近代日本の戦争

2009年6月23日 (火)

シベリア抑留…労働力として差し出された元日本兵たち

シベリア抑留国賠訴訟の原告団の方にお話をうかがう機会があった。

アジア・太平洋戦争後、元日本兵らがソ連軍に連行され、労働力として酷使された「シベリア抑留」では、約60万人が重労働を強制され、6万人以上が亡くなったといわれる。その抑留体験者らが、京都地裁に提訴し、国を訴えて裁判をたたかっているのだ。その結審が6月17日にあった。判決は10月に出る予定だ。

抑留体験者らが、日本政府を訴えるのはなぜか? その理由は、“シベリア抑留は、当時の日本政府や軍部の「棄民」政策の結果だ”というものだ。「国体護持」=つまり天皇制を守るために、当時の大日本帝国の政府・軍部がソ連と取り引きして、元日本兵らを労働力として供与することを申し出たのだと。
 
「棄民」政策をしめす文書の一端は、すでに一九九三年八月の共同通信社の配信記事として報道されている。この記事では、一九四五年八月末、「大本営朝枝参謀」が作成した「関東軍方面停戦状況に関する実視報告」(一九四五年八月二六日)のことが報じられているが、この文書に、次のように書いてあるという(ひらがなは、原文ではカタカナです)。

 「内地に於ける食糧事情及思想経済事情より考うるに規定方針通大陸方面に於いては在留邦人及武装解除後の軍人はソ連の庇護下に満鮮に土着せしめて生活を営む如くソ連側に依頼するを可とす」
 「満鮮に土着する者は日本国籍を離るるも支障なきとす」

 日本国籍を失っても差し障りないので、兵士をどのように処遇するかは任せますよ現地で生活するように処遇をお願いしますよ、と趣旨のことが書かれている。普通に考えて日本国籍じゃなくなってもいいですよ、とはずいぶん勝手だよね。マジで。

 また、この記事とは別に、次のような公文書もある。

  「次は軍人の処置であります。之につきましても当然貴軍にてご計画あることと存じまするが、元々満州に生業を有し家庭を有するもの並に希望者は満州にとどまって貴軍の経営に協力せしめ、其他は逐次内地に帰還せしめられ度いと存じます。右期間迄の間に於きましては、極力貴軍の経営に協力する如く御使ひ願ひ度いと思います」※関東軍総司令部による「ワシレフスキー元帥に対する報告」(一九四五年八月二九日)

 上記の文書を見て不思議なのは、実際に〝「希望者」がシベリア抑留に供せられた〟ことはあったのかということだ。僕が今回聞いた証言、並びに、いただいた証言(書面)では、整然と日本軍自身によって武装解除がされ、末端の兵士たちは整然と行進し、方角もわからぬまま連れて行かれた先が収容所だったとか、あるいは「帰国だ」と聞かされて船に乗せられたが、ついた先が収容所だった、などのような体験が語られているだけだ。

 シベリア抑留が「日本だけが悪い」わけではないのはもちろんだが、しかし日本政府は犯罪的な役割をはたしたし、兵士を見捨てたことは疑いようのない事実だといえるだろう。シベリア抑留は“ソ連が勝利したことをいいことに、日本兵を労働力として使い回した”だけの問題ではなく、日本軍中枢が元日本兵士らを見捨てた棄民・棄兵の結果でもある。

 また、「居留民保護」が、関東軍派遣・駐留の口実であったが、最後の最後に軍部高官らは兵士や居留民を放り出して逃げ去ったのだ、とある原告は指摘していた。

 ところで、こうした棄民政策は、現代にもつながる問題である。国民を見捨て、生活を困難に貶めながら、国家は何も救済しないし補償しない。こうした政治の例は、たとえば後期高齢者医療制度、派遣切り、生活保護の「水際」作戦や打ち切り、国保証の取り上げと財産差し押さえなど、枚挙にいとまがない。原告団のお一人は、こうした棄民政策の被害者らがみんなで手をとりあって運動することが必要だという趣旨のことをおっしゃっていた。もちろん、被害者のみならず、潜在的な被害者(被害者にいつなるかもわからない)全国民が手をつなぐべきだという意味で、僕もまったくその通りだと思う。

 まあ、ですから…シベリア抑留は日本政府にも重い責任のある問題なのですよ、ということを最近知りました。日本政府の暗部は奥深い。暗部を克服してこそ、あるべき国の姿というのは見えてくるような気がします。盲目的な〝信仰〟は必要ないよね。棄民をして恥じない日本政府の体質こそ克服したい。その克服には、多くの国民の力(行動をともなう意思)が必要なんだが。

 なお、シベリア抑留には一般住民、朝鮮国籍の軍属なども含まれていたようでございます…。

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2008年3月30日 (日)

歴史修正主義とは

この際なので、歴史修正主義とは何かという見解を、自分で定義づけておきたい。まだ自信がややないので、掲示板

http://norevisionism.g.hatena.ne.jp/bbs/2/

には書き込まないけど。もう少しわかりやすく、こなれた文章にできたらな、と思いますけど。
さて、「歴史修正主義」の定義について私見を述べます。

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歴史修正主義

 歴史の叙述を書き直す語り直すこと自体は問題ではない。歴史学の発展や価値観の変化などにより、歴史の叙述が「修正」されることは、これまでもおこなわれてきた。最近では、異なる国同士が共同で歴史教科書をつくる試み(日本・中国・韓国間や実際につくった国(独仏)ある

 だが、今日の日本で「歴史修正主義と呼ばれるのは、歴史の書き直し語り直しを学問上・論理上許されないやりかたでおこなう考え方を指すことがほとんどである歴史修正主義は、歴史学上すでに軍国主義、植民地支配、全体主義、人種民族差別、性差別などが背景にあるとして批判的な認識が定説となっている事件・問題・時代などに対し、下記のような言動をおこなう(例)。

 ▽否定(あったことをなかったと強弁する)
 ▽美化(批判されていた事柄を、良いことのようにいう)
 ▽改ざん・捏造(事実とは違うことを述べたり、エピソードをつくりあげたり、場合によっては史料を改ざんする)

 ▽曲解史料・証言などから本来読み取れるはずの解釈とは別の解釈をする

 ▽無視(歴史上重大な事項であってもテーマとしてとりあげないことで、人々の共通認識となることを阻む。または言及しても重大な側面をとりあげない

 ▽トリミング(史料・証言・文献などで、自らの都合のよい部分だけを取り出して、都合の悪い部分を取り上げず、自らの歴史観・主張のささえにする)

 ▽容認(「仕方ないことだった」「当時の価値観では悪いことでない」などと許す)

 とりわけ、ナチスドイツにおけるホロコーストや、日本軍が起こした南京事件など、近代以降の戦争犯罪、時代認識などが問題にされる場合が多い。同時に、近代以降の歴史を書き直す語りなおす)ために、それ以前の歴史も歪曲することもしばしばある(昔から天皇は日本国の象徴だった、天皇は神の子孫、など)。

 なお「歴史修正主義」が批判的な言葉として用いられるようになったのは、ホロコースト否定論者が自ら「歴史修正主義者」と名乗ったことが大きい。日本においても学問上・論理上許されないやり方で歴史の書き直し語りなおしをおこなう論者等が「歴史修正主義者」だと批判の意味をこめて呼ばれるのは、ホロコースト否定論者を彷彿とさせるためでもある


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やや記述が整理されていないし、詳述されるべき点や、逆にややこしい点もあるように思っているので、「歴史修正主義」についてもう少し勉強します。自分の無知をさらすようで恐縮なのだけど、

---今日の日本で「歴史修正主義と呼ばれるのは、歴史の書き直し語り直しを学問上・論理上許されないやりかたでおこなう考え方を指すことがほとんどである。----

 と書いているのは、批判的でない場合に使う例があるのか、ちょっとわからないからです(苦笑)。だから勉強するのです・・・。

 

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2008年3月29日 (土)

なんじゃそりゃ。

先日のエントリ

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2008/03/post_64fb.html

で紹介した、掲示板「歴史修正主義の定義について」の議論に関連して。

lovelovedogさんの掲示板書き込み休止宣言です。

http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20080329/uekara

http://s01.megalodon.jp/2008-0329-0810-51/d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20080329/uekara(魚拓)

理由は、上から目線で人にいろいろいわれたので、「苦手」だといっています・・・。文字通り受け取るなら、僕は理由にはなっていないみたいです。いまのところ。

ところで、僕は「歴史修正主義」という言葉の定義(意味)を聞きましたが、lovelovedogさんは下記のように答えたことはすでに紹介しました。

http://norevisionism.g.hatena.ne.jp/bbs/2/51

http://s02.megalodon.jp/2008-0329-0832-21/norevisionism.g.hatena.ne.jp/bbs/2/51(魚拓)

意味なんてないんじゃないですかね。単なる悪口語・罵倒語ですから。「おまえの母ちゃんでべそ」「マザーファッカー」みたいなもので。 

「おまえの母のヘソは出っ張っている」という程度の意味があるとしたら「歴史について少し変わったことを言ってみている人」でしょうか。

まあ、この程度の返答ではまったく不満なので、下記のように質問しました。

http://norevisionism.g.hatena.ne.jp/bbs/2/62

第一に。「おまえの母ちゃんでべそ」は意味がないのですよね? そうであれば「お前の…」の意味を少しでも解釈して「歴史修正主義」という言葉に適用しようとする試みはおやめください。意味がないものはあくまで意味がないのですから、お互いに無関係でしょう。なぜ関連づけを試みたのですか?

第二に。lovelovedogさんは、「歴史修正主義」という言葉について、使い方にはいくらか私見がおありですが、定義(意味)は「ない」言葉だと思っていることはわかりました。そのように確認させていただきます。

第三に。「歴史修正主義」という言葉の定義、意味はこれから議論していきたいと思いますが、そもそもD_Amonさんが本掲示板の2ならび5で定義や使われるようになった経緯にかかわるコメントをすでにされています。

http://norevisionism.g.hatena.ne.jp/bbs/2/2

http://norevisionism.g.hatena.ne.jp/bbs/2/5

とくに2は、もう少し詳述されていくことが必要かと思いますが、定義(意味)のひとつです。それでもなぜlovelovedogさんは「意味がない」と言い続けるのか、理由をお聞かせ下さい。

こちらの質問も忘れずに、いずれこたえていただきたいですね。

さて、lovelovedogさんのブログ内の過去の記事に、下記のようなものも見つけました。

http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20070606/revisionism

http://s03.megalodon.jp/2008-0329-0807-40/d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20070606/revisionism(魚拓)

 revisionismってのは、ホロコーストに対する歴史的見解の見直し(ホロコーストはなかった、あるいは、間違っていなかった)に関する主張だと、ぼくは認識してたんですが

 (赤字はおさかなです)

 なんじゃそりゃ。今回の掲示板では「意味なんてないでしょう」ってずいぶんいっていたのに。この後認識が変化したのかな? また何か僕が思いつかないような理由を述べるのだろうか? ややこしいな。

 さて、自分でも歴史修正主義について勉強しようと、「歴史/修正主義」(高橋哲哉、岩波書店2000)、「歴史における『修正主義』」(歴史学研究会編、青木書店2000)をお買い上げ。キーワード編集に僕が力になれるとはいまのところ思っていませんが、まあ、勉強は大事。がんばるです。

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2008年3月25日 (火)

歴史修正主義の定義についての議論に参加

このコメント

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2008/03/1_d95f.html#comment-23359869

はてなりんぐ「歴史修正主義に反対します」の皆さんにコメントしています。
はてなキーワードに対して歴史修正主義者から攻撃がされています。是非幣ブログの事情を読んでご協力ください。
http://d.hatena.ne.jp/abesinzou/20080322
また議論に参加ください。
http://norevisionism.g.hatena.ne.jp/bbs/2
この歴史修正主義者である「有名人」はhttp://d.hatena.ne.jp/keyword/%BA%D9%C5%C4%B6%D1?
実はその出版物で数10万人に影響をおよぼしていると思うと非常に悲しくなります。

にこたえて、

D_Amonさんがつくってくれた掲示板「歴史修正主義の定義について」の議論に参加。

http://norevisionism.g.hatena.ne.jp/bbs/2/

ただ、ここではてなキーワードをいろいろいじっているというlovelovedogさんのコメントを見ても、いったい歴史修正主義という言葉の定義をどう思っているのかよくわからない。

『歴史修正主義の定義について』という掲示板なのに・・・。

そこで、下記コメントをしました。

http://norevisionism.g.hatena.ne.jp/bbs/2/37

lovelovedogさんのコメントをいくら読んでも、歴史修正主義という言葉がどのような意味を持つ言葉だと思っているのか、この掲示板を読む限りほとんどわかりません。私見で結構ですから、あなたが考える概括的な、歴史修正主義という言葉の意味をお聞かせください。歴史修正主義という言葉に対する定義(私見)をお持ちですよね?

そうでないと、

>とされるが、ある特定の歴史家歴史観に対して否定的な印象を広く一般に植え付けるためのレッテルとして用いられるという指摘もある。また、単純に主流派の学説を批判するものは歴史修正主義者、それに対して反論する主流派を反歴史修正主義者と呼ぶ事も出来るが、実際には反対の例も在るため一様ではない。通常、歴史家は自らのモデルを歴史修正主義と呼称するのは希である。

とする部分をなぜ「比較的中立」だと判断できるのか、わかりません。歴史修正主義という言葉の定義やどのような文脈で使われる言葉だと認識しているのか、開示してください。

どうなるやら。まあ、できる範囲で。

【23:20追記】

上記コメントにこんな返事が来た。

http://norevisionism.g.hatena.ne.jp/bbs/2/39

まぁぼくの正直な考えを言うと、歴史についてあまり深く考えることはしないでおこう、と考える、どちらかというと左寄りの人が、過去の歴史について何か言っている人に対する様式化された悪口語なんじゃないかと思ってます。昔だと「トロツキスト」とか「修正主義者」だとか、左翼系(新左翼系)の人が使ってたんですよ、そういう「様式化された悪口語」を。

とはいえ、歴史的資料の一部しか示さないで「ほらほらあんたらの歴史観はこんなに間違ってたんだよ」という、プロパガンダ右翼の、歴史修正主義トンデモぶりにも日々驚かされるわけなので、悪口語として使われても仕方のないところがあるかもなぁ、とも思っています。

 いや、そんな浅いことを聞いてるんじゃないんだけど・・・。これへのコメントはまた明日以降考えよう。

【3月26日追記】

僕は、前日のlovelovedogさんの回答が不満で、次のように聞いた。

lovelovedogさん。私は二つのことをうかがいました。「歴史修正主義」という言葉の①定義(意味)と、②この言葉の使われ方です。

ご返事を拝見しても、使われ方はわかりますが、定義(意味)がわかりません。「悪口語」ということですが、それが悪口になるのは、その言葉に意味があるからです。

たとえば悪口の代表格=「馬鹿」という言葉は、頭が悪い、鈍いとか、常識から逸脱している、思慮が足りない、などの意味がある言葉です。そういう意味があるがゆえに、悪口になりえるわけです。

再度聞きます。使い方ではなく、歴史修正主義という言葉の定義(意味)を私見で結構ですので、お答え下さい。

すると、次のような返事が来た。

意味なんてないんじゃないですかね。単なる悪口語罵倒語ですから。「おまえの母ちゃんでべそ」「マザーファッカー」みたいなもので。

 「おまえの母のヘソは出っ張っている」という程度の意味があるとしたら「歴史について少し変わったことを言ってみている人」でしょうか。

いや、例示してきた悪口のいずれも、意味ありますけど。大丈夫かな、この人。

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2007年12月24日 (月)

EU「慰安婦」決議、「日本たたきではない」

碧猫さんのここ

http://azuryblue.blog72.fc2.com/blog-entry-335.html#comment3047

経由で知った。

英議員が

「欧州議会の慰安婦決議は、日本への大きな期待を反映する」「日本たたきではない」

といっています。

http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200712210652205

まだ全部熟読してないけど。参考までに。メモのかわり。(下は魚拓)

http://s04.megalodon.jp/2007-1224-2024-42/www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200712210652205

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2007年12月20日 (木)

次は南京事件非難決議??

http://www.chosunonline.com/article/20070806000043

上記URL参照。

朝鮮日報。ちょっと昔の記事だけど、マイク・ホンダ氏へのインタビューにこんな文言が。

-1937年の日本による南京大虐殺についても、日本政府の公式謝罪を要求する決議案を推進する予定は?

 「南京虐殺についても取り上げようと考えている。(しばらく考えた後で)今、その問題について言及するのは時期尚早だ」

え? いずれとりあげたいなってことなの?? いずれ非難決議が? マジ? マジ、マジ?

めまいがしてきたよ・・・。僕は戦争責任否定派ではないし、南京事件はなかったなんていわないけど、やっぱり日本人としては何だか嫌な気分がするね。別にマイク・ホンダ議員が悪いとは思わないけど。日本の権力に歴史修正主義者が多数いるのがいかんのだよ。でも、嫌な気分がする。俺も立派な日本人だな(苦笑)。

・・・やはり日本人が歴史認識の問題でけりをつけないとどうしようもないな。少なくとも歴史修正主義者を政界から追い出すことが必要だ。・・・いつのことやら。

何とかしないとな。

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「厚生省薬務局分室」ミドリ十字

薬害肝炎の問題で、DAYS JAPAN 1月号が大きな記事を載せている。

「まだ間に合うのなら⑨ 薬害の源流 薬害C型肝炎の原告団と加害者 写真・文/広川隆一」(←編集長です)という記事だ。

(↓DAYS JAPAN ホームページです)

http://www.daysjapan.net/

この中で、次のような箇所があるので紹介する。

---薬害肝炎の原因は、輸血や止血の際に投与される血液製剤でした。これは薬害エイズも同様です---(32ページ)

---汚染された血液製剤が多く輸入された一番危険な時期は84年~85年頃です。この頃のミドリ十字の社長、松下廉蔵氏は厚生省の薬務局長だった人物です。彼の部下も次々に天下りました。そのためミドリ十字は「厚生省薬務局分室」と揶揄されていました---(32-33ページ)

ミドリ十字といえば、旧731部隊の内藤良一氏など、731部隊関係者らが中心となって設立した日本ブラッドバンクが前身。

---その厚生省から天下ったミドリ十字社長の松下氏と、ミドリ十字から献金を受けていた安部氏(※おさかな注=安部英氏。帝京大学医学部長、厚労省委託のエイズ研究班班長だった)。薬害問題を読み解いていくと、ミドリ十字を軸とした構図がはっきりと見えてきます。薬害が起こらないわけはなかったのです---(33ページ)

戦中、人体実験をおこなった731部隊の「人命軽視」が、現在の日本にも脈々と受け継がれてしまった典型。しかも、国と癒着しまくりなのか…。731部隊にも触れ、人体実験をおこなった医学者らが、「戦犯として裁かれることなく、華々しい活躍を見せることに」(35ページ)なったことを紹介している。

731部隊と、ミドリ十字(現・田辺三菱製薬)、そして天下った厚労省の役人が社長に就任するなど、わかりやすく解説しているので、初心者にはおすすめ(おさかなも初心者ですけど)。

こんなに癒着しまくりじゃ、肝炎問題で真相究明などできようもない。だからといってあきらめるわけにはいかない。かかっているのは、われわれ国民の健康、命、人生、幸福、将来なのだから。 

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2007年12月19日 (水)

EU「慰安婦」決議を受けて

http://ianhu.g.hatena.ne.jp/kmiura/20071214/1197581267

今月、EU議会で採択された「慰安婦」問題に関する決議の和訳が載ってます。

和訳できる人っていいなあ。うらやましい。

ところで、「慰安婦」問題でがんばっている前参議院議員の吉川春子さんの話を聞く機会があった。吉川さんは、「慰安婦」決議が国連でも採択しようという動きもあるといっていた。本当かな? 僕の空耳? いずれにせよ、日本は「慰安婦」問題では自ら解決するのでなく、つねに外圧で動いてきたことを吉川さんは嘆いていた。

「慰安婦」問題でも、たしかに日本は関与を当初否定した。それに怒った元「慰安婦」キムハクスンさんが日本で裁判を起こし、問題になったのが、「慰安婦」が日本において取り沙汰されるようになったきっかけだった。これがその後の河野談話や女性基金となった。

そしてことし、歴史修正主義者が騒いだおかげもあり、米下院決議採択が実現。EU決議にもつながった気がする。ことしという一年を振り返ると、歴史修正主義者は大活躍だったな(笑)。立派に国際社会に「貢献」した。おめでたう。

・・・冗談はさておき、吉川さんは、つぎのようなことも指摘していた。つまり、日本兵は「慰安」所を利用していたのに、ずっとそのことをいってこなかったことだ。

たしかに「慰安婦」の存在は、秘密でもなかったのに、でも終戦後、積極的に加害として認識されず、あるいはまったくその体験は語られず、日本兵経験者の多くは沈黙をしてきたのだ。そのことを考えると、何だか妙な気持ちになる。

僕は親も戦後世代。僕はいってみれば「二重の戦後」世代で、くわえて核家族でもあったこともあって、ずいぶんと戦前の日本兵の「罪行」には突き放した目で見てきた。「罪をはたらいたのは、あなたたちの世代にすぎず、僕じゃない」という気持ちで見てきた部分がないといたらウソになる。でも、ほとんど語られることはなくても、いまでも「慰安」所利用者は日本に何人もいるのだ。ひょっとしたら街中ですれちがったじいさんが、元「利用者」かもしれない。突き放す以前に、自分のまわりにたくさん経験者がいるかもしれないのだ。突き放しようがないくらい、身近にいるのかもしれない・・・いったい日本ってどういう社会なんだ。複雑な気持ちだ。

でも僕は、いってみれば日本の「恥」ともいえる「慰安婦」問題と向き合うことは、大事だと思う。ユーゴ内戦、ルワンダなどでの強姦の多発などを見ても、女性の人格を否定し、もてあそび、モノとして扱い、ときに殺害したり遺棄したりする行為を、世界から消すよう努力することは必要だ。

日本もいいかげん、隠すのではなく、総括し、二度とこんなことがおこらないように努力します、といったほうが、国際社会において「誇り」ある地位を占めることができると思うんだけどねえ。恥に対して、恥を隠さずに明らかにして乗り越えることで、「誇り」を得られるという逆説。

とにもかくにも、日本人は91年以来、この15年以上、何をやってきたんだ?・・・といいつつ、僕もこの問題に関心をもったのは、一年半前です。すんません。

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2007年12月18日 (火)

南京事件国際シンポに参加して

シンポに参加した。

http://d.hatena.ne.jp/December2007/

研究者の方にご挨拶もできたし、あらたにお知り合い?もできて、よかった。体力に余力があれば、もう少し話などしたかったが。

さて。南京事件シンポでは、

南京事件で日本兵は加害者だけではなく、被害者の側面があったこと、戦後も、その加害の事実を吐露することができず、苦しんだ人も少なくなかったこと。

中国の国民も、毛沢東の政策のもとで(悪いのは支配層であり、人民は悪くないというとらえ方)のもとで、被害を告発することが抑圧される側面があったこと。

現代にもつながる話として、いかに過去の戦争犯罪を語るか。

普通のやさしい兄弟、父、息子が戦争犯罪を働いてしまった、その背景。

侵略戦争をささえた、多数の国民の存在。

など、いろいろ考えさせられた。

余力、暇があれば、後日南京事件国際シンポの感想をアップしたい。

実行委員会のみなさま。お疲れ様です。

歴史修正主義に負けるわけにはいかんのだよ。

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2007年12月13日 (木)

南京事件から70年です

70年前の今日、旧日本軍が南京を占領した。このときに起きた虐殺、強姦、暴行、略奪などを総称して南京事件という。

南京事件から70年たった今日でも、「大虐殺」(※)と呼べるものはなかったなどの主張が一部に横行している。この種の主張が日本政府中枢に根強いこと、さらには一般国民の若い層にも広がっていることを僕は憂える。

同時に、広範な「中立」「無関心」層の存在をも僕は憂える。南京事件での非人道的行為の存在を認める立場を「自虐史観」呼ばわりする人々がいるが、この種の妄言が大手を振っていられるのも、われわれ国民がそれを許しているのだ。主体的であれ、無意識であれ。

この種の「中立」「無関心」は、今日でもアフガン、イラクへの米軍占領・攻撃に日本が手下となって協力している事実を忘却、隠蔽する役割を果たしてはいないか。罪のない人が殺された事実。必要のない死を与えられ、人生を奪われた人々。身体に、心に一生いえない深い傷を負わされた人々。これらの不可逆的な被害、傷を負わせたことに対して無関心、中立であることは、僕にはできない。しかも70年前の南京事件だって、その被害者や遺族の一部は、いまもなお生きていて、苦しんでいる人も少なくないのだ。

「事実かどうかわからない」だけならまだしも「事実でもウソでもどっちでもいい」という気分が少なくない日本人のなかにある。どっちでもいいわけないじゃないか。「そんなことだから、この世界から戦争はなくならないのだ」と僕などは思ってしまう。「事実でもウソでもどうでもいい」ということは、「人が死のうが何しようが、そんなのはどうでもいい」といっていることと同じだ。もし仮に、自分の家族や自分自身が死んでも傷ついても、手足を失ってもどっちでもいいのか? 過去のことだからもういい、水に流そうって思えるのか? どっちでもいいのではない。「ない」なら「ない」、「ある」のなら「ある」。事実だったかどうかは、一人ひとりの日本人が、はっきりさせなければならない。

どこまで戦後補償をおこなえばいいのかという問題にまで深入りするのはたいへんでも、かつての日本がおこなった戦争がどのような戦争だったのか、どのような被害をもたらしたのかという事実をつかもうと努力する人が、もっとふえてほしいな、と思う。猛勉強しろというのではない。少なくとも「南京事件などなかった」などの種の議論にまどわされない程度には過去の事実と向き合ってほしい。

・・・と思うこのごろ。

というわけで、再度企画案内。下記のようなシンポジウムあります。ヘビーでハードな日程ですが・・・。詳しくは

http://d.hatena.ne.jp/December2007/

(※ 僕は南京事件は虐殺だけではないこと、どこまでが「大」なのかを争うつもりはないので、「南京大虐殺」という呼称は通常使用していない)

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主催

南京事件70周年国際シンポジウム実行委員会

明治大学軍縮平和研究所

テーマ

「過去と向き合い、東アジアの和解と平和を」

日時

2007年12月15日(土)~16日(日)

会場

明治大学駿河台校舎・リバティタワー

参加協力券

 一般:2日間 2500円、大学生・高校生:1500円

 当日:一般 1日日1500円、2日目1500円

    学生 1日目1000円、2日目1000円

15日(土)  10時開会

会場:明治大学駿河台校舎・リバティタワー6階 1068号教室

開会挨拶 福田邦夫(明治大学軍縮平和研究所長)


記念講演 10:15-12:00 マーク・セルデンさん(コーネル大学教授)


●パネル1 

テーマ「戦争被害・加害の事実と和解」

13:15-15:15

 第一部:映像「向き合う強制連行の被害者と加害者(仮題)」                        

        加害証言 小山一郎、被害証言 中国人 (山東省)

 第二部:報告「判決で戦争被害・加害はどう認定されたか」 

        中国人戦争被害者賠償請求弁護団

 第三部 :パネルディスカッション「最高裁判決と解決の道」

        パネリスト: 井上久士(駿河台大学)

               小山一郎(元中帰連・元日本軍兵士) 

               聶莉莉 (東京女子大学) 

               南典男(弁護士)

     コーディネーター:山田勝彦(中国人戦争被害者賠償請求弁護団)


パネル2テーマ 「なぜ南京大虐殺が起きたのか」

15:45-17:15

対談 吉田裕(一橋大学)

   能川元一(南京事件70周年国際シンポジウム実行委員会) 

   コーディネーター:山北宏 (南京事件70周年国際シンポジウム実行委員会)

16日(日) 9時30分開会

会場 明治大学駿河台校舎・リバティタワー1階 1011号教室

●パネル3

テーマ「東アジアにおける戦争の裁きの再検討」

9:30-13:00

 映像:『人道的寛待』

 報告:程凱 (中国社会科学院副研究員)

     「二つの戦後と改造問題」

 証言:高橋哲郎(元中帰連) 

     「戦犯管理所の経験」

 コメンテーター:丸川哲史(明治大学)

 司会:鈴木将久(明治大学)



●パネル4

テーマ 「ヨーロッパでは戦争責任をどう議論しているか」

14:15-15:45

 報告:川喜田敦子(東京大学)

     「現代ヨーロッパの歴史認識問題と教科書対話」

 報告:ジャン・ルイ・マルゴラン(プロヴァンス大学)

     「フランスの南京事件研究」

 コメンテーター:スヴェン・サーラ(東京大学)

 司会:石田 勇治(東京大学)



●総括ディスカッション

テーマ 「東アジアの和解と平和のために」

16:15-17:45

討論:荒井信一(駿河台大学名誉教授)

   尾山宏(弁護士・南京事件70周年国際シンポジウム実行委員会代表)

   徐勝(立命館大学)

   笠原十九司(都留文化大学)

閉会挨拶 尾山宏(実行委員会代表) 

終了  18:00

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2007年12月 4日 (火)

南京事件国際シンポ本番間近です

ほとんどそのまま転載。国際シンポジウムのブログから。

http://d.hatena.ne.jp/December2007/

全部出るのはキツイなあ。この手のシンポにいくと、たぶん僕は実際の仕事での取材以上に力を入れて取材しそうだ(笑)。

絶対行きますけど、全日程は・・・考え中。

何はともあれ、過去の戦争と向き合う必要性を感じる人は、ぜひご参加を。僕は実行委員会でも何でもございませんが。

***********************************

主催

南京事件70周年国際シンポジウム実行委員会

明治大学軍縮平和研究所

テーマ

「過去と向き合い、東アジアの和解と平和を」

日時

2007年12月15日(土)~16日(日)

会場

明治大学駿河台校舎・リバティタワー

参加協力券

 一般:2日間 2500円、大学生・高校生:1500円

 当日:一般 1日日1500円、2日目1500円

    学生 1日目1000円、2日目1000円


15日(土)  10時開会

会場:明治大学駿河台校舎・リバティタワー6階 1068号教室

開会挨拶 福田邦夫(明治大学軍縮平和研究所長)


記念講演 10:15-12:00 マーク・セルデンさん(コーネル大学教授)


●パネル1 

テーマ「戦争被害・加害の事実と和解」

13:15-15:15

 第一部:映像「向き合う強制連行の被害者と加害者(仮題)」                        

        加害証言 小山一郎、被害証言 中国人 (山東省)

 第二部:報告「判決で戦争被害・加害はどう認定されたか」 

        中国人戦争被害者賠償請求弁護団

 第三部 :パネルディスカッション「最高裁判決と解決の道」

        パネリスト: 井上久士(駿河台大学)

               小山一郎(元中帰連・元日本軍兵士) 

               聶莉莉 (東京女子大学) 

               弁護士1名(交渉中)

     コーディネーター:山田勝彦(中国人戦争被害者賠償請求弁護団)


パネル2テーマ 「なぜ南京大虐殺が起きたのか」

15:45-17:15

対談 吉田裕(一橋大学)

   能川元一(南京事件70周年国際シンポジウム実行委員会) 

   コーディネーター:山北宏 (南京事件70周年国際シンポジウム実行委員会)


16日(日) 9時30分開会

会場 明治大学駿河台校舎・リバティタワー1階 1011号教室

●パネル3

テーマ「東アジアにおける戦争の裁きの再検討」

9:30-13:00

 映像:『人道的寛待』

 報告:程凱 (中国社会科学院副研究員)

     「二つの戦後と改造問題」

 証言:高橋哲郎(元中帰連) 

     「戦犯管理所の経験」

 コメンテーター:丸川哲史(明治大学)

 司会:鈴木将久(明治大学)



●パネル4

テーマ 「ヨーロッパでは戦争責任をどう議論しているか」

14:15-15:45

 報告:川喜田敦子(東京大学)

     「現代ヨーロッパの歴史認識問題と教科書対話」

 報告:ジャン・ルイ・マルゴラン(プロヴァンス大学)

     「フランスの南京事件研究」

 コメンテーター:スヴェン・サーラ(東京大学)

 司会:石田 勇治(東京大学)



●総括ディスカッション

テーマ 「東アジアの和解と平和のために」

16:15-17:45

討論:荒井信一(駿河台大学名誉教授)

   尾山宏(弁護士・南京事件70周年国際シンポジウム実行委員会代表)

   徐勝(立命館大学)

   笠原十九司(都留文化大学)

閉会挨拶 尾山宏(実行委員会代表) 

終了  18:00

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2007年11月11日 (日)

本を読みもせず「名誉毀損だ!」と訴えていた

「赤旗」11月10日付1面から抜粋。

---沖縄戦の「集団自決」で、旧日本軍の命令を否定する元軍人らが、軍関与を指摘した大江健三郎氏の著書『沖縄ノート』などで名誉を傷つけられたとし、同氏と出版元の岩波書店を相手に出版差し止めと賠償を求めた裁判の口頭弁論が九日、大阪地裁(深見敏正裁判長)であり、原告・被告双方への尋問が行われました。大江氏は「(軍の縦の構造の中で)命令はあったと考えている」と証言。原告の元隊長が『沖縄ノート』を読まずに提訴したことも明らかになりました。

(中略)

 原告で元座間味島守備隊長の梅沢裕氏(90)は、自決命令は出していないと主張。自分には「責任はない」とのべました。

 多くの住民が「自決するように」と手りゅう弾を渡されたことについては「知らない」としつつ、隊長の許可なしに手りゅう弾を渡すことはありえないと認めました。『沖縄ノート』を読んだのは「(提訴後の)去年」だと証「名誉誉を傷つけた」と訴えた本を読んでいなかったことが明らかになりました。

 原告で元渡嘉敷島守備隊長(故人)の弟、赤松秀一氏(74)は、兄に事実の確認をしたことはないと証言。人に勧められて裁判を起こしたことを明らかにしました。---

 ・・・名誉毀損だと騒いでいたが、肝心の名誉を傷つけたはずの本さえ読んでいなかった元隊長。

 さらに事実の確認もしない赤松氏。

 これでは裁判などというよりも、原告を御輿にかつぎ、都合のよい歴史を描いて、それを日本の「通説」することを目的にした「運動」にすぎない。事実の確認さえろくにしないで裁判とは、その無神経ぶりに驚かされる。「原告が高齢だから、勘弁してください」っていいわけは、まさかナシだぜ。

 そのくせ、敵対する考えの相手には「真実」だの「事実」だのを要求するんだよな。うるさいっての。

 ・・・本当にあきれた。本気で頭にきた。

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2007年11月 3日 (土)

「南京」学会の東中野会長、研究成果を「学問研究の成果に値しない」と認定される

何だか「よかったな~」っていうよりも、「何をいまさら、当たり前だろう」って感じもするのだけど。重要な判決なので、記事をアップします。ほとんど引用にすぎませんが。

---南京大虐殺本「被害者と別人」 名誉棄損認定 東京地裁
2007年11月02日22時48分

 いわゆる「南京大虐殺」の生き残りとして体験を語り続けている中国人の女性を「生き残った少女とは別人だ」と指摘した書籍「『南京虐殺』の徹底検証」をめぐる訴訟で、東京地裁(三代川三千代裁判長)は2日、書籍が女性の名誉を傷つけたと認め、著者の東中野修道・亜細亜大学教授(60)と出版社「展転社」(東京都文京区)に対し、慰謝料など計350万円を女性に支払うよう命じる判決を言い渡した。

 訴えていたのは、中国・南京市に住む夏淑琴さん(78)。8歳だった37年12月、自宅に押し入った日本兵に両親ら7人を殺され、自身も銃剣で刺されたという。

 判決などによると、事件翌年に米国人牧師が現地で撮影した16ミリフィルムがあり、解説文の中に「8歳の少女」が登場する。東中野教授はこの解説文を検証して、著書で「『8歳の少女』と夏淑琴は別人で、事実を語っていない」という趣旨の指摘をした。

 三代川裁判長は、解説文中の「銃剣で突かれた」という意味の英語を東中野教授が「銃剣で突き殺された」と訳したために別人と誤って解釈したと認定。「通常の研究者であれば矛盾を認識するはずで、原資料の解釈はおよそ妥当ではなく学問研究の成果に値しない」とし、教授の指摘は「真実であるとする理由がない」と判断した。

 展転社によると同書は約8000部発行。別の出版社が英語版、中国語版も発行しているため、判決は東中野教授に、さらに翻訳版の分として50万円の支払いを命じた----

 つまり、東中野修道氏は、通常の研究者ではないとも認定されたのかな? 大学教授の名が泣くぜ。

 ちなみに、東中野氏は

---東中野教授は「非常に心外だ。控訴する方針だ」とのコメントを出した---

 だそうだ。ああ、もう、うんざり。

 なお、上記記事のこの部分についてだが↓

---判決などによると、事件翌年に米国人牧師が現地で撮影した16ミリフィルムがあり、解説文の中に「8歳の少女」が登場する。東中野教授はこの解説文を検証して、著書で「『8歳の少女』と夏淑琴は別人で、事実を語っていない」という趣旨の指摘をした。

 三代川裁判長は、解説文中の「銃剣で突かれた」という意味の英語を東中野教授が「銃剣で突き殺された」と訳したために別人と誤って解釈したと認定---

 東中野氏が夏さんを「8歳の少女」とは別人にしてしまったことが、いかにおかしいかということが、『南京大虐殺改竄派の敗北』(本田勝一/渡部春己/星徹、教育史料出版会2003)の160ページ~165ページで具体的に解説されているので、興味のある人はどうぞ。

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2007年10月22日 (月)

南京事件70周年シンポプレ企画行ってきたじょ

昨日、下記シンポにいってきましたよ。あ、日曜日の方の南京事件の方のシンポジウムね。休みの日にお茶の水なんて・・・仕事してるみたいな気分になったけど。仕方ない。日本の戦争責任を考えるためであると、しかと心得よ(意味不明)。

http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20071016/p1

僕としては、いちばん興味を持ったのは、三番目の能川さんと山北さんの発言である。

能川さんは、南京事件の否定論において、コアな否定論者、積極的な受容者と消極的な受容者(何もしないということにおいて、南京事件否定論を受容している)がいるとし、前二者と後者の間にくさびを打ち込まなければならないと述べた。

山北さんは、否定論者は、南京事件があったとする日本側史料を意図的に隠すトリックを使っていることを解説。板書をしながらのわかりやすい説明に、発言を聞きながら、なるほどなあ、と知っているはずなのに、なぜだか再び納得した気分になる。凡な僕はまたもや深くうなずくのである(笑)。

また、能川さんのレイコフを引き合いに出した問題提起??もおもしろかった。保守派は死刑など厳罰を求め、片方で人工中絶を拒絶する傾向にある。リベラル派は死刑制度に反対しながら、人工中絶を女性の権利として認める傾向がある。同じ人の生命にかかわることなのに?・・・この発言には、僕も参った。僕、後者ですよ。

ほかにも、戦争犯罪においては被害者に冷淡で、なのに国内において被害者の心情(だったか何だったか?)を考えろ(尊重しろってことだったか?)・・・とにかく被害者が云々といって、死刑にすべきだと主張することの矛盾を指摘した能川さんの発言にもそうだよなあ・・・と納得して帰ってきたおさかなでした。

あのシンポの中では、いちばん能川さんと山北さんの発言(発表)が興味深く、考えさせられましたです。

参加者は70人~80人くらいかな。若い人も結構来てた。けっこう・・・っていっても、20代~30代前半が10人くらい? 真ん中くらいの席に座って後ろは見ていないのでわかんないけど。 え? 僕? 僕は30代前半ですよ、ほっほっほ(意味不明の笑い)。

僕も質疑応答で発言したかったけど、発言せず。若い人にできるだけ発言してもらおうとおもったら中高年が発言するする(笑)。困ったなあ。・・・いや、若い人も3~4人発言してましたけどね、ちゃんと。

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2007年10月12日 (金)

教科書検定問題/沖縄タイムスに林博史教授の意見掲載

おさかなが入っているメーリングリストに以下の文章が流れてきました・・・。林博史教授のコメント。教科書検定の実態なども一部紹介されており、いかにひどい検定のやりかたがされているか、あらためて考えさせられると思ったので、ご参考までに。

************************************

各位

「沖縄タイムス」に私の意見を掲載しました。タイムスのウェブサイトには掲載されませんので、ご参考までに。
なお文字化けしている場合は、私のウェブサイトで読むことができます。(転送歓迎)

林 博史Hayashi Hirofumi
研究室  hirofumi@k...
URL  http://www32.ocn.ne.jp/~modernh

『沖縄タイムス』2007年10月6日7日

教科書検定への異議
文科省の意見撤回を      

林博史

 日本軍の強制を削除させた教科書検定に対する沖縄県民の怒りの前に政府はようやく対応せざるをえなくなってきた。そのなかで浮上してきたのが、検定そのものは認めたうえで、教科書会社から記述の訂正があった場合には「真摯に対応する」として、元の記述の表現を若干変えれば、事実上、同趣旨の記述の復活を認めるという方法である。この方法では、日本軍の強制性を否定した検定意見はそのまま無傷で残り、将来にわたって禍根を残すであろう。

 文部科学省が教科書執筆者たちを呼び出して、検定意見を通知した方法を見ると、検定意見が執筆者に説明され、それに対して執筆者で対応を協議し、どのように修正するかを決めて回答する。この手続きを日本史教科書であれば古代から現在まですべてを2時間で終えなければならない。つまり持ち帰って資料や研究に再度あたることが許されず、その場で対応を決定しなければならない。

 複数の教科書執筆者の話によると、この席で文科省の調査官は、「最新の成果といっていい林博史先生の『沖縄戦と民衆』を見ても、軍の命令があったというような記述はない」などを私の著書を例に挙げて、日本軍の強制を削除させる根拠にしたという。執筆者たちは結局、その場で検定意見を受け入れざるを得なかった。そこであくまで拒否すれば検定不合格となり、教科書作成のそれまでの努力がふいになるからである。ある執筆者は帰宅後、私のその著書を取り出してみたところ、「いずれも日本軍の強制と誘導が大きな役割を果たしており」「日本軍の存在が決定的な役割を果たしている」という結論であることを確認し、「無念」の思いにとらわれたと語っている。

 私は著書の中で1つの章を「集団自決」にあて、その中で「日本軍や戦争体制によって強制された死であり、日本軍によって殺されたと言っても妥当であると考える」との認識を示したうえで各地域の分析をおこない、渡嘉敷島のケースでは「軍が手榴弾を事前に与え、「自決」を命じていたこと」を指摘している。座間味島のケースでも日本兵があらかじめ島民にいざという場合には自決するように言って手榴弾を配布した証言を紹介している。「集団自決」がなされるにあたって「軍からの明示の自決命令はなかったが」というように、同書執筆時点(刊行は2001年12月であり、執筆は前年からおこなった)で確認できた証言などから、いま自決せよというような命令は出されていなかったと思われたのでそうした認識は示している。その箇所だけが文科省に利用されてしまった。しかし、綿井の著書では、あらかじめ自決するように手榴弾が配布されていたことや、捕虜になることは恥だと教育されていたこと、米軍に捕まるとひどい目にあわされて殺されると叩き込まれていたこと、住民が「自決」を決意したきっかけが「軍命令」であったことなども指摘し、さらに日本軍がいなかった島々では米軍が上陸しても「集団自決」がおきていないことを検証し、結論として先に引用した部分のほかに「「集団自決」は文字どおりの「自決」ではなく、日本軍による強制と誘導によるものであることは、「集団自決」が起こらなかったところと比較したとき、いっそう明確になる」と断言しているのである。

 渡嘉敷島や座間味島については、この間、新しい証言が次々に出てきており、この著書の記述を書き改めなければならないと痛感しているが、しかし日本軍の強制と誘導が「集団自決」を引き起こしたことは、それまでに明らかにされていた証言などからも明白であり、私の著書のみならず沖縄戦に関するすべての研究が同じ結論に達していたものだった。最近、新しい証言が出てきたから、それを理由にして教科書会社からの正誤訂正を認めると話が出ているようだが、そうしたやり方は、これまで長年、沖縄の人々の努力によって積み重ねられてきた沖縄戦の調査と研究をまったく否定するもので、決して認めることはできない。

 教科書調査官が執筆者たちに言い渡した検定意見は、明らかに虚偽に基づいて執筆者を欺いたとしか言いようがない。資料も文献もない文科省の一室にいた執筆者たちは調査官の意見に反論する材料も機会も与えられないまま、その検定意見を認めて書き換えるしかなかった。執筆者たちが検定意見を持ち帰って、私の著書を確認すれば、調査官が根拠にしている研究では「日本軍の強制と誘導」によると結論付けているではないか、そうであれば、日本軍によって「集団自決」を強いられた、あるいは「集団自決」に追い込まれたという記述は、この研究成果を正しく反映した記述ではないか、という反論を行うことができただろう。しかしその機会は与えられなかった。こんなやり方は詐欺と非難されても仕方がないのではないか。
 文科省は、日本軍の強制を否定するような研究がまったくないので、仕方なく、全体の文脈からは切り離して私の著書から一文だけを抜き出して、結論とは正反対の主張の根拠に使ったのである。現在の検定意見言い渡しの方法が、そうした詐欺的手法を可能にしたのであり、検定制度そのものの見直しも必要である。

 文科省はこうした手法で執筆者たちを騙し、検定意見を押し付けたのである。このようなやり方のどこが合法的なのだろうか。これが教育に責任を負う官庁がおこなうことなのだろうか。こうした詐欺のような手法で押し付けられた検定意見をそのままにして正誤訂正でごまかそうとすることはけっして認めるわけにはいかない。文科省は、著作を歪曲し間違った検定をおこなったことを認め、検定意見をただちに撤回すべきである。

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2007年10月10日 (水)

731部隊の国際シンポ記録がブックレットに

大阪でことし4月8日におこなわれた731部隊問題を考える国際シンポの記録(要約)である、『戦争と医の倫理』が「かもがわブックレット」として出版されました。2007年10月10日発行。…今日じゃん。

僕も先日三人のシンポジストの発言を紹介するなどしたが、

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/04/post_8e8d.html

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/04/post_7659.html

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/04/post_ab12.html

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/04/post_572d.html

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/04/post_830e.html

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/04/post_a67e.html

僕の拙い説明よりも役立つ(?)かもしれないので、どうぞお気に召せば買ってくださいまし。

…僕は別に、かもがわ出版の人ではございませんが。

一冊600円、63ページ。

よろしくです。

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2007年10月 4日 (木)

希望への道は、待つものではなく切り開くもの

今日は、思ったことそのままの、気ままなエントリです。

 「大東亜戦争」末期、沖縄戦において、集団強制死が多発しました。ところが、それが軍による強制だった事実を教科書から消そうとする文科省の検定に対して抗議する沖縄の県民の集会が宜野湾市で9月29日にありました。主催者発表では11万人といわれています。僕も取材でいかないかといわれていましたが、あいにくほかに出張(取材)があり、行けませんでした。あ~、いってみたかったな。う~ん。くやしい。バス会社が協力して、「バスの運賃を片道無料にした」なんて報道もあって、県民の思い、意気込みを感じるっす。いったら感動的だったろうな。あ~、やっぱりいきたかったぞ。

はてさて。そんな僕が面白いなと思ったのは、集会で政府が動くんだなってことです。

もっとも、参議院選挙の自民党大敗の影響もあるのかもしれませんが、後期高齢者医療制度のことでも見直しとか凍結とかいいはじめていますよね。今回の検定で見直し(?)の動きがあるのを見ても、いまの自民党の政治がだいぶ動揺し、国民の世論を一定怖れ、警戒しているのは間違いないみたいです。

政治を変えるというと、よく選挙しか思いつかない人がいますが、選挙だけではないのですよね。巷での宣伝、集会、世論、または世論に訴える行動の一つ一つが政治を変えるための手段なのだということをあらためて実感しましたです、はい。国会や地方議会への請願、省庁や県庁・市町村への請願なども方法としてはあります。シンポジウムや学習会、労働組合活動などもありますが。

歴史のねつ造を許さない、または人権を守らなければならない(これでは生きていけないという反発という方が正確でしょうか?)という世論を前に、政府が動揺しているんだなというのをはっきり実感したのは、今回が初めてです。僕的にはね。

あ! ホワイトカラーエグゼンプションを政府が昨年ひっこめたのは、あれも動揺っていえば動揺なのかな。ははは(苦笑い)

何にせよ、国民の世論が国を変えることができるんだってことをちょっと垣間見た感じがします。楽観視はしていませんけどね。

一人ひとりの力は小さい。でも、無力ではないんだってことを久々に実感しました。

集会を成功させた開催・運営者、参加者の方々に感謝するとともに、僕も気持ちをあらたにできることをしていきたいな、と思います。

絶望するのでなく、自分という人間にもわずかでも力があると信じるならば、仲間をつくり、手をとりあうことで明日への希望を築く、切り開くことができる。そう信じましょう。

あきらめない限り、希望はある。希望がかすかで消えそうに見えるならば、自ら希望へとつながる道を切り開こうではないですか!(演説調)

ま、そういうわけで、今日も気ままにがんばろうです(素に戻る)。

悲観せず、楽観しすぎず、気持ちをたしかに前を向いて生きよう。

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2007年9月25日 (火)

歴史認識/「『なかったことだ』なんて嘘は通じない」と日野原氏

全国革新懇ニュースというのがある。2007年9月10日号がたまたま目にとまった。目にとまっていたのにちっともブログにアップしなかったので、紹介します。

9月10日号では、聖路加国際病院の理事長、日野原重明さんがインタビューに応え、発言している。一部抜粋。  

 ――過去の戦争について「正しかった」という人がいます。

 日本は日中戦争という誤った戦争に踏み出し、近隣諸国に大きな惨禍をもたらしました。中国で人体実験をおこなった731部隊の石井四郎中将は京都大学の先輩です。私が医学部4年生のとき人体実験の16ミリ映画をみせられました。捕虜を檻の中に入れてチフスやコレラ菌その他の各種の病原菌を感染させて何日目に熱が出るか、何日目に発疹が出るか、何日目に死ぬかというものです。また、南京で日本兵が銃剣で妊婦のおなかを突き刺す場面も見ました。見た学生はみんなぞっとして、脳貧血を起こして倒れるんです。

 僕らはそういう事実を知っているから、「あれはもう過去のことで、なかったことだ」なんて嘘は通じない。(後略)

 人体実験の映画を見せられたということでは、ことし四月に行われた国際シンポ「戦争と医の倫理」で、

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/04/post_8e8d.html

莇昭三医師(15年戦争と日本の医学医療研究会幹事長)が、石井四郎軍医小将が1941年4月21日に「大陸に於ける防疫について」と題し、金沢医科大学で講演し、映画上映をおこなったことを明らかにしている(僕のブログでは紹介していません・・・すみません)。映写内容は不明だが、出席者の名簿が現在も残っており、「朝鮮」「台湾」「支邦」の留学生10数人は出席を禁じられたと莇氏は述べた。このことからも、京都大学のみで人体実験の上映をやったのではなく、他の大学でもこのような映画上映をした可能性は高いように思う。

それにしても・・・本当に妊婦のお腹を刺した映画なんて上映したのか? そういう映画をみたという証言があるということで記憶にとどめておこう。

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2007年9月22日 (土)

中国で日本女子サッカーの横断幕の「謝謝」が論争に?

なでしこJAPANが掲げた横断幕の「謝謝」が中国で論争になっているようだ。下記に引用した記事(一部)参照。

いずれにしても、歴史問題できちんと日本政府が落とし前をつけること。日本国民も自ら歴史を振り返り、総括し、日本に過去の戦争の認識を問いただすこと。これがないと、こんなところにも波及するのだな、と思いました・・・。

中国にもナショナリズムが台頭し始めているみたいだし、中国の反発をすべて鵜呑みにして低身低頭がよい・・・などとは思わないが。中国人をたしなめる前に、日本人は自らを問い直さなければならないんじゃないかな。

何はともかく・・・「感動した」という中国の人もいるんだ。そういう人がいることに、僕もちょっと感動しました。

*******************

---なでしこ「謝謝」横断幕に中国で賛否激論
9月22日8時2分配信 スポーツ報知

 日本の女子サッカー代表チーム「なでしこJAPAN」が、17日に杭州(中国)で行われた女子W杯1次リーグA組ドイツ戦で、観客からブーイングを受けたにもかかわらず、試合後に「謝謝」(ありがとう)と中国への感謝を表した横断幕を掲げたことが、中国内で論争に発展している。「勇気に感動した。見習うべきだ」と称賛する声と「過去の侵略を認めない日本の宣伝活動に感動するなど中国の恥だ」と反発する声がメディアも巻き込んで交錯。08年の北京五輪に向け、中国では観客のマナー向上が課題となっており、今後も騒動は広がりそうだ。

 日本チームが横断幕を掲げたのは、17日に杭州で行われた女子W杯のドイツ戦。ドイツ・サポーターを装った圧倒的多数の中国人観客からブーイングを浴びる中、0-2で敗れたが、選手は試合後に観客席前で整列。「ARIGATO 謝謝 CHINA」と書かれた横断幕を広げ、深々とおじぎした。

 翌18日、四川省の成都商報(電子版)が写真付きで伝えると、話題は全国に飛び火し、主要サイトには「最大の敗者は日本選手ではなく(マナーの悪い)観客だ」(中国網)と反省を促す書き込みが。しかし「日本に手心を加えるな」「ブーイングは当然」との反論も相次ぎ、一部ではネット上でののしり合いも起きているという。

 こうした中で20日付の週刊紙「国際先駆導報」は、日中の歴史問題の重要性を認めつつも「中国には未来志向で健康的な大国意識が必要」と強調。歴史問題をスポーツに絡める態度をやんわりといさめた。---

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2007年9月 7日 (金)

歴史問題・・・国民もひどく、鈍感?

『前衛』2007年8月号と9月号で、関東学院大学・林博史教授のインタビュー記事が載っている。「いつまで史実を否定し被害者をふみにじるのか」と題され、8月号は(上)、9月号は(下)になっており、それぞれ「慰安婦」問題、沖縄の「集団自決」に対する軍の強制の存在を教科書から削除した文部省の検定の問題がわかりやすく載っている。

まあ、くわしくは(興味があれば)読んでもらうとして、僕は次の箇所にちょっと衝撃を受けた。正確には、ごく当たり前の課題を、あらためて突きつけられた感じというのだろうか?

---私はこうした政府や自民党などの暴論がくり返されることに対して、それへの批判が日本の国内できわめて乏しいことについて率直に危惧の念をもっています。とくにメディアが権力におもねり、世界の人権水準や国際的な市民の努力を日本国民に知らせないような姿勢は大変大きな問題です。沖縄では、すべての市町村議会や県議会も、このようなひどい検定意見撤回と記述の回復を求める意見書を採択し、戦争への反省と良識が健在であることを示しています。しかし文科省・日本政府は検定意見の訂正を拒否していますし、文科省の姿勢を批判する声は、本土ではあまりにも少なすぎます。

 「慰安婦」問題にしても沖縄戦の問題にしても、本土の政治家・メディア・国民のひどさと鈍感さには、目を覆いたくなるものがあります。こうした状況を日本内外の市民が協力して打ち破りたい、そう考えています。(『前衛』9月号38ページ)---

 まあ、政治家とメディアはそのとおりだけど、国民も「ひどく」「鈍感」なのね。たしかにそう思うけど。「ひどく」「鈍感」でないような日本の国民を広げるにはどうしたらいいのでせう。

 すぐに答えは出ませんけど、まあ、目に留まったので、一応メモ書きってことで。

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2007年9月 6日 (木)

「歴史修正主義に反対します」加入

リング「歴史修正主義に反対します」に加入しました。

別に歴史問題で造詣が深いわけでもない僕ですが、一応、意思表示のためにと思って・・・。

http://d.hatena.ne.jp/D_Amon/20070905/p1

管理人さん(D_Amonさん)、よろです。リング作成ありがとう!

・・・歴史の改ざんは許せないという気持ちがほんのちょっとでもある人は、ぜひ加入するです。

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2007年9月 2日 (日)

8月は11冊

8月に読んだ本。昨年7月から読み始めた本は105冊に。まあ、ブックレットや薄い本も入っているから、実際には9冊分ぐらいの労力かなあ。また、厳密には戦争と関係あるというのは無理のある本を除くと、戦争関連は99冊になりますです。

「自虐史観」の病理、アメリカ弱者革命、戦後責任論に関しては印象に残ったことがあるのだけど・・・まあ、余裕ができたら(気が向いたら)エントリ書きます。とりあえず、読んだ本リストを下記に記します。

○BC級戦犯裁判 林博史 岩波新書2005  8月1日読了
□生き延びるための思想  上野千鶴子 岩波書店2006  8月4日読了
●「自虐史観」の病理 藤岡信勝 文春文庫 2000 8月6日読了
○朝鮮人戦時労働動員  山田 昭次、古庄 正、 樋口 雄一 岩波書店 2005 8月9日読了
○アメリカ弱者革命 堤未果 海鳴社2006  8月10日読了
○アジア・太平洋戦争 吉田裕・森茂樹 吉川弘文館2007  8月13日読了
○武力で平和はつくれない2007 市民意見広告運動     8月16日読了
○ちょっと待った集団的自衛権って? 川村俊夫 学習の友社2007 8月17日読了
○「三光作戦」とは何だったか 姫田光義 岩波ブックレット1995 8月18日読了
○ラムゼークラークの湾岸戦争 ラムゼークラーク 地湧社1994      8月25日読了
○戦後責任論  高橋哲哉 講談社学術文庫   8月31日読了

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2007年8月 7日 (火)

李容洙(イ・ヨンス)さんの証言の検討③-シチュエーションの「変化」について

李容洙さんの証言の検討、その③。下記に参考資料を再掲。あらたに否定派の参考資料としてCを追加した。
***********************
A 「博士の独り言」
http://specialnotes.blog77.fc2.com/blog-entry-439.html

B 「従軍慰安婦問題を考える」
http://sikoken.blog.shinobi.jp/Entry/10/

C 「地球が壊れるくらいに・・・」

http://www010.upp.so-net.ne.jp/japancia/iyonsu/iyonsu.html

①写真記録 破られた沈黙 -アジアの「従軍慰安婦」たち 伊藤孝司 風媒社1993
②証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち(韓国挺身隊問題対策協議会・挺身隊研究会編/従軍慰安婦問題ウリヨソンネットワーク訳、明石書店1993)
③同志社大学での証言(ホームページ。2005)http://www1.doshisha.ac.jp/~kasano/FEATURES/2005/leeyongsoo.htm
 
④李容洙さん証言録(旧日本軍性奴隷問題の解決を求める全国同時企画・京都実行委、2005)
⑤「私の名前は李容洙です」(DVD、東京外国語大学にて2006年10月10日収録、信川美津子?)

⑥僕自身も証言集会に行った(ブログ上にUP。現在も作業中。2007)http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/06/post_e07b.html

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/06/post_52ba.html

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/06/post_f720.html

⑦フランスのル・モンド紙の記事についてのレポート(ブログ。2007)
http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2007/03/for_the_record_c93e.html

***********************

さて今回は、李さんの証言のなかで、シチュエーションの違いを指摘する意見について検討する。具体的には、彼女の家に女性(女の子、友だち)がやってきて、駅の近くまで連れて行かれたときことをまず考えたい。否定派は、もっともこの点をクローズアップしているように思ったので。

この家から連れて行かれたときの証言について、上記Cは、僕の参考資料でいう②と③を比較してつぎのようにいう。

------イ・ヨンスを呼びに来たのは友達のキムプンスンと言っています。これは後に「軍人と、軍人に首のほうになにかをつきつけられている女性」に変化します。また、日本人の男=慰安所の経営者の服装も国民服です。「軍人」「銃剣をつきつけられた」に今は証言が変わっています。ワンピースと皮靴をもらって嬉しかったと、自分の意思で慰安所の経営者についていく事を決心したと述べていますね。軍人による強制連行など全くのウソです------

友達が女性に変わったという「変化」は、前々回の検討で変わったのではない事を明らかにした。

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/06/post_71f5.html

さらに指摘しておくと、「銃剣」をつきつけられたなどとは、③(同志社大学での証言)は一言もいっていない。

同時に、「日本人の男=慰安所の経営者の服装も国民服」なのに、③では「軍人」と変わっている、だからウソだというのは、論理の飛躍がある。たしかに李さんがその男に、日本軍人だと確認したわけではないかもしれない。しかし通常、軍服みたいな服を着ていれば、それを軍人と呼ぶ。今日、警察官の格好をした人に、わざわざ「警察官ですか?」と聞かないのと同じである。①を見ると、李さんを連れて行った男=経営者は「軍服みたいな服を着た男」(72ページ)となっている。これらの証言を総合してみれば、国民服とは一般的な服装ではない、制服のような服装であり、それはつまり軍人のような格好だったということだろう。

それでも、主に、二つの疑問が残るように思う。

第一に、Cがいうように、ワンピースと皮靴をもらって「嬉しかった」という感情の表現が、③などでは消えている点だ。この点を考える上で参考になる証言がある。実際に僕が聞き取りに行った証言集会(上記⑥)での証言を文章化し、zamesmakiさんに校正していただく際、再度僕も録音した証言を聞きなおした。すると、風呂敷を「もらって、笑って、見たら…」と証言していた。zamesmakiさんに校正していただいたものは、下記参照。

---風呂敷を持たされた、その中には靴と着物があった。私はそれを笑って見た---

http://zeimusmaki.iza.ne.jp/blog/entry/214528/

 なぜ笑うのか。それは、一瞬新しい物をもらってうれしかった、または一瞬でも新しい物をもらって釣られて笑顔を浮かべたということに他ならない。このときの感情、つまり嬉しかった(または物に釣られて笑顔を浮かべた)という側面を強調するのか、またはわけもわからないまま強制的に連れて行かれたという側面を強調するのかで、証言の語り方が変わっていると僕は判断する。しかし、風呂敷につつまれた靴やワンピースをもらって嬉しかった、または一時的にでも服や靴に釣られて笑った瞬間があるというのは、いまも変わらず、李容洙さんの胸の中にはあるのだ。僕は、ここは押さえるべきポイントだと感じる。

第二に、それでも多くの人にとって疑問が残るのは、女の子が一人で自分の家に来たのか、それとも軍人(または軍人のような格好をした人)もやってきたのかという点だろう。たしかに上記の証言だけでは、軍人はいなかったのに、後に付け加わったかのように見える。

 この違いをどう考えるのか。Cや否定派は、この「違い」を槍玉に挙げるのだが、それならばCは、もっと重大な「違い」に気付かなければならない。それは大連から台湾へ向かう途中、船上で「強姦された」「レイプされた」という証言も、消えたり復活したりしているということだ。少なくとも、強姦されたことが、婉曲的な言い方になったりするのだ。

 軍人もいっしょに家にやってきたと話すときは、必ず船上での強姦(レイプ)のエピソードは出てこない(または婉曲的な言い方になる)。軍人の話が出てこないときは、強姦(レイプ)の話が出てくる(直接的な言い方になる)。この奇妙な証言の法則を、どう説明するのか? 否定派は「コロコロ変わるんだから、全部ウソなんだ」といいたいのだろうが、僕は“証言は本当に受け入れてくれる人の前でしか真実を語らない”という主張を対置する。

 本当に受け入れてくれる聞き手の前でしか、被害者は真実を語らない。おびえたり、萎縮したり、強がったりする。「自分は悪くないのだ」といいたいために、自分が一瞬でも風呂敷の中身に釣られたことを弱めたり、隠したりする。同時に、自分が連れて行かれた際の強制性を強調する。これが真相ではないだろうか。

 社会学者・上野千鶴子氏は、『ナショナリズムとジェンダー』(青土社1998)の中で、慰安婦問題にふれて、「弱者の語りは、聞き手が語りを共有してくれるという安心感や信頼感のないところでは決して語られることがない」(178ページ)と述べている。

 なお、『ナショナリズムと「慰安婦」問題』(大月書店1998、新装版2003)の中で、歴史学者・吉見義明氏は、「一九四二年にビルマにいった文玉珠さんを例にとると、多くの場合、彼女は、強制的に連行されたと述べているが、韓国挺身隊問題対策協議会・挺身隊研究会による時間をかけた丁寧なヒアリングでは、『私はもうだめにされた体だと思っていたので、どうせのことならお金でもたくさん稼ごうと思って、すぐ承知しました』と語っている(だからといって、文さんのビルマでの生活に軍は責任がないということではない。彼女はビルマでは、あまりのつらさに自殺しようとして身投げをしている)」(新装版では133ページ)と述べている。

 もう一つ付け加えるならば、scopedogさんのブログ『誰かの妄想』で、某氏は次のようにコメントした。

-----イ・ヨンスはすごいな。米国下院での証言は1993当時の慰安所の経営者によるやりとりの証言に逆戻りしているんだよな。

2005年同志社以降は軍人による強制連行って事に意図的に証言を変えて、偽証罪で糾弾される可能性のある議会での証言は本来の証言に戻すっていう。

つまり、婆さんの証言っていうのはくまでパフォーマンスに過ぎず、時と場合によって証言を変えているって訳だ。まさにプロ証言者。

取り巻きの蛆虫は頭が良いな。つーかそれが商売だからな。

NET@UYOKU 2007-06-29 03:22:10------

http://ameblo.jp/scopedog/entry-10038157458.html#cbox

 このコメントは、オウンゴールを決めている。米議会での証言は、船上での強姦も証言しているからだ(In this way I was raped.)。

http://www.internationalrelations.house.gov/110/lee021507.htm

米議会での証言は、家に友人が来たときは軍人はいっしょにいたかどうか証言しないかわり、船上での強姦(レイプ)は登場する。ネット@(略)氏の主張に従えば、偽証罪に問われる可能性のある米議会の方が信憑性が高い。その信憑性のたかい場所では、船上で強姦されたことを証言している。つまり、日本軍人がレイプしたという証言は、信憑性が高い。日本軍は、強姦をするような軍人がいた軍隊だったという主張は、信憑性が高い…ということになる。①は、「航海中に何度も犯されたのです」(73ページ)と述べている。

 それはさておき。僕は日本国を非難し、彼女の主張を受け入れようと言う点では、米議会も②の聞き取りをおこなった韓国挺身隊問題対策協議会・挺身隊研究会などと共通する姿勢があったと思う。だからこそ、本来いちばん語りたくないはずの、強姦されたという体験を証言するのだ。②でも、「軍人に引きずり込まれて強姦されました」(136ページ)と李さんは、船上での体験を証言している。

 しかし②の聞き取りの後、日本の政治家、否定派は、どんな言葉を彼女たちに浴びせてきただろうか? 少なくない人が、日本には責任はない、嘘をつくな、金儲けが目当てだろう、お前たちは売春婦だという趣旨の言葉を投げかけてきたのではないか。このような言葉の暴力の前で、李さんも予防線を張っているのではないか。そもそも、証言集会のような公開の場であれば、李さんを快く思わない人が聴衆にいる可能性はゼロではない。否定派(または影響を受けた人)がいる可能性もゼロではない。だから船上での強姦(レイプ)されたという言葉は、今日、日本の証言集会ではなかなか語られないのではないか。

 僕は連行時、李さんの家に友達が来たとき、軍人(のような格好をした人)がそばにいたのかどうかは、わからない。ただ、目の前で証言を聞く人が、自分の話を受け入れてくれる人なのかどうか。より正確に言えば、きちんと話を聞いてくれる保障があるのかどうかで李さんの証言の強調点が変わっている。これははっきりしている。

 また、証言の検討その2

 http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/06/post_c650.html

 で見たように、常に彼女の身に起きたエピソードは一定している。そのエピソードをトータルで見ると、連行時~終戦までは一年未満であり、連行時~家に戻ったのも、満で数えて二年に満たないという点も一定している。

 結局、変わっているように見える大きなものは、連行時に軍人がそばにいた(そして友達に李さんを呼ぶように強制した)のかどうか、また、船上で強姦されたことを証言したりしなかったりするという、この二点だろう。しかしそれも、繰り返しになるが、「きちんと話を聞いてくれる保障があるのかどうかで李さんの証言の強調点が変わっている」というのが真相の大きな部分だと感じる。

 最後に、僕が証言集会(⑥)で李さんに投げかけた質問。僕は、李さんにこんな質問をした。「証言が変わるじゃないか、証言はウソだという意見についてどう思うか」と。李さんは「証言をする場合、証言の時間が決められている。米で証言したときもそうだ。決められた時間の中で証言を最初からしなければならないのだから、飛ぶ部分があるのは当たり前だ。それを証言が違うというのはおかしい」と答えた。一応、この彼女の発言も、彼女の証言を見る際に、念頭においておきたいと思う。

【8月8日、重複部分などを中心に一部校正】

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2007年8月 5日 (日)

7月は8冊

おさかなです。7月はずいぶん仕事がたいへんで、ブログの更新もおろそかになっておりました・・・。元「慰安婦」イ・ヨンスさんの証言の検討もやらなきゃだし(頭の中にエントリの構想はぼんやりとあるのだけど)。最近は、「自分の国がそんなに嫌いですか?」(『自虐史観の病理』藤岡信勝、文春文庫2000の本の帯)という類の議論にどう応答するか考えたいなあという気もしています。

さて、そんな僕の読書、7月の到達は8冊でした。

●『歴史教科書への疑問』日本の前途と歴史教科を考える若手議員の会、展転社1997

●『よくわかる慰安婦問題』西岡力、草思社2007

 感想は、下記URL。

 http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/07/post_c591.html

 http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/07/post_a6b6.html

○『ドイツは過去とどう向き合ってきたか』熊谷徹、高文研2007

○『写真で伝える東京大空襲の傷あと・生き証人』鈴木健士、高文研2007

○『戦争責任論』荒井信一、岩波現代文庫2005

※95年に出版されたものの文庫版

●『慰安婦と戦場の性』秦郁彦、新潮選書1999

○『中国人強制連行』杉原達、岩波新書2002

○『餓死した英霊たち』藤原彰、青木書店2001

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2007年7月21日 (土)

『よくわかる慰安婦問題』感想その②

『よくわかる慰安婦問題』(西岡力、草思社2007)の感想その②。

その①は下記URL参照。

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/07/post_c591.html

さて。その①で紹介した以外に、僕が印象に残ったのは次の箇所だ。河野談話の作成に至る経緯を説明して論評しているのだが、政府の動向を自分の頭のなかでこねくりまわしすぎて、K点越え大ジャンプをしたような、論理の大飛躍を起こしている。

---それでいかにも秀才官らしい名案が出てきたのである。それはなんと「強制」という言葉の定義を広げようというものだった。これが、いわゆる「広義の強制」の誕生だった。

 本人がいやなものをやらせれば、それは「強制である。ふつうは強制連行という場合、権力による強制を考える。誰が連行したのかは客観的な事実だ。

 しかし、河野談話の強制は本人の主観を問題とする。いやでしたかと聞いたとき、本人の主観で、いやだったと答えれば、それは強制されたことになるというものだ。

 この定義でいくと、たとえば、会社員なら会社員が朝起きるのがいやかもしれない。母親なり女房なりが無理に起こせば、それは強制ということになる、これと同じ理屈なのである---107ページ)

 やれやれ。論理の大飛躍達成である。

 第一に、自宅からの出勤と、住んでいる家から離れて遠く国外に離れる(連れて行かれる)ことの多かった「慰安婦」をいっしょにするのは、K点越え大ジャンプである。
 第二に、一般の労働と、性「労働」をいっしょにするのは、K点越え大ジャンプである。労働内容を聞いていない場合や、契約と違う仕事をさせられた場合でも、一般労働と性「労働」をさせられるのには、格段の差がある。
 第三に、自宅に帰れる一般の労働者と、文字通り46時中監視され、外出もほとんど自由にできなかった人々をいっしょにするのも、K点越え。
 第四に、性病を移されたり、暴力を受けたり、心身を害され、一生残る障害を背負わされた、結婚も満足にできなかった、戦後も罪もないのにさげすまれた、そういう「勤務地」と生活環境におかれた人々と、一般労働者をいっしょにするのも、K点越えだ。

 最後に申し添えると、安倍晋三氏、中川昭一氏などを持ち上げる、その市民感覚もよくわからない。恥ずかしくないのだろうか。

---政界でも、中川昭一、安倍晋三など当時の良識派若手自民党議員が「日本の前途と歴史教科書を考える若手議員の会」を結成して、真剣に問題と取り組みだす---(4ページ)

---安倍晋三が政権を獲って、日本をいよいよ正常化しようとしていることに対して・・・---(5ページ)

 安倍首相が日本を正常化? 何をおっしゃいますやら。

 上記は、「慰安婦」問題をめぐり、「論争に負けた国内の反日勢力が外と結んで、逆噴射を仕掛けようとしている」(5ページ)状態を「正常化」するという文脈で上記のようにいっているのだが(っていうか「逆噴射」って何? 日本語の美しい用法ではない)、歴史認識以外も問題でもずいぶんと安倍首相は問題あるからね。首相が慰安婦問題に反論した云々、と本著でふれているところを見ると、著者は「ナントカ還元水」などの問題が噴出したころにはまだ原稿執筆中のはずである。つまり安倍氏が松岡氏をかばいつづけたのは著者も見ているはずだ。やたら持ち上げるのは、もう少し控えたほうがよかったね。

さらに。

---彼らがこの一五年間、いかにひどいウソをつき続けてきたかを、事実にもとづききちんと国際社会に訴える、それをすれば私たちは絶対勝てる。なぜなら、彼らはウソつきだからである---(212ページ)

 何だかわからんが、すんごい自信だ・・・。

 前回のエントリでもいったが、西岡氏は事実という言葉を介した詐術をおこなっている。本来事実にもとづくというのなら、元「慰安婦」のおかれた現実にこそ依拠すべきで、これを事実というべきである。西岡氏は言う主張はすり替えが多く、彼の主張は国際的孤立への道である。

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2007年7月19日 (木)

『よくわかる慰安婦問題』感想その①

おさかなです。

『よくわかる慰安婦問題』(西岡力、草思社2007)を読んだ。米下院が決議を外交委員会で採択したという絶好のタイミングで出た本著は、発行日は2007年6月28日です。でも僕が買ったのは27日…。まあ、いいや。

ちょっと忙しくてなかなか更新できなかった本ブログだが、久しぶりに更新しやす。

さて、この『よくわかる』だが、二回ほどにわけて感想を述べます。

以下、感想です。

****************************

「よくわかる」というタイトルだが「よくわかる」のは否定派の言説にすぎない。

本書では「事実」を強調し、「事実」に基づいた外交を日本がおこなうことを求める。しかしその「事実」とはつまり、「吉田のウソの証言」が「米国議会決議にまでつながった」という彼らなりの主張を、いろんな人の主張や動向、記事などを論評して裏付けたかのように見せることで、「事実」を明らかにしたように述べているにすぎない。

この本を読んでもわかるのは、官憲などによる強制連行の裏付けになる史料がないというのが「事実」で、吉田清治の証言は信頼がおけないというのが「事実」だということだったりするのだが…。その他歴史学者の主張(難癖をつけただけのものも多いが)、支援者などの動向に対する論評、記事の批判、そして河野談話「批判」などが大半である。

ところで、僕が「事実」といわれて真っ先に思い浮かべるのは、
①日本軍は、「慰安」所設置・「慰安婦」確保、「慰安」所管理にどのようにかかわったのか。
②元「慰安婦」の連行された経過、「慰安」所での「労働」や生活の実態はどのようであったのか。そこに、元「慰安婦」が訴えるような人権侵害は存在したのか。
などの点である。
つまり“かつて存在した現実”こそが事実だと考える。この“かつて存在した現実”をどれだけ読者の前に浮かび上がらせることができるかということが重要だったと思うが、この点の検討が非常に弱いと感じた。

著者は証言として吉田証言を大々的に取り上げる。そしてそれはウソだったのだ、と。だから「慰安婦」問題はウソ、事実無根なのだというのだが、吉田証言は、今日依拠する日本の歴史学者は存在しない。
元「慰安婦」の証言の検証も中途半端でさわり程度。史料といえば「軍慰安所従業婦等募集に関する件」のみ。もっと幅広く史料や証言を検証する必要があったと思う。

さて、著者はあいかわらず否定派の常套手段、
①公権力による強制連行が吉田氏によって主張された。
②しかしそれはウソだった。史料の裏付けもない。
③「慰安婦」は売春婦、身売りにすぎない。
④だから「慰安婦」にかかわり、日本と日本軍が非難されることはない。
という論法を踏襲している。
公権力による強制連行でなければ、連行過程には問題ではないと考えること自体、勝手な論点設定にすぎず、“かつて存在した現実”に迫るものとしては不適切である。また、「慰安婦」問題にせまるには、連行過程のみならず、「労働」・生活実態にもふみこまねばならないだろう。「お金をもらったんだろ、問題ないぜ」「キーセン出身なんだから問題ない」などの論法も、否定派の常套手段で、本著でも踏襲されているが、「労働」・生活実態に踏み込む議論としては不十分である。

今日争われている中心点は、
①元「慰安婦」に対する人権侵害は存在したのか。
②人権侵害があったとすれば、日本と日本軍には責任はあるのか。
という点だと考えるのだが。そして、人権侵害があったのであればどんな補償するのかということも課題となるだろう。
事実、事実といいながら、“かつて存在した現実”ではなく、「公権力による強制連行を証明する史料はない」から元「慰安婦」たちやその支援者らの訴えはウソだというのが事実だというのは、「事実」という言葉を介したすり替えである。「史料はない」ことによって明らかになるのは、本来、“かつて存在した現実は、どのような現実であったのかわからない”というのが関の山である。

さて、すり替えは、「慰安婦」非難決議=この6月に米下院外交委員会で採択された決議の批判にも用いられている。
つまり、
①国連に日本の弁護士が「慰安婦」問題を「性奴隷」だとして持ち込んだ。
②そして国連が動き、クマラスワミ報告になった。クマラスワミ報告は「慰安婦」は「性奴隷制」だといった。
③このクマラスワミ報告も米議会決議の論拠となった。
④そのクマラスワミ報告は、吉田証言、挺身隊の名による強制連行説、チョン・オクスン証言などウソを元にして「慰安婦」は「性奴隷制」と述べている。
⑤だからウソが、米議会での決議にまでなったのだ。
またもや、吉田証言だけでなく、“ウソのクマラスワミ報告”に基づいているからウソだという論法である。

クマラスワミ報告に対する検討は、別の機会でおこないたい。ただ、ひとこと述べておけば、クマラスワミ報告が「慰安婦」がおかれた現状が「性奴隷制」だったと述べたことはたしかにそうだが、慰安所は「性奴隷制」だったという見地は、いまの国際社会ではクマラスワミ報告だけを前提にしてなどいない。

・・・まあ、くわしくは本をお読み下さいませ。ませませ。

****参考までに以下を追記(7/19 22:23)。内容を一つも引用しないのも芸がないので****

-----二〇〇七年に入り、米国議会下院に、「戦中、日本が朝鮮人をはじめとするアジア女性をセックススレイブ(性奴隷)として強制動員した」とする決議案が提出され、内外の物議を醸した(中略)事実無根の決議案の源流は、実は、この吉田(※おさかな注=吉田清治)の「ドレイ狩り」をしたという捏造証言だった。

 本書の大きなテーマの一つは、この吉田のウソの証言がどのようにして米国議会決議にまでつながっていったのかを明らかにすることだ-----16ページ)

-----実は、米議会下院が審議しているこの問題の慰安婦決議案は、クマラスワミ報告を大きな根拠としている。

(中略)

この日本政府への要求(1)にある「性奴隷制」という語句はクマラスワミ報告が「性格で適切な用語」として使ったsexual slaveryという語句そのままだ。

 要求(4)でいわれている〈「慰安婦」に関わる国際社会の勧告〉には当然、クマラスワミ報告が含まれるはずだ。

 このように見ていくならば、決議が〈慰安婦は「性奴隷」である〉というクマラスワミ報告書の基本的立場を継承していることがわかる。

 クマラスワミ報告が性奴隷制という語句を使って吉田清治証言、挺身隊制度での連行、北朝鮮慰安婦チョン・オクスン証言などをすべて事実として認定していた。となれば、要求(1)にある〈性奴隷制を若い女性に強要したこと〉という表現も、同じ事実認識を背景にしていると考えるべきなのだ-----(171~173ページ)

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2007年7月11日 (水)

新装版『ナショナリズムと「慰安婦」問題』感想

新装版『ナショナリズムと「慰安婦」問題』(日本の戦争責任資料センター編、青木書店20031998年発刊の新装版)を読んだ。慰安婦問題をめぐるシンポジウムでの発言と、その後の論文などが掲載されている。

本書を読んでの率直な感想は、

①上野氏が議論の台風の目になっている

②しかし上野氏の発言・論文やその他の学者らの発言・論文には学ぶべき点が多く、良書である

というものだ。

①のような感想を持ったのはなぜか? 代表的なものは、下記のような上野氏の発言だ。

---たとえば吉見さんが「朝まで生テレビ」という、愚劣な場に引きずり出され、小林よしのり一派に追及を受けたあげく精一杯の誠実さでお答えになったのは、吉見さんが発見なさった公文書は日本軍関与の傍証にはなってもその証明そのものにはならないという実証史家としての能うかぎり誠実なお答えでした---25ページ~26ページ)

正直、“目が点”だ。ここでいう公文書とは、つぎのものだろう。

**********************************

「軍慰安所従業婦等募集に関する件」

陸軍省兵務局兵務課起案
1938年3月4日
「支那事変地に於ける慰安所設置の為、内地に於て之が従業婦等を募集するに当たり、故らに軍部了解等の名義を利用し、為に軍の威信を傷つけ、且つ一般民の誤解を招く虞あるもの、或いは従軍記者、慰問者等を介して不統制に募集し、社会問題を惹起する虞あるもの、或は募集に任ずる者の人選適切を欠き、為に募集の方法、誘拐に類し、警察当局に検挙取調を受くるものある等、注意を要する者少なからざるに、就いては将来是等の募集等に当りては派遣軍に於て統制し、是に任ずる人物の選定を周到適切にし、其実施に当りては関係地方の憲兵及警察当局との連繋を密にし、以て軍の威信保持上並に社会問題上遺漏なき様、配慮相成度依命通牒す。」
**********************************
 軍の関与そのものではないか。官憲などによる力づくの強制連行の証明にはできない、というだけにすぎず、「慰安婦」問題で、軍の関与自体はあったことを示している。否定派流にいえば「よい関与」だと主張することもあるかもしれないが、「関与の証明にはならない」というとしたら、それは珍論である。
 しかし、②のような感想を持つのは、例を挙げると、つぎのような点についてである。
---一つには、証人というものは同じ証言を性格にくり返すテープレコーダーではないということです。二つめには、証言というものはつねに語り手と聞き手の間の臨床的な現場で、そのつど一回的につくりあげられる共同制作の産物であるということです。聞き手が替われば必ずや証言も変わります。三つ目には、とりわけ語り得ぬこと、抑圧されてきた記憶や社会的弱者の語りというものは、まず第一に支配的な言説に自分を合わせようとする磁場のなかにおかれています---28ページ、上野氏の発言)
---第二は、個人補償の論理です。これは国家間賠償で決着がついているという言い分に対して法廷闘争を組み立てるなかで出てきた論理なんですが、これに対しては山崎ひろみさんが見事な発言をしていらっしゃいます。「強姦被害者の女性に対して、あなたのお父さんやお兄さんともう話はついていると言われて、被害者の尊厳は回復されるでしょうか。そんなことはありません」---29ページ、上野氏の発言)
 上記のテープレコーダーではない、証言者は磁場のなかにおかれているという議論は、ひょっとしたらシンポジウム後の論文で吉見義明氏が述べている下記の点にもつながる部分があるかもしれない。
---一九四二年にビルマにいった文玉珠さんを例にとると、多くの場合、彼女は、強制的に連行されたと述べているが、韓国挺身隊問題対策協議会・挺身隊研究会による時間をかけた丁寧なヒアリングでは、「私はもうだめにされた体だだと思っていたので、どうせのことならお金でもたくさん稼ごうと思って、すぐ承知しました」と語っている(だからといって、文さんのビルマでの生活に軍は責任がないということではない。彼女はビルマでは、あまりのつらさに自殺しようとして身投げをしている)---133ページ
もちろん、僕は吉見氏のこの見解を証言コロコロ論(?)の傍証にするつもりはない。証言をまったく事実の裏づけにならないと考えるのか。それとも、そうではなく、丁寧に検証していくことや丁寧にききとっていくことなどを通じて、事実の裏づけになることを認めるのかどうかは、大事な検討すべき点だと僕は感じる。念のためにいえば、否定派がよくいうような、矛盾点があればすぐに「まったくのウソ」呼ばわりする議論は、僕は思考が短絡的だと感じるし、強い違和感を持っていることは述べておく。
 このほかにも、シンポジウム後の論文で、上野氏は次のように批判されている。
 ---さてシンポジウムでの上野氏の問題提起に、次のような趣旨の発言があった。
 橋爪大三郎氏は、竹田青嗣、小林よしのり両氏との鼎談において、戦前と戦後の日本は政治共同体としての同一性を有している、したがって日本という政治共同体に属している個人として大日本帝国に属している個人として大日本帝国に関する責任をとらなければならないと述べると共に、「私やあなたが、昭和十年代の日本に生きていて、ある日召集されたとする。それは国家の合法的な手続きに基づくもので、憲法(大日本帝国憲法)の定める国民の義務でもある。とすれば応召して戦地に赴くことは断じて正しい」といっている。さて、高橋哲哉氏はシンポジウムの第Ⅰ部で「日本人としての責任をとる」と言ったが、もし日本人としての政治共同体に属する責任とおっしゃるなら、橋爪氏の議論とどこが違うのか?・・・・
 上野氏のこの発言を聞いて、実は私は唖然としてしまった----156ページ、東京経済大学の徐京植=ソ・ションシク=教授)
 まったく徐教授のいうとおり。ただ、僕にとっては、「悪法も法で、戦争当時は従うしかなかった、それも市民社会なのだ」などとする議論に対しての警戒をうながすものとしても捉えたいと思う。上野氏の発言は非常に鋭いと思う。しかし、やや散発的で吟味不足のようにも見えた。
 本書は全体としてみれば、興味深い刺激的な本になっていると思う。慰安婦問題を考える上で、おすすめかと聞かれたとしたら、おすすめである。

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2007年7月 1日 (日)

6月は9冊読みました

昨年の7月から日本の侵略戦争について勉強をはじめてこの7月で一周年です! すごい! 何で一年間本を読み続けたのか? う~ん。熱意があるのは間違いないが、なぜっていわれるとわかったような、わからないような・・・。

感想を全部言うのは大変なので、読んだ本だけ列挙します。

○『ナショナリズムとジェンダー』上野千鶴子、青土社1998

 感想は、下記URL。

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/06/post_21ce.html

○『税民投票で日本が変わる』浦野広明、新日本出版社2007

 戦争と何の関係があるんだ、と。う~ん。まあ、いいじゃないですか。

 ただ、源泉徴収っていうのは、効率よく戦費を集めるために戦前からおこなわれるようになった手法なんだってね。たしかに、知らないうちに税金をしっかりとられ、気をつけないと負担感も感じないもんね。

○『ぼくは毒ガスの村で生まれた』化学兵器CAREみらい基金編著/吉見義明監修、合同出版2007

 感想は下記URL。

 http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/06/post_c4ae.html

○『戦争犯罪の構造』田中利幸編、大月書店2007

○『李容洙さん証言録』旧日本軍性奴隷問題の解決を求める全国同時企画・京都実行委、2005
 本ってほど分厚くないが・・・。

○『写真記録 破られた沈黙 -アジアの「従軍慰安婦」たち』伊藤孝司 風媒社1993

 写真には、むごたらしい傷の跡なども載っている人もいて、いや、ツライですね。

○『証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち』韓国挺身隊問題対策協議会・挺身隊研究会編/従軍慰安婦問題ウリヨソンネットワーク訳、明石書店1993

 まあ、慰安婦問題を語る上での必読文献かと・・・。

○新装版『シンポジウム ナショナリズムと慰安婦問題』(日本の戦争責任資料センター、大月書店2003)

 1998年出版の新装版。後日感想をアップします。

○『戦争の日本史22 満州事変から日中全面戦争へ』 伊香俊哉、吉川弘文館2007 

というわけで、一年で読んだ本は、86冊でした。

応援ありがとう!(誰が応援を?) これからもよろしく!(って誰に向かって?)

・・・がんばります。

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2007年6月29日 (金)

「慰安婦」問題でのシンポ案内

日本の戦争責任資料センターから、下記の案内が送られてきたので、転載。

********************  

南京事件70周年国際シンポジウム」プレ企画 

   シンポジウム

      「ここまでわかった!日本軍「慰安婦」制度~今、戦後責任をどう果すか~」

        を行います。

        8月11日(土) 13:30~16:30 (13:00開場)

           会場:幼きイエス会(ニコラバレ)9F   
          千代田区六番町14-4   ℡ 03-3265-9718  
           ●JR四ツ谷駅 麹町口前(歩1分)   
           ●地下鉄南北線 / 丸の内線 四ツ谷駅(歩3分)
           参加費 ¥1000

      共 催:アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」
               日本の戦争責任資料センター  03―3204―7477

     パネリスト

    吉見 義明 日本軍の加害責任はどこまで明らかにされたか?

    林  博史 「慰安婦」制度はどのように裁か れたのか?

    西野瑠美子 証言からわかる深刻な被害

**********************

うわ、行こうかな、どうしようかなあ。

う~ん。…行きたい。予定開けなきゃ。

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2007年6月28日 (木)

「慰安婦」否定本がまた一冊

「blog*色即是空」さんで、米下院でこのたび決議された「慰安婦」問題問責決議が紹介されている。訳が掲載されているので、ごらんください。

http://d.hatena.ne.jp/yamaki622/20070627/p1

さて、この決議採択にあたっては、否定派のアクション(安倍首相発言や、ワシントンポスト紙への意見広告など)が、火に油を注いだかっこうになったが、日本ではまたこんな本が出ている。

『よくわかる慰安婦問題』(西岡力、草思社2007)

しかも、発行日は2007年6月28日! って、僕がこれ買ったの、6月27日だけどね。

帯には、

問題の核心と真実はすべてこの本の中にある。

はあ。本文+参考文献+あとがき足しても、200ページあまりしかないのに、「すべて」「ある」と断言する、その自信。そのうち拝見しませう。

がんばるなあ。

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李容洙(イ・ヨンス)さんの証言の検討②-連行期間

【6月29日注=ムダにていねいすぎたので短縮し、論旨も不正確な部分を修正】

李容洙さんの証言についての検討、その2です。
その1は下記を参照。

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/06/post_71f5.html

再度参考資料のリストを掲載する(すべてを今回引用しているわけではないのだけど)。

**********************************

A 「博士の独り言」
http://specialnotes.blog77.fc2.com/blog-entry-439.html

B 「従軍慰安婦問題を考える」
http://sikoken.blog.shinobi.jp/Entry/10/

①写真記録 破られた沈黙 -アジアの「従軍慰安婦」たち 伊藤孝司 風媒社1993
②証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち(韓国挺身隊問題対策協議会・挺身隊研究会編/従軍慰安婦問題ウリヨソンネットワーク訳、明石書店1993)
③同志社大学での証言(ホームページ。2005)http://www1.doshisha.ac.jp/~kasano/FEATURES/2005/leeyongsoo.htm
 
④李容洙さん証言録(旧日本軍性奴隷問題の解決を求める全国同時企画・京都実行委、2005)
⑤「私の名前は李容洙です」(DVD、東京外国語大学にて2006年10月10日収録、信川美津子?)

⑥僕自身も証言集会に行った(ブログ上にUP。現在も作業中。2007)http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/06/post_e07b.html

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/06/post_52ba.html

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/06/post_f720.html

⑦フランスのル・モンド紙の記事についてのレポート(ブログ。2007)
http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2007/03/for_the_record_c93e.html

******************************************

さて、今回検討するのは、連行期間が何年なのかという問題である。

上記Aは、連行期間が三年になったり、一年になったりしていて「変転」し、「フィクションストーリーにもなっていない」、という。

 Aでは年齢にもふれているが、前回ふれたので、再度はふれない。

 連行期間については、たしかに変転しているように見える。だが、彼女の証言に出てくるエピソード、季節感などに着目すれば、読み取れる連行期間は、ほぼ一定していることがわかるはずだ。

 Aは「年齢」「敗戦」「連行期間」だけを突き合わせ、連行期間が食い違っていると問題にしていると僕は判断する。しかし、彼女の証言には、他にも時期をある程度特定したり、連行期間を割り出すことのできる“パーツ”があり、その点にも注目すべきだ。とくに、下記のa~fが、期間を算定するわかりやすい手がかりになると思うので列挙する。

a)連行される前のエピソードとして川辺で遊んでいた話がある。これは夏~秋。 

 川辺のエピソードは、①には登場しない。
 ②「一九四四年、私が満16歳の秋のことです」と記されている(132ページ)。
 ③にはエピソードそのものは登場するが、時期は名言がない。1944年ということがわかるだけである。
 ④「そのときとても暑かったのです。たぶん八月だったと思います」(14ページ)。
 ⑥「けっこう暑かったので、8月頃だと思う」

 ※時期に食い違いが見られるが、証言の信憑性を損なうほどの重大問題ではない。彼女が覚えているのは「けっこう」「とても」「暑かった」という季節感だからだ。季節感からたぶん8月と述べているのであり、これを「証言変転」論(?)の論拠にするなら無理がある。

b)連行の比較的直後に、慶州で桔梗を見た。

 ①②③④⑥に出てくる(⑤はまだ見てません、すみません・・・)。上記Bは桔梗は6月~8月に咲く花であるといっているが、日本でも9月、あるいは10月上旬などでも咲く地域がある。「6月~8月に咲く花だ」という主張はやや不正確。

c)上海で正月を迎えた。

 つねに証言に出てくるエピソード。しかもどの証言でも、正月は連行~敗戦の間に一回しか出てこない。

d)「慰安」所で相手をさせられたのは「特攻隊」だった。

 戦中で正月を迎えた後に相手にさせられたのは特攻隊で、彼女の証言によれば台湾の新竹。この特攻隊は「二人で飛行機に乗ると言いました」(④28ページ)とあるから、海軍の特攻隊だと推測される。1944年10月以降に編成されたもので、つまり正月を越した李さんが特攻隊の相手をさせられるのは1944年ではなく、1945年しかありえない。

e)敗戦(1945年8月)。

 説明不要。

f)釜山へ戻ったのは敗戦の翌年の春だった。

 「船が釜山についた時は、ちょうど麦が青い芽を出す頃でした」(②142ページ)
 「私は一九四四年にあのように連れていかれて、帰ってきたのは一九四六年です。そしてたぶん五月ごろだったと思います」④(33ページ)
  「45年に(日本が配線して朝鮮が)解放となり、船に乗って46年に釜山に向かった。麦が見えた」(⑥)。

連行時~日本軍敗戦(aとbの間~e)までを総合すると一年前後分しかないことが、わかるはずだ。二年になったり、三年になったりはしない。この場合、連行期間=一年。

同時に、大邸(テグ)から連行されふたたび大邸に戻るまで(aとbの間~f)までを見ると、少なく見ても一年半は超えており、長く見ても二年未満。この場合、連行期間=二年。

そして、1944年~1946年の数え年で計算すると、連行期間=三年。

一方で、李さん自身が、連行時の年齢で混乱することがあるようで、ときに連行時=14歳ということがある。このために連行期間が三年だとかいう主張が生まれることもあるのだとも思う。しかし、くりかえすが、李さん自身の証言を総合して導き出すことのできる連行期間自体が変転しているわけではない。

最後に、今回のエントリはscopedogさんのエントリをかなり参考にしました。お礼申し上げます。参考にしたscopedogさんのエントリは下記URLです。

http://ameblo.jp/scopedog/entry-10033353314.html

李さんの証言で、シチュエーションが変わってるぜ!という意見についての検討は次回。

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2007年6月24日 (日)

李容洙さんの証言その③

元「慰安婦」、李容洙さんの証言、③です。これで最後。

※きちんとした文章にするために校正することを検討中。後日きちんとしたものをつくったら、再度ブログ上にUPします。・・・いつになるやら。

その①②は下記URL参照。

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/06/post_e07b.html

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/06/post_52ba.html

*****************************

ある日の朝、爆撃にあった。私は家の下にある防空壕に隠れたが、建物がくずれ、下敷きになった。とても熱かった。(ばらばらになった建物の)板をとって土をほったら、外が見えるようになった。そのとき、煙を吸ったら、いろんなところから血が出た。私はメンスも知らなかったが、軍人がトシ子、赤ちゃんがいるんじゃないのか?といった。ずっと証言をしていて、いまにして思えば、それが流産だったのではないかと思う。

私は1944年に連れて行かれ、1945年の正月を迎え、45年の2月か3月ごろに台湾につれていかれたと思う。

軍人(助けてくれた軍人?)は、ある日、明後日特攻に行くといった。夜に堤防に座った。夜空には多くの星が。軍人はかばんや洗面道具などを私にくれた。これはどこでも持って歩けといわれた。そのときはそんなに重要だとは思わなかった。もし持っていれば、いまこんな証言をする必要もなかっただろう。

その軍人とは二日間いっしょにいた。明日、俺が死んだら星が落ちるといった。歌を三回歌って教えてくれた。

カンコウ離陸よ 台湾離れ 金波銀波の雲乗り越えて 誰だって見送る人さえなけりゃ 泣いてくれるは とし子が一人だ

カンコウ離陸よ 新竹離れ 金波銀波の雲乗り越えて 誰だって見送る人さえなけりゃ 泣いてくれるは この子が一人だ

軍人は涙を流していた。俺が死んだら、幽霊になってもトシ子を守るといった。

火がピカピカ光っていた。そこが沖縄といっていた。沖縄で戦争になっているといったが、戦争とは何のことかよくわからなかった。またその軍人が来ると思い、いつも雨が降っていても大きな木の下で待っていたが、もう軍人は来なかった。また別の軍人がつれていき、また殴られた。

ある日、同じ年の男の人が来て、戦争が終わったといった。収容所に連れて行くといった。

【まだ、その前に防空壕にいった。

防空壕には、私より二歳ほど上の朴さんと、私を隠してくれた平壌の姉さんが倒れていた。「姉さん、ここは危ないよ」と起こそうとしたが、起きない。死んでいた。私も血が出ていたが、「起きなさい」「姉ちゃん死なないよ、死なないよ」と私はいったが、「死んだ」といわれ、引っ張っていかれた。

朴さんはとてもきれいな娘だった。いまでも家族が探しているかもしれない。5人いた私たちは、4人になった。】

※【】内は、「その前に」「私も血が出ていた」などの発言から、話がここは時系列になっておらず、慰安所が爆撃にあったときのエピソードのようです・・・。

45年に(日本が配線して朝鮮が)解放となり、船に乗って46年に釜山に向かった。麦が見えた。釜山に降りて、DDTをまかれて消毒され、お金を300ウォンほどもらった。しかしお金がどういうものかそのときはわからなかった。

私は逃げてきたと思っていたので、またつかまらないかと思っていた。汽車で大邸(テグ)についた。

家にいった。すぐには入らないで立っていたら、母が涙を拭きながら、弟に「豆腐を買ってきなさい」といっていた。「何に使うの?」と弟が聞いたら、「今日がお前の姉さんの法事だ」といった。お父さんはご飯も食べずに酒ばかり飲んで、通風になっていた。お父さんは私を見て倒れてしまった。私はただ立ってみていた。お母さんに「お母さん」といったら、「今日も来たね、幽霊が来た」といった。お母さんに「ヨンスよ」といったら、母は気絶した。気がついたお母さんは、私をかんでみて、本当に現実かどうか確かめようとした。

私は大韓民国の娘だ。何の罪もない。お父さんとお母さんは私をきれいに育ててくれた。それが罪なのか?なぜ私を性奴隷にしたのか。私が証言しなかったら、(日本が性奴隷をさせたという事実を)知らないでしょう? 私は賠償しろといっているのではない。日本がこういうことをしたということを私はいいたいから、あなたたちの前で証言するのだ。

「従軍慰安婦」とは何か。日本の国会に行き、「従軍慰安婦」とは何か説明しろと聞いたら、「自分からすすんで、喜ばせて、セックスをした」ということだった。

証言はとてもつらい。いろんなことを思い出すので。

強制ではないとかいわれても、私はなんともない。日本の総理大臣が私に謝らないのは許されない。私の名誉を賠償しないといけない。
私は、日本と韓国は隣の国だし、若い人が仲良くするのが希望。しかし世界中で性暴力がはやっている。これは日本に責任がある。性暴力、慰安婦の問題を解決すれば、性暴力はもなくなると思う。安倍は、若い人のために、この問題を明らかにしないといけない。なぜ、ブッシュに謝るのか。

私は200年生きるから、問題解決のためにがんばろう。

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2007年6月22日 (金)

戦争美化教育プログラムの契約を日本青年会議所が辞退

やれやれ・・・。日本青年会議所がつくったDVD「誇り」などをふくむ教育事業が、文部科学省の「新教育システム開発プログラム」に採用された問題で、日本青年会議所は契約を辞退することになったそうだ。

20日の「asahi.com」によれば、

---戦後の歴史教育を「自虐的」と批判した「日本青年会議所」(日本JC)のアニメが中学校などで上映されていた問題で、日本JCは20日、文部科学省と結ぶ予定だった「新教育システム開発プログラム」の契約を辞退すると明らかにした。奥原祥司会頭はこの日の記者会見で「文科省がビデオ制作にお金を出すかのように受け取られるなど誤解が多く、運動を進めていくには契約を結ばない方がいいと判断した」と述べた。

 アニメを使った授業については、調査・分析費として約130万円の予算が認められたことなどから、各地で批判が出ていた。

 文科省の新事業は、学校外のさまざまな人材を教育現場で活用していくためのノウハウを調査・研究するのが目的。各地のJC会員がアニメの上映会やアンケートなど一連のプログラムを実践する計画だった---

だそうである。

日本の近代の戦争を美化する人々と、反省しろって人々がせめぎあっている印象。

アジア解放の戦争だった等という歴史認識を現在に持ち込むことは、今日において外交には戦争という手段があり得るという戦争肯定の認識を日本人のなかに広め、強めることになる。僕は、日本が戦争で泥沼に入っていったのは、何でもかんでも戦争で落とし前をつけようとしたあたりにもあると思っているので、とりあえず今回、そうした戦争美化勢力の動きが一部でも押し返されたことは、非常に重要だと思う。

でも、何だろう、このすっきりしない感じは…。いつまで日本は歴史認識をめぐる問題を抱え続けるのだろう。

ああ、ほげほげ。仕事しよ、仕事。・・・え? いまは休憩時間ですよ、ダンナ。

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2007年6月19日 (火)

李容洙(イ・ヨンス)さんの証言の検討①

元「慰安婦」=李容洙(イ・ヨンス)さんの証言が、「コロコロ変わっている。したがって、信用できないウソの証言である」という趣旨の意見があるようだ。

A 「博士の独り言」
http://specialnotes.blog77.fc2.com/blog-entry-439.html

B 「従軍慰安婦問題を考える」
http://sikoken.blog.shinobi.jp/Entry/10/

さて。本当に彼女の証言はウソばかりでコロコロかわる証言なのか考えてみたい。僕はこの間、下記の証言を入手または手配した。

①写真記録 破られた沈黙 -アジアの「従軍慰安婦」たち 伊藤孝司 風媒社1993
②証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち(韓国挺身隊問題対策協議会・挺身隊研究会編/従軍慰安婦問題ウリヨソンネットワーク訳、明石書店1993)
③同志社大学での証言(ホームページ。2005)http://www1.doshisha.ac.jp/~kasano/FEATURES/2005/leeyongsoo.htm
 
④李容洙さん証言録(旧日本軍性奴隷問題の解決を求める全国同時企画・京都実行委、2005)
⑤「私の名前は李容洙です」(DVD、東京外国語大学にて2006年10月10日収録、信川美津子?)

ついでに、

⑥僕自身も証言集会に行った(ブログ上にUP。現在も作業中。2007)http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/06/post_e07b.html

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/06/post_52ba.html

⑦フランスのル・モンド紙の記事についてのレポート(ブログ。2007)
http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2007/03/for_the_record_c93e.html

さて、コロコロ変わると称される、いくつかの疑問点について検討する。

■1■連行時、家に呼びに来た人物が変わっている?(上記Bが主張)

 第一に、連行時の話で、家に呼びに来たのは誰かという話である。最初は友だちだった(②)→「女性」になった(③)。証言が違うぜ、変わってるぜ!といいたいわけだ(上記B)。(連行時のシチュエーションが違うという点は、後日検討)

 ところで友達は人間である。人間であると同時に、男か女かいずれかである。そうであるならば、女性であっても不思議ではない。通訳を挟んだ場合、完全な誤訳ではないが、日本人の感覚からはズレた通訳になることがあることを踏まえるべきである。
 たとえば、上記③④でも呼びに来たのは「女性」だが、僕が聞きにいった証言集会(⑥)では連行時に呼びにきた女の子を、同一人物なのに「女の子」といい、直後に「女性」といい換えている。つまり「女性」=日本人の感覚で言う成人「女性」ではなく、「性は女である」という以上の意味を持たない「女性」なのである。この「女性」は「女の子」なのだから、当時の李容洙氏より年下かほぼ同年代である。友人であるという過去の証言②と、この点では矛盾しない。
  結局、呼びに来た人が子どもから「女性」に「変わった」わけではない。もし証言の食い違いのように見えて仕方ないのなら、次のようにいうべきである。
 「証言が食い違っているように見えて紛らわしいので、これからはせめて女の子って訳してもらえると嬉しいな」
 これを当たり前という・・・。

■2■連れて行かれたときの年齢が変わっている?(上記Aが主張)

第二に、連れて行かれたときの年齢である。

⑦を見ると、慰安婦として連行されたのは「14歳」といっている。
だが、上記④⑥では15歳である。②など「満16歳」といっているものもある。一見、「なんじゃKOREA!」ということになる。これをさしてあてにならない証言の証明でもあるかのようにおっしゃるのがAの主張だ。Bはそれほど問題視はしていないようだが・・・。
なぜ年齢がコロコロ変わるのか。答えは意外に簡単だ。連れて行かれた時点を16歳だと覚えていて、満年齢で16歳なのか、数え年で16歳なのかと言う点で、おそらく李さん自身が混乱している。本来は、記者や証言をまとめる人が気をつければ修正可能である。
 ③の同志社での証言では連れて行かれたのは韓国の年齢=数え年で16歳のときで、日本の年齢(満年齢)では14歳か15歳であるといっている。つまり、連行時が数え年で16歳だとした場合、満年齢で14歳などという報道が出てくる余地がある。李さんに関する数え年と満年齢の関係は、僕も表にしたので、下記を参照のこと。

  http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/06/post_64d6.html

 また④では、連れて行かれたのが満15歳だといっていて、そうであれば本来は数え年では17歳のはずなのに(1944年秋)、数え年で16歳とのべている(15ページ)。ここにも混乱がある。

 (B)では、連行時がなぜか1943年になっているものも挙げているが、これにも理由がある。やはり数え年で16歳なら、本来は1943年だからだ。

  しかし証言では、少なくとも③④⑥を見る限り、敗戦になるまで正月は一回しか出てこない(⑤はまだ見ていません、すみません…)。「連れて行かれてから敗戦を迎えるまでに、正月を過ごしたのは一回だけ」という記憶が李さんにあるからこそ、連れて行かれたのは1944年だと証言しているのだと思われる。ここに依拠して、マスコミや証言をまとめる人たちは、連行時の年齢を適切に修正する必要があると僕は思う。あくまで連行時は満年齢15歳、数え年17歳のはずだ。満16歳というのは、ありえなくはないが、可能性は低いだろう。当時の交通事情はよくわからないが、満16歳なら連行されるときに1944年12月13日の誕生日を迎えていないといけない。しかも大邱→慶州(⑥。同志社③の「京州」は「慶州」の誤植)→平壌→上海という経路を2週間半ほどで通行しなければならない(③④⑥では正月は上海で迎えたといっている)。さらに桔梗の花が12月に咲いていなければならない(連行された後、桔梗の花が咲いていたという証言は③④⑥などを見ても共通している)。連れて行かれた比較的直後に満年齢で16歳になっているために、そこから満16歳とかいっているのかもしれないが・・・え~い、ややこしいな。

 だから、連行されたときはほぼ満15歳、数え年で17歳で間違いないでしょ!・・・と繰り返してみるおさかな。

 連行された期間や、連行時のシチュエーションが変わっているなどの批判については、後日検討したい。

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2007年6月18日 (月)

李容洙さんの証言②

元「慰安婦」李容洙さんの証言、その2です。その1は下記。

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/06/post_e07b.html

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ある日、助けてという声が聞こえた。船の前方が飛んでしまった。救命具を着せられた。船が沈むといわれた。私は五人を結んだ。死ぬときはいっしょに、といった。そのとき、軍人は一人もいなくなっていた。船はとても揺れた。その船も昼で(?)、窓を全部とってみたら、軍人の帽子などがたくさんあった。いつかいって、降りたんです(?)。降りたらトラックがひとつあって、トラックに五人が乗りました。

家がひとつありました。10人ぐらいきれいな着物を着たお姉さんがいた。ひとりのお姉さんが、「平壌にいってきたんでしょ?」と聞いた。タオルをかぶったおばさんにあったでしょう?と聞かれた。わたしが「あった」と答えたら、「それは私のお母さんだ」と答えた。「あなたは幼いのに」といって、私を押入れに隠し、食べ物とかをくれた。何日かして、軍人が「隠した朝鮮人」とか、「朝鮮ピー」とかいいながら「出せ」といった。お姉さんをたたいた。お姉さんは目から血が出た。私は怖くなって出た。すると刀で私の服を裂き、口に入れ、毛布をかけて軍人の靴でふんだ。お姉さんは足で口の布をとり、毛布を持ち上げて息ができるようにしてくれた。

お姉さんは私を拭いて、「妹、言うこと聞かなかったら殺されるよ」といい、お姉さんはとっても泣きました。

私に化粧をしてくれて、「言うこと聞かないと殺されるからいうこと聞いてね」といって押した。軍人がそこにいた。私は(部屋に)入らないといって逃げたら、髪を引っ張られた。

扉を開けたら(別の部屋につれていかれたらしい。同志社大学での2005年の証言では、「倉庫」に連れて行かれたことになっている。今回の大塚の集会ではよくわからなかった)、丸いテーブルがあり、押さえつけられて、腰を蹴飛ばされた。いたくて立つこともできない。刀で太ももを切られた。また何かをとって、両手に巻かれた。・・・したので(聞き取れなかった。同志社の証言では痺れがきたことになっている)、「お母さん!」と呼んだ。

私は8歳か9歳のとき、母に言われた。「もし泥棒が入ったら、体を出すか、首を出すかといわれたら、首を出すんだ」と。

私は死んでしまったんです【※1】。

【※1】本当に死んだわけではない。

お姉さんたちは「また死んだよ、(この子が死んだら)いっしょに死にましょう」といって指をかんで血を飲ませてくれた。でも、死んでいるから。「もし死んだら俺が埋めてやる」と(殴ったのとは別の軍人?)。栄養薬とか、献血に使う袋を持ってきて、注射はできないので、飲ませた。ご飯とかも持ってきてくれた。いつか、私は目を開けた。お姉さんが鏡をくれた。私は骨だけのようになっていた。お姉さんは「病気だったよ」と泣きながら拭いてくれたり、食べさせてくれたりした。

私の部屋に行った。軍人は名前を聞いた。創氏改名で安原といっていたが、名前はないといったら、トシ子と名前をつけてくれた。

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2007年6月17日 (日)

李容洙さんの証言①

先日聞いてきた、元「慰安婦」の李容洙(イ・ヨンス)さんの証言について紹介します。

証言は日朝協会主催の集会で聞いてきました。下記URL参照。

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/06/post_a22e.html

何回かにわけて紹介します。素人の作業ですので、次はいつになるかわかりませんが・・・(泣)。

なお、当日は李さんは韓国語にときおり日本語を交えながら話しましたが、訳もまちまちだったり、ちょっと意味を取りづらいところもあって、わかりにくい文になっていると思いますが、ご了承ください。

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 私は兄弟のなかで一人娘だった。当時、戦争というものがどういうものかはわからなかった。ある日、女性-同じ年頃の、友だちが呼びに来たので川によもぎをとりにいった。よもぎの後、タニシをとった。けっこう暑かったので、8月頃だと思う。
 遊んでいると、堤防の上に白い服の人と軍人がいて、私たちを見て指さしていた。私たちは逃げた。私は「お父さん! お父さん!」とお父さんは実際にいないのにお父さんを呼びながら逃げた。
 当時、テレビもない、何も情報も入らない生活をしていた。小学校は3年まで通っていたが、3年でやめた。「なぜ娘を勉強させなければならないのか」といわれたので、夜の学校に通った。日本人の先生がいて、先生はオルガンを弾いて歌を教えてくれた。
 私は当時、わらぶきの家に住んでいた。ある日、玄関近くの小さな部屋に母と一緒に寝た。寝ていると何か気配がした。窓の方を見ると、女の子と、帽子を深くかぶった軍人がいた。
 その女の子は手招きしていた。女の子は首の辺りをおさえられ、身動きできないように出来ないようにされていた。隣を見たら、母親がいない。彼女が「出てきて」という感じで手招きをしていたが、意味がよくわからなかった。
 部屋から出て縁側(?)にいったら、女性と軍人がきて、女性が私の口を押さえて、軍人が何かさせながら(? 小突いたとか、何か突きつけて押したとか、そういう意味だと思うが)、私は「何で?」と思いながら連れて行かれた。
 連れて行かれたところはトンネルで、上を汽車が通っていた。軍人一人と、女3人がいた。ふろしきを渡された。風呂敷の中には、靴と着物があるようだった。
 うしろからいけいけと押された。駅からそんなに遠くないところだった。駅へ行き、生まれて初めて汽車に乗った。びっくりして、気分も悪くなった。ママと叫んだが、5人いた女性(自分もふくむ)は、頭を抑えつけられ、蹴飛ばされたりした。
 その後、慶州についた。旅館についた。手の裏や足の裏を棒などでたたかれた。なぜそんなことをするのかわからない。逃げ出さないようにしようとしたのだろう。手も足もひどい状態だった。白いご飯があった。「これを食べたら母親に会いに行くのだ」といわれた。私は川へ行き、顔でも洗ってお母さんのところへいこうと思った。川に紫色の花が揺れていた。となりにいた少年が「桔梗だよ」と教えてくれた。少年はゴムでできた履物をはいていた。その履物をとって、自分がはいた。
 駅へ行き、また汽車に乗った。汽車は家の近くを通り過ぎた。汽車には窓はあったが、ガラスはなかった。その窓から「母さん! 軍人が私を殺すよ」といったら、軍人が来て、蹴飛ばしたり殴ったりして気絶した。着いたのは平壌だった。おばさんがいて、水を汲むものがあった。私はそれができなかった。何も食べるものがなく、けっこう寒かった。白菜と大根をとりにいこうといわれた。大きい大根を取ろうといわれても取れなかった。(作業が終わって)一番最後にトラックに乗ろうとしたが、落ちた。けっこう高いところから落ちて怪我をした。何とかして戻り、トラックに乗った。次の日、白菜と大根を塩漬けにした。ふろしきを開け、ワンピースに着替えた。靴は足が痛くてはける状態ではなかった。今度こそ母親に会いに行くとお姉さんにいわれた。また汽車に乗った。母に会いに行くと思い、よろこんだ。しかし着いたのは大連だった。

 大連では、船がたくさんあった。300人いる軍人のいる船に乗った。私は15歳で、一番上は3歳上。そんな五人の娘に300人の軍人の相手をさせたのだ。ある日、今日が日本の正月だといわれた。歌を歌えといわれて、夜の学校で日本人の先生に教えられた歌を歌った。上海だった。ある日、船がとてもゆれた。トイレから出ようと思ったら、軍人が出られないように出口をふさいでいた。軍人の手をかじった。軍人は私をなぐった。後はわからない。4人のお姉さんが手当てをした。軍人たちが姉さんたちに襲い掛かった。よくわからずに私は「いたずらするよ、手を噛め」といった。
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2007年6月15日 (金)

元「慰安婦」李容洙さんの話を聞いてきたよ

元「慰安婦」李容洙さんの話を聞いてきた。MDも取ってきた。

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/06/post_a22e.html

本当は南京事件のシンポの実行委員会共催によるシンポ(下記URL参照)にもにも行きたかったが、証言を聞くのはいましかない!と思って元「慰安婦」の証言を聞きに行くことにしたのだ。かなり迷ったが・・・。歴史認識問題であればまだ聞く機会はあるが、元「慰安婦」に残された時間は多くはない。

http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20070525

さて、今回は仕事ではない(将来記事にする可能性はあるが、あくまで半分以上は自分自身の学習のつもりで集会に参加した)ので、テープおこし(MDおこし)まではできないだろう。でも、できる範囲で李さんの証言を紹介するつもりだ。今日はこんな時間ですから、ご勘弁。後日に期待を。

で。集会に参加しておいて何もいわないのも芸がないので、二点だけふれておく。

第一は、僕は、李さんにこんな質問をした。

「証言が変わるじゃないか、証言はウソだという意見についてどう思うか」

李さんはつぎのように答えた。

「証言をする場合、証言の時間が決められている。米で証言したときもそうだ。決められた時間の中で証言を最初からしなければならないのだから、飛ぶ部分があるのは当たり前だ。それを証言が違うというのはおかしい」

「私は台湾に行ったといったが、それがわかったのは特攻隊にいった軍人が、私に歌を歌ってくれたからだ(歌の中に台湾と台湾の地名が出てくる)。13歳から16歳のような子どもが、工場に行くんだ、などとだまされたりして連れて行かれ、性奴隷にされたのだ。どこに連れて行かれたのか答えられない人がいても、それは当たり前だ」

李さんはすんごい剣幕でしたけどね(汗)。

まあ、証言が違うのはそれだけが原因ではないでしょうけどね。一般論として、「慰安婦」にはPTSDがあったり、また後で記憶が呼び起こされたとか、訳者の訳がいろいろだったりとかするなかで、あらぬ中傷の種に利用されたりするのだろう。

訳がいろいろ、という点では、今日の集会でも感じたことである。李さんは、川で遊んでいたときの友達に言及した。しかし訳者の人は「女の子」「女性」「同じ年頃の、友達だと思っていて・・・」などと別の言い方で何度も訳すことがあった。

日本人であれば、女性という言葉はある一定の年齢以上の人を指すことが多いが、ひょっとして韓国では日本で言う女性にあたる言葉は比較的低年齢でも使うのかも。あるいは、英語などで言う「her」にあたる言葉があって、それを「女性」と訳しているのかもしれない。韓国語には詳しくないのでわからないけど。彼女だろうが女性だろうが、いずれも日本では低年齢の人に使う習慣はあまりない。

したがって李さんについて、連行時に家に呼びに来た女性について「過去に友達だと証言したではないか? 女性だって? 証言が変わっている。信用できないじゃないか」などという趣旨の批判をする人がいるようだが、けっこう的外れに近いのではないかと僕は思った。この点は(連行時は女性だったのか、友人だったのかという点)、また今日のMDを聞いたり、いくつかの証言記録を参照して考えてみやす。本日、2006年10月の東京外国語大学での証言DVDと、2004年12月の京都大学での証言録(ブックレット)も入手したので、それも見て僕なりに検討みることにしたい。

第二は、連れて行かれた時期について。今日の証言ではいつ連れて行かれたか時期は明確に証言していなかったが、川へ遊びにいったら自分たちの方を指差す人がいて怖い思いをしたのが8月ごろだと思うということ(とても暑かったので8月ごろだろうと)、また、船の中で日本でいう正月を迎えたことを証言した。

連行された時期について、先ほどのべた京都大学での証言録には、こう書いてある。

---私は一九四四年にあのように連れていかれて、帰ってきたのは一九四六年です。そしてたぶん五月ごろだったと思います---(李容洙さん証言録 旧日本軍性奴隷問題の解決を求める全国同時企画・京都実行委、2005、33ページ)

連行時については、

---私はその当時一五歳(数え歳で一六歳)のときの話を今、しています。その汽車の---(同上、15ページ)

とりあえず以上。

なんにせよ、彼女の証言がウソだ偽りだという主張は、検討が浅く、早計な判断だということは実感して帰ってきました。後日詳報できればと思います。期待に添えるかどうかはわかりませんが。

今日は寝ます。

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2007年6月14日 (木)

数え年?

scopedogさんがブログで、元「慰安婦」の李容洙さんの証言の信憑性について論じている。

http://ameblo.jp/scopedog/entry-10033353314.html

ところで、僕は2005年の同志社大学での李さんの証言を読んでいて、次の点が非常に気にかかった。

---なぜ日本が朝鮮に来て人をも奪い、物も奪っていくのかとてもわからなかったのですが、その時私は韓国の年齢で16歳でした。日本の年齢で言うと14歳か、15歳です---

http://www1.doshisha.ac.jp/~kasano/FEATURES/2005/leeyongsoo.htm

はあ? 何じゃこれは・・・。

さらに。つい最近の証言のようなのに、14歳のときに連れて行かれたと証言したものもあるようだ。

http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2007/03/for_the_record_c93e.html

何なんだ・・・。16歳と14歳がなぜ共存できるのでせう? そこで、数え年というものについてもう一度考えてみた。

数え年は、正月が来ると年をとる。このために、満年齢と数え年との間に、最大二年の差がつくようだ。李容沫さんの場合、1928年12月13日生まれだと明言している。ということは、生まれたときに数え年で1歳、2~3ヶ月もすると数え年で2歳になる。この点がけっこうトリッキーだ。

頭が混乱してきたぞ・・・え~い、表にしてしまえ!

1928年12月13日(以下、12月) 数え年1 満年齢0
1929年正月                           数え年2 満年齢0
1929年12月                          数え年2 満年齢1
1930年正月                             数え年3 満年齢1
1930年12月                              数え年3 満年齢2
1931年正月                               数え年4 満年齢2
1931年12月                               数え年4 満年齢3
1932年正月                               数え年5 満年齢3
1932年12月                               数え年5 満年齢4
1933年正月                               数え年6 満年齢4
1933年12月                               数え年6 満年齢5
1934年正月                               数え年7 満年齢5
1934年12月                              数え年7 満年齢6
1935年正月                               数え年8 満年齢6
1935年12月                               数え年8 満年齢7
1936年正月                               数え年9 満年齢7
1936年12月                              数え年9 満年齢8
1937年正月                               数え年10満年齢8 
1937年12月                              数え年10満年齢9
1938年正月                               数え年11満年齢9
1938年12月                              数え年11満年齢10
1939年正月                               数え年12満年齢10
1939年12月                               数え年12満年齢11
1940年正月                               数え年13満年齢11
1940年12月                              数え年13満年齢12
1941年正月                               数え年14満年齢12
1941年12月                              数え年14満年齢13
1942年正月                               数え年15満年齢13
1942年12月                              数え年15満年齢14
1943年正月                               数え年16満年齢14
1943年12月                              数え年16満年齢15
1944年正月                               数え年17満年齢15
1944年12月                              数え年17満年齢16
1945年正月                               数え年18満年齢16
1945年敗戦時                            数え年18満年齢16
1945年12月                              数え年18満年齢17

ちなみに、同志社大学での証言では、連れて行かれたのは韓国の年齢(数え年)で16歳だといっている。満年齢ではない。こうなると、連れて行かれたのは1944年ではなく、1943年でしかありえない。しかも、汽車に乗ったのも韓国の年齢で16歳。船に乗って平穣→大連→上海と連れて行かれたのも韓国の年齢で16歳のときだったといっている。この数え年で16歳というのが、満年齢に直すと14,15歳になるというのを聞いて、上記のような「14歳」という報道が出てくる可能性が考えられるような気がする。なるほど、「16歳」なのに、「14歳」なのか・・・。

また、同志社大学での証言では、李さんは、敗戦時は韓国の年齢で18歳だと述べている。日本でも使う満年齢では16歳である。

連れて行かれて汽車に乗せられたのが満年齢=16歳、という報道は本当なんだろうか? 数え年(韓国の年齢)では・・・。本当に1944年なんだろうか?1943年ではないのか? などなど。ちょっと悩んでいるおさかな。

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2007年6月11日 (月)

元「慰安婦」李容洙さんの話を聞く会

元「慰安婦」李容洙(イ・ヨンス)さんの話を聞く会があるそうです。一応、お知らせします。でも、

この日は南京事件国際シンポジウム実行委員会が共催でおこなうシンポジウムもあったりして、う~ん、悩ましいです。

http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20070525/p1

とりあえず、元「慰安婦」李容洙さんの話を聞く会の案内をします。

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元「慰安婦」李容洙さんの話を聞く会

6/15 18時~

会場:南大塚地域文化創造会館(JR大塚駅から徒歩5分)

http://www.toshima-mirai.jp/center/e_otsuka/index.html

資料代:1000円

特別講演:戦場の兵士のセクシュアリティ 講師:高柳美知子(人間と性:教育研究所所長、日朝協会代表理事)

主催:問合せ先 日朝協会東京都連合会 電話・FAX 03-3230-2382 

   〒101-0061 東京都千代田区三崎町2-11-13 東洋ビル501号

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ビラを見る限り、元「慰安婦」李容洙さんの話を聞く会ってタイトルだけで、李さんが来て証言をしたり話をしたりしてくれるんだろうか・・・。

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2007年6月 7日 (木)

『ナショナリズムとジェンダー』

読みました。『ナショナリズムとジェンダー』(上野千鶴子、青土社1998)。「慰安婦」問題を考える上で、一回は上野千鶴子氏の本を読まねばと思っていたのだ。でもね、むずかしいんだよな、彼女の本。「国民国家」なんて急にいわれても、わからないんですよ、だんな。はい。なんせ、僕は、ようやく最近ジェンダーとかパラダイムとかわかるようになってきた気がちょっとだけする青二才ですから。

さて、本の中身は、非常に示唆に富んでいると思う。

---たんに「事実」ということなら、「慰安婦」の存在は誰にも知られていた。隠されてさえなかった。変化したのは「事実」の捉え方のほうである。だれひとり「犯罪」だと考えていなかった「慰安婦」制度が、当事者がみずからを「被害者」と自己定義することをつうじて、「性犯罪」として再構成されたのだ---(14ページ)

---「従軍慰安婦」が「犯罪」化されたということは、過去の問い直しにとどまらない。戦後半世紀経って何を今さら、という声に対しては、この問題は過去の問題ではなく、現在の問題なのだと、わたしたちが現在進行形で加担している犯罪なのだとこたえたい。「従軍慰安婦」をめぐる「二重の犯罪」とは、第一に戦時強姦という犯罪と、第二に戦後半世紀にわたるその罪の忘却、という罪である。第二の犯罪については、被害者に被害の認知を拒むことによって、日常的・継続的に半世紀にわたって続けられてきた「現在の犯罪」だということができる。それにつけ加えるなら、現在保守派の人々によって、被害女性の告発が否認されていることを、「第三の犯罪」と呼んでもよい。過去に被害を受けたにとどまらず、その被害に対して長い沈黙を強いられ、ようやく沈黙を破ったときにカネほしさの嘘つき呼ばわりされる━これが二重、三重の犯罪でなくて何であろう---(100~101ページ)

---リクルートにおける自由意思の有無の問題と、金銭の授受の問題とは区別して考えなければならない(中略)金銭の授受は強制のもとでも起こりうる---(116ページ)

---もうひとつ、「売春」パラダイムにつきものの基本的な誤解を指摘しておかなければならない。強制にしろ任意にしろ、「売春」は女性と男性のあいだの「性と金銭の交換」ではない。性産業としての「売買春」は、売り手(業者や経営者、しばしば男性)と買い手(の男性)とのあいだの交換行為であり、そこでは女性は交換の主体=当事者agentではなく、たんなる客体=商品にすぎない。商品には客を選ぶ権利はない。民間の「慰安所」で稼いだのは、個々の「慰安婦」ではなく、一部の経営者であった---(118ページ)

まあ、こんな感じです。おさかな的には重要な指摘を含んでいると思います。

また、本書は、慰安婦の支援者たちが被害者を純潔だったことを強調する傾向についても注意を喚起する。その純潔、つまり「無垢な被害者」像から少しでもはずれた被害者に、沈黙を強いる効果を果たすことがないかと疑う必要があるというのだ。

たとえば親に強いられた結婚で、夫から暴力も振るわれ、そこから逃げ出そうと思って甘言につられて結婚生活から逃げ出した元慰安婦などの場合、その結婚生活を日本のメディアのインタビューや公の場ではふれなくなるという現象がおきたりする例を紹介している(177ページ)。著者は「弱者の語りは、聞き手が語りを共有してくれるという安心感や信頼感のないところでは決して語られることがない」(178ページ)と述べる。

まあ、慰安婦問題に関心のある人は、上野氏の本は一度は読んでみて。難しい言葉をあちこちで使うのは勘弁してほしいと思うこと、たびたびだが・・・。

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2007年6月 2日 (土)

DVD『誇り』だって。

最近、『誇り』っていう素敵なDVDアニメの存在を知りました。

日本青年会議所のDVDで、このDVDも使った日本青年会議所の「近現代史教育プログラム」に使われるもののようです。この「近現代史教育プログラム」が、文部科学省の「新教育システム開発プログラム」に採用されたそうであります。

物好きな僕は、『誇り』を使う際に使うであろう「プログラムの趣旨」「プログラムの進行」「事前学習用資料」などが示されたマニュアル(?)を入手。・・・職場の同僚が持っていただけですけど。

さて、このマニュアルの「ご挨拶」だけご紹介すると、こんな感じです(一部抜粋)。

---戦後の日本の教育は先の戦争が日本による一方的な侵略戦争だとし、悪いのは日本という洗脳に近い歴史観を教えてまいりました。このような過去のすべてを全面的に否定し、原因の追究すら封印する教育では、「日本」という国に誇りや愛着、自尊心を育むとは思えません。私たちは戦争を肯定するつもりはありません。ましてや歴史を改竄するつもりもありません。しかしながら、歴史の中から古より私たち日本人が受継いできた美徳や道義、価値観は見直さなくてはならないのではないでしょうか。また、歴史を検証する上では、当時の価値観、常識で見直さなければならないこと、そして日本の行動によって勇気付けられ、白人社会からの独立を成し遂げたアジア・アフリカの国々が数多くあったという事実も知らなければなりません。---

・・・はあ。

>戦後の日本の教育は先の戦争が日本による一方的な侵略戦争だとし、悪いのは日本という洗脳に近い歴史観を教えてまいりました。このような過去のすべてを全面的に否定し

 戦争が悪いといったからといって、過去のすべてを全面的に否定していることにはならないと思いますけど・・・。小説や、絵画、建築物など、明治時代からいろいろと立派なものが世に出たと思っていますけど? 戦争が悪い=日本人が誇りを持てないっていうのは飛躍がないでしょうか・・・。それとも戦争にいい部分があったといいたいのでしょうか? それにしては戦争全体をかなり無理に正当化しているようにしか見えませんが。

>歴史を検証する上では、当時の価値観、常識で見直さなければならない

当時の軍部、支配層の価値観で?

>日本の行動によって勇気付けられ、白人社会からの独立を成し遂げたアジア・アフリカの国々が数多くあったという事実も知らなければなりません

「歴史を改竄するつもりはありません」だったよね? じゃ、これはどうするの?

---「マライ」「スマトラ」「ジャワ」「ボルネオ」「セレベス」は帝国領土と決定し、重要資源の供給地として極力これが開発並びに民心把握につとむ---(1943年5月31日の御前会議決定「大東亜政略指導大綱」/『日本外交年表並主要文書』<1840-1945>下巻584ページ、外務省編、原書房1965)※現代かな使いに修正

 自分は植民地にして手放さないつもりだった国があるのに、どうしてアジアやアフリカの解放につながっただの、勇気付けただの、いえるのかね? おっかない世の中だ。韓国や台湾なんて敗戦まで独立は問題にもしなかったよね。

 さすが、戦後レジーム脱却をうたう安倍政権。勘弁してよ。

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2007年6月 1日 (金)

5月は6冊でした

5月は6冊読みました。

・・・7冊読んだと思ったのだけど・・・。おかしいな。メモしておかないと、わからないよ。これで昨年7月から計算して、76冊読了。

○戦争倫理学 加藤尚武 ちくま新書2003

○護憲派のための軍事入門 山田朗 花伝社2005

○ニッポン・サバイバル 姜 尚中 集英社新書2007

○「慰安婦」・戦時性暴力の実態Ⅰ 日本・台湾・朝鮮編 緑風出版2000

○村上春樹論 小森陽一 平凡社新書2006

○戦争と性 川田文子 明石書店1995

【22:20追記】

『靖国問題』(高橋哲哉、ちくま新書2005)読んでたよ・・・忘れてた。下記URL参照。

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/05/post_dd74.html

したがって合計は77冊。5月は7冊。

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2007年5月25日 (金)

731部隊関連/大川さんの証言が報告書に?

最近、ネムイです・・・。仕事がちょっと・・・。

今月も本を読まなきゃ! と思っていたら、先日職場の同僚から「村上春樹論」(小森陽一)を読んでみて! といわれて読んでいるおさかな。お、お人好しだ…。でも、近代日本の戦争関連の本を読んでいるおさかなの関心と、まったくはずれているわけでもないみたいで、ちょっと頑張って読んでいます。今日には読み終えるであろう。たぶん。

さて、元731部隊員だったという三重県の大川福松さん。4月8日に大阪でおこなわれた国際シンポ「戦争と医の倫理」に出席し、731部隊にいたときの証言をしたことが、一部マスコミにより報道された。その大川さんに、シンポを主催した実行委員会の実行委員長をはじめ3人ほどで大川さんにインタビューをおこなったようです(第10回実行委員会報告より。インタビューは4月21日)。

「非常に生なましい、当事者でなければ語れない内容の話し(ママ)が多く聞かれたようだった。また、その内容等をめぐり2時間ちかく質問や意見が続いた」「詳細は別途報告書が予定されている」とのこと。報告書っていつどこで出るのかな。ちょっと興味津々なおさかな。ほしいです。くださいです。

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中国遺棄毒ガス問題/チチハル事件被害者証言集会

案内しておきます。僕がいけるかどうかはわかりませんけど。…無理かな。

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チチハル事件被害者証言集会

6月6日(水)18:30~20:45(会場18:00)

東京しごとセンター 地下講堂(資料代500円)

【※おさかな注 東京しごとセンター=JR飯田橋駅から徒歩7分。下記URL参照。

http://www.tokyoshigoto.jp/traffic.php

【プログラム】

・被害者の声 ~弁護団と支援者による群読劇と写真~

・遺棄化学兵器被害チチハル事件訴訟とは

・解決をめざして ~解決案の説明~

・被害者インタビュー

・チチハルツアー報告 ~スライドで写真を紹介~

主催:チチハル8・4被害者を支援する会/連絡先 0422-55-2211

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なお、当日はチチハル訴訟第一回口頭弁論だそうです。

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6月6日(水)12:30 入廷行進(霞ヶ関A1出口 東京地裁正門前)

       ※その後傍聴券配布 13:00までにお並び下さい

       ※正門前でスタッフが案内します。

 13:30~15:00 東京地裁 103号法廷

 15:30~17:00 裁判の説明(弁護士会館)

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 だそうです。 

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2007年5月22日 (火)

「大東亜戦争」は、日本滅亡の危機を招いたのでは?

以前から不思議に思っていることがあります。「大東亜戦争」が「自存・自衛」の戦争であり、「大東亜戦争」をたたかった人たちがいてこそ、今日の日本があるという議論についてです。はたして本当に今日の日本があるのは、「大東亜戦争」があったからなのか?・・・厳密に考えていく必要があるな、と思っています。だいたい、何で国力で何十倍もするアメリカとたたかうのだ・・・。

僕がいちばんひっかかっているのは、「大東亜戦争」に日本が負けて、日本はまがりなりにも占領下におかれたということです。もしこれがアメリカとソ連などの分割統治だったらどうするのか。また、日本は天皇制の護持にこだわったが、これが認められなかった場合は、もっと戦争が長期化したり、もっと悲惨な状態に日本が陥ったりしなかったのか・・・などなど、あらぬことを考えてしまうこのごろなのです。

ソ連と米国により日本が分割統治され、その後ふたたび戦争が起きて、「日本がまっぷたつに! あちゃー」なんて事になる可能性はなかったのかなあ、なんて考えるのですよ。まあ、いいんですけど。

いずれにしても、国家としての主権を奪われた状態、占領下におかれて、そこからまがりなりにも主権国家として国際社会に復帰出来たのは、運が良かったという気もします。アメリカとしては占領にかかる費用を負担し続けたくなかったという意図も働いたみたいですけどね。

戦争に負けた→占領されて主権を奪われた→占領されたのは国力で何十倍ものアメリカに勝利の見込みもなく戦争を挑んだ結果だった→さらにその戦争は日中戦争に日本が突入しておきながら、自力で解決できなかったからだった→日中戦争を自力で解決出来なかったのは、中国の実力を日本が見くびりすぎたからだった(中国の政府を「対手とせず」声明など)→しかもその日中戦争は停戦協定を無視し、現地軍の暴走を日本政府と軍中央が追認し、命令したことからだった・・・などなど考えると、キリがなくなってくるのですよー。

日本の失政の積み重ねの結果、「大東亜戦争」を招いた気がします。1941年の一連の日米交渉については、もう少し勉強してみますが、いずれにせよ満州などの権益を本当に手放したくないのであれば、日中戦争など、むやみな戦線拡大を日本はするべきではありませんでしたね。

とにかく、何で占領されて国家主権まで奪われておいて、そのおかげでいまの日本があることになるのか、よくわかりません・・・。日本という国が、地図から消えていたかもしれないじゃないのかなあ、なんて。

まだきちんと考え切れていないので、もうちょっと考えます。答えはいつ出るかわかりません(笑)。いろいろアドバイスいただけると幸いです。

なお、上記を見ればおわかりでしょうが、僕は「大東亜戦争」が「自存・自衛」の戦争だったという立場に立つ者ではありません。侵略戦争だったという立場に立っています。

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2007年5月17日 (木)

『靖国問題』、必読かも・・・

『靖国問題』(高橋哲哉、ちくま新書2005)を読んだ。半年前から持っていたのに、全然読んでおりませんでしたが、昨日読み終えて、よい本だと思った。おすすめです! ・・・でも、こんな感じでおすすめって言っていたら、僕がすすめる本はいったい何冊になるのでせう。いかん、いかん。

さて、この本は、帯には「決して外せない一冊が登場した!」とか書いてあります。何をまたおおげさな・・・と思っていたのだけど、仏教者やキリスト教者も国家神道にとりこまれていったことなど、興味深かった。

でも、とくに僕が当然のことなのだけど、あらためて大事だと思ったことは、つぎの3点かな。

■1■靖国神社は戦争動員のための顕彰施設であり、追悼施設ではない

---遺族の不満をなだめ、家族を戦争に動員した国家に間違っても不満の矛先が向かないようにしなければならないし、何よりも、戦死者が顕彰され、遺族がそれを喜ぶことによって、他の国民が自ら進んで国家のために命をささげようと希望するようになることが必要なのだ---(44ページ)

 遺族を失った悲しみを、天皇のために命をささげた喜びに転化させるという手法を、著者は「感情の錬金術」と呼んでいる。そして靖国神社は一見、戦死を悼むように見えるが、悼むことを本質とするのではないと著者はいう。

■2■靖国神社に祀られる際に重要なのは遺族の意志ではなく、天皇の意志のみである

 つぎに興味深いと思ったのは、プロテスタントの角田三郎牧師が靖国神社へ二人の兄が祀られているのを取り消してほしいという要求を靖国神社が拒否した話。

---牧師との話し合いの席で、池田権宮司が、「天皇の意志により戦死者の合祀は行われたのであり、遺族の意志にかかわりなく行われたのであるから抹消をすることはできない」と言明したことも明らかにされている(角田三郎『靖国と鎮魂』1977年)(99ページ)---

 結局、「戦死した家族の合祀を求める遺族の意志・感情も、いわばたまたま『天皇の意志』に合致しているにすぎないのである」(102ページ)と言い切ったあたり、著者は切れ者だな、と思った次第・・・。

■3■国立の追悼施設は、無宗教かどうかが重要なのではなく、政治こそが重要である

---もう一度確認しよう。非戦の意志と戦争責任を明示した国立追悼施設が、真に戦争との回路を絶つことができるためには、日本の場合、国家が戦争責任をきちんと果たし、憲法九条を現実化して、実質的に軍事力を廃棄する必要がある。・・・(中略)・・・この条件からかけ離れた現実の中で国立追悼施設の建設をすすめるならば、それは容易に「第二の靖国」になりうる---(220ページ)

 要は、武力を持ち、さらに戦争責任を明確にせず、ましてや侵略戦争を正当化するような現実の日本の政治のもとでは、どんな無宗教の施設をつくろうとしても、戦争動員のための戦死者の顕彰施設に容易になりうるということだ。2001年12月に福田内閣官房長官の諮問機関としてできた「追悼・平和祈念のための祈念施設の在り方を考える懇談会」(以下、追悼懇)は、2002年12月、無宗教の国立の追悼施設をつくるといいながら、つぎのようにいっているそうだ。

 ---戦後について言えば、日本は日本国憲法により不戦の誓いを行っており、日本が戦争することは理論的にはあり得ないから、このような戦後の日本にとって、日本の平和と独立を害したり国際平和の理念に違背する行為をした者の中に死没者が出ても、この施設における追悼対象とならないことは言うまでもない---(『靖国問題』192ページに引用)

 この論理で言えば、イラクで多国籍軍の一員として活動して、自衛隊と武装ゲリラが衝突した場合でも、自衛隊員は死亡すれば追悼され、ゲリラは追悼対象とならない。

 実を言えばこの追悼懇は、日本が起こした過去の戦争でなくなった外国人は、民間人、将兵問わず、「日本人と区別するいわれはない」(『靖国問題』185ページに引用)といっているのだが、上記の論理=日本の平和と独立を害したり国際平和の理念に違背する行為をした者の中に死没者が出ても、この施設における追悼対象とならないことは言うまでもないという論理にしたがえば、やはり外国人は排除されていくのだという。これを著者は「靖国の論理と瓜二つではないだろうか」(194ページ)と訴える。

 ・・・う~ん、なるほど。無宗教なら少しはマシなのかと思っていたが、浅はかだったと反省するおさかな。国民をあざむくレトリックが張り巡らされていることを、再度注意深く観察し、見抜く目を持たねばならない。

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2007年5月13日 (日)

『「慰安婦問題」のからくり』への違和感

『日本人なら知っておきたい「慰安婦問題」のからくり』(阿部晃、夏目書房2005)って本。やっぱりこの本を読んで、とても不思議に思う点がある。

この本は、慰安婦とは戦地に売春に来ていた売春婦だと言い張る。そして、つぎのようにいう。

---だから慰安婦の境遇だって、売春婦の境遇が一般的にいってそうであるように、周旋業者によって「よい仕事がある」と引っ張っていかれて売春の世界に足を踏み入れることになり、多額の負債を背負わされていたとか、雇い主によっていやもおうもなく客をとらされていたといった具合に「人身の自由」が侵害されていて、さらにカラダを売らなければならなかったというそのこと自体、女性としての尊厳が踏みにじられていたわけで、しかしそれは、”売春業に従事していたがゆえに”という事情によるものであって、別に、日本軍の慰安所で働くようになったことが原因で、「人身の自由」が侵害されたり、尊厳が踏みにじられたりしたわけではないのです---(199ページ)

つまり売春の仕事だときちんと説明されず、連れて行かれた先が売春だったということは、業者の責任なのだ、日本軍のせいではないのだと。慰安婦問題で日本軍の責任を否定する人の持ち出す典型的な議論ですね。

ところが、この論理を仮に認めるならば、僕は別の疑問を持たざるをえません。日本は誘拐天国だったのかと。つまり、朝鮮の業者などが女性をだまして売春させても、それは業者の責任にすぎないというのだろうか。朝鮮は当時日本にされていたはずだが・・・。

しかも、人をだまして連れて行って、売春を無理強いしても、その境遇は「一般的」=つまり、売春目的の誘拐が一般的だと著者はいうのです。 

慰安婦問題で日本や日本軍の責任を否定する人たちの多くは、慰安婦問題だけでなく「大東亜戦争」に連なる一連の戦争・植民地支配を正しいとか、やむをえなかったなどといい、日本に誇りを持てといいますよね。この本でも、朝鮮半島支配について、「日本から近代化がもたらされると朝鮮経済も急激に発展、商業活動も活発に展開されるようになりました」(111ページ)というのだけど、実は誘拐し放題だったとすると、日本の朝鮮「統治」をばら色に描くのもどうかと思います。人を売春目的で誘拐するのが一般的だったと主張するならば、大日本帝国は、当時の日本の刑法でも違法だった誘拐を取り締まらなかったことになります。法治国家というのは形だけだと。もし取り締まれなかったのなら、それもやはり大日本帝国の無能を露呈していることになるでしょう。それとも、朝鮮半島などでは形だけ日本であるにすぎず、誘拐は犯罪にならなかったとか? 売春だろうかなんだろうが誘拐が一般的にまかり通っていれば、それはそれで重大問題。業者の責任であり、日本軍の責任ではないと開き直っている場合ではないと思うのだけど、いかがだろうか。

よく恥ずかしげもなく著者はこんな矛盾した議論を展開できるなあと感心する。これこそ、日本の誇りを傷つける「自虐史観」じゃないのかなあ。

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2007年5月 1日 (火)

4月は6冊でした

4月に読んだ本は6冊でした。何だか仕事もちょっと忙しかったし。彼女も体調崩しておさかなが看病したりと、バタバタしてました。

読んだのは

○『歴史の事実をどう認定しどう教えるか』渡辺春己ほか、教育史料出版会1997

○『戦争犯罪論』前田朗、青木書店2000

○『七三一部隊』常石敬一、講談社現代新書1995

○『いまどきの「常識」』香山リカ、岩波新書2005

○『心脳コントロール社会』小森陽一、ちくま新書2006

○『新版 法とは何か』渡辺洋三、岩波新書1998 

 読了日は忘れたよ。「法とは何か」だけは、昨日だったので覚えています・・・。

 4月はもう少し従軍慰安婦問題関連を読むつもりだったのですけど、関係ない本がほとんどになってしまいましたね・・・。脈絡がないように見えますが、おさかな的には▽過去の侵略戦争の反省・総括と、▽将来の国際平和構築に向けて現代社会をとらえるという問題意識で、一応つながってはいるのです。5月はがんばります。

 これで昨年7月から近代日本の戦争関連で勉強を始めて以来、ちょうど70冊読了。戦争と直接関係ないものも入っているが・・・。まあ、いっか。

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2007年4月24日 (火)

731部隊関連/大川氏は「早稲田」といった

いまさら感ただようエントリで恐縮だが。

4月8日に大阪でおこなわれたシンポジウム「戦争と医の倫理」で元731部隊員という大川福松さんの発言をめぐり、読売新聞が早稲田大で生物学細菌学を学んだと報道したために、「早稲田大で生物学細菌学なんて学べるのか?」などの論議が一部に起きたようだ。

僕はボイスレコーダーにとっているのだけど、何回聞いても「早稲田大」とか「早稲田大学」とは聞こえない。高齢のせいもあり聞き取りにくい瞬間もあるが、やっぱり「早稲田で」とか「早稲田の方で」などといっているようにしか聞こえないのだが、大阪保険医協会が出している大阪保険医新聞(4月25日)には証言の全文が掲載されている。そこから抜粋すると、該当部分は次のようである。

---私は昭和15年に陸軍衛生軍に入隊致しました。入隊するまでに早稲田の方で生物物理学を学んでいました。そのような関係で北安陸軍病院で所属を受け、3ヶ月の兵隊生活を致しました---

生物物理学? 何だそりゃ? なじみがないのですが・・・。とにかくも、大学とはいっていない・・・。まあ、本人に読売が確かめたら「早稲田大」といったのかもしれないし、そこまでは知らないけど。シンポジウムの場でみんなの前でしゃべったときは「早稲田」と発音しただけだということは指摘しておく。

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2007年4月23日 (月)

また本が増殖・・・

またやってしまった・・・また本買っちゃったよ。

『戦争犯罪の構造』(田中利幸編、大月書店2007)を買った。300ページもないのに、3600円+税! うげ・・・。

うちの職場に出入りしている本屋さんに、いつものようにツケにしてもらおうかと思ったが、どうせ払わなければいけないので、その場でお金を払った。

副題は「日本軍はなぜ民間人を殺したのか」。

下記は目次から。

◆第一章 日清戦争における日本軍の住民への加害(大谷正)

◆第二章 抗日義兵闘争と膺懲的討伐(慎 蒼宇)(←本当は慎の字のつくりは、眞)

◆第三章 アムール州イヴァノフカ村の「過激派大討伐」(一九一九年)(原 暉之)

◆第四章 南京大虐殺事件(笠原十九司)

◆第五章 中国雲南省にみる日本軍の住民虐殺(一九四二~一九四五年)(伊香俊哉)

◆第六章 シンガポール華僑虐殺(林博史)

◆第七章 抑留者虐殺とその責任問題(田中利幸)

◆第八章  占領地民衆に対する大本営の認識(一九三一年から一九四二年)(山田朗)

◆第九章 偽りの近代からくる不安を克服するために(野田正彰)

まだ全然読んでないが、まえがきの次の箇所にドキッとした。

---学術レベルでは「標準」となっている歴史分析が、なにゆえに大衆レベルでも「標準」として、この二〇年あまりのあいだに揺るぎないものとして定着してこなかったのか。このことを真剣に問うことが、私たち近現代史を、特に戦争犯罪分析を研究対象とする歴史家たちには要求されている(ix~xページ)---

僕は歴史家ではないけど、おさかなにとっても頭の痛いところです・・・。

あと、『心脳コントロール社会』(ちくま新書、小森陽一2006)も読んでいる。なぜこの社会が、郵政民営化こそが改革だと思わされ、なぜか憲法改正論者でアジア蔑視の石原都知事を支持する人が多く、「小さな政府」論に感化されていくのだろうという、おさかなの疑問に対する答えの糸口にでもなれば・・・と思って。

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2007年4月22日 (日)

731部隊関連/国際シンポ「戦争と医の倫理」王氏発言

シンポジウム「戦争と医の倫理」の最後の発言紹介は、中国・731部隊罪証陳列館館長の王鵬さんだ。発言順序は一番最初でしたけど。

これまでの発言紹介は、下記URL参照。

◆莇昭三氏

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/04/post_7659.html

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/04/post_ab12.html

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/04/post_572d.html

◆ダニエル・ウィクラー氏

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/04/post_830e.html

王氏は、731部隊の歴史、「特別移送」にふれた。「細菌注射、凍傷実験、小腸と大腸の縫合、人馬血交換注射などがおこなわれ、七三一部隊がやってみたいと思ったことはすべて実践された」と述べ、人体実験の例にいくつかもふれた。『日本にも戦争があった』(新日本出版社2004)の篠塚良雄氏、『「証言」七三一石井部隊』(徳間書店1982)の郡司陽子氏による弟の体験の著述を紹介した。

簡単にいうと、

 -中国人五人をペストに感染させて免疫能力を測る。一人は、生きながら頸動脈にそって切開された。呼吸が止まった後、臓器が切り刻まれた。臓器は細菌培養基でいっぱいのフラスコに入れられた。
 -「演習」をするといわれた。トラックで運ばれて行って見ると、中国人やロシア人を木で支えたベニヤ板に縛り付け、爆撃をおこなうところだった。女性の「マルタ」もいた。隊員たちは150M以上はなれたところに潜み、防火服と防毒マスクをつけていた。爆撃機に爆撃された後、「マルタ」には爆死した者、腕が無い者がいた。うめき声と血なまぐさい空気が立ち込めた。記録班が写真撮影をおこない、爆弾の破片、破壊力、土壌の状況を点検している者もいた。その後、実験の痕跡を拭い去り、スプレーのようなもので消毒し、死亡した、あるいは息のあるマルタをトラックに詰め込み運び去った。

 王氏は、「被害国の国民として、七三一部隊が残忍の限りを尽くし、大量の生きた人間を使い人体実験をしていたと知ったとき、間違いなく誰でも怒りで胸がいっぱいになると思う」と語った。

 王氏はさらに、「人類が疾病予防、健康増進のためにおこなう人体実験は必要だ」といい、「しかし、人体実験は決してみだりにおこなってはいけない」と強調した。

---中国では、多くの医学者が治療方法を探るため自分の体を使い実験をした。古代の名医・華陀は、麻薬の一種・麻沸散の研究のため自分で服用し、唇の感覚がなくなるまで試した。
 二〇〇五年にノーベル賞を受賞したオーストラリアの医学者バリーマーシャル教授も、ヘリコバクターピロリ菌の培養基液を飲んで研究を重ね、胃潰瘍を薬で短期間で治せる病気だと証明した。
 私たちはこれらのことから①人体実験は自発的に自分の体を使ってする、②人体実験の目的は、医学研究の、人類の健康のためであるという二つの共通点を見ることができる。---

 王氏は、続けて、七三一部隊の医学研究は細菌戦のためであり、「完全な無理強いで、合法かどうか、被験者が望んでいるかどうかなど考えなかった」と述べて、人体実験の際の基準をつぎのように述べた。

---人体実験は①医学、全人類の幸福のためで、②本人の同意がなくてはならず、③倫理道徳を守らなければならない。この三点が基礎になってこそ成り立つ。これ以外は医学という錦の御旗を掲げていても不道徳なものだ。この三点をないがしろにして人体実験を語るのでは、七三一部隊と同じ轍を踏んでしまうのではないか。---

 ③の倫理道徳を守るっていうのがちょっとあいまいなのが気になるが・・・まあ、考えませう。シンポ「戦争と医の倫理」のシンポジストの発言紹介は、以上です。

 

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2007年4月21日 (土)

731部隊関連/国際シンポ「戦争と医の倫理」ウィクラー氏発言

4/8国際シンポ「戦争と医の倫理」。次に紹介するのはハーバード大学教授ダニエル・ウィクラーさんの発言だ。彼は、公衆衛生学部教授だとのこと。当日の資料には「生命倫理研究者」とある。

ウィクラー氏は、アメリカが戦後、七三一部隊をどう扱うかという点について検討した文書として、つぎのものを例示した。

---たしかに政府は、後になってひどく厄介なことになるかもしれない。しかしここから得られる情報、とりわけ細菌戦の人体に対する影響に関して日本人から最終的に得られるであろう情報は、後の厄介ごとというリスクを負うだけの重要性を持つ、とわれわれは強く信じる」(Cheseldine大佐、国務陸軍海軍三省調整委員会1947)---

ウィクラー氏は、「厄介ごとというリスクという考えには戦略的な配慮しかなく、道徳的な配慮はない」と批判。731部隊の情報入手の理由について、別の文書ではアメリカは「高い倫理観」があるために自分の国では人体実験ができないのだ、といっているものがあることにもふれ、アメリカの「高い倫理観」にふれていることを皮肉った。

さらにウィクラー氏は、「合衆国細菌戦調査団は一九四五年の終戦後すぐ日本を訪れ、七三一部隊の幹部たちと面会した」という経緯を述べ、七三一部隊の幹部たちは東京裁判で訴追されなかったこと、データはアメリカに引き渡されて免罪され、合衆国の機密資金から七三一部隊の科学者に報酬まで支払われたことを述べた。

 隠蔽工作の結果、アメリカ合衆国では、七三一部隊のことはほとんど知られておらず、当然のことながら、七三一部隊のことが知られていない理由を知っている人はさらに少ないといい、アメリカが現在、七三一部隊を隠ぺいしたことを否定していないものの、積極的に隠蔽があったことを述べているわけでもなく、遺憾の念を表明しているわけでもないことにふれた。

 彼の発言で、僕が興味を持ったのは、次の点である。

 ---国家安全保障のための研究では、不正な医学実験がおこなわれる危険性がある。通常秘密裏におこなわれる。情報がもれるのを防ぐことは正当だ。しかし研究が秘密裏におこなわれるために、一般の人々が研究を批判的に検討する機会が失われ、研究者は自らのおこないを正当化する必要もなくなる---

 たしかにその通りだ。「自らのおこないを正当化する必要がなくなる」、この点は重要かも。

 ダニエル・ウィクラー氏は、さらに七三一部隊のような過去の悪行が、「次の世代の重荷になる」という。データ独占・入手のために裏で取引がされたことで、「私たちアメリカ人も重荷を背負うことになった」と述べた。

 ダニエル・ウィクラーさんはこの1回のエントリで終了。当日の翻訳者の方の声が極端に聞き取りづらく、会場でもメモに異常なほど苦労した。録音した音を聞きながら極端に苦労してようやく上の記事を書いた。このくらいで勘弁を。

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シンポジウム(?)「みんなで語ろう 細菌戦問題克服への道と日中関係」開かれます

これはシンポジウムなんだろうか…。案内ハガキには何も書いてないが、とりあえず案内の文面通りに書くので、ご参照を。

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4/28日(土) 午後1時~4時30分

来日中の細菌戦被害者を囲んで 

みんなで語ろう 細菌戦問題克服への道と日中関係

 会場・文京シビックセンター 地下一階学習室 地下鉄春日駅、後楽園駅

【発言者(予定)】 

細菌戦被害者「10年間の細菌戦裁判の到達点と課題」

管建強(国際法)「日中共同声明と個人賠償請求権」

松村高夫(歴史学)、聶莉莉(文化人類学)、殷燕軍(国際法)、土屋公献(弁護団長)ほか「今後の細菌戦問題克服の展望」

********************

お~い。本当にこんなにしゃべるのかな? 時間足らないような気が…どういう学習会なんだろう? シンポなのか? 小さい会場でフリートーク? ハガキではわからないです。

ハガキに書いてある文章と連絡先は下記の通り。

********************

 裁判の一、二審はともに日本軍が中国各地で最近作戦を実施した事実と被害者は1万人を越えること、ジュネーブ議定書(国際法)に違反していることを認定しました。しかし、賠償・謝罪は認めませんでした。かつて、鈴木前首相は細菌戦の事実を調査する必要性を認めましたが、じつに不十分なものに終わりました。政府に細菌戦の事実を認めるように迫らなければなりません。

 原告が最高裁に申し入れのために来日します。ぜひご参加ください。

 731・細菌戦裁判キャンペーン委員会/731/細菌戦展示会実行委員/ABC企画委員会/731部隊細菌戦被害国家賠償請求訴訟弁護団

 731・細菌戦裁判キャンペーン委員会 奈須方 048-985-5082  

******************

余裕があれば行きたいんだけどなあ。参加費とかは書いてない。

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2007年4月20日 (金)

731部隊関連/国際シンポ「戦争と医の倫理」莇氏発言③

はてさて。国際シンポ「戦争と医の倫理」莇氏発言第三弾、これで莇氏は最後です。

一回目はhttp://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/04/post_7659.html

二回目はhttp://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/04/post_ab12.html

 つづいて莇氏は、七三一部隊で医学犯罪を犯した医学者の多くが、戦後各地の大学医学部などへ帰り、大きな影響力を発揮したことを指摘。「七三一部隊が免責されたことと深くかかわっている」と述べ、つぎの事例を挙げた。

 ---一九五二年、第一三回日本学術会議で、政府に対し一九二五年の「細菌兵器使用禁止に関するジュネーブ条約」を批准するよう申し入れる決議が提案されたが、否決された。反対した木村廉氏、戸田正三氏は七三一部隊本部へ多くの医学者を推薦した人物である。---

続いて。HIV事件についても言及する。

 ---一九八六年、日本で血液製剤によるHIV感染事件が起きた。これも七三一部隊員が中心になって設立した「日本ブラッドバンク」社(後のミドリ十字)の運営方針と深く関わっていると思う。---

つぎにアメリカのフランツブラウ教授が「731部隊問題から目をそらすことは自らの品位を落とすことだ」と警告していることを紹介した上で、つぎのようにしめくくった。

---ノーベル賞を受賞した湯川秀樹、朝永振一郎両博士は、戦争中は軍に加担した。湯川氏は原子力開発に、朝永氏はレーダー開発に。しかしともに戦後は反省して平和運動の先頭に立った。いま日本の医学界に問いかけられているのは、戦時中の戦争犯罪をあいまいにしてきたことに対し、真正面から立ち向かうこと。何が問題で、何が教訓だったか導き出すことが重要だ。---

なお、莇氏が簡単にふれた部分で、興味深かった部分を最後に紹介する。それはこの筋では有名なようだが、731部隊を調査したエドウィン・ヒルの報告文の一説だという。当日配られた文書から引用する。
---「調査の結果集められた証拠の情報は、われわれの細菌戦開発にとって貴重なものである。それは日本人科学者による数百万ドルの費用と数年の研究成果である。…このような情報は人体実験につきまとう良心の咎めに阻まれてわれわれの実験室では得られないものである。このデータを入手するためにかかった費用は25万円であり、実際の研究コストに比べればほんのわずかの額にすぎない」---

良心の咎めをいうなら、日本軍の蛮行を咎めるべきであった。情報を秘密裡に独占するのではなく、731部隊の実態を明らかにして、その問題を総括し、反省せしめ、何が教訓だったかを世に問うべきであったろう。自分の国が実験することは気が咎めるが、他国の情報なら金を積んで入手する。“自分の国が研究したよりも金額は安く済むのだからいいじゃないか”アメリカ政府・軍の「良心の咎め」とは、その程度のものだったのだ。

※莇氏の発言では、当時の国内外の日本人医学者や学生などの間に、ひろく「石井部隊」で人体実験がおこなわれていたらしいことが知られていたであろうことを史料を示しながら展開したのだが、僕の一連のエントリでは割愛した。

(莇氏の項、了)

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731部隊関連/国際シンポ「戦争と医の倫理」莇氏発言②

莇昭三氏(15年戦争と日本の医学医療研究会幹事長、城北病院名誉院長)の発言その2。その1は下記URL参照。

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/04/post_7659.html

 そして731部隊の凍傷班、吉村寿人氏の戦後の弁明(直接の指揮官でもないのにといういいわけ)を紹介した。吉村氏がどのような弁明をしたかは、下記URL参照。

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/04/731_085c.html

莇氏は、「こういう考えは戦後の医学界で一般的だったし、現在もある」と述べた上で、下記のようにいった。

---しかし、第一次世界大戦のランドベリー・カッスル号事件で病院船が撃沈され、脱出する救命艇にも発砲すべしという司令官の命令を実行した下士官への判決で、ライプチッヒ最高裁は次のようにいっている。
 「上官の命令が民法、軍法に違反していることを部下が知っていたなら、命令に従った部下も処罰を受ける責任がある」
 上官はいつも道徳的に正しいとはかぎらない。命令であろうがなかろうが、執行した一人ひとりに
道徳的責任があるという考えである---

続いて、有名なニュルンベルグ裁判についても触れた。

---第二次大戦後のニュールンベルグ裁判でも「ニュールンベルグ原則―第四項」で「政府または上司の命令にしたがって行為した者は、道徳的選択が現実に可能であったときは、国際法の責任を免れない」と宣言している。
 古来医師は、聖職者、裁判官とともにプロフェッショナルといわれてきた。プロフェッショナルとは、人間の行為の善悪の判断を神に代わって一任することを社会が確認してきた職業だ。15年戦争当時、「ニュールンベルグ規則」が確立していなかったとはいえ、「人の命を損なわない」ことが医師・医学者の判断基準の基本的原則であったはずだ。---

「『人の命を損なわない』ことが医師・医学者の判断基準の基本的な原則であったはずだ」まさに、その通りだろう。医学の何たるやを忘れて戦後に至って反省もせず、弁明ばかりするようでは、医師・医学者の資格はない。

【4/20一部修正】発言原稿と比較して話していない部分、簡潔にしか述べなかった部分、いいまわしなどを修正しました。

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2007年4月19日 (木)

731部隊関連/国際シンポ「戦争と医の倫理」莇氏発言①

4月8日に大阪でおこなわれた、731部隊問題をテーマとした国際シンポジウム「戦争と医の倫理」のシンポジストの発言大要を紹介していく。何回かに分かれるのは勘弁願いたい。

 僕がまず紹介していきたいのは、3人のシンポジストの一人、莇昭三氏(15年戦争と日本の医学医療研究会幹事長、城北病院名誉院長)の発言である。発言順序からいえば最後だったのだが。

 莇氏はまず、次のように述べた。

 ---15年戦争中に日本の一部の医師による医学犯罪が行われた事実ははっきりしているが、国や医学界はその事実を認め、何が問題だったかを今日まで明らかにしていない。私たちは戦後60年、いまからでも事実を明らかにし、教訓を汲み取る必要があると指摘する。これが今回の「戦争と医学」展の趣旨である---

 そして莇氏は、「政府は一貫して医学犯罪への関与を否定してきた」と述べ、「そういう事実を聞いてはおりますが、これを調査する権能も持たず、またこれを調査する必要もないのであります」(殖田法務大臣、衆議院外務委員会1950)という答弁、さらに1997年、98年の参議院で、99年には衆議院で「731部隊関連資料のアメリカからの返還」について質問されたが「資料(史料)は存在していない」と政府が言い続けたことにふれた。

 それはさておき。

 莇氏の発言のなかで、僕(おさかな)が莇医師の興味を持ったひとつめは、世界医師会議への日本医師会加盟にあたって、日本医師会が出した声明である。

 ---第2次世界大戦後、1947年に世界医師会が発足した。しかし日本とドイツの医師会加入には、両医師会の反省の意をこめた声明が必要とされた。日本医師会は1949年3月の年次代議員会で声明を発表した。
 「日本の医師を代表する日本医師会は、この機会に戦時中に敵国人に対して加えられた残虐行為を公然と非難し、また行われたと断言され、そして時として生じたことが周知とされる患者の残虐行為を糾弾するものである」---

 莇氏は、「この声明は、日本医師会が機関として731部隊問題等に触れた唯一のものだ。しかし『時として生じたことが周知とされる』とあいまいな声明で、しかも残虐行為をした当事者を『非難』するという『第三者的発言』にすぎない」と批判した。

莇医師が述べたことで、僕が興味を持ったのは二点目は、次の点である。

---「731部隊本部」にいた石川太刀雄(太刀雄丸だと思うが…byおさかな)には、戦後私は医学生として病理学を習った経緯があります。私には彼は普通の医学者であり、殺人をするような人格には見えませんでした。このように「731部隊」に関わった医学者や「生体手術練習」をした軍医たちは、日常生活の場では人殺しなどをするはずもない善良な人々なのであろう。しかし当時、どうしてあのような「医学犯罪」を犯したのであろうか?---

莇氏は、下記のような理由を上げた。

---民族差別、敵愾心、それらの理由もあるだろうが(※)、もっとも決定的なのは「上官の命令」「上司の指示」であろうと思われる。
 「731部隊」の「血清班」班長の秋元須恵夫医師は「医の倫理を問う」の中で教授の命令に従わなければならなかったと記述し、拒否すれば「破門」されるか、軍法会議に処せられるという理由を述べている。---

 一番大きいのは、上官命令に従わなければならなかったことだ、と。しかし上官命令なら許されるのか? という論点へと発言は続いていく。(つづく)

【4/20修正】

※の部分は、当日配布された原稿では大要、つぎのようになっている。当日は簡単に端折ったので、上記本文からはずしたが、下記に紹介しておく。

---「戦争状態」では「殺すか、殺されるか」だ。対敵する「捕虜」や死刑が予定されている捕虜を医学の発展、技術向上のために利用しても問題がないのでないか、という当時の時代感覚―敵愾心、愛国心、民族差別等が、犯行を矛盾なくおこなわせた理由の一つだろう。
 また軍事秘密というベールを利用し、その研究によって「よい結果」がでれば医学の進歩となる。つまり、「先端的研究」は「倫理規範」によって妨げられるべきでないという考え方もあったと思う。---

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2007年4月18日 (水)

明日から? 731部隊問題シンポ発言連載します・・・

今日、おおよそ大要をまとめたので、明日かあさってから731部隊問題を中心にあつかった、4月8日の「戦争と医の倫理」のシンポジストの発言を簡単に紹介したいと思います。

今日は疲れた。仕事詰まってます。

明日も火の車です。

おやすみ。

あ! 大事なことをいうのを忘れてました。

長崎市長の冥福を祈ります。

平和運動では注目していたので・・・核兵器廃絶の炎を絶やすな。

暴力団なんて何で存在するんだ。僕は、一切の暴力に反対する。

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2007年4月17日 (火)

731部隊関連/戦争加担に対する医師会会長声明

先日、4月8日におこなわれたシンポジウム「戦争と医の倫理」に行ってきたことは話したが、また一つ、資料?を紹介する。…資料というほどでもないけど。

とりあげたいのは、医師会が731部隊などの生体解剖や人体実験を反省していたかどうかと言う問題です。当日渡された資料や、実行委員会メンバーから聞いた話では、下記の日本医師会会長声明が唯一の反省だそうです。

「日本の医師を代表する日本医師会は、この機会に戦時中に敵国人に対して加えられた残虐行為を公然と非難し、また断言され、そして時として生じたことが周知とされる患者の残虐行為を糾弾するものである。 高橋明 日本医師会長」(※)

 ちょっと日本語ヘンですけど(笑)、たったこれだけ。まるで他人事のような声明。1951年に世界医師会に加盟する際、反省が必要になって、1949年にやむなく出した声明だとのこと。前回のエントリでは一部の人の神経を疑ったわけですが、別に彼個人に特有なものではないのではないかと思っています。組織だった反省がなければ、個々人が反省していなかったり、反省も不十分だろうことは、当然だと思うからです。組織が反省しても個人が反省しないことも当然あるでしょうが。

 シンポジストとして発言した莇昭三氏(15年戦争と日本の医学医療研究会名誉幹事長)は、731部隊に参加した石川太刀雄氏についてつぎのように述べています。

 「『731部隊本部』第一部の石川班の石川太刀雄には、戦後私は医学生として病理学を習った経緯があります。私には彼は普通の医学者であり、殺人をするような人格には見えませんでした。このように『731部隊』に関わった医学者や『生体手術演習』をした軍医たちは、日常生活の場では人殺しなどをするはずもない善良な人々なのであろう。しかし、当時、どうしてあのような『医学犯罪』を犯したのであろうか?」

 いくつか考えられる理由を簡単に莇氏は述べていますが、それはまた。

【追記】※声明は、1951年の世界医師会のときには、次のように言い回しが変わっていたようだ。

「日本の医師を代表する日本医師会は此の機会に戦時中に敵国人に対して行なった暴行を非難し、又行われたと主張され、そして二、三の場合には実際行われたという患者の残虐行為をとがむ」

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2007年4月13日 (金)

元731部隊員吉村氏「私がマスコミに責められるのはお門違い」

シンポジウム「戦争と医の倫理」ならびに「戦争と医学」展に行ってきたことは先日述べた。シンポジウムの発言内容は、もう少し後で紹介することになりそうだが、とりあえず、「戦争と医学」展のパンフレット(展示内容とまったく同じものが載っている。一部500円だった)も持っていることだし、そのなかから興味(?)を持ったものを紹介する。

いちばん僕がびっくりしたのは、下記の資料である。

---吉村寿人の弁明

 私が属していた部隊に戦犯事項があったことが最近、森村誠一氏「悪魔の飽食」に記載され、それがベストセラーになった為に国内の批判を浴びるようになった。しかし私の属した部隊は細菌戦の事を研究していたのであるが、最初に記したように私は生理学者であった為に部隊本来の仕事とは別の研究をやっていたのである。

 従って、此らの新聞やマスコミは世間の耳目を引く為に私に無関係の事をいかにも私が責任者であった様に書くのは全くの捏造である。多少社会的地位を得た私を引き合いに出してあたかも自分達の手柄話にしたい為の作文に過ぎない。個人の自由意志でその両親に従って軍隊内で行動が出来ると考える事自体が間違っている。軍の何たるやを知らず、ましてや戦争の本質などを知らない若い記者が現在の民主主義の時代の常識から書いた誤報であることは歴然としている。そんな個人の良心によって行動の出来るような軍隊が何処にあるだろうか。殊に当時の武官と軍属の間には明確な格差がつけられ武官は軍属の命に服する必要はなく、逆に軍属は武官の命には全体服従を強いられていた。しかも、個人の良心によって部隊長の命令に反する行動は絶対に許されなかった時代である。しかも私が戦時中に属していた部隊において戦犯行為があったからとて、直接の指揮官でもない私が何故マスコミによって責められなければならないのか、全くのお門違いの事であり、マスコミの何らかの意図的な動機によるとしか判断の仕様がない。(吉村寿人:喜寿回顧、吉村先生喜寿記念行事会、1984年)---

 731部隊に参加していたのに自分に責任はないといいきる神経経ってしまっていいんだろうか?どういう思考回路になっているんだろう。これが戦争なのか?

 ちなみに「戦争と医学」展の資料によれば、吉村氏は1950~52年に3回にわたり、凍傷実験論文を発表。生後三日目、1ヶ月、6ヶ月の乳児を使った実験を発表した。戦後になって凍傷実験を乳児を使ってはできないだろうから、731部隊時代の研究発表だろう。彼は京都府立大学の教授から学長になったとのことだ。

【08/10/25】下線部追加。取消線追加。

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2007年4月12日 (木)

「慰安婦」問題での安倍発言に対するテッサ・モーリス・スズキ氏論文

先日、大学時代の先輩にさそわれて、とあるメーリングリストに参加。すると、下記のような論文が流れてきたので、転載します。

論文執筆者のテッサ・モーリス・スズキ(Tessa Morris-Suzuki)氏はオーストラリア国立大学教授で、日本でも岩波講座「アジア・太平洋戦争」などにかかわっています。現在の国際情勢を見る一助になればと思います。

青字による強調は当ブログ管理者のanemonefish=おさかなによるものです。

なお、文字化けしているのはおさかなの元にメールが流れてきた時点で文字化けしているので、おさかなのせいではありません・・・でも、一箇所だけなので、論文の趣旨はきちんとわかると思います。

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迷走する安倍の二枚舌、真意はどこに?

3月のはじめ、米国下院で日本の戦時中の従軍慰安婦問題に関する決議案の審議がは
じまり、安倍首相は「狭義の意味では強制ではなかった」として、謝罪を拒否している。一方で、1993年に政府としての関与を認め、元「従軍慰安婦」に対し「お詫びと反省の気持ち」を表明した河野洋平官房長官(当時)の談話も否定はしない。このような二枚舌をつかう日本政府を、近隣諸国やオーストラリアのような関係国に住む人々はどのようにみているのか、アジア市民権ネットワークの代表でもある、オーストラリア国立大学のテッサ・モーリス・スズキが力強い小論文にまとめました。

(翻訳:金克美/TUP)

翻訳、配信は著者の許可を受けています。

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従軍慰安婦:
ほんとうのことを言う時(普段使っている普通の意味で)

テッサ・モーリス・スズキ
2007年3月8日

2000年8月、ドイツではナチ奴隷労働の何万人もの生存者を補償するために強制労働補償基金が設けられ、51億ユーロの基金が戦時中の奴隷労働の使役にかかわったドイツ政府や企業によって共同で出資され、2005年までには、7万件以上の補償請求が認められている。

日本史の研究者の中には、日本とドイツの戦争責任に対する姿勢の比較に反対する者もいる。確かに、過去に向き合う「良い」ドイツとそうでない「悪い」日本と、単純に二分するのは深刻な誤解を生む。歴史的責任へのドイツの姿勢は、複雑で、さまざまな意見がある。そのうえ、ドイツの主要な問題はホロコーストへの責任であり、それは、日本の歴史において、これに明確に相当するものはない。

一方、日本には政府を説得して、戦時中の過ちに対する責任をとらせようと何十年も戦う、多くの決然とした勇敢な学者、ジャーナリスト、弁護士、および一般市民がいる。困難と、時には落胆をともなう状況のなかでの彼らの努力は称賛に値する。おおやけに日本の歴史的責任の問題を提起すると、多くの場合警察がとりたてて犯罪として扱おうとしない、暴力的な脅しをちらつかせた口汚いメッセージの集中砲火に直面する。

しかしながら、強制労働の問題では、日本とドイツの違いははっきりと対照的だ。日本も戦時中、鉱山と工場で働くために非常に多くの強制労働者を徴用した。しかし、日本の場合は、この強制的徴用の暗部として、いわゆる「慰安所」に収容され、日本軍の手による強姦やその他の性的虐待を受けた女性の強制的な徴用があった。

また、ちょうどドイツが強制的に労働者を徴用したかどうかについて論議を必要としないように、「慰安所」が存在したという事実に疑問の余地はない。ドイツ政府は強制労働を認め、謝罪し、賠償金の支払いを行ったが、しかしこれまで何人もの著名な日本の政治家たちは、戦時中に徴用された労働者と「従軍慰安婦」の双方とも、本質的に強制であったことを認めたがらない。2007年3月の最初の週にトップニュースを飾ったのはこの後者の問題である。

これより2週間ほど前、米下院では日本政府に対し、戦時中の「従軍慰安婦」の戦時暴力を謝罪し、この事実について正確な公教育を行うよう要求した下院決議案121号に関する審議が始まった。議会がそのような決議案について審議するのは決してはじめてではないが、このたびの議論は特に多くの国際的な注目を集めた。

米国議会決議案に対し、3月1日、安倍晋三首相は「従軍慰安婦」の募集が「狭義の意味の(軍の)強制性は、それを裏付ける証言はなかった」とコメントした。数日後の国会答弁で彼はこの発言を繰り返し、「狭義の意味での強制とは」、明らかな事実として、「官憲が家に押し入って、人さらいのごとく連れて行く」ことがなければならないと述べた。

米国議会決議の結果がどのようなものであれ、彼および彼の政府は謝罪しないと明言したことからも、安倍には「従軍慰安婦」の徴用は「広義の意味で」強制的であったと主張することに、何の問題も、また一切の歴史的責任も感じていないことは明らかである。また、麻生太郎外務大臣は米国議会決議案を「客観的事実に基づいていない」と非難した。

これらの発言を読み私は、もしドイツ政府がナチの強制労働に対して「狭義の意味での強制」ではなかったので歴史的な責任はないと主張したら、国際的な反応はどんなものかと想像した。また、もしこの強制労働を積極的に否認するドイツの大臣のひとりがクルップという名で、その名の財閥の直系の子孫であったとしたら、世界はどのように反応するだろうかと、考えた。(訳注:クルップ社はドイツの重工業企業。父親から工場を受け継いだアルフレート・クルップが事業を発展させ、第二次世界大戦中にはドイツ軍向けに、戦車や大砲などの兵器を製造したことでも有名)
「従軍慰安婦」が被らなければならなかった悲運に対する責任の拒否は、もちろん、アジアの隣人やオーストラリアを含む地域のパートナーとの関係にとって非常に重要な問題である。オーストラリアの元「従軍慰安婦」ジャン・ラフ・オハーン(訳注:オランダ語ではジャンヌ・オフェルネ)は、戦時中の「慰安所」での強姦と虐待の経験に関して直接米国議会で感動的な実体験に基づく証言を行った人々のひとりである。オーストラリアとの緊密な関係を望む安倍の熱意は広く報道されてきており、彼の首相としてのありかたに、日本とオーストラリアの友好関係の新たな局面の始まりを見るものもいる。しかし、日本政府は安倍や麻生のコメントが、韓国や中国だけでなく特に戦争の記憶が生々しく残っている(オーストラリアのような)多くの国々において、日本の国際的イメージを損なわせたことを把握できないように思える。北朝鮮によって拉致された日本人の運命は近年日本国内で激しい感情を引き起こし、安倍自身も感極まって、公衆の面前で彼らの苦況に涙を流した。なのになぜ安倍や彼の政権にいる人々は、ジャン・ラフ・オハーンのような人々の体験が同じような感情をオーストラリアや近隣諸国に抱かすかもしれないと想像できないのか、
人・u桙ヘ不思議に思う。

強制と従軍慰安婦

「慰安所」の歴史にまつわり多くの混乱と論争があるが、いくつかの明白な事実がある。戦時中、日本軍の軍人が使用するための売春所が、アジアの占領地域全体につくられた。1932年には最初のものが設置され、その大部分は1937年に中国と全面的戦闘状態になった後につくられた。なかには、民間人が利益を得るために営業したものもあったが、そこも頻繁に出入りしたのは日本軍軍人であった。その他は直接日本軍によって設立され運営された。元内閣総理大臣の中曾根は海軍の彼の部隊が使うためにボルネオ島の「慰安所」建設の予算を許可したことを彼の回顧録でふれている。

これらの場所で働くために徴用された女性の数は定かではなく、予測は2万から40万と大きく異なるが、歴史家吉見義明
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E8%A6%8B%E7%BE%A9%E6%98%8E

が慎重な研究を行い、その範囲を5万から20万と狭めている。また、徴用の方法と女性が置かれた環境はそれぞれの状況により大きく異なる。以前に売春婦として働いていた日本人女性や、ある意味で「自発的」――貧苦や借金、また絶望の抑圧から追い込まれたものも多くいた。大半は韓国と中国からの女性だった。その多くは工場やレストランの仕事の約束につられ、家庭からおびきだされ、異郷の「慰安所」で監禁された。韓国、東南アジアやその他の地域には、銃口を突きつけられ集められた女性もいた。「慰安所」に連れてこられる前に軍人によって強姦された女性もいた。
多くの人間が――軍人だけでなく、韓国の植民地警察(もちろん、日本の指揮下の)や民間人ブローカー(それらブローカーは今日人身売買業者によって使われるのと同じ詐欺の手口を使った)が「従軍慰安婦」の徴用にかかわった。同じように鉱山や工場への強制労働の徴用に際しても、まぎれもない暴力行為や脅迫、また偽の約束など、様々な手口が使われた。
このことを証拠づけるのは、耐えがたい痛みと乗りこえなければならなかった烙印にもかかわらず、自らの体験を話すために進み出た非常に多くの女性の証言である。また、「慰安所」を使用した元軍人と、そしてそれらを設立するのにかかわった中曽根のような人々の証言もある。多くの書類は戦争の末期に(誤ってか、または意図的にか)破棄されたのだが、残存する戦場日誌とともに、「慰安所」の規則や運営を詳述した文書は、日本軍が慰安所制度の設立と運営に関わっていたことを明らかにする。それだけでなく、吉見義明によって掘り起こされた公文書からも、この事実は確認される。

1991年12月から1993年8月にかけて、日本政府は従軍慰安婦問題の調査を行った。調査結果に基づいて、1993年8月4日に当時の官房長官河野洋平は談話を発表した。談話において河野は次のように述べている。

「慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった」

河野は、つづいて「従軍慰安婦」として「数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を受けたすべての方々」に政府の「心からのお詫びと反省の気持ち」を表明し、以下の約束をした:

「われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する」

この談話に従い、1995年に、村山内閣はアジア女性基金
http://www.awf.or.jp/

の設立を支援(設立したのではなく)した。アジア女性基金は、何らかの金銭による賠償を生き残った犠牲者に提供するために、一般市民から寄付を集めることを計画した。しかしながら、多くの犠牲者が、補償金を支払うのは日本政府の義務であるという原則に立ち、アジア女性基金からの補償を受け入れることを拒否した(基金は、その事業の2007年3月31日の終了にともない、解散すると予想される)。
1996年に、国連人権委員会によって任命された特別報告者は「従軍慰安婦」問題に関する詳細報告を発表した。結論は明確である:

「特別報告者は、大部分の女性は、自らの意思に反して慰安所に置かれたこと、日本帝国軍は、大規模な慰安所網を設置し、規制し、かつ監督したこと、かつ日本政府は慰安所に責任があることについて完全に確信を得た。これに加えて、日本政府は、国際法上これが示唆するところから発生する責任を取る覚悟をすべきである。」

元「従軍慰安婦」と「慰安所」に訪れた元日本軍人を含むその他関係者からのさらなる証言はアジアの女性グループが集まって2000~2001年に開かれた民間のフォーラム、女性国際戦犯法廷で集められた。
法廷の主な主催者は受賞歴のある日本人ジャーナリスト松井やより(2002年没)であり、提出された証拠はガブリエル・カーク・マクドナルド(ユーゴスラビア戦犯法廷の前所長)を含む国際法学者らによって証拠評価された。

要約すると、必ずしもすべての「従軍慰安婦」が銃口を突きつけられて駆り集められたわけではないが、そうされた者もいた。「サービス」に支払を受けた者もいたが、ほとんどはそうでなかった。すべての「慰安所」が軍の直接管理であったわけではない。しかしそれは、膨大な数の女性が、暴力によるか、強制的であったか、または騙されるかして、結果的に彼女らの一生涯に影響を及ぼした恐ろしい性的暴力の犠牲となる状況に連れ込まれたという事実を打ち消すものではない。私は疑う、「数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を受けた」多くの人々が、その傷が、「広義」の強制の結果であったか、あるいは「狭義」の強制の結果であったかなどと思い悩んで月日を過ごしてきたであろうか、と。
日本のシステムは、この意味ではナチの強制労働のシステムとなんら違いはない。ある専門家の言葉を借りればそのシステムは、「自発的応募にまかせるかと思えば、脅しや暴力はもちろん賃金を支払うともちかけるなど、しょっちゅう変わる矛盾の多い政策と、予測不可能な方針転換」の複雑な混合物なのだ。

暴力の遺産

米国議会が「従軍慰安婦」問題に関する決議を審議している間、保守的な日本の議員グループ(政権与党の自由民主党員たち)は、政府に河野の謝罪を公的に否認させようと圧力をかけている。安倍のコメントとそっくりそのままの彼らの主張は、「従軍慰安婦」が「本人の意思に反する業者の強制連行はあったかもしれないが、軍や官憲による強制連行はなかった」ので、従軍慰安婦にそのような謝罪の必要は全くないということである。

この否認は、「従軍慰安婦」に対し公正な対応を要求している人々は、偏見に満ちた無知な「日本叩きをする連中」にすぎないという主張とワンセットになっている。例えば、保守的な産経新聞のジャーナリスト古森義久による記事は、米国議会決議案の「前提には慰安婦はすべて日本軍に直接に強制徴用され、河野談話も村山談話も明確な謝罪にはなっていないという決めつけがある」と述べている。
古森は決議案を注意深く読んだように思えない。
下院決議案121号は(マイケル・ホンダが提案者、戦時中に米国の戦時強制収容所における収容を経験した日系アメリカ人)、確かに「帝国軍隊への性的な奴隷制度への若い女性の強制」について言及しているが、どこにも、すべての募集が軍隊によって実行されたと示唆していない。反対に、日本の政府が「帝国軍隊の性的な隷属を唯一の目的として若い女性の獲得を"公式に委託"した」(""は原文著者による強調)と慎重な言葉遣いで述べている。また、決議案は、「日本政府関係者と一般市民の尽力と同情が1995年に民間のアジア女性基金の設立をもたらした」ことを褒め、1993年の河野談話での謝罪を言及している。しかしながら、河野談話に示された謝罪撤回の動きと、アジア女性基金の解散に懸念を示し、その文脈で日本政府が「従軍慰安婦」の歴史に関して改めて謝罪し、情報を広めるように求めている。つまり、決議案の本質は、日本政府が河野の約束を果たすことを要求しているのである。

米国議会決議案の慎重な言葉遣いと日本が過去に謝罪を認めていることを考えれば、麻生外務大臣がなぜ「事実に基づくものではない」と決議案をしりぞけるのか理解しがたい。しかし、一方で麻生にとっては、事実が厳密に調べられなかったことが都合が良いのかもしれない。イギリスのジャーナリスト、クリストファー・リードの報告によれば、麻生自身が、麻生財閥の子孫であり旧財閥系企業である麻生セメント株式会社の元代表取締役である。(戦時中、吉隅炭坑で少なくとも300人の連合軍捕虜:イギリス人101人、オーストラリア人197人、およびオランダ人3人を労働させ、同様に、何千人もの朝鮮人強制労働者を雇用した)
安倍と麻生が否認して、いったいどのような目的が達せられるというのだろう? 米国議会決議案否決を促進するという目的に適わないことは確かである。それどころか、彼らの発言は議会決議案に"反対する"(""は原文筆者による強調)米国議員を真剣に当惑させた。米国の決議案121号の反対者の主な戦略は、日本の政府が既に十分に「従軍慰安婦」の受難に陳謝しており、さらにその問題にふれる必要は全くないと主張することだった。安倍と麻生は反省を回避することで、彼らに最も近いアメリカの味方の足元をすくってしまったのだ。

否認の政治

慰安婦制度の本質は「強制」だったことに疑問をなげかける安倍は、まぎらわしくも、実際には河野談話を撤回していないと主張する。しかし、この2面性のある主張は、安倍に対する批判者たちを納得させることなく、なぜ日本の政治家の謝罪が隣国に懐疑的に見られる傾向があるのかという点を明らかにした。謝罪は個別的なものであったのであり、また、犠牲者に対する補償や歴史的責任に関するしっかりした公教育プログラムなどの内実ある包括的政策によって、裏付けられたことはなかった。だからこそ、河野談話などの談話(たぶん、どんなに善意に基づいたものであったとしても)は、次に権力の座につくグループによって簡単に改ざんされ、解釈しなおされ、その場の状況で言葉をにごされ、または簡単に放棄される。

もちろん安倍には、この問題と関連する前歴がある。2001年初め、NHKは前年末に閉廷した女性国際戦犯法廷に関するドキュメンタリーを制作した。番組が放送される数日前に、安倍(当時は内閣副官房長官)はNHKのチーフプロデューサーと面会した。彼らはドキュメンタリーの中身について議論し、その直後に、NHK経営者側によって土壇場で批判のトーンを実質的に弱める変更が番組のプロデューサーに命令された。

4年後、NHKの内部告発者が、安倍晋三が番組の内容を変えさせるために公共放送局であるNHKに直に圧力を加えた(日本の公共放送法に違反した介入)と発表し、問題はトップニュースになった。NHKのスタッフと番組について議論したのを認めた安倍は、面会が「政治的圧力」であったことを否定した(「狭義の意味での政治的圧力」というべきだろうか?)。この件は政治的論議を引き起こしたが、マスメディアの大部分は内部告発者の信憑性に攻撃を集中させた。

ことの結果、間違った行いをしたことでお仕置きされたのはNHKの内部告発者と事件を伝えた朝日新聞のベテランジャーナリスト、本田雅和である。本田は保守的なメディアから批判、中傷、皮肉の集中砲火をあび、彼の上司によって記者のポストから外された。

その間安倍は、歴史と記憶関連の問題と、北朝鮮による日本人拉致問題に関して熱心な国家主義者であるとの信任状をうけ総理大臣に任命された。しかしながら、政権の座について以来安倍は、よりタカ派の後援者を失望させている。2006年11月に、彼は中国をなだめるようなそぶりをし、長い間両国間の関係を悩ませている歴史問題を研究するために日中共同委員会を設立した。より深刻なのは、北京の六カ国会議の結果、北朝鮮に対する強硬路線をとる日本の安倍政権が他から孤立し、日本は拉致問題の解決に路線変更をしなければならないかもしれないという予測が起こったことである。明らかに揺れる政策と重要な社会・経済問題へ目に見える政策的な影響を与えられなかった安倍の個人的な人気は急落した。「従軍慰安婦」問題への彼の発言は、日本の右派の信頼を回復したいという安倍の熱望という文脈において、とりわけ7月の重要な参議院選挙への下準備として理解されなければならない。

なさけないほど相変わらずの話である。歴史的真実は短絡的な政治的便宜主義の犠牲にされている。犠牲者は今回、誰よりもまず、またもや政治家の道徳的に破綻した小事にこだわるレトリックによって侮辱され、正義を否定されている、生存する「従軍慰安婦」自身である。しかし、もう一方の犠牲者は日本人自身なのだ。近隣国との関係は政治的指導者の近視眼の、そして、不適切な行動で損なわれている。過去数日間、ニュースを読んでいて私は、松井やよりを思い出していた。彼女は死のその日まで真実と正義のために勇敢に戦った。そして吉見義明のような歴史家と本田雅和

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E7%94%B0%E9%9B%85%E5%92%8C

のようなジャーナリストに想いを馳せる。元「従軍慰安婦」と彼らのような日本人こそが正当な処遇を受けるべきなのだ。


原文:

http://nautilus.rmit.edu.au/forum-reports/0706a-morris-suzuki.html

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TUP速報の申し込みは:

http://groups.yahoo.co.jp/group/TUP-Bulletin/

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2007年4月11日 (水)

元731部隊大川氏の発言補足

シンポジウム「戦争と医の倫理」が4月8日、保険医団体連合会などが中心となった「戦争と医学」展実行委員会によっておこなわれた。3月末~4月8日までおこなわれていた医学会総会に対し、「医学界が15年戦争に荷担した責任などを問う企画を公式企画としてとりあげてもらえないか」という働きかけがされたが却下された。しかしこれが展示企画としては許可されたのが、「戦争と医学」展だった。この展示とリンクしておこなわれたのが、医学会総会とは別会場でおこなわれた、このたびのシンポジウムというわけだ。

医学会総会会場の展示コーナーは、OBP円形ホールだった。何と、失礼なことにトイレの前だった。医学会総会の展示は、他の展示はほとんど企業向けのものばかりだった。そもそも企業向けなのだろう。なかには「アガリクス」など、健康被害が取り沙汰されて大問題になったものまで、堂々と宣伝ののぼりが立っている始末。思わず心の中で「おいおい、大丈夫かよ、まがりなりにも医学会総会の展示だろうが…」と思ってしまった。「金が物をいう」のを地で行くような展示会場だった。

「戦争と医学」展も、OBPホールの展示にあたっては、最初は200万~300万とかいう数字を出されたそうだが、そんなに払えないので、ということで70万にしてもらったそうだ。しかし、70万円も安い買い物ではない。しかもトイレ前。ある医師は「いまの医学会の位置づけは、その程度だということ」といっていた。

 さて、蛇足?はその辺で。すでに報道もされているが、元731部隊員の大川福松氏がシンポジウム会場を訪れ、証言した。ちょっとTBしていただいた方のエントリを拝借します・・・。kojitakenさん、すみません・・・。

http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20070409/1176115827

 で。大川さんがいったことで、ちょっと興味深かったことを紹介。中国・731部隊罪証陳列館の地下には、まだ発掘されていない部分があるみたいだ。大川さんいわく、「731部隊の地下は、どの程度破壊されているのか。破壊されないで残っていないだろうか」と。「化学薬品やホルマリン漬けの標本はビンに入っているのだから、爆破されていなければ残っているのでは」という趣旨のことも話していた。

 731部隊罪証陳列館館長の王鵬さんも、地下はふさがっているようなことをいっていた。大川さんに「ぜひその扉を開ける人になってほしい」と呼びかけていた。
 あんまり731の事は詳しくないのでよくわからないんですけど…731部隊本部の地下は、本当にふさがれているんでしょうか? どんな感じでふさがれているの?? 一度陳列館にも行ってみたいものです。

 それにしてもまだ全体が発掘されていないなんて・・・何でじゃ。戦後何年経っているのよ・・・と思ったのはおさかなだけ?

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2007年4月 6日 (金)

「戦争と医の倫理」取材

お仕事で。4月8日に、大阪で取材だ。その取材は、国際シンポジウム「戦争と医の倫理」だ。シンポジストは、次の三人。

 ★王鵬氏(中国731部隊罪証陳列館館長)
 ★ダニエル・ウィクラー氏(ハーバード大学公衆衛生学部教授)
 ★莇昭三氏(15年戦争と日本の医学医療研究会幹事長、城北病院名誉院長)

8日の13時から16:30、場所は大阪のたかつガーデン。
なお、日本の医学界は、戦争と深い関わりを持っていて、731部隊などとの関わりが深いらしいし、侵略戦争を反省していないとか、戦後の医学会にも戦前の影響をひきづいっているとかいわれるが、どうなんでせう。おさかなはちっとも勉強したことがないのだが、シンポジウムを取材できるという幸運にあやかって、勉強してきやす。

 三人の発言はMDに取るので、簡単にレポートします。1~2週間後になるでしょうが。

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2007年4月 5日 (木)

「『慰安婦問題』のからくり」感想その2

「日本人なら知っておきたい『慰安婦問題』のからくり」感想2回目。1回目は下記URL参照。

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/04/post_79f1.html

 この本は簡単にいうとよく否定派が持ち出す議論=「慰安婦問題とは、ありもしない強制連行を吉田清治氏などがいいだし、朝日などが騒いだおかげで、あたかも事実のように広まった問題である。ところが強制連行の証拠が見つからなくなったとたん、『あった』派の人たちは『慰安婦問題は強制連行問題だったのだだけではない』などと言い出した。話をそらすな』」という類の議論にそった、お約束の論旨展開をおこなっています。

---慰安婦問題、つまり「日本の国家権力による、朝鮮における強制連行での慰安婦調達」という話は韓国から沸きあがってきたものではなくて、吉田清治氏の著作にもとづいて、日本発で韓国側にもたらされたものだったのです---(74ページ)

 慰安婦問題が「日本の国家権力による、朝鮮における強制連行での慰安婦調達」に誤変換されていますね。慰安婦問題などという言葉を使わず、「慰安婦強制連行捏造問題」という名称でも採用したらいかがでしょうか。

---「日本追及派の人たちというのは、もともと『日本の官憲が朝鮮の女性たちを人狩りのように強制連行していって、慰安婦の調達にあてていた』、と思い込んで日本追及運動にのめりこんでいったわけで、ところがよく調べてみると、日本軍慰安婦の実態など、戦地に出張営業に押しかけていった売春業者おかかえの単なる売春婦でしかなかったわけですから、日本追及運動に加担した人たちですが、本来だったら”ギブアップ”するしかないのです」---(195ページ)

 何でギブアップすんねん。慰安婦問題は慰安婦問題だって。「慰安婦強制連行捏造問題」ではありません。慰安婦問題って言葉使うなよ、紛らわしい。

 ---それから、(※おさかな注=河野談話の)「慰安所における生活は強制的な状況での痛ましいものだった」という部分ですが、”慰安婦”といったところで、その本質は単なる売春婦に過ぎないわけです。だから、慰安婦の女性たちの境遇にしたところで、売春業に身をおくようになった女性たちの境遇が一般的にいってそうであるように、親に身売りされたとか、多額の債務を背負わされている等「強制的な状況のもとでの痛ましいもの」に決まっています。/慰安婦の女性たちの境遇が不幸なものであったとしても、それは売春業に従事しなければならなかったということが不幸なのであって、別に日本軍の慰安所で働くことになったから不幸なことになったのではありません---(185ページ)

 人権感覚が皆無なのにも驚きますが、論点のすり替えもおこなっています。河野談話は「慰安所における生活」を問題にしているのに、いつの間にか「親に身売りされたとか、多額の債務を背負わされている等」という話にすり替えてしまいます。せこい!

 結局、著者が慰安婦問題を強制連行の問題だけにしぼるのは、慰安所での生活や性サービスの強要や強姦、健康被害などに焦点を当てないための詐術なんだな。だいたい、連行という「過程」に問題がなくても、「就職先」で問題が起きることだってある。「9時~5時で週休2日だといわれて就職したのに毎日夜遅く、休日出勤もしろといわれる。話が違う」って話がいまの日本でザラにあることを考えても、それぐらいわかるだろう? 

 そもそも、連行の過程で「だまされた」例も報告されているのに、日本の権力が力で連行したのでなければ問題ないという議論自体に、重大な論理の飛躍がある。そのあたりのことについては次回。

  

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2007年4月 2日 (月)

「『慰安婦問題』のからくり」感想その1

「日本人なら知っておきたい『慰安婦問題』のからくり」(阿部晃、夏目書房2005)を読みました。何回かに分けて感想を書きたいと思います。まず1回目です。最終的に何回になるかわかんないけど。

で。この本を読んでまず、びっくりしたのはこれです。

 ---一方、兵士たちにしてみれば日本から遠く離れた戦地で、毎日殺伐とした戦闘行為や軍事訓練に明け暮れていたわけで、そんな状況におかれたら、誰だって、時にはハメをはずしたくもなります。具体的にいうと、酒も呑みたくなるし女性だって抱きたくなるとうい(ママ)ことです。(19ページ)---

 ---遠征先で、兵隊たちの下半身をスッキリさせてやらなければならない必要性が生じたら、売春業者に戦地にまで営業に来てもらえばそれで間に合います。だから日本軍はそうしていたのです。(66ページ)---

 もし仮に個人の売春が合法的だったとしても、慰安所の設置・拡大を考えたのは軍です。つまり公権力。その公権力が慰安所を設置することで、売春を公認した上、軍人にあてがい、推進したのです。「私」である業者の売春一般と同じように論じている節がありますが、当時から醜業といわれたものを、公権力が公認し、構成員にあてがい、推進したことの道義的責任はないのでしょうか。

 さらに。「日本から遠く離れた戦地で、毎日殺伐とした戦闘行為や軍事訓練に明け暮れていた」ことを理由に売春を合理化する点も、不可解です。性サービス以外の方法はなかったのでしょうか。

 また、「戦闘行為や軍事訓練に明け暮れ」るハメになったのは、日本自身に多大な責任があります。戦争が長期化したから余計に明け暮れるはめになったのですから。日中戦争の長期化は、上海事変(1937)後、現地の日本軍が独断で戦線を拡大し、これを陸軍中央が追認して南京へ攻め入ったのがそもそもの原因です。その南京侵攻・占領の際に起きたのが南京事件。南京事件後の近衛首相(当時)の重慶政府を「対手とせず」声明で、自ら戦争解決への道を閉ざしてしまい、戦争の泥沼化・長期化はますます避けられなくなりました。「兵士たちにしてみれば」と兵士の状況に思いを馳せるのは結構ですが、何で遠く離れた戦地で「明け暮れ」るハメに陥ったのか、時代背景にも思いを馳せるべきです。

 さらにくわえるなら、南京侵攻の過程で強姦が多発したことをきっかけに、日本軍慰安所の設置が本格化し、拡大したのです。で、強姦防止のために慰安所を本格的に設置・拡大することを軍が決めた。戦争の長期化も強姦の多発も、なし崩し的で自分勝手な戦争拡大と、それを追認した政府と陸軍中央にもともとの責任があるわけで、そういう時代背景を無視して「下半身をスッキリ」なんて言葉で問題をすまそうとする論理の浅さは、目を覆うばかりです。

 最後に、公共性の高い媒体=公刊された書籍で「下半身をスッキリ」なんてはばからずにいえるその神経も、ちょっとよくわかりませんね。僕には不可解です。下品ですね。「『河野談話』によって“前代未聞の好色外道民族”といういわれなき罪状を背負わされ・・・」(190ページ)などといいますが、日本人が好色外道民族と思われるとしたら、著者のような人が日本で目に見えて増えたときでしょうね。

 

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2007年4月 1日 (日)

3月は7冊読みました

2月までで戦争関連本を累計56冊でしたから、これで63冊読んだことになります(昨年7月からの累計)。

読んだ本は以下のとおり。書名だけ記します。

○イアンフとよばれた戦場の少女(川田文子、高文研2005)3/9読了

おおざっぱな感想。

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/03/post_b5da.html

○日清・日露戦争(原田敬一、岩波新書2007)3/10読了

感想のごく一部。

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/03/post_e268.html

○国際法から見た「従軍慰安婦」問題(国際法律家委員会著、社団法人自由人権協会・日本の戦争責任資料センター訳、明石書店1995)3/15読了

●慰安婦強制連行はなかった(大師堂経慰、展転社1999)3/16読了

感想の一部は、下記URL参照。

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/03/post_aaf5.html

○戦時・性暴力をどう裁くか-国連マクドゥーガル報告全訳(VAWW-NET JAPAN編訳、凱風社2000)3/28読了

 感想は下記URL。まだ余力があればかきたいけど。

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/03/post_ffa6.html

○フィリピンの日本軍「従軍慰安婦」(フィリピン「従軍慰安婦」補償請求裁判弁護団、明石書店1995)3/30読了

●日本人なら知っておきたい「慰安婦問題」のからくり(阿部晃、夏目書房2005)3/31読了

 「日本人なら・・・」は、慰安婦強行連行虚偽強調論(?)のからくりがよくわかるし、品がなくびっくりした本なので、感想をいずれアップします。近日中に。

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2007年3月29日 (木)

ほとんどの「慰安婦」が「セックス産業に従事」することを「自ら決めた」人のようにいう根拠は?

慰安婦問題をわかりやすく説明しているというエントリのTBが、おさかなのブログに張り付いた(ペタッ)。

http://nippon01.seesaa.net/article/36682534.html

「右派社民党」? タイトルも何だか自分とことなる意見の人を食ったようなタイトルだなあ。まあ、いいでしょう。議論の中身こそ大事ですから。偏見はいけません(?)。気を取り直して、中身を確かめてみようとTB元を覗いてみると。

いまさら説明するのも馬鹿くさいですがいわゆる従軍慰安婦問題のわかりやすい解説

 「従軍慰安婦」とは実際には「戦地売春婦」であって、
カネを受け取りセックス産業に従事することを自ら決めた者
たちです。 日本は謝罪する必要などまったくありません。
 「強制連行」とは、いわゆる「徴用」という戦時下の国民に
課せられた義務のことを混同しているようですが、1944年
9月から、1945年3月までの半年間だけ朝鮮半島に徴用が
適応されました。その間に日本に渡った朝鮮人は推定で
2000人足らずでした。つまり仮に徴用を「強制連行」と
呼ぶにしても、終戦時日本に存在した朝鮮人約210万人の
うち、99%以上が「強制連行」とは関係ない人間であると
いうことです。あの朝日新聞でさえ、1959年当時の
在日朝鮮人のうち「徴用」によって日本に来た人は、
わずか245名しかいないという結論を出しているのです。

「セックス産業に従事」することを「自ら決めた者たち」だって? 文章を見る限り、自ら決めた人が大半だといっているように見えます。最初、おさかなの質問の仕方が悪かったのか、紆余曲折ありつつも、とにかく「自ら決めた」という人たちがほとんどだという根拠を示してください、というと、管理人さんからは返事はなく、別の方からこんな史料が提供されました。

とりあえず、「日本政府が強制連行したんだ」とわめいた韓国人が出した証拠↓

http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1832626

慰安婦大募集
月収300円以上(現在の80万以上)
前払いで3000円(約800万円)

 この資料で、「自ら募集に応じた人がいる」を物語っていると思いますよ。
 今でも、ソープランドで働いている人の中には借金やお金を貯めたいと思うひとたちがいるわけで。その募集広告は風俗雑誌とかにありますよね? 貴重な貴重な資料を、現代の漢字が読めない朝鮮人なばかりに「強制的に連行したんだ」と思い込んだ資料を提示してしまったんでしょう。

 どうしてこれが自ら決めたという人もいるという根拠になるの? よくわからないのですが…だって、広告だし。広告を見ても自発的に人が集まらなかったらどうするの? 自ら決めた人がいるという可能性を示す史料ではありますが。

 さらに、この史料を紹介してくれた人は、ご覧のとおり、「自ら募集に応じた人がいる」ことを示す史料として上記の史料を紹介してくれました。でも、僕が求めたのは、自ら決めた人がほとんどである、ということの根拠です。僕ははっきり次のように聞いていました。

 私は、このエントリで「自ら決めた」という「慰安婦」がほとんどであると、管理人さんがおっしゃっているように受け取りました。「自ら決めた」というからには、慰安婦として働くことを口頭にせよ、文書にせよ、あらかじめ説明されている必要があります。連れて行かれる前に。そして本意にせよ、不本意にせよ、同意していないといけない。しぶしぶでも。「慰安婦として従事してほしい」という説明があり、これに同意した慰安婦がほとんどだったという根拠を示す必要があると思います。証言でも史料でもけっこうですので、根拠になると思われるものを示してください。

 どうも、僕の文章の一部分にだけ反応している気がするんだな…。とりあえず史料提供してくれたのはいいことなのだが。貰った史料だけよく頭に留めておこう。僕は僕で勉強をすすめやす。もう疲れたよ。管理人さんはこたえないし。こたえないのに別のTBは貼ってくる。この方のTBは、単なる情報アナウンスとして受け取っておく方がいいのかな。人を食ったような言い方をしている上に「自ら決めた」人たちだとずいぶん勇ましく断言しているのだから、もっとスパッとご自分の主張の根拠を示してもらえると期待したのだが。まさか根拠もなしに上記のようなエントリを書いているのじゃないでしょうね?

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2007年3月27日 (火)

性暴力とは?-国連マクドゥーガル報告

『増補新装2000年版 戦時・性暴力をどう裁くか 国連マクドゥーガル報告全訳』(VAWW-NET JAPAN編訳、凱風社2000)を読み途中。今日か明日には読み終えます。プライベートでばたばたしたので、エライ読むのに時間かかってます。いやはや…。

さて、この本を読んで、自分が重要だと思った点はいくつかあるのですが、まず、性暴力とは何かを説明している点がちょっと新鮮だったので紹介します。

---◆21 強かんは「性暴力」の定義の中に含まれる。この報告書では「性暴力」を、性的手段を利用して、または、性を標的として行われる、身体的または心理的なあらゆる暴力と定義する。性暴力は、公衆の面前で裸になることを強制したり、性器を切除したり、女性の乳房を切りとるなど、人の性的特徴に向けられた身体・心理双方への攻撃を意味する---(37ページ)

性暴力というと、自分の意識の中では強姦の印象が強かったのだが、強姦は強姦で性暴力としてとらえつつも、もっとひろい範囲を性暴力としてとらえる視点を持とうと思った次第です。おさかなはニックネームこそ「おさかな」ですが、「魚眼」なみに広い視野を持つには精進が必要ですね…。え? おさかなの到達が低すぎる? うるさいです、だから勉強しているんです(泣)。

あと、もう一点。考えさせられたのは次の点です。

---◆16 第二に、国際人道法には国内法と同様、女性の「名誉」の保護規定を含んでいることが多く、攻撃を受けた性暴力の被害者(サバイバー)が何らかの形で「名誉を傷つけられた」という含みがあった。この報告書は、このように性格づけることは誤りであるという立場をとる。いかなる強かんも、またいかなる状況下での性暴力も、名誉を失う側は加害者のみであるからだ。強かんはまさに人間の尊厳と身体への完全性への攻撃であり、何よりもまず、暴力犯罪にほかならない。---(34ページ)

 性暴力の問題で、名誉を失うのは、加害者のみだという指摘は、考えさせられます。その通りかもしれないな、と。被害者がともすれば「恥ずかしくて生きていけない」とか差別の対象にされてきたりした戦後の状況を考えると「名誉を失った」という被害者の言い分に同意もできますが、本来は被害者は犯罪行為を行ったわけではないのですから、加害者こそが本来は名誉を失っているのだということは、国際的にもっと広く認識されてもいいかもしれませんね。

 まだ他にも考えさせられたところや、これってどうなんだろうと思って調べなきゃと思っている部分があるのですけど、とりあえず今日はここまで。

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2007年3月17日 (土)

日本語がわからない?

『慰安婦強制連行はなかった-河野談話の放置は許されない』(大師堂経慰、展転社1999)を読んだ。いきなり比較的最初のほうで、河野談話の誤読をする。

---河野洋平官房長官談話では、慰安婦の募集について「軍の要請を受けた業者が主としてこれにあたったが、その場合も甘言、強圧による等本人達の意思に反して集められた事例が数多くあり、さらに官憲等が直接加担したこともあった」、と慰安婦募集に強制連行の事例が多数あった、と説明している。---(15ページ)

 談話は、数多いのは主に「業者」の「甘言、強圧」など「本人達の意思に反して集められた事例」である。強制連行が数多くあったなどとはいっていないはずだが? 慰安婦否定派が強制連行という場合、たいてい官憲が無理やり連れて行くことを指すことが多い。その目で見るなら、間違っても河野談話が強行連行が数多くあったといっていると確定できないはずだ。それとも業者の「強圧」を強制連行といっているのだろうか?  河野談話からはっきり読みとれるのは、「本人達の意思に反して集められた事例」が数多くあった、ということだと思うが。

 ----また、朝鮮出身の慰安婦についてはその表現をさらに強め、「その募集、移送、管理等も甘言、強圧による等総じて本人達の意思に反して行われた」と特に「総じて」という言葉を付け加えて、韓国政府が強く主張した「全員強制連行」を実質的に認めたものにしようとする跡の窺える表現になっている。----(同上)

 「総じて」というのは、本人達の意思に反していた、という点である。全部が全部「強制連行」などといっていない。なぜ突然「全員強制連行」を実質認めたものにしようとしているように見えるのだ? 

 ちなみにこの本、本文は110ページしかなく、後は延々と新聞報道や談話、教科書の記述などの「関連資料」で埋められている。全体が278ページなのに、本文が110ページで終わってしまうのには拍子抜け。もうちょっと「偉大」な論述の集大成を期待していたのだが。先日買ってきたもう一冊の否定本「日本人なら知っておきたい『慰安婦問題』のからくり」(阿部晃、夏目書房2005)に期待することにしよう。

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2007年3月14日 (水)

また本が増殖

従軍慰安婦問題に関連して、安倍首相の発言が引き金になって、おさかなも勉強中。さながら従軍慰安婦問題学習月間の様相。

慰安婦問題に関しては、「従軍慰安婦」(岩波新書)、「『従軍慰安婦』をめぐる30のウソと真実」(大月書店)、「Q&A女性国際戦犯法廷」(明石書店)しか読んでなかったが、以下の本を買ってきた。

○フィリピンの日本軍「従軍慰安婦」(フィリピン「従軍慰安婦」補償請求裁判弁護団、明石書店1995)

○戦時・性暴力をどう裁くか-国連マクドゥーガル報告全訳(VAWW-NET JAPAN編訳、凱風社2000)

●慰安婦強制連行はなかった(大師堂経慰、展転社1999)

○イアンフとよばれた戦場の少女(川田文子、高文研2005<3/9読了>)

●日本人なら知っておきたい「慰安婦問題」のからくり(阿部晃、夏目書房2005)

○国際法から見た「従軍慰安婦」問題(国際法律家委員会著、社団法人自由人権協会・日本の戦争責任資料センター訳、明石書店1995)←明日にも読み終えそう。

 本当は「慰安婦と戦場の性」(秦郁彦、新潮選書1999)もほしいけど、アマゾンでは品切れ。しょうがない。図書館で借りるかな。

 いずれにしても・・・本を読むだけでなく、自分で慰安婦問題をどうとらえるのか考える作業もしないといけないよなあ、と思うと、どう考えても自分の中で4月まで慰安婦問題を引っ張りそうな感じです。

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2007年3月12日 (月)

自問自答・・・過去の戦争のことを学び、考える意義

なぜ、僕は、日本の起こした戦争について学んだり、考えたいと思うのか? 勉強しても調べても、知らなければならないことは膨大で、やりはじめたらきりがない。それだけ日本がやった所業が膨大なのだが、何でこんな勉強やってるんだろう、と自分でもときどき思うことがあるので、自分なりに理由を再度振り返ってみた。僕が学び考えつづけたいと思う理由は、つぎのようなものだ。

①過去の戦争の実相を知りもせず、知ろうともしないのに、「金目当て」「蒸し返すな」「まだやってるのか」などと受け取ることは、僕には被害者への冒涜だと思える。もし自分の知らないだけで、償うべき人権侵害を戦争被害者(と主張する人たち)が受けていて、耐え難い傷を心に(体に)受けていたとしたら、「金目当て」「蒸し返すな」「まだやってるのか」と思っている人たちは自分の言論にどう責任を持つつもりなのか。こういう状況を少しでも変えたい。一人の力は小さくても。

②「まだやっているのか」「蒸し返すな」という多くの日本人の中にある意識が、日本の戦後補償・戦争責任が何度も問題になり「蒸し返される」原因になっている。こうした状況は日本と日本人の国際的地位を低めるだけで、高めることはない。(日本の起こした戦争を侵略戦争だと認めない人は逆のことをいうだろうが)

③一方で、僕自身が、「金目当て」「蒸し返すな」「まだやってるのか」などの風潮へ具体的に反論できるだけの知識・力量、戦争被害の実相へのイメージと被害者への共感が僕の中にまだ不足している。

④戦争被害の実相を知り、考えることは、日本人として、アジアの人々へどのように向き合うのかという態度を築いていく糧となる。「戦争? 何ですかそれ?」では、本来日本人はアジアの人々に顔向けできないはずだと思っている。

⑤現在の憲法「改定」に代表されるように、世界へ自衛隊を「軍」として海外派「兵」したいという動きがつよまっている。侵略戦争はもちろん、慰安婦などの人権侵害すら認識できない貧困な権利意識の人物が中枢をしめる日本が自衛隊を出したとしたら、どのような事態になるか危惧するからこそ、日本政府の、過去の戦争への態度を問題にする動きを強めなければならない。道義的問題(他国への侵略、個々人への権利侵害など)をあいまいにすると、再び道義的に説明のつかない問題を引き起こして世界を、少なくとも隣国を巻き込み、やがて将来、日本の「国益」をそこなうと確信している。

⑥侵略行為、戦争責任を否定する人々の日本人一般への影響が無視できないため。こうした否定論が影響を広げないように学び、主張する人が広がっていくことが必要である。その一人に自分がならないといけないし、そういう人間でありつづけなければならない。

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2007年3月10日 (土)

日本軍による性奴隷は「慰安婦」だけではない

 「イアンフとよばれた戦場の少女」(川田文子、高文研2005)を読みました。

読んだ上で今一度注目したいと思ったことがあります。それは①慰安所の慰安婦と、②町や村への侵攻・占領などにともなう強姦以外に、③その中間=侵略地の女性を一部将校と住まわせたり、建物・家屋などに連れていき、性行為を強制した例もあったことです。

 ③は、フィリピンやインドネシア、中国山西省などで見られたようです。

 ③に注目したい理由は、下記の(A)(B)の通りです。

(A)アジアの女性たちの運命が、①②③のいずれにでもなりえた。日本軍が組織として業者などを介して女性を「確保」したのか、一部部隊などが勝手に彼女たちを「かこう」ことを計画したのか、計画ではなく衝動的な強姦で終わったのかという、日本軍の組織ならびに一部軍人の身勝手な都合で、①②③のいずれになるかが決まったように思えた。だからこそ日本軍・軍人によるすべての性暴力被害をつかもうと努力するならば、③にも注目する必要があると思った。

(B)慰安所の設置が②の強姦を予防できなかったこと自体が、日本軍が堕落していたことの証左。しかし、さらにすすんで③のように一部の部隊などが正規の指示ではないところで女性を連れて行き、性行為を継続して強制する場所をつくったなどの所業は、さらにすすんだ軍規逸脱・犯罪行為ではないかと思った。

 また、彼女たちの「傷」というものを考えるとき、非常に甚大な被害を日本軍が与えたことを忘れてはならず、その傷は広くて深く、永続的ですらあるように思います。

 性行為を強制され、奴隷的扱いを受け、従わないと殴られ、健康が害され、或いは生命を落とし、体を傷つけられ、心を傷つけられ、結婚出来ず、結婚出来ても夫にすらさげすまれた人までいる。彼女たちを救おうとして家族が抵抗して傷つけられたり殺されたケースもありますし、抵抗する間もなく傷つけられたり殺されたケースもあります。さらに被害者にもかかわらず、「日本軍の売春婦」などの心ないレッテルを貼られたり、強姦されたという事実を長い間黙っていて、夫にすらいえなかった人もいる。いまだにPTSDを引きずっている人もいて、あらためて自分が、被害者像を実感をもってつかみ、論戦の後景に追いやらないようにしたいなと思います。 

「イアンフとよばれた戦場の少女」を読んで、あらためて心を痛め、しかしその傷を自分は完全に感じることはできていないだろうという気持ちとともに、自分の所業ではないにせよ、二度と再発させないための総括を日本社会としておこなうこと、日本政府としてのきちんとした総括・謝罪と補償をおこなうように行動することが大事だな、と思いました。何ができるかわかりませんけど。

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2007年3月 7日 (水)

おさかなも「強制連行などなかった」論に振り回されていた?

 青狐さん(bluefoxさん)のエントリー「まず『軍慰安所』自体を問題とすべきです(eichelberger_1999さんの発言を紹介)」を読み、非常に考えさせられました(詳しくは下記URL参照)。

http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20070304/p1#c

 考えさせられたといっても、不勉強なおさかなのことなのでまだまだその考えは浅いのですが、つまり以下のようなことです。

 第一は、日本軍の悪行を「当時は合法だった」などと主張して正当化しようとする言説は多いですね。しかし「合法だ」「非合法だ」という前に、倫理的な観点から検討した際、正しくまっとうなものであったと胸を張れるものだったかどうかも検討されなければならないということです。私人に認められる「愚行権」が、国家権力に認められるのかどうか。僕も合法・非合法という前に倫理上の問題があるということは、従軍慰安婦問題以外では考えたことがあったのですが、少なくとも従軍慰安婦問題に関しては、その犯罪性にばかり目を奪われていました。視点が狭かったといわざるをえません。結局、僕も一部の言説=「強制連行はなかった」論に振り回されていたのです。強制連行などなかった→慰安婦は商行為だったなどの言説を受け、これに対する反論ばかりが自分の頭のなかにありました。このゆがんだ認識を打ち破るきっかけをつくったエントリーでした。これから未熟なおさかなの視点も少しは広がっていくでしょう。おさかなも「『騒がれた言説』と『客観的に存在した事実』をわけて考えるべきではないでしょうか。そのうえで強制連行の有無や慰安婦確保の手法・実態、軍の関与の仕方、そもそも売春と呼べるものだったかどうか(お金をもらったことなんてないという人もいます)などが問題となるのだと思います。」なんてえらそうなことを言っていますが(「anemone-osakana」=anemonefish=つまり僕)、実はこれはこのエントリーを読んだ、自分自身への指摘でもあったのです。いやいや。eichelberger_1999さんの指摘の重要性をここ数日痛感しています。

 第二に。青狐さんの問題提起についてです。このエントリーへのご自身のコメントの中で、つぎのように問題提起しています。

 >eichelberger_1999さんの問題提起につなげて私からも問題提起をさせていただくと、「聖戦」を戦っていたはずの日本軍兵士は、1年だか2年のあいだ「性欲」を抑えることができなかったのか?軍は、兵士に対し「この戦いは聖戦である、性欲など抑制しろ」と押さえつけることができなかったのか、という点です。
そもそも軍当局自らが慰安所を大量に用意したのは、用意せざるをえなくなったからです。つまり兵士の強姦があまりに多発して、強姦事件を予防する必要が生じたからです。しかし日本内地の娼婦では性病防止の点からNG。つまり、性病防止の観点から「未経験者」を大量に慰安所に就労させる必要があった。となると…どんな手段を使っても性労働力を調達する必要にかられていたのは軍当局なのです。直接「調達」に関わったのは下請けの民間人だったにしても。
 ですから、日本軍が性労働力を大量に必要とし、それを(朝鮮や中国等で)大量に調達する過程で地域社会や個人に大きな「爪あと「傷あと」を残していった、そういう歴史的経緯そのものを「問題」として認識すべきではないかと思います。

 実を言うと、恥を忍んでいえば、「どんな手段を使っても性労働力を調達する必要にかられていたのは軍当局なのです」という部分については僕は意見を保留しています。本当は従軍慰安婦を設けること以外にも道はあったのではないかと、そう思うからです。休日も十分なかったという、そもそもの日本軍の「就業規則(?)」の問題もあったようにも思うからです。休みもないようなところでは、当然軍紀は退廃しますよね・・・。(追記=休みも十分でない、というのを「従軍慰安婦」(吉見義明)で見たような気がするのだけど・・・気のせい?)日本軍が軍事的に必要なものとみていた、という点はわかっていますけど、本当に必要だったのかどうかは勉強したいです。

 でも、次の部分は大賛成です。つまり、「日本軍が性労働力を大量に必要とし、それを(朝鮮や中国等で)大量に調達する過程で地域社会や個人に大きな「爪あと「傷あと」を残していった、そういう歴史的経緯そのものを「問題」として認識すべきではないかと思います」という部分。

 その「爪あと」「傷あと」はどのようなものであったか。とりあえず、慰安婦にされた人の内面の傷についてさえきちんと学べていないように思うので、学びつかんだ上で問題を認識しなおす作業をしたいと思います。その成果がブログに現れるかどうかは別ですけどね(泣)。まだまだですよ。おさかなの歴史認識も。日本軍の所業とは大きく深いものであり、まだまだくみ尽くせませんね。当時から決して道徳的にも立派だとはみなされない軍慰安所を、アジア全域に広げ、恐ろしく強大な恥辱網を築き上げた。そして、多くのアジアの女性やその家族をも巻き込んだ。そういうこと自体を知り、考え、想像することが必要なのですね。きっと。精進します・・・。 

P.S. それにしても当該エントリーはコメントがただいま30を超えています・・・。非常に長大で、慰安婦問題をめぐる重要であらたな指摘も出ています。ほえ~。読んでいくだけでもたいへんです。人事ではないのですが。

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2007年3月 6日 (火)

数学用語が中国を経由してやってきた?

これって本当なんだろうか。

岩波新書のシリーズ近現代史③『日清・日露戦争』(原田敬一)の「はじめに」は、次のように語る。

「・・・問題は、優等生だったことが一方的に強調されることである。日本で欧米文化を消化し、翻訳語をつくり、清国や韓国などの漢字文化圏に輸出していったことだけが語られすぎている/一五世紀から一九世紀にかけての中国文明が、まずヨーロッパ文明を消化し、アジアに送り出していったことが、なぜこんなに簡単に忘れられたのだろうか。日本が、世界を把握できたのは、まずヨーロッパ語を中国で漢訳したものを通じてであった。地球・地中海・紅海・熱帯などの地理用語、病院・大学・文科・理科などの社会用語などは、イタリア人イエズス会士アレニの世界地理書が、一六二三年に『職方外紀』全五巻として漢訳刊行され、日本に輸入された結果、使用された」(iv~vページ)

へー。病院とか大学ってことばも中国経由なのかー。

「数学も、中国での翻訳語をそのまま使っていて、現在では意味がわからなくなっているものさえある。幾何(中国語発音のジオ)、代数、方程式、微分、積分など。中国製の『万国公法』はその後箕作麟祥(みつくりりんしょう)が作った『国際法』に取って代わられたが、温度を示す『摂氏』『華氏』は現在でも使っている」(vページ)

おお、おさかなが代数・幾何、微分・積分に苦しめられたのは、中国のせいだったのか! ゴゴゴゴゴ・・・(復讐の炎が燃えさかる音)高校で数学赤点とった日が懐かしい(泣)。1回だけだけど・・・。

冗談はさておき。これが本当なら、すごいね。

歴史を学ぶ中で見えてくるものって、本当はもっとあるのかもね。

ちょっと新鮮だったので紹介しました。まあ、博識な方はもう知ってるよっていうかもしれませんけど。

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2007年3月 1日 (木)

2月は7冊でした

2月は日が短い上に、ノロ?襲撃事件もあり、仕事もつまりまくって、7冊しか読めませんでした。本当は8冊を目標にしていたのだけど・・・。なかなか予定通りにはいかないね。で、読んだ本は以下のとおり。

○『日本人の戦争観』(吉田裕、岩波現代文庫2005) 2/4読了

○毒ガス戦と日本軍(吉見義明、岩波書店2004) 2/7読了

○Q&A 女性国際戦犯法廷(VAWW-NETジャパン、明石書店2002)2/8読了

○東京裁判論(粟屋憲太郎、大月書店1989)2/20 読了

●「南京事件」発展史(冨沢繁信、展転社2007) 2/23 読了

●南京「百人斬り競争」の真実(東中野修道、WAC2007) 2/25読了

○十五年戦争史2 日中戦争(藤原彰、今井精一編 青木書店1988) 2/28読了

 上記のうち、本の感想は「日本人の戦争観」ならびに「『南京事件』発展史」だけは感想UPしています。

 「日本人の戦争観」

 http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/02/50_569a.html

 「『南京事件』発展史」

 http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/02/post_b740.html

 あとの感想は機会があれば。今回はパス。アー○引越センターが折り返し電話するぞするぞっていって、この三日間全然電話が来ず、5回も電話(今日だけで4回、一昨日1回)するはめになり、気疲れしたのですよ。ほえ~。

 ああ、ぼーっとする暇があったら、勉強しよしよ。

ただいま、昨年7月から戦争関連の本、合計56冊読了です(某首相の美しくない本も入っていますけど)。またそのうちところどころ読み返してみないといけないかもしれません。

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2007年2月28日 (水)

3.1運動の鎮圧を詳述した宇都宮大将の日記現る

本日の「朝日」朝刊。

「朝日」によれば、朝鮮軍司令官宇都宮太郎大将の日記が見つかったそうだ。3.1独立運動が朝鮮全土に広がる中でおこった1919年4月15日の「堤岩里事件」についても触れられているそうで、「朝日」によればこうだ。

-----ソウル南方で1人の日本兵が約30人を教会に閉じ込め虐殺、放火。宇都宮の日記によれば、彼の知らぬ間に起こった事件だったが、朝鮮軍は発表で虐殺や放火を否認する。そこに至る経緯が日記に詳しい。/『事実を事実として処分すれば尤も単簡なれども』『虐殺、放火を自認することと為り、帝国の立場は甚しく不利益』となるため、幹部との協議で『抵抗したるを以て殺戮したるものとして虐殺放火等は認めざることに決し、夜十二時散会す』(4月18日)-----

 朝鮮支配の実相が見つかった日記によってさらに補強され、解明されていくことを期待したい。日記は岩波書店から4月以降全三巻で出版される予定だそうだ。

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2007年2月25日 (日)

岩波がシリーズ日本近現代史

知らんかった・・・。

今日本屋さんにいったら。

岩波新書に「日清・日露戦争」(原田敬一)が!

え? と思って手にすると・・・2007年2月20日発行。さいですか。

とりあえず、買っておこうと入手してしまったおさかな。

「南京『百人斬り競争』の真実」(東中野修道、ワック)も読み途中なのに・・・。

ま、いっか。

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首相の美しくない本が海外出版

本日の読売(YOMIURI ONLINE)によれば、「美しい国へ」の英語版が5月に米国とカナダで出版される。

中国や韓国、台湾でも出版計画があるらしい!

おお! すばらしい!

あの不見識な本を出版するなんて、日本の恥さらしもいいところですが・・・。

おさかなの読書感想文は下記URL参照。

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2006/10/post_69e9.html

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2006/10/post_6b1b.html

あんな論理の飛躍、無責任、いいかげんのかたまりのような本を出版するなんて、愛国心が足りないね。

校正してから出版したほうがいいと思います。

もとい、全面書きかえ。

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2007年2月24日 (土)

「『南京事件』発展史」の珍論

「『南京事件』発展史」(冨沢繁信、展転社2007)を読んだ。

この本は、南京事件には①原初的南京事件、②ベイツ南京事件、③東京裁判南京暴虐事件、④朝日新聞南京事件の4つがあり、「段階的に拡大発展していった」という(9ページ)。

簡単にいうと、「(おさかな注=1938年)一月末までは『安全地帯』の中でしか事件は起こらず、南京の事件の原初的な姿は『安全地帯内事件』であって、『南京事件』ではないということはたいへん重要なこと」(11ページ)だそうだ。それなのに中国政府や、日本の研究者が安全地帯の外に話を広げたりするなど、おおげさに騒ぎ立てたといいたいようだ。

冨沢氏は、上記の④にいたっては、「内外呼応して声が大きくなり、利用の仕方がうまくなったものといえる」(25ページ)という。中国では「虐殺人数が三十万人に拡大され」(同前)るなどし、日本では「大虐殺を信奉する人々は、(中略)何れも中国のいうところを順序よく並び替えているだけで、後はレトリック」(26ページ)だと。

いまの日本で30万人説をわざわざとなえている人は少数だと思うので、30万人説は横に置く。とりあえず、このような南京事件「発展」論(針小棒大論?)について、根本的な誤りを認めざるをえないので、感想を述べる。

著者は11ページで、「一月末までは『安全地帯』の中でしか事件は起こらず」と主張する。その根拠になっているのは、下記のものである。(『日中戦争史資料9南京事件Ⅱ』を参照すると、ティンパーリー『戦争とは何か』の附録Aおよび附録Cに対応している)

----「(イ)ここに記録された事件は南京安全区で起きたものだけである。南京のこれ以外の場所は一月末まで事実上無人状態となっていたのであってこの期間中、ほとんど外国人の目撃者がなかったということである。(ロ『南京安全地帯の記録』によって日本軍の占領後二ヶ月間に何が起こったかが余すことなく明らかにされる」(『日中戦争史資料9南京事件Ⅱ』洞富雄編『戦争とは何か』一〇三頁、一一六頁)----

そして、安全地帯の外には住民はいなかったのだから事件は起きるはずないという論理に、冨沢氏はやたらしがみつく。南京事件研究の第一人者、笠原十九司氏への批判として、135ページから、またもやつぎのようにいう。

----「前述のように、笠原氏は資料をつまみ食いし、体系的に全体を研究することをしなかったので、南京事件研究の最も大事な基本的認識に到達することができなかった。即ち、『南京事件は南京市内の一部に過ぎない安全地帯で起こった事件である』との認識である。換言すれば『南京事件の舞台は安全地帯である』との認識である」----

ところで、人間の認識は、はじめから事物のすべてを正しく把握できているわけではない。「日本は豊かな国と思っていたけど、他の先進諸国に比べて実は購買力平価で見ると労働者の賃金は低かった」とか、「彼はまじめな人だと思っていたのに、実は影でギャンブルしまくって、膨大な借金があった」などはその典型だ。

実際、夏淑琴氏をはじめ、南京事件当時、まだ安全区に非難していなかった人の証言もある。マギー牧師は当時の被害者をフィルムにおさめたが、その彼がそのフィルムにつけた解説にも、安全区以外にも住民がいたことを示す証言が付されている。

また冨沢氏が引用した文献『日中戦争史資料9南京事件Ⅱ』には、「ニューヨーク・タイムズ」1937年12月18日号に掲載されたF.ティルマン・ダーディン記者の「記者は上海行きの船に乗る直前、バンドで二〇〇人の男子が処刑されるのを見た」という記事も紹介されている(281ページ)。「バンド」とは埠頭の事で、揚子江沿いのことだ。南京安全区は城内であり、当然揚子江沿いではない。この処刑は1937年12月15日のことだとされている。

さらにこれまでの南京事件「論争」では、これまで下関(シャーカン)、幕府山など、安全区以外・城外などでの国際法違反の虐殺がなかったかどうかもずいぶんと問題にされてきたはずなのに、なぜ「安全区以外では人が住んでないんだから、事件が起こりようがない」という論理に固執するのだろう。冨沢氏は、捕虜を連行して殺害したかどうかが取り沙汰された「論争」の経緯もご存知のはずだ。人がたとえ住んでいなくても、連行していって無抵抗の人間を殺すことはできる。「安全区以外は人が住んでいない」という論理が仮に真実だったとしても、だから安全区以外では事件がありえなかったというのは、論理が飛躍している。

それでいて自分は他人に対して「資料をつまみ食い」してると批判するのだから、おかしくないか? 

あと、冨沢氏は、「『南京安全地帯の記録』においては事件を総体として考え、全体として事件の性質を議論するという態度が見られない」(12ページ)とまでいうが、当たり前である。連日、つぎつぎと被害が通報されて現場にかけつけ、病院に負傷者・被害者が運ばれて、日本軍を何とかしろと何度も日本大使館に要求して対応に追われているときに、事件を記録することはできても、事件の性質を総括・評論する暇などあるのか考えてみたほうがいい。

なお、どうでもいいことを二点加えておく。

第一に、夜の事件だと、なぜか日本のしわざではないという奇妙な論理である。

----「『南京安全地帯の記録』には放火は全体で五件しか記述されていない。うち三件は夜の事件であり、日本兵の犯行ではない」(50ページ)

この論理はほかにも出てくるが、夜は日本兵は外は出歩かないから、放火なんてするわけないじゃないかという程度の論理だ。ずいぶん品行方正であることをかたく信じているとでもいうのか、善意に基づいた裏づけのない解釈だ。夜だと日本兵じゃないという明確な根拠をしめすべきだろう。

第二に、日本語の下手さだ。

----「『安全地帯の記録』には第五〇号文書一九三七年十二月二六日付のベイツの文章として搭載されているものである」(16ページ)

搭載? 秘密兵器か? 単なる誤植?

----「筆者がある研究会で、この四番目の笠原氏の意見を報告したとき、会場内には失笑のさざ波が揺れた」(141ページ)

「さざ波が揺れる」というのは日本語としてスマートではないだろう。さざ波は「立つ」「広がる」もので、しいて言えば「さざ波に揺れる」のだと思うが? この場合、「失笑のさざ波がおこった」ぐらいか?

----「平成八年十二月三日、『新しい歴史教科書をつくる会』はその発足を告げる記者発表会を赤坂の東急ホテルで開催した。(中略)トイレの大きい方の便所には、「つくる会」の支援者で当日手伝いに来ていた人たち(筆者もその一人であった)の一人が用を足していた。記者たちの大きな声が彼には筒抜けであった。以下は彼が伝えてくれた忘れることのできない、その内容である。/『ああ、俺たちの王国の時代は終わった』と一人が言うと、他の一人がこれに続けて言った。『手塩に掛けて育てたのに、残念だなあ』。/筆者はこれを聞いて、この人たちの手に日本の歴史を渡すことはできない、と深く肝に銘じたのである。これが筆者の南京事件研究を志した発端である」(123-124ページ)

何が王国なのか、何を手塩にかけて育てたのか、さっぱり意味がわからない。もう少し詳述すべきだろう。

最後に、僕が指摘するまでもなく、笠原氏を論難した冨沢氏は、現在、笠原氏の著作=「南京難民区の百日」は「手に入らない絶版」(125ページ)といっている。冨澤氏は今回の著作でずいぶんとパソコンにデータを入れて、分析に使っていることを力説しているが、彼のパソコンはインターネットにつながっていないのだろう。Apemanさんがいうとおり、岩波現代文庫で絶賛?発売中である。ネットで調べればすぐわかることだ。下記URL参照。

http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20070121/p2

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2007年2月15日 (木)

水間氏のネット包囲網論読んだけど

下記URLで、インターネットで情報収集している人たちの情報を元に記事を書くという水間氏の「ジャーナリスト」としての態度に違和感を覚えたことを書いたが、とりあえずその反日「ネット包囲網」とやらがSAPIO2/28に載るというので、今日買ってしまいました。コンビニで。こんな雑誌がコンビニにあるのなら、週刊金曜日もおいてください・・・。

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/02/sapio_8ff5.html

さて、今回の記事のタイトルはこうだ。

「これがネット社会を駆け巡る 『反日情報大宣伝』の発信拠点だ」

・・・悪いんですが、だから何ですか? あなたたちだって侵略戦争じゃないんだぜって中国をずいぶん馬鹿にした宣伝やりまくってるじゃないですか・・・。『正論』『SAPIO』『諸君』が代表的だけど、ほかの雑誌だってけっこうその辺の週刊誌・月刊誌でも「反中」してるでしょ。だいたい、水間氏だって、理屈を捻じ曲げて勝手に中国を悪く行ったり、「反日」な人たちに反抗したりしてますから、「反中」ですよね? 自分のこと棚にあげて人のことばっかりいうなっての。・・・なんて思ったりしたの、僕だけかなあ。

今回の記事でもおかしな点いくつか。

◆GA(【おさかな注】世界抗日戦争史実擁護連合会)の活動目的などは図に譲るが、最近では、慰安婦の強制連行とレイプを前提とした「従軍慰安婦非難決議」の採択を米国下院議会で求める運動を展開している。(中略)「慰安婦強制連行」は学術的に破綻している(つまりなかったことが証明されている)が、(後略)(77ページ) 

 慰安婦の軍(というより軍人?)などによる強制連行はまれで、広範にあったとはいえないというのが、現在の研究到達だったと思う。ただ、学術的破綻=なかった証明というのもちょっと論理が飛躍してないか? どうも()に論理の飛躍を挿入することで、勝手に自分の論理を正しいかのように見せようとする癖が彼にはあるようだ。そういえば前号でも39ページで・・・

-----著者が発見した関東軍兵器引継総括目録だけでも銃実包『2億160万発』、弾薬(化学弾