006年9月10日 (日)

中国から帰ってきたよ

今日帰ってきました。ついさっき。中国の現地時間で上海のホテルを朝6:15分(日本時間7:15分)に出て、成田に日本時間の13:20ごろつきました。起床は現地時間で5時半(日本時間6時半)でした。寝たのは0時半(日本時間1時半)だったです・・・。ハードな三泊四日でした。

南京大虐殺の記念館は、残念なことに、展示の拡張工事のために、今年6月末から来年の12月12日まで閉館中でした。記念館の前には行きましたけど、中には入れず。中国軍の同士討ちや、大規模な虐殺が行われたといわれる下関(シャーカン)につながる把江門(ゆうこうもん)近辺に行ってきたりしましたけど(門と記念碑を見ただけ)。

ただ、記念館に入れなかった分、旅行会社が役所や記念館の館長とかけあってくれたそうで、生存者の一人である常志強さんの証言を聞くことができました。記念館にいけなかったからこそ証言を聞くことになったともいえますね。記念館にいけなかったのはすごい残念だけど、逆にラッキーだったといえるかもしれません。参加者の一人が「記念館はいつでも残っているが、生存者は年々少なくなっていく」といっていたのは、その通りだと思いました。通訳を交えて3時間ぐらい話を聞いたので、文章にまとめて近いうちに公開します。

あ! 上海ガニも紹介しますね。あんまり特別な味はしなかったけど・・・。あいにくの天気でしたが、南京や上海の街並みもちょこっと写真で紹介したいと思います。再見!

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2006年9月 7日 (木)

明日から中国

明日から・・・っていうか、7日だから今日になってしまいましたが、中国へ行ってきます!

ので、日曜日に帰ってくるまでブログは更新しません。

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2006年8月28日 (月)

中国旅行

本当は10月に職場の同僚と中国に行って南京をめざそうかと思っていたのだけど。

都合よく南京の記念館も日程に入っている中国旅行の募集があり、そのツアーに乗っかることに。

従いまして、9月上旬に中国に行ってまいります!!

日本だけに閉じこもって戦争云々言っている場合ではありません!!

というわけで、南京大虐殺の記念館、楽しみです。うきうきするようなものではありませんが・・・。

歴史の勉強がてら、行ってきます!!

ちなみにまったく関係ないけど、明日は夜、京都で取材です。あお~ん。午後、京都に向かいます。京都では、取材先の人がわざわざ出迎えてくれるみたい。ありがたいことです。

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2006年7月20日 (木)

中国旅行を画策中

 中国旅行を10月あたりでやろうかなと画策中。同じ職場の人とごく少人数で。最悪二人になりそうだけど。

 中国に行きたい理由は①中国の戦跡(日本軍侵略の戦跡)を見たいのと、②中国の建物とか美味いものとか触れてみたいていうのが理由です。・・・まあ、①が大本命、②もけっこう強い動機です。

 おさかなの知るところでは、9月初旬に戦跡をめぐるツアーもあって、その募集要項ももらったのだけど、ちょっとパスすることに。だってこの前北海道旅行で10万近くかかったばっかだし。8月か9月には実家にも帰りたいからそのお金も要るし。

 加えて、団体でのツアーっていうのは悪くはないけど、ちょっと苦手。数人程度のこじんまりしたほうが気楽でいいかな、と思い、ちょびっとの人数で行こうと思います。

 戦跡はまだ何を見るか決めていませんが、一つは南京大虐殺関連。もう一つは上海の「事変」関連かな、と思っています。さらに他にも戦跡を見るのか、観光でどこを見ようかとか、どんなものが食べたいかとかは決めていません。

 いずれにせよ、南京大虐殺否定派、肯定派にかかわらず、南京に行っている人はけっこういるようなので、絶対行こうと思います。行ってためになるかどうか・・・わかりませんけど、南京には通訳を手配して行こうと思います。

 簡単な日常会話を勉強して。南京虐殺関連は、否定派/肯定派の本や資料をもう少し新たに入手して読んで見たいと思います。

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2006年7月17日 (月)

北海道に行ってきたよ!

おさかなです! 帰ってきましたよ、みなさん! お待たせしました! ・・・え? 待っていないの? そうなの?

 で。14日から美瑛→富良野→旭川→小樽→札幌とうろうろしてきました。最後は疲れました・・・。

 で。写真だけ載せておきます。

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ぜるぶの丘(美瑛)。天気が少し曇りがちで、ちょっと残念だったけど。

 

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 富田ファーム(富良野)。ラベンダーのお香を買ってきたよ。

 

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  これも富田ファーム(富良野)。富良野とか美瑛は、一面の畑や丘陵がすごいきれい! ドライブしてても広々していて気持ち良いよ! ・・・僕は免許ないので彼女におんぶにだっこでしたけど。 

 

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 「北の国から」に出てくる「拾ってきた家」(富良野)。廃材利用でつくった家だそうな。

 

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 これは拾ってきた家の中。何だかけっこうおしゃれな感じなのです。

 

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 これは拾ってきた家にいた、羊たち。「ウメエ~」と鳴いて、草をもらってました。いや、本当にウメエ~って鳴いてたよ。嘘だと思うなら、行って見て。本当にウメエ~って鳴くんだから!!

 

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 「五郎の石の家」。これも「北の国から」シリーズです。

 

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  これは富良野プリンスホテル(だっけ?)の敷地内にあったニングルテラス。小さなお店がいくつかあって、彼女はろうそく立てを買ってました。

 

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 旭山動物園(旭川)。ホッキョクグマ、やる気ありません。

 

 

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 これは鹿。小鹿がプリティです。

 

 

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 おさかな的に気に入ったのは、カピバラです。泳ぐカピバラ。

 

 

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 何だかこうしてみると、顔がなんとなく「ムーミン」です。

 

 

13  小樽運河。

 近くでお寿司も食べてきた。お通しで出た生ガキと、ウニ・イクラ丼のウニに、彼女は満足した様子でした。

 カキはとくにこの日まで食べられなかったんだって。彼女は本物の味を知らずに、「あんなの食べられないと思っていたけど、こんなにおいしいなんてびっくり」したんだって。そうでしか。よいことでし。

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 北海道大学植物園(札幌)

 

 

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 同じく植物園でモンシロチョウ。

 

 

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  これは「スープカレー心」(札幌)で。骨付き鶏肉のついたスープカレーで、1000円弱。けっこううまかった。ダシがきいた感じっていうのかな? 辛さには何段階もあるけど、おさかなはおとなしく「初心者は1~5に」しろといわれたので、「4」にしました。まんざらでもない味です。量は結構あったよ。

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2006年7月11日 (火)

14日から美瑛・富良野へ

 もう少し!! 休暇までもう少し!! 仕事から離れて北海道へ!

 14日に羽田を出発して美瑛へ。15日富良野、16日に旭川→小樽(札幌泊)、17日札幌を少しまわって帰宅する予定です。

 仕事では北海道何回かいったことあるけど、観光なんて、うれしい~。

 美瑛や富良野で写真をがしがし撮るつもり。まあ、コンパクトカメラだけど。

 小樽か札幌では、うまい魚も食うのでし。しっしっし。

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2006年6月 6日 (火)

ぼったくりの旅行会社

彼女と7月、北海道に旅行に行くことに。3泊4日で、旭川→美瑛・富良野→札幌と旅行する予定。

7月14日羽田出発。旭川観光、美瑛泊(美瑛のペンションを別途予約済)。

7月15日美瑛・富良野観光(同じく別途美瑛のペンションを予約済)。

7月16日美瑛→札幌へ移動、札幌で夕食(外食)。

7月17日札幌+小樽観光、羽田へ帰着。

こんな予定だ。

 で、行きと帰りの航空券と16日の札幌での宿泊が必要だった。

 だが、旭川をめざす便だと安い航空券が見つからず、旭川→札幌駅間が1時間半程度でお金も4千円程度しかかからないので(新千歳空港からは二時間、5000円くらい)、我慢しようということに。仕方なく行きも帰りも札幌=新千歳空港を起点にすることにした。

 で。 今日「価格.com」で検索して、とある旅行会社の料金が、羽田・札幌間で往復約45000円だという(宿泊1泊=札幌市内つき)。で、飛行機や宿に空きがあるか聞いてみた。メールで昼休みに問い合わせたら、夕方には返事が来ていた。ところが・・・

 合計 161,800円!(二人あわせて)

むちゃくちゃ高い!! 何じゃそりゃ。海外旅行でもするのか?? 7月14日羽田出発~17日羽田帰着だと、とにかく追加料金がつきまくってこんな値段になるらしい。

 っていうか、何でこんな値段になるの?ぼったくりとしか思えない。

 他の会社を見ても、7月17日の羽田帰着はだめだとか、20000円増になるとか、そんなのばっかりだった。

 そこで、自分でスカイマークエアラインズにWEBで予約を入れてみることに。羽田→旭川の便はやっぱりなかったので、14日羽田→札幌、17日札幌→羽田で検索してみると・・・空きがあるじゃん! しかも普通料金で片道19500円。二人合計でも往復78000円で予約できました。クレジット決済もしたよ。ホテルもじゃらんで札幌市内に16日の予約入れたが、ホテルは一人あたり3400円、二人で6800円だった(軽朝食つき)。

 合計しても2人で84,800円!

何なんだよ、この違いは・・・。

ちなみに今回問い合わせた会社には、数日前、彼女がスカイマークエアラインズの便で同様の日程で問い合わせをしたら、17日は朝9:00の札幌=新千歳空港発しかないといわれていた。ところが、おさかなが直接スカイマークエアラインズにアクセスしたら、バッチリ夕方に羽田に着く便がとれました。・・・こんなことってあるんでしね。

ああ、もう、疲れた。

価格.com、意外にアテになりませんでしたよ。16万円なんて契約しなくて良かった。俺が自分でやったら半額近くになってびっくりしたよ。

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2006年5月 5日 (金)

茨城に行ってきたよ

 茨城に昨日から行って、今日帰ってきました。

 笠間焼は、笠間の陶芸美術館に。何でも、お祭り中だとのことで、駐車場が満車だし。ゴールデンウィークだからか、すんごい渋滞・・・。すんごい苦労しました。でも、彼女が運転手ですけど! おさかなは免許持ってません・・・。

 笠間では、他にもいくつかの店をはしごして、焼き物を見ました。見ただけだけど・・・。個人的には、味があっていい感じです。雑?というのか、おおざっぱというのか、でも繊細なのがいいですね。

 結局彼女も焼き物は「これだ」というものがなかったようで、お買い上げになりませんでした。

 夕方、大洗の「潮騒の湯」に。

 ここは、一応天然温泉だそうです。露天風呂もあるし、海を臨んでいるので、景色もけっこういいです。

 さらに、同じ建物の中で、食事ができる! 座敷があって、席は勝手に座っていいらしい。開いていれば座ってよいのだそうです。何とアバウトな・・・。あくまでも入浴客が対象なので、入浴料(1人=1200円)を払って、食事の注文札を受け取る必要があります。

 食事は、彼女と二人でごはんと味噌汁のセットに、2~3人前の刺身の盛り合わせ。この盛り合わせがなんと2~3人前なのに1600円! けっこう量はそれなりにあるので、お得でした。鮮度は、イカは決してよいとは思わなかった(だって、白かったし・・・鮮度がいいやつはもう少し透明っぽいはず)けど、ほかは結構よかったと思います。満点ではないけど、この値段には不釣合いなくらいの美味さだったです。

 で。今朝はまた大洗に。海岸に行って来たよ。

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しばらく海を見てぼーっとしていたが、砂が風で舞い上がってたいへんだったです。体中砂だらけ。

つぎに水戸駅近くに行ってレンタカーを返し、千波湖(せんばこ)の湖畔を通り、偕楽園(かいらくえん)に向かいました。

で、千波湖の黒鳥の子ども。水面に浮かぶ花をバクバク食べていたので、彼女が近くに落ちていた_010花を投げると、花をすんごいいきおいでバクバク食べていた。美味しいのかな?最後は親鳥も・・・。

黒鳥の主食は花だったのか!

(おさかな・衝撃の叫び) 

  

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 「私にも花よこして~っ!」

 (母鳥?心の叫び=おさかな代筆)

  

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 で、偕楽園。30分ほどしかいなかったけど(時間もなかったし)、まあまあきれいだったかな。もっと梅の時期とかに来たらいいのかなあ? 梅林とかあったし・・・。

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 まあ、二日間はこんな感じでした。天気もすごくよかったよ! 暑かったぐらいだけど・・・。大洗はまた行ってもいいかもしれないなあ。

   

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2006年4月23日 (日)

笠間へレッツゴー計画

 ゴールデンウイーク、彼女が黙っているはずもありません。また旅行です!

 ・・・って、この前京都行ったじゃん・・・。おさかなはその直前にもベトナムに行ってましたけど・・・。

 焼き物が見たいらしい。そうでしか。

 で、いろいろ調べたのだけど、笠間は高い! 宿が少ない! ので、水戸に宿をとったよ。一泊一人あたり、6000円弱(朝食つき)。レンタカーで水戸から笠間まで行きます。20分ぐらいなんだって。笠間まで。GW、混んでたりして・・・。でも、茨城だからね、大丈夫だよね??(偏見?)

 ああ、これでまた夏も旅行に行くのね・・・。夏の旅行は北海道の予定です。でも、どこにしようか思案中・・・。彼女は富良野がいいらしい。おさかなは函館か知床。かなり地理的にちがいますけど・・・。どうしませう。苫小牧もいいかなあ。でも、行ったことあるしなあ。

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2006年4月22日 (土)

ベトナム旅行二日目③

2  いいかげんベトナム旅行から1カ月たってしまいそうなので、さっさと書くです。

 で、二日目(3月26日)の3回目。

 ★13:00前~ 昼食

 ハノイ市内。観光客だけを相手にしているレストランみたいだった。料理が順々に出てくるのだけど、食べるのがはやいおさかなは、どうしても食べるものがなくなって暇になってしまうので、暇のついでにアオザイを来たウェイトレスの写真をパチリ。

 

 

14:30すぎ 平和村訪問

 平和村っていうのは、ベトナム戦争の枯葉剤による心身障害者の、リハビリをおこなっている施設。子ども‥とはいっても、20歳近くまでの男女のリハビリをしているそうです。職場のみんなで人形とか竹とんぼとか、おもちゃをかき集めて渡してきました。ちょっと表情かたいっすね。

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 戦争だろうが、なんだろうが、枯葉剤(ダイオキシン)の影響で障害をこうむるなんて、いまだにその影響が続いているって言うのが、かわいそうです。子どもに罪はないのに。でも、第二次世界大戦で日本に枯葉剤を使う計画もあったそうで・・・。もしそうなっていたら、自分もこの障害者の子たちと同じ境遇になっていたかもしれません。

★16:00くらい?

 ハンザ市場。何だかすんごい活気が・・・。

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すっぽんがじたばた。

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ねこがにゃあにゃあ。

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 この後、ハノイ市内で6時ごろ~夕食。二次会もやりましたけど、デジカメの電池が切れそうだったので、次の日のハロン湾をとるためにひかえておきました・・・。

 23:00就寝。

 

 

 

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2006年4月 9日 (日)

京都で花見

 4月7日の晩に今京都入り。8日は朝から平安神宮→丸山公園→清水寺と歩いて花見をしてきたよ。今日はもう花見をする気が失せて、喫茶店によって昼過ぎに帰りましたけど。

Photo_15 まず、平安神宮を3枚載せます。

平安神宮は9時半ごろに着いたけど、ちょっと雨が降ったりする場面も。基本的に曇り空で残念。

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つぎに、円山公園。円山公園は場所取りのブルーのシートが景観を台無しにしているような気がしましたが・・・枝垂桜が見事です。昼前にはだいぶ空も晴れてきましたよ。

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最後に清水寺。清水寺の桜が一番おさかな的にはよかったかも。

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何はともあれ、桜っていうとたいてい新宿御苑なら新宿御苑だけ、上野公園なら上野公園というふうに一箇所に決めて見ることが多いのだけど、今回は三箇所もはしご。しかも京都は高瀬川や祇園の白川沿いなど、繁華街でもあちこちに桜があるので、もう、本当、おなかいっぱいです・・・。おさかなは満足しました。

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2006年4月 4日 (火)

ベトナム旅行二日目②

なんの写真もございませんが。旅行中、フランスの植民地支配とたたかった体験談を話してくれたトンさん。時間の都合でゆっくり話ができず、バスの中で体験談を話してくれた。すみませんね・・・。意味がよくわからない部分もあるかと思いますが、旅行会社から来た訳文をそのまま載せます。以下、トンさんの話。今年で75歳、いまは街中で御茶屋をやっている、普通のベトナム人です。

*************************

ホーチミン主席の全国抗戦の呼びかけに答え、ベトナム人民は決起し、フランス軍と戦いました。
1949年、私は18歳でハノイから90キロ、外港のあるハイフォンの革命人民軍に参加しました。
私の中隊には32~35人いましたが、中隊長だけがショットガンを1本持ち、残り全員は銃2本だけでした。銃以外には竹の棒と石を武器として使用し、フランス軍と戦いました。私の中隊の戦闘任務は第5号国道を通るフランス軍の自動車、トラックを襲撃することでした。北ベトナムの戦場にいるフランス軍に供給するため、必要な武器、食料、食品、軍装などがハイフォン港から第5国道をトラックで運ばれました。
ハイズオン省とハイフオン市の間のライヴという橋は一方通行のとても狭い橋でした。トラックは橋の両端に止まって、順番に並んで橋を通りました。
人民軍はこの機会を利用し、いつも橋の下の河の岸から攻撃しました。

1951年8月10日朝5時、河の水が満潮で、フランス軍は船に乗り、ライヴ橋の下で私の中隊は取り囲まれて、多くの人がすぐに犠牲になりました。30人以上いた中隊では11人だけが生き残りましたが、敵に捕らえられました。
捕虜にされた人は船に載せられて、ハイフオン市へ連行されました。
ある教会の倉庫に3日間投獄され、その後 1人ずつひどい拷問を受けましたが、誰も自白しませんでした。さらに1週間拷問されましたが、誰も自白しませんでした。
何回も獄に入れ、出しては拷問しました。拷問方法は様々な方法がとられました。
―電気に接続したやっとこで手の指の先を鋏む。
―細く裂いた竹の棒を手で握らされ、高い先からつるす。手は長いナイフのような竹
で切られとても痛い。ある人はこの拷問を受けて、治療を受けなかったため、手を
失った。
―針に鳥の毛を結び、この針を指と爪の先に入れて拷問する。
―ひざと足の下骨をたたく。

捕虜は最後に裁判にかけられましたが、すべてフランス語で行われるため、罪状は何か、最後まで知らされることはありませんでした。
私は2年ほどハイフオンで投獄され、1953年の末頃、南のコンダオ島に移送されました。
コンダオ島へ行く船に載せられた捕虜は約200名、うち3分の2は海に落とされました。毎日夜になると泣き声と呼び声が聞こえましたが、海に落とされなかった人には何が起こったかわかりませんでした。
島に到着したら、ハイフォンの監獄から船に運ばれた人の大部分はいなくなっていました。コンダオ島まで移送された人たちは抗議のため4日間絶食しました。フランス軍は囚人がいなくなったことを認めませんでした。
コンダオ島で投獄された期間の生活は本当にこの世の地獄でした。
毎日2回古い米のご飯と臭くなった干し魚ばかり。野菜はめったにありませんでした。5人分の食事がまとめて木材の箱に入られました。茶碗とスープンは5人で1個か2個しかありません。
水も非常に不足した状態でした。1週に一度体を洗うために1リットルぐらいの水が渡されました。
囚人はなにか抵抗をすれば狭い鉄のかごに入られ、屋外に放置されます。ある時は雨が降り、ある時は太陽の光が強く、人間は魚のように日干しになります。鉄のかごはとても狭く、座るだけで横になることはできません。立つこともできませんでした。
1日2回ご飯と水を持っていきます。囚人を出させて、トイレに行かせ、ご飯を食べさせて、水を飲ませてから またかごに入れられます。多くの人は我慢できずに病気になり、死んでしまいました。
人によって拷問方法は違いますが、囚人はひどい苦痛をなめさせられ、多くの人が拷問にかけられ、殺されました。

1954年の5月7日、ディエンビエンフーでベトナムが勝利しました。ジュネーブ協定締結後、1954年6月末、フランス軍とベトナム民主共和国の軍はタインホア省で囚人を交換することになりました。コンダオ島の囚人は船でタインホアまで運ばれました。
タインホア省の海岸の両側で囚人を交換しました。ベトナム囚人とフランス囚人を一人ずつ交換しました。囚人の服を脱いで、新しい服を着ました。

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2006年4月 1日 (土)

ベトナム旅行二日目①

ベトナム旅行二日目(3月26日)リポートです。

二日目はもりだくさんなので、三つに分けます。まず、一回目。

★7:00 起床。朝食を食べに行く。

ホテルの1階のレストラン。バイキング形式だった。

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けっこううまかった。正確には素直な味で、ヘンな癖がないというべきか。他の食事も、日本のホテルのバイキングにありがちな、まずい飯ではなかったので一安心。

 

 

★7:40 ホテルのフロントに円→ドル変換を頼みにいく。

 初めてのことなので、同行の人に聞いたら、英語で「Exchange to dallar」といえばいいそうだ。そうですか。少なくともフロントの人たちはおさかなたちよりは英語がしゃべれる。おさかなは同行の人の5000円、おさかなの5000円を両替すべく、フロントへ。

フロントでおそるおそる「Exchange to U.S.dallar」‥そう言いながら、おさかなが1万円を出すと、フロントの人は計算機で「78」ドルだと(79だったかなあ?忘れた)示してくれた。「OK」と言ってドルを受け取るおさかな。

★7:50 バスで出発、ホーチミン廟へ。

ホーチミン廟は、ホーチミンを安置しているところ。フランス植民地時代からのベトナム解放の指導者。アメリカとのベトナム戦争の半ばで亡くなった。

で、すごい。何がって、入場検査が。ホーチミン廟自体は入場料はないのだが、カメラは持ち込み禁止。これはわかるのだけど、荷物もだめ。携帯もカメラなんかついていた日にはだめ。で、ポケットに入っているような小さなものでも、飛行機に乗るときみたいな荷物の探知機を通す。ついでに人間もちょうど飛行機に乗るときの金属探知機のようなものを通らなければならない・・・衛兵もけっこういて、あまりの物々しさにいささか辟易した。

0326_1 中はホーチミンの遺体が安置されていて、本物かどうかわからないがライトアップされ、それを見ることができる。遺体の4隅にこれまた衛兵が立つ。そこのそばをわれわれ観光人がぞろぞろと通るのだが・・・。

 あ~ほげほげ。

 社会主義って個人崇拝だっけ??

ちなみにホーチミンは自分の葬式はやらないでくれ、静かに葬ってくれと言っていたのだと同行の人が教えてくれた。

 で、ホーチミン廟を抜けると、デジカメもOKになる。で、ホーチミンゆかりの建物などがある。写真は、フランス植民地時代からある迎賓館。どうもフランスの建てた建物は黄色いようだ。黄色い建物は、ハノイの街のいろんなところにある。

0326_2 別に写っている人は、おさかなとは関係ありません・・・。

 

 

 

 

さらに観光人用のトイレなのだが・・・。

0326_3

この水は「大」を流すためにあるようだ。びっくりした。何だかなあ。

 

 

 

 

★10:00すぎ

 ベトナムの200万人餓死記念碑に到着。

0326_4 日本軍が米を取り上げたおかげで200万人が餓死したという、その記念碑だ。

0326_5 この写真の骸骨は、餓死して埋葬された人たちの骨を再び集めて埋葬する際の写真。おびただしい数。でも、200万人という数からすれば、ごく少数なのね。

 

ちなみに、この餓死記念碑、昔は田んぼばかりのところにあったのに、いまは周りに店や住居が立ち並んだおかげで、まわりはこんな感じです。

0326_6

Photo_8 これはついてきた子ども。

 

 

 

 

 

★10:44 次のスポットへ移動中。バイクの大群。

0326bakumai

 

 

 

 

 

 

★10:50ごろ??

バクマイ病院に。ベトナムでトップクラスの医療水準を誇る病院だとのこと。

病床数は1400もある。ただ、医師の給料は学校の先生よりも安いそうだ。何だ、そりゃ。

Photo_9あと、ベトナムに公的医療保険制度はない。保険に入っているのは公務員などで、27%程度だと。貧しい人が医療を無料で受けられる制度はあるらしいが、限られた医療しか受けられないのであまりベトナムの人は受けたがらないと、ガイドの人が言っていた。

 社会保障制度がここまで貧困だと、資本主義との違いがよく見えませんが。

 ベトナムの経済も発展途上でお金がないのはわかりますけど、もうちょっと何とかならんのか? おかしくないか? と思ってしまうおさかな。

 

Photo_10 ちなみにバクマイ病院はベトナム戦争中に4回も爆撃を受けたらしい。左は爆撃時の写真。病院内に展示されていた。戦争には病院を爆撃するのはつき物だが・・・。ひどい話ですね。

 

 

★11:30すぎ ホア・ロー刑務所

 フランスがつくった刑務所で、主に「政治犯」を収容していた。ベトナム戦争中もアメリカが利用したようだが、案内人のチェンさんはあまりアメリカのことはいっていなかった。

Photo_14

Photo_11

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さらし首の写真。これは、わざわざ市場など人のたくさん集まる目に付くところに名前つきでさらし首にされたそうだ。

「植民地支配に反対したらこうなるぞ、わかってるのか」ということだが・・・「こんな時代に、こんな国に生まれていたら、こういう風になるのを覚悟してまで自分の主張を唱えることができるだろうか?」と考えるおさかな。

Photo_13

 

 

 

 

 

 

以上が二日目(3月26日)の午前中でした。

なお、移動中のバスの中で、フランスの植民地支配とたたかったトンさんという人の証言を聞くこともでき、先日旅行会社さんから訳文も届いたので、訳文をそのまま載せるかどうかわかりませんが、後ほど紹介したいと思います。

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2006年3月30日 (木)

ベトナム旅行一日目

 さて、ベトナム旅行です。二年に一度の職員旅行でベトナムに行ってきました。自己負担も4万円しました・・・。はあ、痛い出費だが、4万円でベトナムへいけると思えば! と自分を奮い立たせるおさかな。

 3月25日(土)に成田空港を出発してベトナムへ。3月27日23:50(ベトナム時間)にハノイ空港を出発して29日の日本時間6:40に成田へ到着するという強行日程でした。

 で、ベトナム旅行がどうだったか報告します。いっぺんに書くと大変なので、3月25日からね。

 ■3月25日■

★5:00起床。5:40に家を出て、成田空港に8時前に着いてしまいました。8:45分に他の人たちと合流。

★9:00 航空チケットを受け取って、手荷物検査へ。→荷物の重量を量る。→次に荷物+ボディチェック。無事に一発で通過。→出国審査。出国審査ではパスポートを出すだけなのだが、何だか緊張。何分はじめてのことなので。もちろん何事もない。無事にパス。

★10:20 搭乗案内開始。バスで飛行機まで案内される

★11:00 離陸。ハノイ便出発です!!

 さて、飛行機のなかでしばらくして、食前酒が出てきた。選ぶことができたので、おさかなは白ワインを選んだ。ところが・・・Photo

 

なんですか、

食前なのに「おつまみ」? 

う~ん、このセンスがよくわからん。おつまみは普通食後だと思いますが・・・。

 で、機内食ってヤツも初めて見た。渡されたメニューから二種類選ぶことができた。日航との相互乗り入れのはずなのに、ベトナム航空の、文字通りベトナム人しか乗務員がいない!! 言葉が通じないので、「これ!!」といわんばかりに指差して機内食を出してもらった。

Photo_1

機内食、けっこう多かった。おさかなにとっては普通だったが、食べきれない人もいたみたいだ。

★ハノイ空港に15:00(ベトナム時間)ごろ到着。

 ちなみにおさかなのPHSの時刻はこのとき17:00でした。ベトナムは日本より二時間遅いので、時刻を二時間戻す、っと。で、入国審査。みんな列を成すが、すすまないったらありゃしない。黄色い紙(名前や入国目的、荷物の数などを記入する)とパスポートを審査官に渡す。自分の順番さえくれば、何にも聞かれずにあっさりパスできた。

★16:00すぎ 空港を出て、案内人のチェンさんに会う。バスでホテルへ向かう。

 ホテルへ向かう途中、まわり一面にたんぼの風景。牛がたくさんいた。耕すのにベトナム北部は牛を使うのだそうだ。

 で、市内に近づくと・・・

 Photo_2

なんじゃこりゃ。

電線が鯨のひげみたい

続いて・・・

Photo_3

バイクの群れに遭遇

町中バイクだらけ。しかもハノイ市内はヘルメットをしなくてもいいというのだ! たしかにそんなにみんな市街地でスピードは出していない。でもねえ。二人乗りや三人乗りは当たり前だ。三人乗りも認められているが、大人三人は×。チェンさんいわく「夫婦と子ども一人、みたいな乗り方ならOK」ということだった。・・・OKなのかよ。

 で、ホア・ビン・ホテルとかっていう、かつてベトナムがフランス植民地だったころからあるホテルに到着。いまはベトナムの国営ホテル。けっこうきれい。超高級って感じでもないけど。で、下が写真。同室の人の荷物?がちょっと散らかってますけど。すみません。

Photo_4

Photo_5

 

  

★そして6:00ぐらいから、水上人形劇を見に行った。

Photo_6はっきりいって、英語とフランス語(?)のアナウンスだけで、さっぱりストーリーがわからず、おさかな的には30点。一回観れば、二度とみようとは思わないんじゃないかな。そうじゃない人もいるみたいだけど、おさかなはもういいです・・・。

★19:30 食事

 ハノイ市内の店で。ビールは333(バーバーバー)を頼んだ。春巻きとかフォーとか、海老とかたくさん出てきたよ。まあ、日本国内でも食べられるのでめずらしくもないものが大半だが、春巻きやフォーは味がけっこうしっかりあって、うまかった。

333

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★21:00 ホテルに戻る

 ホテルに戻るともう21:00。そもそもこの日、日本時間は二時間すすんでいるわけだから、日本時間で考えると5:00に起きて、ホテルに戻ってきたのが23:00ということになる。そう考えるとハードすぎるです! ・・・そんなことを考えた。シャワーを浴びてっと・・・。

★21:45 就寝

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2006年3月19日 (日)

博士の愛した数式

映画『博士の愛した数式』見てきました。新宿で。

あんまり泣いたりはしなかったなあ。彼女は泣いていた(・・・と思う)

この映画、大泣きした人も多いらしいのだけど。

でも、「数学は別に社会にすぐ役立たないことも多い。数学の目的は真実とは何かを見つけること」(だったかな?)という台詞には考えさせられますね。

日常の生活で、真実とは何かなんて、考えたことあったっけ?

・・・っていうか真実って何? 

お勧め度10段階の6です。辛口かなあ??

数字って、へえ、面白いんだね、とは思うと思います。

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2006年3月18日 (土)

京都で桜計画

京都には学生時代いたからいいや・・・とか思うのはおさかなだけ?

彼女が京都で今年は桜を見たい!と強く主張なさるので、宿を取りました。

もう無理か?と思ったけど、4月7日(金)から二泊、繁華街からもそれほど遠くないところに宿をゲット。奇跡的だ・・・。7日に仕事を終えてから京都に向かう予定。

一晩一人当たり3500円、素泊まりだって。・・・お部屋の水準は、大丈夫なんでせうか?

 そういえば以前、鎌倉で民宿に泊まったら、すんごい暗くて入り組んだところにある古いお家で、彼女が怖がっていたのを思い出す。

鎌倉、アゲインか?

まあ、それも一興か。

桜がすんごい早く咲いたらショックですけど。桜、どうなんだろうね?

・・・それにしても、3月末にベトナム、4月頭に京都ですか・・・。旅行続きますね。われながら。

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