書籍・雑誌

2008年11月21日 (金)

『音作りの新常識』

先日、書店で見たら、「音づくりの新常識」(福田雅光著、音楽之友社)という本が出てた。「本」というより「ブックレット」という体裁だが、200ページもない本なのに、1200円(+税)! 1000円以下にできませんかね? という感じがしなくもない。

さて、この本は、オーディオマニアな人には目新しいことは書いてないのだろうと思うけど、僕みたいな初心者、迷える子羊には意外に参考になるように思う。別に新しいことが書いてるわけじゃないが、

「スピーカーケーブルはアンプ自体が変化するわけではなく、ケーブルの性質によって変化しただけであるのに対し、電源ケーブルは機器自体を本質的に改善する力を備えている」(18ページ)

などは、なるほどと思わされた。

おすすめの電源ケーブル、RCAケーブル、スピーカーケーブルの一覧表もある。ごく簡潔にだが、特徴が書かれている。それぞれのケーブルが「写実系」「芸術系」に分類されており、参考程度にはなるだろう。

僕のような、現在のシステムが「明瞭だけど、温かさが足りない」と思っている人にも、参考になりそうだ。あらためて、自分のオーディオの音作りを見直してみたい人によい書籍だと思う。

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2008年5月11日 (日)

ハンナ・アーレントの書籍購入

先月、国立に行ったときの帰りに、書店でハンナアーレントの書籍を発見した。『暴力について』(山田正行訳、みすず書房2000)。この本は、同じみすず書房から1973年に訳書が出ている。訳者はことなっている。

ちょっと手にとってみて、面白そうだな、と値段を見たら、3000円だった。ページ数は261ページしかないのに? 値段の高さに軽い衝撃を受けた。気を取り直して、中身をもう少し眺めた。考えた。やっぱり決意して買ってしまった(笑)。

この本は、「政治における嘘」「市民的不服従」「暴力について」の3つの論文、「政治と革命についての考察」というインタビューからなっている。

この本、難解な部分も多い(僕は「市民的不服従」の項はわからない部分が多かった。読み直します)。僕は疑問に思ったり、本当にそうなのか判断しかねる部分もあるのだけど、とりあえず僕がその通りだな、と思ったことを記しておこう。

〈事実の真理〉はけっして有無をいわさぬ強制的な真理ではない。われわれがそのなかで日常生活をおくっている事実の織物全体がいかに脆いものであるかは、歴史家のよく知るところである。それはつねに一つひとつの嘘によって穴を開けられたり、集団、国民、階級の組織された嘘によって引き裂かれ、否定され、歪められ、またしばしば山のように積み重ねられた嘘によって周到に覆い隠されたり、ただ忘却の淵に沈むにまかされたりする危険にさらされている。事実が人間の事柄の領域に安住の地を見いだすためには、記憶されるための証言や確証されるための信用のおける証人が必要である。この点からすれば、いかなる事実についての言明でも疑いの余地がないということはありえない、たとえば二足す二は四であるという言明のように確実で攻撃から守られているものなのではない、ということになる(4-5ページ)。

 この「政治における嘘」という論文は、アメリカの対ベトナム戦争(政策)に関して出された「国防総省秘密報告書」に関する省察である。僕が上記引用部分を「その通りだな」と思ったのは、ベトナム戦争というよりも、今日の歴史認識論争との関連である。たとえば南京事件などで、今日の通説、証言、歴史の叙述などに関して、どこか怪しいと思える部分があれば、疑問をあげて、その疑問に耐えられない(と判断した)場合は、「だから虐殺などでっちあげなんだ」と安直にいう否定論者も多いようなので。

ちなみに、先の引用部分につづいて、下記の文章がつづく。

欺瞞がある程度まではきわめてたやすいものであり、また人がその誘惑にのりやすいのは、事実のもつこの脆弱さのためである。事態がまさしく嘘をつく人が主張するとおりであるかもしれないので、欺瞞はけっして理性と対立するようにはならない。嘘をつく人は聴衆が聞きたいと思っていることや聞くだろうと予期していることを前もって知っているという非常に有利な立場にいるので、嘘はしばしば現実(管理人注=この書籍の中では、「リアリティ」とふりがな)よりもはるかに真実味があり、理性にアピールする。嘘をつく人は公衆が信用して受け入れてくれるように注意深く目配りしながら物語を用意するが、現実はわれわれが受け入れる準備のできていない予期せぬものをつきつけるという、いやな習慣をもっている。(5ページ)

 アメリカがイラク攻撃につきすすむにあたって「イラクは大量破壊兵器を持っている」と根拠のないことを喧伝して世論をあおり、戦争につきすすんだことを考えると、この引用部分も昔のことのようにはまったく思えない。日本もアメリカに疑義をとなえず、追従し、いまでも追従している。なんともなさけないことだ。

 なお、この本はまだ読み途中なので、気が向いたらまたエントリにするかもしれない。

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2008年4月 7日 (月)

最近読んだ本。

そういえば、最近読んだ本を少しも紹介していませんでした。いちばん最後にこのブログで紹介したのは、昨年8月のものでしたね(汗)。

その後、あんまり本を読まない時期があったり、オーディオの新規購入でそっちに力を入れたり、仕事が忙しかったり、何だかいいわけばかり思いつきますが、この間読んだ本は、下記の通りです。

○貧困襲来(湯浅誠、人文社会科学書流通センター2007)

○生活保護「ヤミの北九州方式」を糾す―国のモデルとしての棄民政策 (藤藪 貴治 、尾藤 廣喜、あけび書房2007)

○国保崩壊―ルポルタージュ・見よ!「いのち切り捨て」政策の悲劇を (矢吹 紀人、 相野谷 安孝、あけび書房2003)

○医療保障が壊れる(相野谷安孝、旬報社2006)

○It’s now or never―私は早く、C型肝炎とさよならしたい! (福田衣里子、書肆侃侃房2006)

○薬害肝炎―誰がC型肝炎を「国民病」にしたか (大西 史恵、金曜日2005)

● デビルドッグ (越前谷 儀仁、並木書房2008)

○ 南京事件論争史―日本人は史実をどう認識してきたか (笠原十九司、平凡社新書2008)

●これでは愛国心が持てない (上坂冬子、文春新書2007)

○歴史/修正主義(高橋哲哉、岩波書店2001)

○歴史における「修正主義」(歴史学研究会編、青木書店2000)

○「軍事植民地」沖縄―日本本土との〈温度差〉の正体 (吉田健正、高文研2007)

○母さんが死んだ―しあわせ幻想の時代に ルポルタージュ「繁栄」ニッポンの福祉を問う(水島宏明、ひとなる書房1990)

○パレスチナ紛争史(横田勇人、集英社新書2004)

これで、2007年7月から合計で119冊。

戦争関連(※)は、同時期の合計で、103冊。

※大東亜戦争までの、日本が起こした一連の戦争と歴史認識、補償、戦後責任など

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2008年1月16日 (水)

藤岡信勝氏の修正主義は、歴史だけではない?

少し前ですが、僕は下記URLで、藤岡信勝氏の生活保護行政への認識があまりに貧困なので、批判しました(「平気でウソをつく人々」、『「自虐史観」の病理』文春文庫2000。以下、藤岡論文と称す)。

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/09/post_d8b4.html

藤岡論文がとりあげている「母さんが死んだ」(水島宏明、ひとなる書房1990)は、札幌市の母親餓死事件(1987年1月)を扱っています。藤岡論文では、子どもを残して衰弱し、餓死した女性が勤めていた喫茶店の経営者=黒田政子さん(仮名)をウソつき呼ばわりしています。どのようにウソつきよばわりしているかは、上記URLを参照していただくとして、藤岡氏は、つぎのようなこともいっています。

---水島氏の著書は、続いて、黒田が岡田さんに「居酒屋を持たせてくれる」と約束していたことを書いている。春から秋にかけて岡田さんがやけに張り切っていたという友人の証言がある。たしかにこのお店が持てれば一家四人で生活できる収入がえられるだろうが、その話がどうなったのか、水島氏の著書は納得のいく説明をしていない。---(223ページ)

---一方、久田氏からの取材から浮かび上がってきたのは、黒田が弟との結婚を前提に「店を持たせる」と岡田さんに約束しておきながら、弟が警察に逮捕されると岡田さんとの約束を反故にし、喫茶店をもやめさせたということだ。この時から岡田さんは生きる希望を失ったのであろう。黒田はこの自分にとって都合の悪い事実をかくすために、マスコミを利用し福祉行政批判のキャンペーンをやらせたのかもしれない---(223ページ~224ページ)

結局、ここに現れるのは、「行政には責任はない」という、個人に責任を押し付ける論理です。歴史修正主義は過去の戦争でも国家、支配層の免責をしますが、その思考回路は戦後日本、そして現在の日本でも同じなのでしょうね。歴史修正主義者は現在の価値観で過去をさばくなという。しかし一方で、過去を免罪する価値観で現在の国家の不正や怠慢も免罪する。さすが歴史修正主義者というところでしょうか?

ところで、藤岡氏が非難する「母さんが死んだ」を読むと、藤岡論文は、重要なことにふれていません。それは餓死した母親が数ヵ月前だけでなく、過去に生活保護を受けていたのに、打ち切られたという事実です。この母親は、福祉事務所に何回か足を運んだことがあるのです。プロローグのなかにも、次のような一節があります。

---彼女と、生活保護との接点は死亡する数ヵ月前ばかりでなく、遡って、その前にも何度かあったのである---(13ページ)

 この母親が夫と離婚し、生活保護を受給したのは1978年です。中央区の母子寮に入所しています。母親は長男が小学生に上がったのをきっかけに、病院でパートとして働くなど、彼女なりの努力をしていました(水島氏の著書では「雑役婦」となっている)。しかし1981年4月、正職員にはなったものの、諸経費を引くと7万円しか残らず、パートのときの7万7千円よりも手元に残る収入が減ってしまいました(54ページ)。このため引き続き生活費の不足分を生活保護として受給していたのです。

 ところがその後、白石区の市営住宅(3LDK)に入居(母子寮は1DKだった)したのをきっかけに、白石区の福祉事務所が、生活保護を打ち切っています。打ち切られそうだ、ということを本人が話していたことを聞いたという証言もあります。その後、母親はサラ金にお金を借りることになっていったようです。

 そして生活が立ち行かなくなり、生活保護をきってからずいぶん経ってから、ふたたび当人が福祉事務所に相談にいった。白石区の福祉事務所は、本来は生活は大丈夫なのか把握し、保護を打ち切った相手だからこそ余計に保護が必要かどうか把握しようとすべきではなかったのか? そういうことが問われていると思いますが、藤岡氏には、そういうことは思い当たらないようです。

 ところで、喫茶店の給与も、1日3千円でした。夜にも飲み屋で働いていましたが、それも3千円です。しかも昼夜とも働けたのはほんの一時期だったといいます。いずれにしてもこんな給与では、やはり生活保護基準以下です。やはり生活保護をうける要件は満たされています。

  さらに重大なのは、『母さんが死んだ』は、餓死した母親以外の証言として、福祉事務所のケースワーカーに暴言をはかれた、受給申請をなかなか受け付けない、などの証言が多数載っていることです。

**************************************

「生活保護を受けている。しかし、受けるまでたいへんだった。十年間も難病に苦しみ、『働けない』という医師の診断書を持っていったが、『仕事できるでしょう』といって信じてくれない」(154ページ、47歳男性、難病患者)

「『まだ若いし、あんたならソープランドでも働けるよ』っていわれたんです」(256ページ、札幌市豊平区)

「四年前、生活保護の窓口に行った。妻が妊娠中だったが、保護受給条件として『子どもを堕ろせ』といわれ、病院まで紹介された。けっきょく子どもを堕ろして保護をもらった」(155ページ、札幌市東区の32歳男性。身体に障害がある)

「白石久野保護課の××(実名)が、自宅を訪問するたび何回も食事に誘ってくる。私の友人(女性)は、食事や飲酒に誘われ、つき合ったら体の関係を求められた」(159ページ、札幌市白石区)

「いい方がとにかくきつくて『なんでそんな人(精神病の夫)と結婚したんだ。選ぶ人を間違ったな。男を見る眼がないよ』」(158ページ、札幌市白石区) 

***************************************

つまり、藤岡氏は問題を捻じ曲げて矮小化しています。

「黒田はこの自分にとって都合の悪い事実をかくすために、マスコミを利用し福祉行政批判のキャンペーンをやらせたのかもしれない」という、単なる黒田氏の陰謀論にしてしまっています。しかし、そんな程度にとどまらない実態が『母さんが死んだ』には示されているのです。なのに、上記のような多数の証言が告発している問題に触れず、単純に黒田さんが悪意を持つウソつきであり、信用できない人間である、という話にしてしまい、「福祉行政批判のキャンペーン」全体を、信用できない話にしたてあげてしまう。ここに、藤岡氏の悪意が象徴されています。

また、母親餓死事件では、当人が亡くなっているのだから、余計に何が真相だったのかはわかりません。でも、どうして過去に受給した人が再びやってきたときに、生活状況を把握し、保護が必要かどうかきちんと把握し、必要な手立てをとらなかったのでしょうか。結果として、母親は亡くなったのです。本当に行政に責任はないといえるでしょうか? それが本書のテーマになっているのだと思いますが、藤岡氏にはそんなことは理解できないみたいです。もしかしたら本をきちんと読んでいないかもしれません。

何はともあれ・・・藤岡信勝氏は、僕にとって、ますます信用できない人物となりました。問題の矮小化、ねじ曲げもはなはだしい。その非人間性は、信じられないほどです。自分が思い描くウソつきの存在を証明するために、『母さんが死んだ』の文章をトリミングして、論旨をゆがめたのではないかとさえ思います。さすがです(笑)。

最後に、前回のエントリで少しふれた、久田恵氏の著書も該当部分を読みました。しかし久田氏の生活保護基準の計算と、『母さんが死んだ』にあげられている生活保護基準の計算が、明らかに1ヶ月あたり数万円は違います(久田氏の方が低い)。この点には、『母さんが死んだ』には計算根拠がしめされているのにくらべ、久田氏の著書には計算根拠が不明確なので、調べられたら調べたいと思います。20年も前の保護基準なんて計算できるのか知りませんが・・・いずれ、知り合いのソーシャルワーカーに聞きます。そのうち、気が向いたら(最近これが口癖になったな)。

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2007年10月10日 (水)

731部隊の国際シンポ記録がブックレットに

大阪でことし4月8日におこなわれた731部隊問題を考える国際シンポの記録(要約)である、『戦争と医の倫理』が「かもがわブックレット」として出版されました。2007年10月10日発行。…今日じゃん。

僕も先日三人のシンポジストの発言を紹介するなどしたが、

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/04/post_8e8d.html

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/04/post_7659.html

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/04/post_ab12.html

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/04/post_572d.html

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/04/post_830e.html

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/04/post_a67e.html

僕の拙い説明よりも役立つ(?)かもしれないので、どうぞお気に召せば買ってくださいまし。

…僕は別に、かもがわ出版の人ではございませんが。

一冊600円、63ページ。

よろしくです。

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2007年9月10日 (月)

藤岡信勝氏は、生活保護行政にもうとい?

藤岡信勝氏といえば、「新しい歴史教科書をつくる会」の現会長です。藤岡氏といえば、彼の持つ歴史認識が有名ですが、単に歴史認識にとどまらず、現代の日本についてもこんな点で歪んだ認識を持っているのかと驚いたものがあります。それは『「自虐史観」の病理』で示された、生活保護行政への認識です(「平気でウソをつく人々」、『「自虐史観」の病理』文春文庫2000)。

 もともと『現代教育科学』(1996年8月号)に載せた論文を再掲したもののようですが、どんなことを藤岡氏がいっていたか、少しだけ紹介します。

 この論文(以下、藤岡論文と呼ぶ)は、「母さんが死んだ」(水島宏明、ひとなる書房1990)という本に描かれた、札幌市の母親餓死事件(1987年1月)をあつかったものです。生活保護を申請したものの、福祉事務所に断られ、数カ月後に餓死したとされている事件です。
 その事件について、もう少し説明すると、亡くなった女性は結婚しましたが、男性にギャンブル癖があるなどして、離婚、女性一人で子どもを3人育てながら、その後、黒田政子さん(仮名)の経営する喫茶店に勤めていたましたが、1986年10月に風邪をこじらせてから病気がちになり、働けなくなって仕事をやめざるをえなかったようです。生活保護を申請に直接女性が福祉事務所に行きましたが断られ、黒田さんも何度か福祉事務所に電話したのですが、福祉事務所は生活保護を受給させようとはしなかった。この福祉事務所の対応が、餓死を招いたとして、問題視された事件です。

 さて、まず、この論文で目についたところから感想を述べましょう。

---他人をおとしいれるようなウソ、そればかりか一国家の名誉を汚すことになるようなウソを平然としてつくことのできる人間が、この世の中に一定の割合で存在するということなのだ。---(211ページ)

そういえば、最近、「THE FACT」に藤岡氏は賛同しましたっけ。たしかにあれは国家の名誉を汚したと思いますね。国家の名誉を落とすようなことに加担する人が過去に上記のような発言をしていたとすれば、たしかに説得力が増しますね。

---⑤岡田さんの死に至る行動である。十月半ば、風を引いてこじらせたのがきっかけで、家で寝込みがちになる。十一月十三日、黒田にすすめられ福祉事務所に行って生活保護をことわられる。「その日以来」、ますますふさぎ込み、「とうとう完全に寝たきり」になる。「食事もまったく受け付けなくなった」。/いくつかの疑問が生じる。生活保護をことわられただけで、そんなに落ち込むのだろうか。(218ページ)  ---

 無知のきわみだと思うが、わざといっているのでしょうか? 生活保護を断られたくらいで落ち込むのかって? 社会科学者の端くれであれば、もう少し調べてほしいところです。下記のような事例は、僕でも聞いたことがありますよ。

 ▽テレビやクーラーなどがあると、「それは財産だ」「贅沢品だ」などといわれて、生活保護申請を断られる。家も売り、車も売り、身ひとつにならないと生活保護は受けられないんだといわれる。あるいは財布の中身を見せろといわれ、「それを全部使い切ってから出直してこい」といわれる。
 ▽「女だったら、それ相応の働き口があるのでは」といわんばかりの対応をされた。親戚・家族関係、貯蓄などを根掘り葉掘り聞かれて苦痛だった。申請者本人や、家族が病気なのに「働けないのか」といわれるなど。

 上記のような事例は80年代後半や、藤岡論文を著した90年代半ばにもあったはずですが?

 ここ2~3年の話としても、「警察官を生保申請の窓口に配置し、医療相談員や弁護士などの同席も認めない、警察官に『お前はウソをついているだろう』といわれ、患者が泣いていた」(高松市の病院)などの報告を僕も聞いていますけど(2005年か2006年ごろの話)。そういう人権侵害をおこなっている福祉事務所のケースワーカーもいるのです。

 また、ひどいことをいわれずとも、明日も生活できないかもしれないという人が、最後の希望だと思った生活保護を受けられません、ダメですといわれたら、それは普通自分や家族の死を意味しますよね。落ち込んでも不思議ではありません。自分の死を予感して、気丈でいろというのでしょうか。ちょっと想像力の欠如にもほどがありますね。病気に精神的追い討ちが加われば、伏せてしまうようなことはありえると思いますが。

 自分の無知、想像力の欠如を「疑問」などともっともらしくいうのは、もう少し慎重であるべきでしたね。

 つづいて。順番が前後しますが、下記の藤岡氏の意見も、安易に行政を免罪するものだと思います。

---③「衰弱してやせていくばかりの岡田さんの身を案じた黒田さんは・・・」と著者は書いている。普通ならば「入院することを強く勧め」とつづくはずのところである。ところが本文では「十一月半ば、福祉事務所に電話をかけた」となっている。やることがチグハグではないか。(217ページ)---

何でちぐはぐなのか、ぜんぜんわかりません。お金ないんだから、入院なんてできないでしょう。誰がお金払うんですか? 誰が子どもの面倒を見るんでしょうか?

---④黒田はそのあとも心配して三回も福祉事務所に電話をかけたという。「このままではほんとうに死んでしまう・・・」と黒田は行ったことになっている。これはおだやかではない。黒田は、なぜ岡田さんが「このままではほんとうに死んでしまう」とわかったのだろうか。不思議である。病気をして仕事に出られなくなったということ、それにもかかわらず生活保護をもらえなかったということと、「餓死」との間には大きな飛躍がある。しかも死を予見したのなら、なおさらのこと、黒田は岡田さんを引きずってでも入院・治療させるべきであったのに、それをしていない。黒田は岡田さんの「餓死」を予見しつつ、それを放置したのである---(218ページ)

黒田さんがどこまで岡田さんのために努力をしたのかわかりませんが、別に黒田さんはもともと岡田さんの雇い主だったというだけで、衰弱して働けなくなった岡田さんの治療をささえるほどの財力があったかどうかは疑問です。だって、経営しているのは喫茶店程度でしょう。大富豪じゃないでしょうし。同時に、働けなくなっているのですから、岡田さんは、生活にも困窮していたでしょう。その困窮した状態を保護する役割は、行政の責任だと思いますが。生活が困窮すれば、しかも働けなかったのだから、普通死を予感すると思いますが? 

 また、生活保護法には、困窮したものを急迫した事由がある場合、これを保護することを「妨げない」(第4条)、「保護の申請がなくても必要な保護を行うことができる」(第7条)と記されていますよ。

 藤岡論文は、「母さんが死んだの嘘」(文藝春秋1992年8月号)という、久田恵氏、中川一徳氏のレポートを元に、12月には合計20万円の児童扶養手当と児童手当を支給されるはずだったのに拒否した、という「驚くべき事実」が明らかになったなどともいっているので、くわしくは同レポートというのを参照した上で、反論すべき部分があると判断すれば、気が向いたときに反論エントリを書きたいと思います。その号の文藝春秋そのものは入手できないのですが、このレポートに加筆したものは久田恵氏の単行本『ニッポン貧困最前線』に収録されているそうなので、それを手配しました。『母さんが死んだ』にくわえて、『福祉が人を殺すとき』(寺久保光良、あけび書房1988)も手配しました。

 いずれにせよ、どうも安直なんだよなあ、藤岡氏の論立ては。人の生活実感や生死に対する想像力が欠けていると思うけどなあ。また、歴史問題では証言や史料を得るのはたいへんだったりするだろうけど、より容易に証言や資料を得ることができるはずの現代社会では、いったいどのような調査・努力というものをしているのでしょうか? そもそも、こんな想像力のない人が、教育を語れるのでしょうか? こんな人が道徳だとか、他人を大事にしよう、やさしくしようなんていったとしたら、それこそお笑い種ですよね。え? 笑い事じゃないか。

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2007年9月 7日 (金)

歴史問題・・・国民もひどく、鈍感?

『前衛』2007年8月号と9月号で、関東学院大学・林博史教授のインタビュー記事が載っている。「いつまで史実を否定し被害者をふみにじるのか」と題され、8月号は(上)、9月号は(下)になっており、それぞれ「慰安婦」問題、沖縄の「集団自決」に対する軍の強制の存在を教科書から削除した文部省の検定の問題がわかりやすく載っている。

まあ、くわしくは(興味があれば)読んでもらうとして、僕は次の箇所にちょっと衝撃を受けた。正確には、ごく当たり前の課題を、あらためて突きつけられた感じというのだろうか?

---私はこうした政府や自民党などの暴論がくり返されることに対して、それへの批判が日本の国内できわめて乏しいことについて率直に危惧の念をもっています。とくにメディアが権力におもねり、世界の人権水準や国際的な市民の努力を日本国民に知らせないような姿勢は大変大きな問題です。沖縄では、すべての市町村議会や県議会も、このようなひどい検定意見撤回と記述の回復を求める意見書を採択し、戦争への反省と良識が健在であることを示しています。しかし文科省・日本政府は検定意見の訂正を拒否していますし、文科省の姿勢を批判する声は、本土ではあまりにも少なすぎます。

 「慰安婦」問題にしても沖縄戦の問題にしても、本土の政治家・メディア・国民のひどさと鈍感さには、目を覆いたくなるものがあります。こうした状況を日本内外の市民が協力して打ち破りたい、そう考えています。(『前衛』9月号38ページ)---

 まあ、政治家とメディアはそのとおりだけど、国民も「ひどく」「鈍感」なのね。たしかにそう思うけど。「ひどく」「鈍感」でないような日本の国民を広げるにはどうしたらいいのでせう。

 すぐに答えは出ませんけど、まあ、目に留まったので、一応メモ書きってことで。

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2007年9月 2日 (日)

8月は11冊

8月に読んだ本。昨年7月から読み始めた本は105冊に。まあ、ブックレットや薄い本も入っているから、実際には9冊分ぐらいの労力かなあ。また、厳密には戦争と関係あるというのは無理のある本を除くと、戦争関連は99冊になりますです。

「自虐史観」の病理、アメリカ弱者革命、戦後責任論に関しては印象に残ったことがあるのだけど・・・まあ、余裕ができたら(気が向いたら)エントリ書きます。とりあえず、読んだ本リストを下記に記します。

○BC級戦犯裁判 林博史 岩波新書2005  8月1日読了
□生き延びるための思想  上野千鶴子 岩波書店2006  8月4日読了
●「自虐史観」の病理 藤岡信勝 文春文庫 2000 8月6日読了
○朝鮮人戦時労働動員  山田 昭次、古庄 正、 樋口 雄一 岩波書店 2005 8月9日読了
○アメリカ弱者革命 堤未果 海鳴社2006  8月10日読了
○アジア・太平洋戦争 吉田裕・森茂樹 吉川弘文館2007  8月13日読了
○武力で平和はつくれない2007 市民意見広告運動     8月16日読了
○ちょっと待った集団的自衛権って? 川村俊夫 学習の友社2007 8月17日読了
○「三光作戦」とは何だったか 姫田光義 岩波ブックレット1995 8月18日読了
○ラムゼークラークの湾岸戦争 ラムゼークラーク 地湧社1994      8月25日読了
○戦後責任論  高橋哲哉 講談社学術文庫   8月31日読了

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2007年8月 5日 (日)

7月は8冊

おさかなです。7月はずいぶん仕事がたいへんで、ブログの更新もおろそかになっておりました・・・。元「慰安婦」イ・ヨンスさんの証言の検討もやらなきゃだし(頭の中にエントリの構想はぼんやりとあるのだけど)。最近は、「自分の国がそんなに嫌いですか?」(『自虐史観の病理』藤岡信勝、文春文庫2000の本の帯)という類の議論にどう応答するか考えたいなあという気もしています。

さて、そんな僕の読書、7月の到達は8冊でした。

●『歴史教科書への疑問』日本の前途と歴史教科を考える若手議員の会、展転社1997

●『よくわかる慰安婦問題』西岡力、草思社2007

 感想は、下記URL。

 http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/07/post_c591.html

 http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/07/post_a6b6.html

○『ドイツは過去とどう向き合ってきたか』熊谷徹、高文研2007

○『写真で伝える東京大空襲の傷あと・生き証人』鈴木健士、高文研2007

○『戦争責任論』荒井信一、岩波現代文庫2005

※95年に出版されたものの文庫版

●『慰安婦と戦場の性』秦郁彦、新潮選書1999

○『中国人強制連行』杉原達、岩波新書2002

○『餓死した英霊たち』藤原彰、青木書店2001

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2007年7月22日 (日)

猫権?

最近仕事で残業続きで、今日も用事があって外に出ていたおさかな。

う~ん、微妙に頭痛がします。

さて。何を今月読んだかもうっかり忘れてしまいそうな今日は、戦争関連のお堅い本ばかり読んでいる自分に癒しをあたえようと、次のような本を買ってきました。

『ネコと暮らせば』

(野澤延行、集英社文庫2004)

え? 『父と暮せば?』(主演=宮沢りえ、監督=黒木和雄、原作=井上ひさし)

帯を見ると・・・

「ネコにもネコの権利がある。」

うおっ? 捕虜だの、元「慰安婦」だの、非戦闘員だの、国民だのの権利を考える以外にも考えるべき権利があると主張されるのですね!(感動)

・・・というわけで、まあ、そのうち読みますよ(平常心に戻る)。

今読んでいるのは・・・『慰安婦と戦場の性』(秦郁彦、新潮選書1999)でやす。あ~すんごいギャップ。明日には読み終えるつもり。

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2007年7月21日 (土)

『よくわかる慰安婦問題』感想その②

『よくわかる慰安婦問題』(西岡力、草思社2007)の感想その②。

その①は下記URL参照。

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/07/post_c591.html

さて。その①で紹介した以外に、僕が印象に残ったのは次の箇所だ。河野談話の作成に至る経緯を説明して論評しているのだが、政府の動向を自分の頭のなかでこねくりまわしすぎて、K点越え大ジャンプをしたような、論理の大飛躍を起こしている。

---それでいかにも秀才官らしい名案が出てきたのである。それはなんと「強制」という言葉の定義を広げようというものだった。これが、いわゆる「広義の強制」の誕生だった。

 本人がいやなものをやらせれば、それは「強制である。ふつうは強制連行という場合、権力による強制を考える。誰が連行したのかは客観的な事実だ。

 しかし、河野談話の強制は本人の主観を問題とする。いやでしたかと聞いたとき、本人の主観で、いやだったと答えれば、それは強制されたことになるというものだ。

 この定義でいくと、たとえば、会社員なら会社員が朝起きるのがいやかもしれない。母親なり女房なりが無理に起こせば、それは強制ということになる、これと同じ理屈なのである---107ページ)

 やれやれ。論理の大飛躍達成である。

 第一に、自宅からの出勤と、住んでいる家から離れて遠く国外に離れる(連れて行かれる)ことの多かった「慰安婦」をいっしょにするのは、K点越え大ジャンプである。
 第二に、一般の労働と、性「労働」をいっしょにするのは、K点越え大ジャンプである。労働内容を聞いていない場合や、契約と違う仕事をさせられた場合でも、一般労働と性「労働」をさせられるのには、格段の差がある。
 第三に、自宅に帰れる一般の労働者と、文字通り46時中監視され、外出もほとんど自由にできなかった人々をいっしょにするのも、K点越え。
 第四に、性病を移されたり、暴力を受けたり、心身を害され、一生残る障害を背負わされた、結婚も満足にできなかった、戦後も罪もないのにさげすまれた、そういう「勤務地」と生活環境におかれた人々と、一般労働者をいっしょにするのも、K点越えだ。

 最後に申し添えると、安倍晋三氏、中川昭一氏などを持ち上げる、その市民感覚もよくわからない。恥ずかしくないのだろうか。

---政界でも、中川昭一、安倍晋三など当時の良識派若手自民党議員が「日本の前途と歴史教科書を考える若手議員の会」を結成して、真剣に問題と取り組みだす---(4ページ)

---安倍晋三が政権を獲って、日本をいよいよ正常化しようとしていることに対して・・・---(5ページ)

 安倍首相が日本を正常化? 何をおっしゃいますやら。

 上記は、「慰安婦」問題をめぐり、「論争に負けた国内の反日勢力が外と結んで、逆噴射を仕掛けようとしている」(5ページ)状態を「正常化」するという文脈で上記のようにいっているのだが(っていうか「逆噴射」って何? 日本語の美しい用法ではない)、歴史認識以外も問題でもずいぶんと安倍首相は問題あるからね。首相が慰安婦問題に反論した云々、と本著でふれているところを見ると、著者は「ナントカ還元水」などの問題が噴出したころにはまだ原稿執筆中のはずである。つまり安倍氏が松岡氏をかばいつづけたのは著者も見ているはずだ。やたら持ち上げるのは、もう少し控えたほうがよかったね。

さらに。

---彼らがこの一五年間、いかにひどいウソをつき続けてきたかを、事実にもとづききちんと国際社会に訴える、それをすれば私たちは絶対勝てる。なぜなら、彼らはウソつきだからである---(212ページ)

 何だかわからんが、すんごい自信だ・・・。

 前回のエントリでもいったが、西岡氏は事実という言葉を介した詐術をおこなっている。本来事実にもとづくというのなら、元「慰安婦」のおかれた現実にこそ依拠すべきで、これを事実というべきである。西岡氏は言う主張はすり替えが多く、彼の主張は国際的孤立への道である。

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2007年7月19日 (木)

『よくわかる慰安婦問題』感想その①

おさかなです。

『よくわかる慰安婦問題』(西岡力、草思社2007)を読んだ。米下院が決議を外交委員会で採択したという絶好のタイミングで出た本著は、発行日は2007年6月28日です。でも僕が買ったのは27日…。まあ、いいや。

ちょっと忙しくてなかなか更新できなかった本ブログだが、久しぶりに更新しやす。

さて、この『よくわかる』だが、二回ほどにわけて感想を述べます。

以下、感想です。

****************************

「よくわかる」というタイトルだが「よくわかる」のは否定派の言説にすぎない。

本書では「事実」を強調し、「事実」に基づいた外交を日本がおこなうことを求める。しかしその「事実」とはつまり、「吉田のウソの証言」が「米国議会決議にまでつながった」という彼らなりの主張を、いろんな人の主張や動向、記事などを論評して裏付けたかのように見せることで、「事実」を明らかにしたように述べているにすぎない。

この本を読んでもわかるのは、官憲などによる強制連行の裏付けになる史料がないというのが「事実」で、吉田清治の証言は信頼がおけないというのが「事実」だということだったりするのだが…。その他歴史学者の主張(難癖をつけただけのものも多いが)、支援者などの動向に対する論評、記事の批判、そして河野談話「批判」などが大半である。

ところで、僕が「事実」といわれて真っ先に思い浮かべるのは、
①日本軍は、「慰安」所設置・「慰安婦」確保、「慰安」所管理にどのようにかかわったのか。
②元「慰安婦」の連行された経過、「慰安」所での「労働」や生活の実態はどのようであったのか。そこに、元「慰安婦」が訴えるような人権侵害は存在したのか。
などの点である。
つまり“かつて存在した現実”こそが事実だと考える。この“かつて存在した現実”をどれだけ読者の前に浮かび上がらせることができるかということが重要だったと思うが、この点の検討が非常に弱いと感じた。

著者は証言として吉田証言を大々的に取り上げる。そしてそれはウソだったのだ、と。だから「慰安婦」問題はウソ、事実無根なのだというのだが、吉田証言は、今日依拠する日本の歴史学者は存在しない。
元「慰安婦」の証言の検証も中途半端でさわり程度。史料といえば「軍慰安所従業婦等募集に関する件」のみ。もっと幅広く史料や証言を検証する必要があったと思う。

さて、著者はあいかわらず否定派の常套手段、
①公権力による強制連行が吉田氏によって主張された。
②しかしそれはウソだった。史料の裏付けもない。
③「慰安婦」は売春婦、身売りにすぎない。
④だから「慰安婦」にかかわり、日本と日本軍が非難されることはない。
という論法を踏襲している。
公権力による強制連行でなければ、連行過程には問題ではないと考えること自体、勝手な論点設定にすぎず、“かつて存在した現実”に迫るものとしては不適切である。また、「慰安婦」問題にせまるには、連行過程のみならず、「労働」・生活実態にもふみこまねばならないだろう。「お金をもらったんだろ、問題ないぜ」「キーセン出身なんだから問題ない」などの論法も、否定派の常套手段で、本著でも踏襲されているが、「労働」・生活実態に踏み込む議論としては不十分である。

今日争われている中心点は、
①元「慰安婦」に対する人権侵害は存在したのか。
②人権侵害があったとすれば、日本と日本軍には責任はあるのか。
という点だと考えるのだが。そして、人権侵害があったのであればどんな補償するのかということも課題となるだろう。
事実、事実といいながら、“かつて存在した現実”ではなく、「公権力による強制連行を証明する史料はない」から元「慰安婦」たちやその支援者らの訴えはウソだというのが事実だというのは、「事実」という言葉を介したすり替えである。「史料はない」ことによって明らかになるのは、本来、“かつて存在した現実は、どのような現実であったのかわからない”というのが関の山である。

さて、すり替えは、「慰安婦」非難決議=この6月に米下院外交委員会で採択された決議の批判にも用いられている。
つまり、
①国連に日本の弁護士が「慰安婦」問題を「性奴隷」だとして持ち込んだ。
②そして国連が動き、クマラスワミ報告になった。クマラスワミ報告は「慰安婦」は「性奴隷制」だといった。
③このクマラスワミ報告も米議会決議の論拠となった。
④そのクマラスワミ報告は、吉田証言、挺身隊の名による強制連行説、チョン・オクスン証言などウソを元にして「慰安婦」は「性奴隷制」と述べている。
⑤だからウソが、米議会での決議にまでなったのだ。
またもや、吉田証言だけでなく、“ウソのクマラスワミ報告”に基づいているからウソだという論法である。

クマラスワミ報告に対する検討は、別の機会でおこないたい。ただ、ひとこと述べておけば、クマラスワミ報告が「慰安婦」がおかれた現状が「性奴隷制」だったと述べたことはたしかにそうだが、慰安所は「性奴隷制」だったという見地は、いまの国際社会ではクマラスワミ報告だけを前提にしてなどいない。

・・・まあ、くわしくは本をお読み下さいませ。ませませ。

****参考までに以下を追記(7/19 22:23)。内容を一つも引用しないのも芸がないので****

-----二〇〇七年に入り、米国議会下院に、「戦中、日本が朝鮮人をはじめとするアジア女性をセックススレイブ(性奴隷)として強制動員した」とする決議案が提出され、内外の物議を醸した(中略)事実無根の決議案の源流は、実は、この吉田(※おさかな注=吉田清治)の「ドレイ狩り」をしたという捏造証言だった。

 本書の大きなテーマの一つは、この吉田のウソの証言がどのようにして米国議会決議にまでつながっていったのかを明らかにすることだ-----16ページ)

-----実は、米議会下院が審議しているこの問題の慰安婦決議案は、クマラスワミ報告を大きな根拠としている。

(中略)

この日本政府への要求(1)にある「性奴隷制」という語句はクマラスワミ報告が「性格で適切な用語」として使ったsexual slaveryという語句そのままだ。

 要求(4)でいわれている〈「慰安婦」に関わる国際社会の勧告〉には当然、クマラスワミ報告が含まれるはずだ。

 このように見ていくならば、決議が〈慰安婦は「性奴隷」である〉というクマラスワミ報告書の基本的立場を継承していることがわかる。

 クマラスワミ報告が性奴隷制という語句を使って吉田清治証言、挺身隊制度での連行、北朝鮮慰安婦チョン・オクスン証言などをすべて事実として認定していた。となれば、要求(1)にある〈性奴隷制を若い女性に強要したこと〉という表現も、同じ事実認識を背景にしていると考えるべきなのだ-----(171~173ページ)

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2007年7月11日 (水)

新装版『ナショナリズムと「慰安婦」問題』感想

新装版『ナショナリズムと「慰安婦」問題』(日本の戦争責任資料センター編、青木書店20031998年発刊の新装版)を読んだ。慰安婦問題をめぐるシンポジウムでの発言と、その後の論文などが掲載されている。

本書を読んでの率直な感想は、

①上野氏が議論の台風の目になっている

②しかし上野氏の発言・論文やその他の学者らの発言・論文には学ぶべき点が多く、良書である

というものだ。

①のような感想を持ったのはなぜか? 代表的なものは、下記のような上野氏の発言だ。

---たとえば吉見さんが「朝まで生テレビ」という、愚劣な場に引きずり出され、小林よしのり一派に追及を受けたあげく精一杯の誠実さでお答えになったのは、吉見さんが発見なさった公文書は日本軍関与の傍証にはなってもその証明そのものにはならないという実証史家としての能うかぎり誠実なお答えでした---25ページ~26ページ)

正直、“目が点”だ。ここでいう公文書とは、つぎのものだろう。

**********************************

「軍慰安所従業婦等募集に関する件」

陸軍省兵務局兵務課起案
1938年3月4日
「支那事変地に於ける慰安所設置の為、内地に於て之が従業婦等を募集するに当たり、故らに軍部了解等の名義を利用し、為に軍の威信を傷つけ、且つ一般民の誤解を招く虞あるもの、或いは従軍記者、慰問者等を介して不統制に募集し、社会問題を惹起する虞あるもの、或は募集に任ずる者の人選適切を欠き、為に募集の方法、誘拐に類し、警察当局に検挙取調を受くるものある等、注意を要する者少なからざるに、就いては将来是等の募集等に当りては派遣軍に於て統制し、是に任ずる人物の選定を周到適切にし、其実施に当りては関係地方の憲兵及警察当局との連繋を密にし、以て軍の威信保持上並に社会問題上遺漏なき様、配慮相成度依命通牒す。」
**********************************
 軍の関与そのものではないか。官憲などによる力づくの強制連行の証明にはできない、というだけにすぎず、「慰安婦」問題で、軍の関与自体はあったことを示している。否定派流にいえば「よい関与」だと主張することもあるかもしれないが、「関与の証明にはならない」というとしたら、それは珍論である。
 しかし、②のような感想を持つのは、例を挙げると、つぎのような点についてである。
---一つには、証人というものは同じ証言を性格にくり返すテープレコーダーではないということです。二つめには、証言というものはつねに語り手と聞き手の間の臨床的な現場で、そのつど一回的につくりあげられる共同制作の産物であるということです。聞き手が替われば必ずや証言も変わります。三つ目には、とりわけ語り得ぬこと、抑圧されてきた記憶や社会的弱者の語りというものは、まず第一に支配的な言説に自分を合わせようとする磁場のなかにおかれています---28ページ、上野氏の発言)
---第二は、個人補償の論理です。これは国家間賠償で決着がついているという言い分に対して法廷闘争を組み立てるなかで出てきた論理なんですが、これに対しては山崎ひろみさんが見事な発言をしていらっしゃいます。「強姦被害者の女性に対して、あなたのお父さんやお兄さんともう話はついていると言われて、被害者の尊厳は回復されるでしょうか。そんなことはありません」---29ページ、上野氏の発言)
 上記のテープレコーダーではない、証言者は磁場のなかにおかれているという議論は、ひょっとしたらシンポジウム後の論文で吉見義明氏が述べている下記の点にもつながる部分があるかもしれない。
---一九四二年にビルマにいった文玉珠さんを例にとると、多くの場合、彼女は、強制的に連行されたと述べているが、韓国挺身隊問題対策協議会・挺身隊研究会による時間をかけた丁寧なヒアリングでは、「私はもうだめにされた体だだと思っていたので、どうせのことならお金でもたくさん稼ごうと思って、すぐ承知しました」と語っている(だからといって、文さんのビルマでの生活に軍は責任がないということではない。彼女はビルマでは、あまりのつらさに自殺しようとして身投げをしている)---133ページ
もちろん、僕は吉見氏のこの見解を証言コロコロ論(?)の傍証にするつもりはない。証言をまったく事実の裏づけにならないと考えるのか。それとも、そうではなく、丁寧に検証していくことや丁寧にききとっていくことなどを通じて、事実の裏づけになることを認めるのかどうかは、大事な検討すべき点だと僕は感じる。念のためにいえば、否定派がよくいうような、矛盾点があればすぐに「まったくのウソ」呼ばわりする議論は、僕は思考が短絡的だと感じるし、強い違和感を持っていることは述べておく。
 このほかにも、シンポジウム後の論文で、上野氏は次のように批判されている。
 ---さてシンポジウムでの上野氏の問題提起に、次のような趣旨の発言があった。
 橋爪大三郎氏は、竹田青嗣、小林よしのり両氏との鼎談において、戦前と戦後の日本は政治共同体としての同一性を有している、したがって日本という政治共同体に属している個人として大日本帝国に属している個人として大日本帝国に関する責任をとらなければならないと述べると共に、「私やあなたが、昭和十年代の日本に生きていて、ある日召集されたとする。それは国家の合法的な手続きに基づくもので、憲法(大日本帝国憲法)の定める国民の義務でもある。とすれば応召して戦地に赴くことは断じて正しい」といっている。さて、高橋哲哉氏はシンポジウムの第Ⅰ部で「日本人としての責任をとる」と言ったが、もし日本人としての政治共同体に属する責任とおっしゃるなら、橋爪氏の議論とどこが違うのか?・・・・
 上野氏のこの発言を聞いて、実は私は唖然としてしまった----156ページ、東京経済大学の徐京植=ソ・ションシク=教授)
 まったく徐教授のいうとおり。ただ、僕にとっては、「悪法も法で、戦争当時は従うしかなかった、それも市民社会なのだ」などとする議論に対しての警戒をうながすものとしても捉えたいと思う。上野氏の発言は非常に鋭いと思う。しかし、やや散発的で吟味不足のようにも見えた。
 本書は全体としてみれば、興味深い刺激的な本になっていると思う。慰安婦問題を考える上で、おすすめかと聞かれたとしたら、おすすめである。

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2007年7月 1日 (日)

6月は9冊読みました

昨年の7月から日本の侵略戦争について勉強をはじめてこの7月で一周年です! すごい! 何で一年間本を読み続けたのか? う~ん。熱意があるのは間違いないが、なぜっていわれるとわかったような、わからないような・・・。

感想を全部言うのは大変なので、読んだ本だけ列挙します。

○『ナショナリズムとジェンダー』上野千鶴子、青土社1998

 感想は、下記URL。

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/06/post_21ce.html

○『税民投票で日本が変わる』浦野広明、新日本出版社2007

 戦争と何の関係があるんだ、と。う~ん。まあ、いいじゃないですか。

 ただ、源泉徴収っていうのは、効率よく戦費を集めるために戦前からおこなわれるようになった手法なんだってね。たしかに、知らないうちに税金をしっかりとられ、気をつけないと負担感も感じないもんね。

○『ぼくは毒ガスの村で生まれた』化学兵器CAREみらい基金編著/吉見義明監修、合同出版2007

 感想は下記URL。

 http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/06/post_c4ae.html

○『戦争犯罪の構造』田中利幸編、大月書店2007

○『李容洙さん証言録』旧日本軍性奴隷問題の解決を求める全国同時企画・京都実行委、2005
 本ってほど分厚くないが・・・。

○『写真記録 破られた沈黙 -アジアの「従軍慰安婦」たち』伊藤孝司 風媒社1993

 写真には、むごたらしい傷の跡なども載っている人もいて、いや、ツライですね。

○『証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち』韓国挺身隊問題対策協議会・挺身隊研究会編/従軍慰安婦問題ウリヨソンネットワーク訳、明石書店1993

 まあ、慰安婦問題を語る上での必読文献かと・・・。

○新装版『シンポジウム ナショナリズムと慰安婦問題』(日本の戦争責任資料センター、大月書店2003)

 1998年出版の新装版。後日感想をアップします。

○『戦争の日本史22 満州事変から日中全面戦争へ』 伊香俊哉、吉川弘文館2007 

というわけで、一年で読んだ本は、86冊でした。

応援ありがとう!(誰が応援を?) これからもよろしく!(って誰に向かって?)

・・・がんばります。

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2007年6月28日 (木)

「慰安婦」否定本がまた一冊

「blog*色即是空」さんで、米下院でこのたび決議された「慰安婦」問題問責決議が紹介されている。訳が掲載されているので、ごらんください。

http://d.hatena.ne.jp/yamaki622/20070627/p1

さて、この決議採択にあたっては、否定派のアクション(安倍首相発言や、ワシントンポスト紙への意見広告など)が、火に油を注いだかっこうになったが、日本ではまたこんな本が出ている。

『よくわかる慰安婦問題』(西岡力、草思社2007)

しかも、発行日は2007年6月28日! って、僕がこれ買ったの、6月27日だけどね。

帯には、

問題の核心と真実はすべてこの本の中にある。

はあ。本文+参考文献+あとがき足しても、200ページあまりしかないのに、「すべて」「ある」と断言する、その自信。そのうち拝見しませう。

がんばるなあ。

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2007年6月10日 (日)

『ぼくは毒ガスの村で生まれた』感想

『ぼくは毒ガスの村で生まれた』(化学兵器CAREみらい基金編著/吉見義明監修、合同出版2007)を読んだ。

中学・高校生あたりをターゲットにしているのだと思うけど、すらすら読めて、また中国遺棄毒ガス問題がどういう問題なのか、把握するのによい本だな、と思った。被害者の証言、どのような健康被害に苦しめられているか、また毒ガス兵器を生産した大久野島が消された地図の写真、毒ガス生産/処分にくわわった人々の健康被害なども記されている。

中国人被害者への補償をなぜ日本の裁判所に提訴するのか、裁判ではどのような判決が出たかなどについてもわかりやすくふれている。

最後の方で、次のように言っている部分は、非常に重要だと思い、僕は「単なる遺棄毒ガス問題入門書ではないな」と感じた。

---たしかに、私たちが過去の戦争の責任をとるのはむずかしいことですが、おなじ時代を生きている人々が過去の戦争の被害で苦しんでいる時、それに手を差し伸べることができるのは、おなじ時代を生きている私たちだけなのです---(155ページ)

ところで、一点だけ要望?をいうなら、日本政府を擁護する論者が持ち出している論点のひとつ=日本はきちんと毒ガスは連合国軍に手渡した。なのに、それを連合国側が遺棄しただけで、日本には責任はないのだ、という主張について、反論を記しておいてくれるとよりよかったと思う。

たとえば。『SAPIO』2007年2/14の「知られざる反日包囲網を撃つ! 第3弾 『反日映画』が中国で大反響 今やアイリス・チャンを凌ぐ人気の元NHK女性ディレクター」では、「ジャーナリスト」水間政憲氏はつぎのようにいう。

---「劉敏氏の父が事故にあった所は、黒龍江省とのことだが、旧日本軍はソ連極東軍事最高司令官・ワシレフスキー元帥が昭和20年8月20日付で発令した『関東軍総司令官・山田乙三大将』への武装解除の命令書によって同地方の化学弾を含む『弾薬』はソ連に引き渡している(『正論』06年9月号『中国のウソにとどめを刺す関東軍機密文書』拙稿参照)。著者が発見した関東軍兵器引継総括目録だけでも銃実包『2億160万発』、弾薬(化学弾を含む)『1011万7500発』にものぼる。/一次史料によって『弾薬』の引き渡しが実証されているにもかかわらず海南氏は、『日本軍が捨ててきた兵器』などとのたまうのである」---(39ページ)

この類の主張にたいするつぎのような反論を紹介すべきだったのでは。

 http://www.jicl.jp/now/saiban/backnumber/sengo_28.html

 上記URLには、「政府側が、毒ガス兵器は武装解除に際してソ連に引き渡されたと主張している点について、大江弁護士は、そうした事実がないことを指摘しました。実際、ソ連側への武器引渡しリストに、催涙弾の記載はありますが、イペリットやルイサイトの記載はありません。また、アメリカ軍が1945年9月7日に弾薬庫などを調査した際、大量の防毒マスクや防毒衣と、くしゃみ性のガス弾がいくつか見つかったにもかかわらず、ルイサイトなどは見つかりませんでした。そのため、調査に当たったゲイ大尉は、ルイサイトなどの毒ガス兵器は国軍の到着前に処分されたと推定される、と報告しています」とある。

というわけで、最後の要望(?)が長くなってしまったが、化学兵器CAREみらい基金さんのこの本、けっこういいですよ。表紙もかわいいし。入門書にどうぞ。

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2007年6月 7日 (木)

『ナショナリズムとジェンダー』

読みました。『ナショナリズムとジェンダー』(上野千鶴子、青土社1998)。「慰安婦」問題を考える上で、一回は上野千鶴子氏の本を読まねばと思っていたのだ。でもね、むずかしいんだよな、彼女の本。「国民国家」なんて急にいわれても、わからないんですよ、だんな。はい。なんせ、僕は、ようやく最近ジェンダーとかパラダイムとかわかるようになってきた気がちょっとだけする青二才ですから。

さて、本の中身は、非常に示唆に富んでいると思う。

---たんに「事実」ということなら、「慰安婦」の存在は誰にも知られていた。隠されてさえなかった。変化したのは「事実」の捉え方のほうである。だれひとり「犯罪」だと考えていなかった「慰安婦」制度が、当事者がみずからを「被害者」と自己定義することをつうじて、「性犯罪」として再構成されたのだ---(14ページ)

---「従軍慰安婦」が「犯罪」化されたということは、過去の問い直しにとどまらない。戦後半世紀経って何を今さら、という声に対しては、この問題は過去の問題ではなく、現在の問題なのだと、わたしたちが現在進行形で加担している犯罪なのだとこたえたい。「従軍慰安婦」をめぐる「二重の犯罪」とは、第一に戦時強姦という犯罪と、第二に戦後半世紀にわたるその罪の忘却、という罪である。第二の犯罪については、被害者に被害の認知を拒むことによって、日常的・継続的に半世紀にわたって続けられてきた「現在の犯罪」だということができる。それにつけ加えるなら、現在保守派の人々によって、被害女性の告発が否認されていることを、「第三の犯罪」と呼んでもよい。過去に被害を受けたにとどまらず、その被害に対して長い沈黙を強いられ、ようやく沈黙を破ったときにカネほしさの嘘つき呼ばわりされる━これが二重、三重の犯罪でなくて何であろう---(100~101ページ)

---リクルートにおける自由意思の有無の問題と、金銭の授受の問題とは区別して考えなければならない(中略)金銭の授受は強制のもとでも起こりうる---(116ページ)

---もうひとつ、「売春」パラダイムにつきものの基本的な誤解を指摘しておかなければならない。強制にしろ任意にしろ、「売春」は女性と男性のあいだの「性と金銭の交換」ではない。性産業としての「売買春」は、売り手(業者や経営者、しばしば男性)と買い手(の男性)とのあいだの交換行為であり、そこでは女性は交換の主体=当事者agentではなく、たんなる客体=商品にすぎない。商品には客を選ぶ権利はない。民間の「慰安所」で稼いだのは、個々の「慰安婦」ではなく、一部の経営者であった---(118ページ)

まあ、こんな感じです。おさかな的には重要な指摘を含んでいると思います。

また、本書は、慰安婦の支援者たちが被害者を純潔だったことを強調する傾向についても注意を喚起する。その純潔、つまり「無垢な被害者」像から少しでもはずれた被害者に、沈黙を強いる効果を果たすことがないかと疑う必要があるというのだ。

たとえば親に強いられた結婚で、夫から暴力も振るわれ、そこから逃げ出そうと思って甘言につられて結婚生活から逃げ出した元慰安婦などの場合、その結婚生活を日本のメディアのインタビューや公の場ではふれなくなるという現象がおきたりする例を紹介している(177ページ)。著者は「弱者の語りは、聞き手が語りを共有してくれるという安心感や信頼感のないところでは決して語られることがない」(178ページ)と述べる。

まあ、慰安婦問題に関心のある人は、上野氏の本は一度は読んでみて。難しい言葉をあちこちで使うのは勘弁してほしいと思うこと、たびたびだが・・・。

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2007年6月 1日 (金)

5月は6冊でした

5月は6冊読みました。

・・・7冊読んだと思ったのだけど・・・。おかしいな。メモしておかないと、わからないよ。これで昨年7月から計算して、76冊読了。

○戦争倫理学 加藤尚武 ちくま新書2003

○護憲派のための軍事入門 山田朗 花伝社2005

○ニッポン・サバイバル 姜 尚中 集英社新書2007

○「慰安婦」・戦時性暴力の実態Ⅰ 日本・台湾・朝鮮編 緑風出版2000

○村上春樹論 小森陽一 平凡社新書2006

○戦争と性 川田文子 明石書店1995

【22:20追記】

『靖国問題』(高橋哲哉、ちくま新書2005)読んでたよ・・・忘れてた。下記URL参照。

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/05/post_dd74.html

したがって合計は77冊。5月は7冊。

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2007年5月17日 (木)

『靖国問題』、必読かも・・・

『靖国問題』(高橋哲哉、ちくま新書2005)を読んだ。半年前から持っていたのに、全然読んでおりませんでしたが、昨日読み終えて、よい本だと思った。おすすめです! ・・・でも、こんな感じでおすすめって言っていたら、僕がすすめる本はいったい何冊になるのでせう。いかん、いかん。

さて、この本は、帯には「決して外せない一冊が登場した!」とか書いてあります。何をまたおおげさな・・・と思っていたのだけど、仏教者やキリスト教者も国家神道にとりこまれていったことなど、興味深かった。

でも、とくに僕が当然のことなのだけど、あらためて大事だと思ったことは、つぎの3点かな。

■1■靖国神社は戦争動員のための顕彰施設であり、追悼施設ではない

---遺族の不満をなだめ、家族を戦争に動員した国家に間違っても不満の矛先が向かないようにしなければならないし、何よりも、戦死者が顕彰され、遺族がそれを喜ぶことによって、他の国民が自ら進んで国家のために命をささげようと希望するようになることが必要なのだ---(44ページ)

 遺族を失った悲しみを、天皇のために命をささげた喜びに転化させるという手法を、著者は「感情の錬金術」と呼んでいる。そして靖国神社は一見、戦死を悼むように見えるが、悼むことを本質とするのではないと著者はいう。

■2■靖国神社に祀られる際に重要なのは遺族の意志ではなく、天皇の意志のみである

 つぎに興味深いと思ったのは、プロテスタントの角田三郎牧師が靖国神社へ二人の兄が祀られているのを取り消してほしいという要求を靖国神社が拒否した話。

---牧師との話し合いの席で、池田権宮司が、「天皇の意志により戦死者の合祀は行われたのであり、遺族の意志にかかわりなく行われたのであるから抹消をすることはできない」と言明したことも明らかにされている(角田三郎『靖国と鎮魂』1977年)(99ページ)---

 結局、「戦死した家族の合祀を求める遺族の意志・感情も、いわばたまたま『天皇の意志』に合致しているにすぎないのである」(102ページ)と言い切ったあたり、著者は切れ者だな、と思った次第・・・。

■3■国立の追悼施設は、無宗教かどうかが重要なのではなく、政治こそが重要である

---もう一度確認しよう。非戦の意志と戦争責任を明示した国立追悼施設が、真に戦争との回路を絶つことができるためには、日本の場合、国家が戦争責任をきちんと果たし、憲法九条を現実化して、実質的に軍事力を廃棄する必要がある。・・・(中略)・・・この条件からかけ離れた現実の中で国立追悼施設の建設をすすめるならば、それは容易に「第二の靖国」になりうる---(220ページ)

 要は、武力を持ち、さらに戦争責任を明確にせず、ましてや侵略戦争を正当化するような現実の日本の政治のもとでは、どんな無宗教の施設をつくろうとしても、戦争動員のための戦死者の顕彰施設に容易になりうるということだ。2001年12月に福田内閣官房長官の諮問機関としてできた「追悼・平和祈念のための祈念施設の在り方を考える懇談会」(以下、追悼懇)は、2002年12月、無宗教の国立の追悼施設をつくるといいながら、つぎのようにいっているそうだ。

 ---戦後について言えば、日本は日本国憲法により不戦の誓いを行っており、日本が戦争することは理論的にはあり得ないから、このような戦後の日本にとって、日本の平和と独立を害したり国際平和の理念に違背する行為をした者の中に死没者が出ても、この施設における追悼対象とならないことは言うまでもない---(『靖国問題』192ページに引用)

 この論理で言えば、イラクで多国籍軍の一員として活動して、自衛隊と武装ゲリラが衝突した場合でも、自衛隊員は死亡すれば追悼され、ゲリラは追悼対象とならない。

 実を言えばこの追悼懇は、日本が起こした過去の戦争でなくなった外国人は、民間人、将兵問わず、「日本人と区別するいわれはない」(『靖国問題』185ページに引用)といっているのだが、上記の論理=日本の平和と独立を害したり国際平和の理念に違背する行為をした者の中に死没者が出ても、この施設における追悼対象とならないことは言うまでもないという論理にしたがえば、やはり外国人は排除されていくのだという。これを著者は「靖国の論理と瓜二つではないだろうか」(194ページ)と訴える。

 ・・・う~ん、なるほど。無宗教なら少しはマシなのかと思っていたが、浅はかだったと反省するおさかな。国民をあざむくレトリックが張り巡らされていることを、再度注意深く観察し、見抜く目を持たねばならない。

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2007年5月13日 (日)

『「慰安婦問題」のからくり』への違和感

『日本人なら知っておきたい「慰安婦問題」のからくり』(阿部晃、夏目書房2005)って本。やっぱりこの本を読んで、とても不思議に思う点がある。

この本は、慰安婦とは戦地に売春に来ていた売春婦だと言い張る。そして、つぎのようにいう。

---だから慰安婦の境遇だって、売春婦の境遇が一般的にいってそうであるように、周旋業者によって「よい仕事がある」と引っ張っていかれて売春の世界に足を踏み入れることになり、多額の負債を背負わされていたとか、雇い主によっていやもおうもなく客をとらされていたといった具合に「人身の自由」が侵害されていて、さらにカラダを売らなければならなかったというそのこと自体、女性としての尊厳が踏みにじられていたわけで、しかしそれは、”売春業に従事していたがゆえに”という事情によるものであって、別に、日本軍の慰安所で働くようになったことが原因で、「人身の自由」が侵害されたり、尊厳が踏みにじられたりしたわけではないのです---(199ページ)

つまり売春の仕事だときちんと説明されず、連れて行かれた先が売春だったということは、業者の責任なのだ、日本軍のせいではないのだと。慰安婦問題で日本軍の責任を否定する人の持ち出す典型的な議論ですね。

ところが、この論理を仮に認めるならば、僕は別の疑問を持たざるをえません。日本は誘拐天国だったのかと。つまり、朝鮮の業者などが女性をだまして売春させても、それは業者の責任にすぎないというのだろうか。朝鮮は当時日本にされていたはずだが・・・。

しかも、人をだまして連れて行って、売春を無理強いしても、その境遇は「一般的」=つまり、売春目的の誘拐が一般的だと著者はいうのです。 

慰安婦問題で日本や日本軍の責任を否定する人たちの多くは、慰安婦問題だけでなく「大東亜戦争」に連なる一連の戦争・植民地支配を正しいとか、やむをえなかったなどといい、日本に誇りを持てといいますよね。この本でも、朝鮮半島支配について、「日本から近代化がもたらされると朝鮮経済も急激に発展、商業活動も活発に展開されるようになりました」(111ページ)というのだけど、実は誘拐し放題だったとすると、日本の朝鮮「統治」をばら色に描くのもどうかと思います。人を売春目的で誘拐するのが一般的だったと主張するならば、大日本帝国は、当時の日本の刑法でも違法だった誘拐を取り締まらなかったことになります。法治国家というのは形だけだと。もし取り締まれなかったのなら、それもやはり大日本帝国の無能を露呈していることになるでしょう。それとも、朝鮮半島などでは形だけ日本であるにすぎず、誘拐は犯罪にならなかったとか? 売春だろうかなんだろうが誘拐が一般的にまかり通っていれば、それはそれで重大問題。業者の責任であり、日本軍の責任ではないと開き直っている場合ではないと思うのだけど、いかがだろうか。

よく恥ずかしげもなく著者はこんな矛盾した議論を展開できるなあと感心する。これこそ、日本の誇りを傷つける「自虐史観」じゃないのかなあ。

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2007年5月 1日 (火)

4月は6冊でした

4月に読んだ本は6冊でした。何だか仕事もちょっと忙しかったし。彼女も体調崩しておさかなが看病したりと、バタバタしてました。

読んだのは

○『歴史の事実をどう認定しどう教えるか』渡辺春己ほか、教育史料出版会1997

○『戦争犯罪論』前田朗、青木書店2000

○『七三一部隊』常石敬一、講談社現代新書1995

○『いまどきの「常識」』香山リカ、岩波新書2005

○『心脳コントロール社会』小森陽一、ちくま新書2006

○『新版 法とは何か』渡辺洋三、岩波新書1998 

 読了日は忘れたよ。「法とは何か」だけは、昨日だったので覚えています・・・。

 4月はもう少し従軍慰安婦問題関連を読むつもりだったのですけど、関係ない本がほとんどになってしまいましたね・・・。脈絡がないように見えますが、おさかな的には▽過去の侵略戦争の反省・総括と、▽将来の国際平和構築に向けて現代社会をとらえるという問題意識で、一応つながってはいるのです。5月はがんばります。

 これで昨年7月から近代日本の戦争関連で勉強を始めて以来、ちょうど70冊読了。戦争と直接関係ないものも入っているが・・・。まあ、いっか。

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2007年4月28日 (土)

読みませう『心脳コントロール社会』

『心脳コントロール社会』(小森陽一、ちくま新書2006)を読んだ。興味深かったと同時に、金があれば人びとの心を左右できるのかと、あらためて恐ろしさも感じた。
この本は、小泉旋風や郵政民営化キャンペーンの成功、小さな政府論がなぜ幅を利かせるのかなど、疑問に思っている人にはお勧め。

本書がとりあげるのは、5%の意識的思考よりも、95%の無意識の思考に働きかけるという、心脳マーケティングの手法だ。脳科学の知見に基づいた手法で、「重要なのはこの手法が、商品のブランド創りや、商品広告だけではなく、政治的なプロパガンダにも応用されている、という事実です」という(74ページ)。いわばあまりふだん意識されていない思考、記憶に働きかけると考えるとよいか。

そして人間の脳を「快」「不快」の二者択一に追い込む。問題を単純化して二者択一にし、「わかりやすく」することで、結果的に見せかけの「快」を選ばせ、為政者が国民に思い通りの選択肢をつかみとらせるということだ。

たとえば、アメリカでイラク攻撃に使われたフレーズ。「悪の枢軸」をふくめたすべてのテロに対する「War on Terror」をやるんだとかいっていたが、まず「枢軸国」という言葉。やっぱり「枢軸国」といえば、俺たちの国のことだぜ!

---「枢軸国」というのは・・・(中略)・・・「連合国」の敵です。/侵略を受けたヨーロッパの人たちの力で倒すことのできなかった日本を、一九四一年一二月以後参戦することによって打ち破ったのが、アメリカ合衆国であった、という社会的集合記憶が「枢軸国」という言葉から引き出すことができるのです。つまりアメリカ合衆国が「正義の味方」になった「World War Ⅱ」の記憶を導き出すキー・ワードが「悪の枢軸」なのです。---(81ページ~82ページ)

「War」を使ったのは第二次世界大戦=「World War  Ⅱ」の記憶を呼び覚ますと同時に、つぎのような事情もあるようだ。

---国連憲章第五一条に基づく「Defence」という名の戦争は、大統領命令だけで遂行できるわけです。/アメリカ合衆国による多くの軍事行動は「Defence」という言葉の下で遂行されたのです。もちろん、ほとんど一度も・・・(中略)・・・勝利をおさめたことはありません。ベトナム戦争は泥沼状態となり・・・(中略)・・・「defence」という名の戦争に対して、多くのアメリカ国民は「不快」というイメージを抱いてきました。(84ページ)---

なお、Warは「快」になることは、調査がおこなわれたそうである。上記のフレーズには、政治戦略専門のマーケットリサーチャーであるフランク・ランツ氏がかかわっているとのことだ。

--フランク・ランツの手法は、ある政治的問題にかかわる最も効果的な言葉を探しあてることにあります。その方法の要は、ある言葉の意味や概念ではなく、その言葉のイメージについて「快」と感じるか「不快」と感じるかの二者択一で徹底した調査をするところにあります。---(75ページ)

この手法が日本でも使われていることが、小泉「劇場」選挙を引き合いに出して展開される。自民党は広告会社プラップジャパンと契約し、大衆的心脳操作をおこなったという。

そもそも、「改革をとめるな」というフレーズ。「改革」っていったら、あのときのことだ。でも、はっきりあのときのことだと自分の意思で呼び起こせない記憶にすぎなかったからこそ、本人たちは無意識のうちに「快」の記憶を呼び起こされ、改革を支持してしまうのだそうだ。・・・なんて、あんまりいうと本書を読む楽しみがなくなるでしょうから、この辺にしておきます。読んでない人はぜひ一読を。

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2007年4月23日 (月)

また本が増殖・・・

またやってしまった・・・また本買っちゃったよ。

『戦争犯罪の構造』(田中利幸編、大月書店2007)を買った。300ページもないのに、3600円+税! うげ・・・。

うちの職場に出入りしている本屋さんに、いつものようにツケにしてもらおうかと思ったが、どうせ払わなければいけないので、その場でお金を払った。

副題は「日本軍はなぜ民間人を殺したのか」。

下記は目次から。

◆第一章 日清戦争における日本軍の住民への加害(大谷正)

◆第二章 抗日義兵闘争と膺懲的討伐(慎 蒼宇)(←本当は慎の字のつくりは、眞)

◆第三章 アムール州イヴァノフカ村の「過激派大討伐」(一九一九年)(原 暉之)

◆第四章 南京大虐殺事件(笠原十九司)

◆第五章 中国雲南省にみる日本軍の住民虐殺(一九四二~一九四五年)(伊香俊哉)

◆第六章 シンガポール華僑虐殺(林博史)

◆第七章 抑留者虐殺とその責任問題(田中利幸)

◆第八章  占領地民衆に対する大本営の認識(一九三一年から一九四二年)(山田朗)

◆第九章 偽りの近代からくる不安を克服するために(野田正彰)

まだ全然読んでないが、まえがきの次の箇所にドキッとした。

---学術レベルでは「標準」となっている歴史分析が、なにゆえに大衆レベルでも「標準」として、この二〇年あまりのあいだに揺るぎないものとして定着してこなかったのか。このことを真剣に問うことが、私たち近現代史を、特に戦争犯罪分析を研究対象とする歴史家たちには要求されている(ix~xページ)---

僕は歴史家ではないけど、おさかなにとっても頭の痛いところです・・・。

あと、『心脳コントロール社会』(ちくま新書、小森陽一2006)も読んでいる。なぜこの社会が、郵政民営化こそが改革だと思わされ、なぜか憲法改正論者でアジア蔑視の石原都知事を支持する人が多く、「小さな政府」論に感化されていくのだろうという、おさかなの疑問に対する答えの糸口にでもなれば・・・と思って。

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2007年4月 5日 (木)

「『慰安婦問題』のからくり」感想その2

「日本人なら知っておきたい『慰安婦問題』のからくり」感想2回目。1回目は下記URL参照。

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/04/post_79f1.html

 この本は簡単にいうとよく否定派が持ち出す議論=「慰安婦問題とは、ありもしない強制連行を吉田清治氏などがいいだし、朝日などが騒いだおかげで、あたかも事実のように広まった問題である。ところが強制連行の証拠が見つからなくなったとたん、『あった』派の人たちは『慰安婦問題は強制連行問題だったのだだけではない』などと言い出した。話をそらすな』」という類の議論にそった、お約束の論旨展開をおこなっています。

---慰安婦問題、つまり「日本の国家権力による、朝鮮における強制連行での慰安婦調達」という話は韓国から沸きあがってきたものではなくて、吉田清治氏の著作にもとづいて、日本発で韓国側にもたらされたものだったのです---(74ページ)

 慰安婦問題が「日本の国家権力による、朝鮮における強制連行での慰安婦調達」に誤変換されていますね。慰安婦問題などという言葉を使わず、「慰安婦強制連行捏造問題」という名称でも採用したらいかがでしょうか。

---「日本追及派の人たちというのは、もともと『日本の官憲が朝鮮の女性たちを人狩りのように強制連行していって、慰安婦の調達にあてていた』、と思い込んで日本追及運動にのめりこんでいったわけで、ところがよく調べてみると、日本軍慰安婦の実態など、戦地に出張営業に押しかけていった売春業者おかかえの単なる売春婦でしかなかったわけですから、日本追及運動に加担した人たちですが、本来だったら”ギブアップ”するしかないのです」---(195ページ)

 何でギブアップすんねん。慰安婦問題は慰安婦問題だって。「慰安婦強制連行捏造問題」ではありません。慰安婦問題って言葉使うなよ、紛らわしい。

 ---それから、(※おさかな注=河野談話の)「慰安所における生活は強制的な状況での痛ましいものだった」という部分ですが、”慰安婦”といったところで、その本質は単なる売春婦に過ぎないわけです。だから、慰安婦の女性たちの境遇にしたところで、売春業に身をおくようになった女性たちの境遇が一般的にいってそうであるように、親に身売りされたとか、多額の債務を背負わされている等「強制的な状況のもとでの痛ましいもの」に決まっています。/慰安婦の女性たちの境遇が不幸なものであったとしても、それは売春業に従事しなければならなかったということが不幸なのであって、別に日本軍の慰安所で働くことになったから不幸なことになったのではありません---(185ページ)

 人権感覚が皆無なのにも驚きますが、論点のすり替えもおこなっています。河野談話は「慰安所における生活」を問題にしているのに、いつの間にか「親に身売りされたとか、多額の債務を背負わされている等」という話にすり替えてしまいます。せこい!

 結局、著者が慰安婦問題を強制連行の問題だけにしぼるのは、慰安所での生活や性サービスの強要や強姦、健康被害などに焦点を当てないための詐術なんだな。だいたい、連行という「過程」に問題がなくても、「就職先」で問題が起きることだってある。「9時~5時で週休2日だといわれて就職したのに毎日夜遅く、休日出勤もしろといわれる。話が違う」って話がいまの日本でザラにあることを考えても、それぐらいわかるだろう? 

 そもそも、連行の過程で「だまされた」例も報告されているのに、日本の権力が力で連行したのでなければ問題ないという議論自体に、重大な論理の飛躍がある。そのあたりのことについては次回。

  

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2007年4月 2日 (月)

「『慰安婦問題』のからくり」感想その1

「日本人なら知っておきたい『慰安婦問題』のからくり」(阿部晃、夏目書房2005)を読みました。何回かに分けて感想を書きたいと思います。まず1回目です。最終的に何回になるかわかんないけど。

で。この本を読んでまず、びっくりしたのはこれです。

 ---一方、兵士たちにしてみれば日本から遠く離れた戦地で、毎日殺伐とした戦闘行為や軍事訓練に明け暮れていたわけで、そんな状況におかれたら、誰だって、時にはハメをはずしたくもなります。具体的にいうと、酒も呑みたくなるし女性だって抱きたくなるとうい(ママ)ことです。(19ページ)---

 ---遠征先で、兵隊たちの下半身をスッキリさせてやらなければならない必要性が生じたら、売春業者に戦地にまで営業に来てもらえばそれで間に合います。だから日本軍はそうしていたのです。(66ページ)---

 もし仮に個人の売春が合法的だったとしても、慰安所の設置・拡大を考えたのは軍です。つまり公権力。その公権力が慰安所を設置することで、売春を公認した上、軍人にあてがい、推進したのです。「私」である業者の売春一般と同じように論じている節がありますが、当時から醜業といわれたものを、公権力が公認し、構成員にあてがい、推進したことの道義的責任はないのでしょうか。

 さらに。「日本から遠く離れた戦地で、毎日殺伐とした戦闘行為や軍事訓練に明け暮れていた」ことを理由に売春を合理化する点も、不可解です。性サービス以外の方法はなかったのでしょうか。

 また、「戦闘行為や軍事訓練に明け暮れ」るハメになったのは、日本自身に多大な責任があります。戦争が長期化したから余計に明け暮れるはめになったのですから。日中戦争の長期化は、上海事変(1937)後、現地の日本軍が独断で戦線を拡大し、これを陸軍中央が追認して南京へ攻め入ったのがそもそもの原因です。その南京侵攻・占領の際に起きたのが南京事件。南京事件後の近衛首相(当時)の重慶政府を「対手とせず」声明で、自ら戦争解決への道を閉ざしてしまい、戦争の泥沼化・長期化はますます避けられなくなりました。「兵士たちにしてみれば」と兵士の状況に思いを馳せるのは結構ですが、何で遠く離れた戦地で「明け暮れ」るハメに陥ったのか、時代背景にも思いを馳せるべきです。

 さらにくわえるなら、南京侵攻の過程で強姦が多発したことをきっかけに、日本軍慰安所の設置が本格化し、拡大したのです。で、強姦防止のために慰安所を本格的に設置・拡大することを軍が決めた。戦争の長期化も強姦の多発も、なし崩し的で自分勝手な戦争拡大と、それを追認した政府と陸軍中央にもともとの責任があるわけで、そういう時代背景を無視して「下半身をスッキリ」なんて言葉で問題をすまそうとする論理の浅さは、目を覆うばかりです。

 最後に、公共性の高い媒体=公刊された書籍で「下半身をスッキリ」なんてはばからずにいえるその神経も、ちょっとよくわかりませんね。僕には不可解です。下品ですね。「『河野談話』によって“前代未聞の好色外道民族”といういわれなき罪状を背負わされ・・・」(190ページ)などといいますが、日本人が好色外道民族と思われるとしたら、著者のような人が日本で目に見えて増えたときでしょうね。

 

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2007年4月 1日 (日)

3月は7冊読みました

2月までで戦争関連本を累計56冊でしたから、これで63冊読んだことになります(昨年7月からの累計)。

読んだ本は以下のとおり。書名だけ記します。

○イアンフとよばれた戦場の少女(川田文子、高文研2005)3/9読了

おおざっぱな感想。

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/03/post_b5da.html

○日清・日露戦争(原田敬一、岩波新書2007)3/10読了

感想のごく一部。

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/03/post_e268.html

○国際法から見た「従軍慰安婦」問題(国際法律家委員会著、社団法人自由人権協会・日本の戦争責任資料センター訳、明石書店1995)3/15読了

●慰安婦強制連行はなかった(大師堂経慰、展転社1999)3/16読了

感想の一部は、下記URL参照。

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/03/post_aaf5.html

○戦時・性暴力をどう裁くか-国連マクドゥーガル報告全訳(VAWW-NET JAPAN編訳、凱風社2000)3/28読了

 感想は下記URL。まだ余力があればかきたいけど。

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/03/post_ffa6.html

○フィリピンの日本軍「従軍慰安婦」(フィリピン「従軍慰安婦」補償請求裁判弁護団、明石書店1995)3/30読了

●日本人なら知っておきたい「慰安婦問題」のからくり(阿部晃、夏目書房2005)3/31読了

 「日本人なら・・・」は、慰安婦強行連行虚偽強調論(?)のからくりがよくわかるし、品がなくびっくりした本なので、感想をいずれアップします。近日中に。

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2007年3月27日 (火)

性暴力とは?-国連マクドゥーガル報告

『増補新装2000年版 戦時・性暴力をどう裁くか 国連マクドゥーガル報告全訳』(VAWW-NET JAPAN編訳、凱風社2000)を読み途中。今日か明日には読み終えます。プライベートでばたばたしたので、エライ読むのに時間かかってます。いやはや…。

さて、この本を読んで、自分が重要だと思った点はいくつかあるのですが、まず、性暴力とは何かを説明している点がちょっと新鮮だったので紹介します。

---◆21 強かんは「性暴力」の定義の中に含まれる。この報告書では「性暴力」を、性的手段を利用して、または、性を標的として行われる、身体的または心理的なあらゆる暴力と定義する。性暴力は、公衆の面前で裸になることを強制したり、性器を切除したり、女性の乳房を切りとるなど、人の性的特徴に向けられた身体・心理双方への攻撃を意味する---(37ページ)

性暴力というと、自分の意識の中では強姦の印象が強かったのだが、強姦は強姦で性暴力としてとらえつつも、もっとひろい範囲を性暴力としてとらえる視点を持とうと思った次第です。おさかなはニックネームこそ「おさかな」ですが、「魚眼」なみに広い視野を持つには精進が必要ですね…。え? おさかなの到達が低すぎる? うるさいです、だから勉強しているんです(泣)。

あと、もう一点。考えさせられたのは次の点です。

---◆16 第二に、国際人道法には国内法と同様、女性の「名誉」の保護規定を含んでいることが多く、攻撃を受けた性暴力の被害者(サバイバー)が何らかの形で「名誉を傷つけられた」という含みがあった。この報告書は、このように性格づけることは誤りであるという立場をとる。いかなる強かんも、またいかなる状況下での性暴力も、名誉を失う側は加害者のみであるからだ。強かんはまさに人間の尊厳と身体への完全性への攻撃であり、何よりもまず、暴力犯罪にほかならない。---(34ページ)

 性暴力の問題で、名誉を失うのは、加害者のみだという指摘は、考えさせられます。その通りかもしれないな、と。被害者がともすれば「恥ずかしくて生きていけない」とか差別の対象にされてきたりした戦後の状況を考えると「名誉を失った」という被害者の言い分に同意もできますが、本来は被害者は犯罪行為を行ったわけではないのですから、加害者こそが本来は名誉を失っているのだということは、国際的にもっと広く認識されてもいいかもしれませんね。

 まだ他にも考えさせられたところや、これってどうなんだろうと思って調べなきゃと思っている部分があるのですけど、とりあえず今日はここまで。

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2007年3月14日 (水)

また本が増殖

従軍慰安婦問題に関連して、安倍首相の発言が引き金になって、おさかなも勉強中。さながら従軍慰安婦問題学習月間の様相。

慰安婦問題に関しては、「従軍慰安婦」(岩波新書)、「『従軍慰安婦』をめぐる30のウソと真実」(大月書店)、「Q&A女性国際戦犯法廷」(明石書店)しか読んでなかったが、以下の本を買ってきた。

○フィリピンの日本軍「従軍慰安婦」(フィリピン「従軍慰安婦」補償請求裁判弁護団、明石書店1995)

○戦時・性暴力をどう裁くか-国連マクドゥーガル報告全訳(VAWW-NET JAPAN編訳、凱風社2000)

●慰安婦強制連行はなかった(大師堂経慰、展転社1999)

○イアンフとよばれた戦場の少女(川田文子、高文研2005<3/9読了>)

●日本人なら知っておきたい「慰安婦問題」のからくり(阿部晃、夏目書房2005)

○国際法から見た「従軍慰安婦」問題(国際法律家委員会著、社団法人自由人権協会・日本の戦争責任資料センター訳、明石書店1995)←明日にも読み終えそう。

 本当は「慰安婦と戦場の性」(秦郁彦、新潮選書1999)もほしいけど、アマゾンでは品切れ。しょうがない。図書館で借りるかな。

 いずれにしても・・・本を読むだけでなく、自分で慰安婦問題をどうとらえるのか考える作業もしないといけないよなあ、と思うと、どう考えても自分の中で4月まで慰安婦問題を引っ張りそうな感じです。

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2007年3月 6日 (火)

数学用語が中国を経由してやってきた?

これって本当なんだろうか。

岩波新書のシリーズ近現代史③『日清・日露戦争』(原田敬一)の「はじめに」は、次のように語る。

「・・・問題は、優等生だったことが一方的に強調されることである。日本で欧米文化を消化し、翻訳語をつくり、清国や韓国などの漢字文化圏に輸出していったことだけが語られすぎている/一五世紀から一九世紀にかけての中国文明が、まずヨーロッパ文明を消化し、アジアに送り出していったことが、なぜこんなに簡単に忘れられたのだろうか。日本が、世界を把握できたのは、まずヨーロッパ語を中国で漢訳したものを通じてであった。地球・地中海・紅海・熱帯などの地理用語、病院・大学・文科・理科などの社会用語などは、イタリア人イエズス会士アレニの世界地理書が、一六二三年に『職方外紀』全五巻として漢訳刊行され、日本に輸入された結果、使用された」(iv~vページ)

へー。病院とか大学ってことばも中国経由なのかー。

「数学も、中国での翻訳語をそのまま使っていて、現在では意味がわからなくなっているものさえある。幾何(中国語発音のジオ)、代数、方程式、微分、積分など。中国製の『万国公法』はその後箕作麟祥(みつくりりんしょう)が作った『国際法』に取って代わられたが、温度を示す『摂氏』『華氏』は現在でも使っている」(vページ)

おお、おさかなが代数・幾何、微分・積分に苦しめられたのは、中国のせいだったのか! ゴゴゴゴゴ・・・(復讐の炎が燃えさかる音)高校で数学赤点とった日が懐かしい(泣)。1回だけだけど・・・。

冗談はさておき。これが本当なら、すごいね。

歴史を学ぶ中で見えてくるものって、本当はもっとあるのかもね。

ちょっと新鮮だったので紹介しました。まあ、博識な方はもう知ってるよっていうかもしれませんけど。

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2007年3月 1日 (木)

2月は7冊でした

2月は日が短い上に、ノロ?襲撃事件もあり、仕事もつまりまくって、7冊しか読めませんでした。本当は8冊を目標にしていたのだけど・・・。なかなか予定通りにはいかないね。で、読んだ本は以下のとおり。

○『日本人の戦争観』(吉田裕、岩波現代文庫2005) 2/4読了

○毒ガス戦と日本軍(吉見義明、岩波書店2004) 2/7読了

○Q&A 女性国際戦犯法廷(VAWW-NETジャパン、明石書店2002)2/8読了

○東京裁判論(粟屋憲太郎、大月書店1989)2/20 読了

●「南京事件」発展史(冨沢繁信、展転社2007) 2/23 読了

●南京「百人斬り競争」の真実(東中野修道、WAC2007) 2/25読了

○十五年戦争史2 日中戦争(藤原彰、今井精一編 青木書店1988) 2/28読了

 上記のうち、本の感想は「日本人の戦争観」ならびに「『南京事件』発展史」だけは感想UPしています。

 「日本人の戦争観」

 http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/02/50_569a.html

 「『南京事件』発展史」

 http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/02/post_b740.html

 あとの感想は機会があれば。今回はパス。アー○引越センターが折り返し電話するぞするぞっていって、この三日間全然電話が来ず、5回も電話(今日だけで4回、一昨日1回)するはめになり、気疲れしたのですよ。ほえ~。

 ああ、ぼーっとする暇があったら、勉強しよしよ。

ただいま、昨年7月から戦争関連の本、合計56冊読了です(某首相の美しくない本も入っていますけど)。またそのうちところどころ読み返してみないといけないかもしれません。

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2007年2月25日 (日)

岩波がシリーズ日本近現代史

知らんかった・・・。

今日本屋さんにいったら。

岩波新書に「日清・日露戦争」(原田敬一)が!

え? と思って手にすると・・・2007年2月20日発行。さいですか。

とりあえず、買っておこうと入手してしまったおさかな。

「南京『百人斬り競争』の真実」(東中野修道、ワック)も読み途中なのに・・・。

ま、いっか。

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首相の美しくない本が海外出版

本日の読売(YOMIURI ONLINE)によれば、「美しい国へ」の英語版が5月に米国とカナダで出版される。

中国や韓国、台湾でも出版計画があるらしい!

おお! すばらしい!

あの不見識な本を出版するなんて、日本の恥さらしもいいところですが・・・。

おさかなの読書感想文は下記URL参照。

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2006/10/post_69e9.html

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2006/10/post_6b1b.html

あんな論理の飛躍、無責任、いいかげんのかたまりのような本を出版するなんて、愛国心が足りないね。

校正してから出版したほうがいいと思います。

もとい、全面書きかえ。

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2007年2月24日 (土)

「『南京事件』発展史」の珍論

「『南京事件』発展史」(冨沢繁信、展転社2007)を読んだ。

この本は、南京事件には①原初的南京事件、②ベイツ南京事件、③東京裁判南京暴虐事件、④朝日新聞南京事件の4つがあり、「段階的に拡大発展していった」という(9ページ)。

簡単にいうと、「(おさかな注=1938年)一月末までは『安全地帯』の中でしか事件は起こらず、南京の事件の原初的な姿は『安全地帯内事件』であって、『南京事件』ではないということはたいへん重要なこと」(11ページ)だそうだ。それなのに中国政府や、日本の研究者が安全地帯の外に話を広げたりするなど、おおげさに騒ぎ立てたといいたいようだ。

冨沢氏は、上記の④にいたっては、「内外呼応して声が大きくなり、利用の仕方がうまくなったものといえる」(25ページ)という。中国では「虐殺人数が三十万人に拡大され」(同前)るなどし、日本では「大虐殺を信奉する人々は、(中略)何れも中国のいうところを順序よく並び替えているだけで、後はレトリック」(26ページ)だと。

いまの日本で30万人説をわざわざとなえている人は少数だと思うので、30万人説は横に置く。とりあえず、このような南京事件「発展」論(針小棒大論?)について、根本的な誤りを認めざるをえないので、感想を述べる。

著者は11ページで、「一月末までは『安全地帯』の中でしか事件は起こらず」と主張する。その根拠になっているのは、下記のものである。(『日中戦争史資料9南京事件Ⅱ』を参照すると、ティンパーリー『戦争とは何か』の附録Aおよび附録Cに対応している)

----「(イ)ここに記録された事件は南京安全区で起きたものだけである。南京のこれ以外の場所は一月末まで事実上無人状態となっていたのであってこの期間中、ほとんど外国人の目撃者がなかったということである。(ロ『南京安全地帯の記録』によって日本軍の占領後二ヶ月間に何が起こったかが余すことなく明らかにされる」(『日中戦争史資料9南京事件Ⅱ』洞富雄編『戦争とは何か』一〇三頁、一一六頁)----

そして、安全地帯の外には住民はいなかったのだから事件は起きるはずないという論理に、冨沢氏はやたらしがみつく。南京事件研究の第一人者、笠原十九司氏への批判として、135ページから、またもやつぎのようにいう。

----「前述のように、笠原氏は資料をつまみ食いし、体系的に全体を研究することをしなかったので、南京事件研究の最も大事な基本的認識に到達することができなかった。即ち、『南京事件は南京市内の一部に過ぎない安全地帯で起こった事件である』との認識である。換言すれば『南京事件の舞台は安全地帯である』との認識である」----

ところで、人間の認識は、はじめから事物のすべてを正しく把握できているわけではない。「日本は豊かな国と思っていたけど、他の先進諸国に比べて実は購買力平価で見ると労働者の賃金は低かった」とか、「彼はまじめな人だと思っていたのに、実は影でギャンブルしまくって、膨大な借金があった」などはその典型だ。

実際、夏淑琴氏をはじめ、南京事件当時、まだ安全区に非難していなかった人の証言もある。マギー牧師は当時の被害者をフィルムにおさめたが、その彼がそのフィルムにつけた解説にも、安全区以外にも住民がいたことを示す証言が付されている。

また冨沢氏が引用した文献『日中戦争史資料9南京事件Ⅱ』には、「ニューヨーク・タイムズ」1937年12月18日号に掲載されたF.ティルマン・ダーディン記者の「記者は上海行きの船に乗る直前、バンドで二〇〇人の男子が処刑されるのを見た」という記事も紹介されている(281ページ)。「バンド」とは埠頭の事で、揚子江沿いのことだ。南京安全区は城内であり、当然揚子江沿いではない。この処刑は1937年12月15日のことだとされている。

さらにこれまでの南京事件「論争」では、これまで下関(シャーカン)、幕府山など、安全区以外・城外などでの国際法違反の虐殺がなかったかどうかもずいぶんと問題にされてきたはずなのに、なぜ「安全区以外では人が住んでないんだから、事件が起こりようがない」という論理に固執するのだろう。冨沢氏は、捕虜を連行して殺害したかどうかが取り沙汰された「論争」の経緯もご存知のはずだ。人がたとえ住んでいなくても、連行していって無抵抗の人間を殺すことはできる。「安全区以外は人が住んでいない」という論理が仮に真実だったとしても、だから安全区以外では事件がありえなかったというのは、論理が飛躍している。

それでいて自分は他人に対して「資料をつまみ食い」してると批判するのだから、おかしくないか? 

あと、冨沢氏は、「『南京安全地帯の記録』においては事件を総体として考え、全体として事件の性質を議論するという態度が見られない」(12ページ)とまでいうが、当たり前である。連日、つぎつぎと被害が通報されて現場にかけつけ、病院に負傷者・被害者が運ばれて、日本軍を何とかしろと何度も日本大使館に要求して対応に追われているときに、事件を記録することはできても、事件の性質を総括・評論する暇などあるのか考えてみたほうがいい。

なお、どうでもいいことを二点加えておく。

第一に、夜の事件だと、なぜか日本のしわざではないという奇妙な論理である。

----「『南京安全地帯の記録』には放火は全体で五件しか記述されていない。うち三件は夜の事件であり、日本兵の犯行ではない」(50ページ)

この論理はほかにも出てくるが、夜は日本兵は外は出歩かないから、放火なんてするわけないじゃないかという程度の論理だ。ずいぶん品行方正であることをかたく信じているとでもいうのか、善意に基づいた裏づけのない解釈だ。夜だと日本兵じゃないという明確な根拠をしめすべきだろう。

第二に、日本語の下手さだ。

----「『安全地帯の記録』には第五〇号文書一九三七年十二月二六日付のベイツの文章として搭載されているものである」(16ページ)

搭載? 秘密兵器か? 単なる誤植?

----「筆者がある研究会で、この四番目の笠原氏の意見を報告したとき、会場内には失笑のさざ波が揺れた」(141ページ)

「さざ波が揺れる」というのは日本語としてスマートではないだろう。さざ波は「立つ」「広がる」もので、しいて言えば「さざ波に揺れる」のだと思うが? この場合、「失笑のさざ波がおこった」ぐらいか?

----「平成八年十二月三日、『新しい歴史教科書をつくる会』はその発足を告げる記者発表会を赤坂の東急ホテルで開催した。(中略)トイレの大きい方の便所には、「つくる会」の支援者で当日手伝いに来ていた人たち(筆者もその一人であった)の一人が用を足していた。記者たちの大きな声が彼には筒抜けであった。以下は彼が伝えてくれた忘れることのできない、その内容である。/『ああ、俺たちの王国の時代は終わった』と一人が言うと、他の一人がこれに続けて言った。『手塩に掛けて育てたのに、残念だなあ』。/筆者はこれを聞いて、この人たちの手に日本の歴史を渡すことはできない、と深く肝に銘じたのである。これが筆者の南京事件研究を志した発端である」(123-124ページ)

何が王国なのか、何を手塩にかけて育てたのか、さっぱり意味がわからない。もう少し詳述すべきだろう。

最後に、僕が指摘するまでもなく、笠原氏を論難した冨沢氏は、現在、笠原氏の著作=「南京難民区の百日」は「手に入らない絶版」(125ページ)といっている。冨澤氏は今回の著作でずいぶんとパソコンにデータを入れて、分析に使っていることを力説しているが、彼のパソコンはインターネットにつながっていないのだろう。Apemanさんがいうとおり、岩波現代文庫で絶賛?発売中である。ネットで調べればすぐわかることだ。下記URL参照。

http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20070121/p2

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2007年2月15日 (木)

水間氏のネット包囲網論読んだけど

下記URLで、インターネットで情報収集している人たちの情報を元に記事を書くという水間氏の「ジャーナリスト」としての態度に違和感を覚えたことを書いたが、とりあえずその反日「ネット包囲網」とやらがSAPIO2/28に載るというので、今日買ってしまいました。コンビニで。こんな雑誌がコンビニにあるのなら、週刊金曜日もおいてください・・・。

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/02/sapio_8ff5.html

さて、今回の記事のタイトルはこうだ。

「これがネット社会を駆け巡る 『反日情報大宣伝』の発信拠点だ」

・・・悪いんですが、だから何ですか? あなたたちだって侵略戦争じゃないんだぜって中国をずいぶん馬鹿にした宣伝やりまくってるじゃないですか・・・。『正論』『SAPIO』『諸君』が代表的だけど、ほかの雑誌だってけっこうその辺の週刊誌・月刊誌でも「反中」してるでしょ。だいたい、水間氏だって、理屈を捻じ曲げて勝手に中国を悪く行ったり、「反日」な人たちに反抗したりしてますから、「反中」ですよね? 自分のこと棚にあげて人のことばっかりいうなっての。・・・なんて思ったりしたの、僕だけかなあ。

今回の記事でもおかしな点いくつか。

◆GA(【おさかな注】世界抗日戦争史実擁護連合会)の活動目的などは図に譲るが、最近では、慰安婦の強制連行とレイプを前提とした「従軍慰安婦非難決議」の採択を米国下院議会で求める運動を展開している。(中略)「慰安婦強制連行」は学術的に破綻している(つまりなかったことが証明されている)が、(後略)(77ページ) 

 慰安婦の軍(というより軍人?)などによる強制連行はまれで、広範にあったとはいえないというのが、現在の研究到達だったと思う。ただ、学術的破綻=なかった証明というのもちょっと論理が飛躍してないか? どうも()に論理の飛躍を挿入することで、勝手に自分の論理を正しいかのように見せようとする癖が彼にはあるようだ。そういえば前号でも39ページで・・・

-----著者が発見した関東軍兵器引継総括目録だけでも銃実包『2億160万発』、弾薬(化学弾を含む)1011万7500発』にものぼる。----

 くわえて、従軍慰安婦問題では、業者が詐欺的手法でだまして連れて行く途中で、見も知らない土地へ連れて行かれれば途中で急に帰ろうとしても帰れない、逃げられない、これも広義の強制連行という見方をしている学者(吉見氏など)もいるわけで、「学術的に破綻している」っていうのは、ちょっといいすぎではないか。吉見氏などの見解は、どう破綻したの? 

 また、水間氏にいわせればおそらく「反日」になるだろう『朝鮮新報』の報道を見ても、非難決議は下記のとおり。やはり「強制連行」が「前提」というのは、勝手に水間氏が決議に足かせをはめただけの感がする。引用すると、下記のとおり。

---「従軍慰安婦」を「20世紀最大の人身売買の一つ」だと指摘、日本政府に対し▼「慰安婦」動員に関する歴史的責任を明白に認め受け入れる▼「慰安婦」問題について現在と未来の世代に教育する▼「慰安婦」の隷属化を否認するすべての主張を公的に、強く、繰り返し排撃する▼国連女性暴力根絶特別報告官やアムネスティなど非政府国際人権機構の勧告を真しに検討し、被害者に対し適切な補償措置をとること、などを求めている。----

http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2006/05/0605j0927-00001.htm

 そもそも、従軍慰安婦を問題にする人間の中に、「強制連行」を従軍慰安婦の前提にしている人なんてほとんどいない。日本の国家権力=軍隊が管轄して、アジアの諸国の女性たちを中心に性奴隷にした、その事実全体が問題になっているのだ。勝手に強制連行だけをとりだされて「これが従軍慰安婦の前提だ!」「でもその前提となる強制連行は学術的に破綻しているぞ!」と大きな顔をしていわれても、「はあ、そうですか、『従軍慰安婦』(岩波新書)読んでね」って感じだ。

◆指摘しておきたいのは、これら国家賠償裁判では集会場所に衆参議員会館の会議室が利用され、共産党、社民党、民主党の国会議員なども出席していることだ。中国の”政治宣伝工作”としか思えない集会に血税で運営されている『衆参議員会館会議室』が利用されていることに国民は納得できるのであろうか。(78ページ)

>中国の”政治宣伝工作”としか思えない

水間氏がそう思っているだけでしょ? 国家賠償裁判は、まさに法的根拠があるから裁判になるのであり、その裁判の勝利に向けて国会議員と共闘することはありうる。国会内で集会を開く根拠や権利、理由がないならいざ知らず、「中国の”政治宣伝工作”としか思えない」なんて勝手な思いで、ことなる意見の集会を排除したいと考えてはいけませんね。

◆例えばネット上で昨年まで「南京大虐殺」の枕詞として「30万人」が記載されていたが、今年に入ってから消えている。/これは、昨年12月の「日中歴史共同研究」の発足を受けてのことだと考えられる。(中略)中国が『南京大虐殺』の看板を下ろそうとしているわけでは決してない。数にこだわらないかわりに「南京大虐殺」だけは既成事実にするという戦略転換をしたと見るべきなのである(79ページ)。

「既成事実」じゃなくて、「事実」ですけどね。

◆日本政府としてのしっかりとした一次史料に基づく歴史認識をHPで戦略的に表明するべきだろう。(79ページ)

 ソ連に「弾薬」を渡した史料を見つけただけで、化学弾も引き渡されていたことが「実証」されたなどとおっしゃる方がいうと、たしかに説得力を増すかもしれない。

ほかにもとくにひっかかったところがいくつかあったけど、もし余力と暇があったらってことで。この手の雑誌にかかわり始めると本当、きりがない。しかも、相手はまじめに勉強な議論をしてないんじゃあ、割りにあわないしね。

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2007年2月10日 (土)

毒ガス引継が証明されたとな?

昨日、『正論』2006年9月号が届いた。

水間氏によれば、この『正論』9月号に掲載された水間政憲氏自身の記事が、中国・黒龍江省においてソ連に毒ガス兵器を渡したことを実証しており、旧日本軍が毒ガスを遺棄したなんてウソだということを証明しているそうだ。まあ、ずいぶんと自信があるようだ。

『SAPIO』2007年2/14の「知られざる反日包囲網を撃つ! 第3弾 『反日映画』が中国で大反響 今やアイリス・チャンを凌ぐ人気の元NHK女性ディレクター」から、水間氏の同主張を振り返る。

◆「劉敏氏の父が事故にあった所は、黒龍江省とのことだが、旧日本軍はソ連極東軍事最高司令官・ワシレフスキー元帥が昭和20年8月20日付で発令した『関東軍総司令官・山田乙三大将』への武装解除の命令書によって同地方の化学弾を含む『弾薬』はソ連に引き渡している(『正論』06年9月号『中国のウソにとどめを刺す関東軍機密文書』拙稿参照)。著者が発見した関東軍兵器引継総括目録だけでも銃実包『2億160万発』、弾薬(化学弾を含む)『1011万7500発』にものぼる。/一次史料によって『弾薬』の引き渡しが実証されているにもかかわらず海南氏は、『日本軍が捨ててきた兵器』などとのたまうのである」(39ページ)

 さて、その論拠になっている水間氏の記事(『正論』2006年9月号「中国のウソにとどめを刺す関東軍の秘密文書」)を読むと、陸軍省の「秘密兵器概説綴」と関東軍兵器引継目録を照合した結果、次の「砲種別弾薬」に「毒ガス弾が含まれていることが分かる」という。

◆「『十四年式十高弾薬一万発』『九二式十加弾薬 八・五万発』『四年式十五榴弾薬 九〇万発』『三八式野砲弾薬 八〇万発』『九〇式野砲弾薬 二二・八万発』『四一山砲弾薬 三〇万発』『九四式山砲弾薬 六二万発』『九一式十榴弾薬 七〇万発』などである」(252ページ)

 要は化学弾が装てんされることのある「砲種」の「弾薬」の記載があれば、とにかく毒ガス弾もその弾薬のなかに含まれているはずだ、という論理が基本になっているようだ。

 たとえば「九〇式野砲弾薬」とあれば、「九〇式野砲弾薬九二式きい弾」などが、「九四式山砲弾薬」とあれば「九四式山砲弾薬九二式きい弾」などの毒ガス弾が含まれているに違いないという程度のものだ。なかにはなぜ化学弾が含まれると思ったのかわからないものもあったが、基本的にはそういう論法から導き出された結論を「実証」と呼んで息巻いているにすぎない。

 当然のことながら「九〇式野砲弾薬」には「九〇式野砲弾薬九四式榴弾」などの通常弾があったり、「九四式山砲弾薬」には「九四式山砲弾薬九〇式尖鋭弾」などの通常弾もある。(※HP「アジア歴史資料センター」で調べてみてください)。

 これで化学兵器、とくに毒ガスが引き渡されたことが証明されたというのは、かなり無理があるのでは。少なくとも、現在の中国で大問題になっている「きい」=びらん性毒ガス弾などが明記されているというのではない。

「一次史料によって『弾薬』の引き渡しが実証されているにもかかわらず」と水間氏はいうが、まさに一次史料で実証されたのは、「弾薬」が引き渡された、ただそれだけの事実だったのだ。

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2007年2月 7日 (水)

SAPIO海南さん中傷記事批判②(中国遺棄毒ガス問題)

ココログ、昨日からかな~りレスポンス悪いです。一つ一つの画面を呼び出すのに数十秒かかります。いいかげんにしてほしいです。本当に困っています。何でこんなにレスポンス遅延が頻発するんですか・・・。

さて、SAPIO記事の批判で、史料とは関係ないところで批判したいことがあるのを、すっかり忘れていました。それは、下記の二つの点です。

■どんなに割り引いても、道義的責任はある

 いま問題になっている中国遺棄毒ガス問題に対する法的責任を仮に割り引いて考えたとしても、水間氏の姿勢は、完全にジャーナリストとしては失格だと思います。「日本軍が遺棄したのではないから・・・」「毒ガス兵器は製造や保有、開発は認められていたから・・・」といくらいったとしても、道義的責任を考えなくて済むわけではないと思います。日本軍が戦争に使おうと思って、わざわざ非人道的な兵器を開発・製造した事実は消えないからです。そんなものをつくらなければ、今日の問題はおきないのですから、他国に全部責任をなすりつけるのは、ジャーナリストとしてはふさわしいようには思えません。

 同時に、遺棄毒ガス事件の場合、現に被害が起きており、解決が迫られています。こういうときに、ジャーナリストにいちばん必要なことは、被害者の立場に立ち、どうすれば彼らを救えるか、二度と同じ事故が起きないようにするにはどうすればいいのかということを考えることです。法で裁かれずとも、解決策を模索する。誰の責任かということを追求するだけでなく、被害者の実情を斟酌し、加害の原因にも迫る。そういう使命を果たしてこそジャーナリストではないのでしょうか。

 水間氏は、今回のSAPIO記事で、遺棄毒ガス問題の集会に潜入取材をしたと述べています。そこで上映された「にがい涙…」に出てくるたんを吐く被害者の姿をみて、「気分が悪くなり」「会場の参加者のように感情移入できない」と、被害者にまったく心を痛めているようすが見えない点は、非常に気になる点です。

■中国の殺人兵器をあげつらねたところで、反論にならない

 なお水間氏は、「もし『つくった国』に責任があるのであれば、輸出した兵器はどうなるのか? それこそ世界の紛争地で殺人兵器として悪名高い対人地雷の大半は中国製だが、中国は世界に武器を遺棄した『遺棄大国』ということになるが。」といいます(39ページ)。

 商行為と遺棄をいっしょにするのもちょっと論理の飛躍を感じますが、僕は、地雷の開発や輸出はそれが事実なら批判したらよいと思います。彼は遺棄毒ガス問題で日本を批判する人たちが、みんな中国よりで、中国のいうことを鵜呑みにする、中国の悪行は批判しないとでも思っているのかもしれませんが、もしそう思っているとしたら、よくあるレッテル張りのひとつにすぎません。

 なお、水間氏は、今回の記事で、1997年に発効した化学兵器禁止条約(1925年以降他国に遺棄した化学兵器は遺棄した国が放棄する)について一言も触れていませんが、これも次回以降の宿題とします。

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SAPIO海南さん中傷記事批判①(中国遺棄毒ガス問題)

SAPIO2/14で、ドキュメンタリー映画監督=海南友子さんを中傷する記事が載ったことは、先日お話ししましたね。水間政憲氏という、「ジャーナリスト」によるものです。

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/02/sapio_8ff5.html

 問題の記事は、彼女を「反日マドンナ」として描いています。海南さんの映画=「マルディエム 彼女の人生に起きたこと」と「にがい涙の大地から」への中傷をおこなっています。

 「マルディエム・・・」への中傷については、青狐さんが詳細な反論を展開中なので、下記URLを参照してください。おさかなの能力、蓄積、時間的条件では当面カバーできそうにありません・・・。

http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20070203/p1

http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20070206/p1

僕は第2作「にがい涙・・・」への中傷に対する反論?をはじめます。勉強しながらですけどね。

さて。海南氏の「にがい涙・・・」は、旧日本軍が遺棄した毒ガス兵器により被害を受けた中国人被害者に迫ったドキュメンタリー映画です。水間氏は、今回の記事で、遺棄毒ガス問題について、主に次の2点を主張することで、旧日本軍を免罪します。

①大東亜戦争当時、毒ガス兵器は「使用」が禁止されていたのであって、開発・製造・保有は当時の国際法によっても禁止されていなかった。

②毒ガスは遺棄せず、武装解除によって連合国(今回の記事ではソ連)に手渡した。日本軍は遺棄していない。

だから日本軍は補償する責任はないというのです。

◆「当時の国際法は、毒ガス平気の『開発・製造・保有』を認めていたのであり、朝日新聞や中国の出先機関になり下がっている『日本国外務省(チャイナスクール)』も、筆者の質問に『開発・製造・保有』は当時認められていたと回答している」(39ページ)

◆「劉敏氏の父が事故にあった所は、黒龍江省とのことだが、旧日本軍はソ連極東軍事最高司令官・ワシレフスキー元帥が昭和20年8月20日付で発令した『関東軍総司令官・山田乙三大将』への武装解除の命令書によって同地方の化学弾を含む『弾薬』はソ連に引き渡している(『正論』06年9月号『中国のウソにとどめを刺す関東軍機密文書』拙稿参照)。著者が発見した関東軍兵器引継総括目録だけでも銃実包『2億160万発』、弾薬(化学弾を含む)『1011万7500発』にものぼる。/一次史料によって『弾薬』の引き渡しが実証されているにもかかわらず海南氏は、『日本軍が捨ててきた兵器』などとのたまうのである」(39ページ)

ちなみに、中国の遺棄毒ガス問題とは、日本軍が敗戦にともない、中国に毒ガスを遺棄・隠匿したため、これが戦後においても中国人に被害をあたえている問題です。訴訟も起きています。下記URL参照。

http://ec.uuhp.com/~justice/ChapanetJp/menu1.html#ikidoku

なぜ日本が責任をとらないといけないのか。答えは比較的簡単です。原告側の主張では、国際法上使用が禁止されていた毒ガス兵器を日本軍が遺棄・隠匿した。毒ガス兵器の使用が国際法違反であることがわかっているために、これを隠したのですが、同時にその危険性も知っていた(予想できた)。にもかかわらず、回収せずに放置したため、日本の責任が問われているのです。

これに対して水間氏は、毒ガス兵器はきちんと連合軍に渡した、遺棄なんてしてないよといいます。はたして本当にそうでしょうか?

水間氏は今回の記事で、黒龍江省の毒ガス兵器は、ソ連軍に引き渡したといいますが、彼が取り上げた目録にも一部の催涙弾などはあったのかもしれませんが、より強力な毒ガス=ルイサイト・イペリットなどの「きい」(びらん性毒ガス)はなかったようです。再掲になりますが、参考までに下記URLを載せておきます。後半部分に、裁判での原告側弁護人による、目録にはルイサイト・イペリットなどはなかったという主張が載っています。

http://www.jicl.jp/now/saiban/backnumber/sengo_28.html

また、たとえば被害者の一人、李臣さんの症状は、腫れた後に水疱ができ、ただれるなど、びらん(=ただれること)しているんです。他にもびらんする被害が多発しているわけで、目録にびらん性毒ガスが載ってなきゃ役に立ちません。

くわえて、下記URLでは、『正論』が2006年6月~9月号に載った「毒ガス弾は武装解除で手渡された」説が、詳細に批判されています。ひとことでいうと「どこをどう見たら毒ガス弾が引継書に書かれてるんだろうか?」という感じでしょうか。ただ、このURLを見ればわかるとおり、一方で「関東軍の引継書に化学兵器の記載がない=復員業務における正式な引き継ぎが証明されなくても、ソ連軍は戦利品として化学兵器を接収していたケースがあり得る」などとも書いてあるので、この点などは要検討。ただし、水間氏は引継目録などの「一次史料」によって毒ガス兵器もソ連に引き継がれたことが証明されているというのですから、水間氏の言い分は否定されています。

http://shanxi.nekoyamada.com/archives/000255.html

 ちなみに水間氏がソ連へ毒ガスは手渡したと主張する根拠になっている論文は、2006年9月号(水間氏自身によるもの)。ちなみに彼は、2006年6月号にも、毒ガスは中国にわたしたんだっていう「スクープ」を載せました。

 僕自身も『正論』の該当記事を確認した上で、もう少し毒ガス兵器が「引き継がれた」という主張を検討したいと思います。とりあえず、『正論』の該当記事を入手すべく手配したので、この部分についてはまた後日。まず『正論』を確認しなきゃ…。

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2007年2月 5日 (月)

50冊目は・・・『日本人の戦争観』です!

日本の近代史、とくに戦争関連を中心に勉強を始めたのが昨年の7月だった。半年以上経って、ようやく昨日、50冊目を読み終えました。50冊目は『日本人の戦争観』(吉田裕、岩波現代文庫)です!

この本は、けっこう読み応えがあったように思います。なぜ日本は戦争を反省しきれないのか。政治家の妄言は後を経たないのか。日本人、われわれ国民自身にも責任があることも考えさせられました。

同時に、なぜ日本国内では、先の戦争を総括しきれなかったのか。国民の責任はもちろん、アメリカの占領政策の影響が大きいことも教えてくれました。

毒ガス、731部隊関連は不問にふされたこと。

アメリカに押し付けられたといわれる「東京裁判史観」が、天皇制を温存したこと。

戦後処理も、アメリカの国益のために、日本が賠償をおこなって経済的損失をこうむるよりも、経済的に復興する道をとらせ、きわめて寛大な講和に終わったことなどなど。

かつて、軍の論理を経営・組織運営の手法に強引に読み換えるブームがあったっていうのも、驚きです。

とくに講和条約が、日本にとって寛大なものに終わり、そのおかげで日本の現在の経済発展があると思うと・・・ちょっと複雑な心境です。われわれ日本人が先進国で、いちばん豊かな生活を送っているように思ってきましたが、実は、日本が他のアジアの国ぐにを戦後においても足で踏みつけてきた、そのおかげなのかとちょっと考えてしまいました。

何はともあれ、今日の日本の政治家や、一部勢力の歴史認識(戦争認識)をめぐる妄言がなぜ沸き起こってくるのかと考え、心を痛めている人は読んでみてはどうでしょう。時代を追って詳しく書かれています。

おさかな的には、日本人が湾岸戦争で影響を心配していたのは、経済的影響が圧倒的だったなど、日本人の現金な側面についても考えさせられました。

ま、日本のいい加減で、あいまいな都合のよい「反省」と、「大東亜戦争は間違ってないんだ!」的発言が頻発する状況に落とし前つけるのは、われわれ国民ってことだね。がんばらないと。

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また本を買ってしまった…

最近また本を4冊購入。新しい本はできるだけ買わないつもりだったのに…。

○「毒ガス戦と日本軍」(吉見義明、岩波書店2004)
 SAPIO2/14の海南さん中傷記事に頭に来て購入。日本軍の毒ガス開発と使用の実情、遺棄毒ガス事件の背景を知るために。下記URL参照。

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/02/sapio_8ff5.html

○「東京裁判論」(粟屋憲太郎、大月書店1989)
 東京裁判関連で購入した本の中に、おさかなと同じ立場に立つ研究者の本が一冊もないので、代表的論者の本を購入。

●「南京『百人斬り競争』の真実」(東中野修道、ワック2007)
 南京事件否定論者の第一人者が本を出したので購入。ただ、この本は、否定本としても完成度は低いと推測される。青狐さんのブックレビューを参照。

http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20070128/p1

●「『南京事件』発展史」(冨澤繁信、展転社2007)
 Apemanさんが第一印象を少し述べていますが、それに釣られて(?)購入。店頭で眺めてみて「南京事件」は当初「安全地帯内事件」だったなどと書いてあって、それも購入動機。狭い視野が気に入った。

 Apemanさんの第一印象(メモ)は下記URL参照。

http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20070121/p2

 この他にも本がたくさんあって、ちょっと本がだぶついていますが、一応、購入数<読了数という関係を保ち、読まないまま放置されている本は減りつつあります。当面3カ月ほどは月当たり7~8冊を読了し、そのうち少なくとも4冊はいまの手持ちの本を読む方針でいこうと思います。

 上記4冊は、必ず今月中に読みます!

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2007年2月 1日 (木)

SAPIOで海南友子さん、中傷される

ほかの人から教えていただいたのだけど。

SAPIO 2月14日号で、ジャーナリスト・水間政憲氏が、海南さんを批判。

記事名は、「知られざる反日包囲網を撃つ! 第3弾 『反日映画』が中国で大反響 今やアイリス・チャンを凌ぐ人気の元NHK女性ディレクター」だ。

ただ、その批判というのが、文章全体を見るとずいぶんいい加減な思い込み?も多いように見受けられ、信用できない。

---「南京大虐殺」は虚構であることが歴史検証で裏付けられており・・・

 これはまだやりすごすとしても、

---中国の代表的検索サイト「百度」で「アイリス・チャン(張純如)」と「海南友子」で検索してみると05年までは圧倒的にチャン氏の方がヒット数が多いが、06年には2倍程度も上回っている。

 当たり前じゃないの? 04年にチャン氏は自殺してんだし。時期的にピッタリじゃないすか。海南友子さんは、遺棄毒ガス問題で、ドキュメンタリー映画「にがい涙の大地から」をつくったが、これも04年だ。だから何なの?という感じだが、水間氏は、今回の記事のリードでこういう。

---アイリス・チャンと入れ替わるように、新たな反日マドンナが出現しているというのだ。

 しかもこの反日マドンナ出現情報はどこから来たのか。

---「中国でいまアイリス・チャン以上に期待されているマドンナがいる」/世界の反日団体の活動状況をインターネットなどで追い続ける関係者の間ではそんな話が飛び交っている。

 は? インターネット? 本当にジャーナリスト? 

 まあ、反日「ネット包囲網」の記事を次号出すみたいだから、それを見ようかな。

 とりあえず、遺棄毒ガス問題で勉強しようと思って本を一冊注文。役に立つかどうかわからんが・・・。いい本あったら教えてください。

 なお、水間氏は、今回の記事でこういう。

---旧日本軍はソ連極東軍事最高司令官・ワシレフスキー元帥が昭和20年8月20日付で発令した「関東軍総司令官・山田乙三大将」への武装解除の命令書によって同地方の化学弾を含む「弾薬」はソ連に引き渡している---

 ちなみに、毒ガス遺棄弾の裁判では、ソ連に渡したが、毒ガス弾は含まれていなかったと原告側弁護団はいっている。

 http://www.jicl.jp/now/saiban/backnumber/sengo_28.html

「政府側が、毒ガス兵器は武装解除に際してソ連に引き渡されたと主張している点について、大江弁護士は、そうした事実がないことを指摘しました。実際、ソ連側への武器引渡しリストに、催涙弾の記載はありますが、イペリットやルイサイトの記載はありません。また、アメリカ軍が1945年9月7日に弾薬庫などを調査した際、大量の防毒マスクや防毒衣と、くしゃみ性のガス弾がいくつか見つかったにもかかわらず、ルイサイトなどは見つかりませんでした。そのため、調査に当たったゲイ大尉は、ルイサイトなどの毒ガス兵器は国軍の到着前に処分されたと推定される、と報告しています」とある。

 さて。遺棄毒ガス問題、勉強するかなあ。3月に入ってから勉強しようと思ってたんだけど。まあ、いっか。

 誰かいい本紹介してください。

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2007年1月31日 (水)

1月は8冊です

12月に読んだ本の感想書いてないぞー。でも、パソコンでトラブルが続発してすったもんだしていたので(1月中旬まで10日以上も)、まあ、仕方ないな。うん。自分だけ納得させるおさかな。おかげでブログ用途にはますますオーバースペックなパソコンになってます。いいんだよ、このパソコン、ゲームもやるんだから・・・。

さて、1月は8冊本読みました。以下、感想。

○? 東京裁判(上) 朝日新聞東京裁判記者団 1995 朝日文庫 1/1読了

 ※下巻に同じ。

○? 東京裁判(下) 朝日新聞東京裁判記者団 1995 朝日文庫 1/3読了

 過去に出した裁判記録を再度整理したものだそうだ。う~ん。期待していたよりあっさり? もう少しどういう審議が展開されたとか詳しいのかなと思ったのだけど、ちょっとね。まあ、東京裁判が事後法に基づくものだの、勝者の裁きだの、いろいろ反対意見もあったのはつかめるし、概観するにはいいのかも。かもかも。読みやすいと思います・・・。

●パール判事の日本無罪論 田中正明 2001 小学館文庫 1/4読了

 1963年に出たものを文庫化したもの。まあ、その、何ですか? パール判事がどうのこうのといい、日本は無罪なんだ! 何にも悪くないんだ! といいたいらしいけど。東京裁判が国際法的に正当性があるかどうかという問題と、「大東亜戦争」が正しい戦争だったかどうかというのとは別問題ですよね。まあ、面白く読みました。

○新版 日中戦争 臼井勝美、中公新書2000 1/16読了

 う~ん。何だか頭にすっすっと入ってこないんだよなあ、この本。だめ。おさかなは一応全部読みましたけど、う~ん。もう一回読み直すか?

○日中戦争がよくわかる本 太平洋戦争研究会 PHP文庫2006 1/18読了

 これはいいです! おさかながいうまでもなく。Q&A方式で20問の問いを立て、それにそって日中戦争(十五年戦争)の歴史をふりかえる。結構Q&A方式って何だか散漫にさりがちだけど、この本はけっこういい線いってると思います。日中戦争を学ぶにかなりいい本のように思います。

●「南京虐殺」への大疑問 松村俊夫 展転社1998 1/25読了

 あ~の~。とにかくアメリカ人やドイツ人などが日本人を先入観で見ていたためにありもしないことを伝聞で書きまくって記録にしたんだといいたいらしい。また、先日も紹介したけど、つぎの箇所には驚いた。

「要するに、南京市で多くの支邦軍のみならず一般人も間違えられて犠牲になったとすれば、それは支邦側が責任を持たなくてはならぬ多くの複合する原因に日本軍が逆に乗じられた形となったからだった。そしてそれが今に禍根を残し、一番初めに触れたダーディンの感想のごとく、日本の大変な代償を払わせているのである」(307ページ)

 人のせいにすんな。

 細かい点は、また機会があればいろいろ調べてみたいです。いわずとしれた?李秀英氏の裁判の原因をつくった本。「南京大虐殺改竄派の敗北」(高文研)参照。

●「南京虐殺」日本人48人の証言 阿羅健一 小学館文庫2002 1/27読了

 87年に出た「聞き書 南京事件」を文庫化。三十万人の南京大虐殺なんて、そんな証言をした人は、誰もいないということを、著者はあとがきに書いている。当たり前でしょう。一度にどうやって30万人も見るのよ。しかも日本の研究者で30万人なんてだれがいっとるのよ・・・。さらにこの本は、中国人と思われる人を並ばせて殺した様子を目撃したにもかかわらず、「明らかに捕虜だとわかっている者を虐殺はしていないと思います」(29ページ)などという、意味不明な証言も。

○新装版 昭和天皇の十五年戦争 藤原彰 青木書店2003 1/31読了

 1991に出た同書の新装版。読みやすい本で、天皇がどのように戦争に関与したかを簡潔にしめす。でも、簡潔すぎるので、戦争責任が天皇にないなんて嘘だよってことまではわかるけど、ちょっとおさかな的にはもうちょっと勉強したいところ。「大元帥 昭和天皇」(山田朗)でも手に入れるかな。・・・でも本を買いすぎたので、2月いっぱいは本を新たに買わないでがまんしなきゃ。

 なお、○や●は星取表ではありません・・・。立場の違いを指しています。見る人が見ればどういう色分けか、一目瞭然だと思います。

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2007年1月 1日 (月)

12月は8冊でした

12月は、日本近代史関係の本は、八冊読みました。これ以外に読んでいる本は、ほとんどないわけですが・・・仕事で一冊、うつ病の本読みましたけど。

ところで、読んだ本について短いコメントをつけたいのですが、いま実家のため、大半の本は手元にないので、つけられません。短い簡潔なコメントとはいえ、無責任なコメントをつけるのもいやなので、また後日この記事に修正をかけて、コメントをつけます。とりあえず、読んだ本の紹介まで。出版社、出版年もそのときに書き込みます。すみません・・・。

○歴史修正主義の克服 山田朗著 12月3日読了

●国民の油断 歴史教科書が危ない! 西尾幹二・藤岡信勝 12月6日読了

○歴史の偽造をただす 戦史から消された日本軍の「朝鮮王宮占領」 中塚明 12月12日読了

○戦後補償から考える日本とアジア 内海愛子 12月12日読了

○「聖断」虚構の昭和天皇 纐纈厚 12月15日読了

●大東亜戦争への道 中村粲 12月24日読了

○戦争責任・戦後責任 粟屋憲太郎ほか 12月27日読了

○十五年戦争史4 占領と講和 藤原彰・今井精一編 12月29日読了

 ※○=侵略戦争だと認める立場、●=侵略戦争だという主張に異を唱える立場です。

現在、「東京裁判 上」(朝日新聞東京裁判記者団=朝日文庫)を読んでいます。今日には読み終わりそうです。下巻も読み終えて、さっさと「パール判事の日本無罪論」(田中正明 小学館文庫)も読んでみたいと思っていますが、もうちょっと先になりそうですね。少なくとも正月には無理ですね・・・。

 しかし、戦争関連の本は、本当にたくさん読まないと全容がわかりませんね。ようやく東京裁判や戦後補償にまで手がまわりはじめたという印象で、731部隊や強制連行(強制労働)、三光作戦、毒ガス、第一次世界大戦やシベリア干渉、日露戦争、靖国、今日の日本と中国・韓国や他のアジア諸国との関係など、まだまだ勉強しないと・・・。東南アジアに対する日本の戦争の実態もつっこみたいところですが、気長に行きましょうかね。

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2006年12月26日 (火)

『日本とシナ』とりあえず感想

『日本とシナ』(渡部昇一 PHP2006 1400円+税)について、感想を述べる。本当は今回ここに書く以外にも感想はあるので、気が向いたらまた感想を書くかもしれないが、とりあえず思ったことを書く。

さて、『日本とシナ』は中国と日本の関係、とくに近代の歴史について解説した本だ。近代史では、「大東亜戦争への道」(中村粲)をテキストにしている。ただ、そこに示される歴史観は、正直強烈な違和感を持った。とにかくおかしいな、と思ったのは、日本だけがえらく、他のアジアの諸国は弱く、無能だという「俺様」的なアジア観だ。

 渡部氏は、中国は「漢字が広がったところはすべてシナだと思っているのではないかと思う」(22ページ)「ところで、シナ人が信じているように『漢字を使っていればシナ』とするならば」(24ページ)という。少々、何が根拠なのかよくわからないが、中国が日本文明を呑み込んだり、勝手に日本を「お前も中国だ」と思っているかのように描く。

 おまけに漢字を使っていれば「シナ」だと「思っているのでは」という推定から、「信じている」と断定にいつの間にかなっている。そして、その「『漢字を使っていればシナ』とするならば」に続けて、渡部氏は次のようにいう。「朝鮮もシナであろう」「沖縄もシナであろう」「さらには日本もシナだと思いたいに違いない」(24ページ)と。中国には「現在の国家における国境という概念がない」ので、「そう考えても不思議はない」そうだ(24ページ)。

 その他にも、とにかく中国に対して日本の文明が呑み込まれてしまわないよう、踏みとどまらなくてはいけないという趣旨のことを渡部氏は展開し、万里の長城より北は中国じゃないとか、国境があいまいだとか、国の名前もなかったとか、いいたい放題いう。そして「終章 シナとどう向き合うか」で、次のように言う。

----「間違いなくいえることは、シナを抑えるためにアジア共同体をつくっても仕方ないということである。弱いものをいくら集めたところで、さらに弱くなるだけの話だからである」(250ページ)

何が間違いないのか全然よくわかりません。渡部氏は「間違いない」根拠としてヒトラーのドイツの例を持ち出す。「ブルガリア、ルーマニア、イタリアなどといっしょに戦争したから負けたのである」(251ページ)。

戦争の話と現代の話をごっちゃにしてもね。終章はいま「シナ」と「どう向き合うか」ということがテーマだ。いま中国が日本に武力で攻め込んでこようとしているというのだろうか? いったいどの時代の話か、明示してほしいものだ。

そして別のところでは、「日本人はもっと自信をもっていい。とりわけ外交においてはそういいたい。外務省の『チャイナ・スクール』の人の話を聞くたびに、『聖徳太子に戻ったらどうですか』と忠告したくなる。日本はシナと対等以上の交際をして然るべき資格がある。中華人民共和国は、六十年になるかならないかの国だ。日本と比べたならば、こちらのほうがはるかに筋がいい」(52ページ)などともいっている。ちょっと日本語が意味不明(意味が不鮮明)だが、日本の方が上だぜという気概をもって外交をしろっていいたいみたいだ。外交とはそういう気概がないとできないのか? 国家同士というのは、対等平等ではなかったのか。知らんかった・・・。

結局、中国はあわよくば日本を自分のものにしたいと思っているひどい国だといって見下し、さらには他のアジアの国々も見下すという、手前勝手なアジア観・歴史観を吐露しているようにしか見えない。

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2006年12月18日 (月)

何読んだか忘れそうなのでメモ

12月に入って、先々週はいろいろ用事があってあまり残業できず、先週は仕事がつまりまくって残業だらけに・・・。土曜日は8時半過ぎに出勤して、6時半近くまでいました・・・。土曜日なのに・・・(泣)。

さて、そういうわけで(?)ばたばたしていて、12月に何を読んだか忘れそうだ! したがいまして、何を読んだかメモしておきます。はあ、最近読んできた本が多くなって、「何を読んだんだっけ、今月は?」と思うことしきりです。やばいので、メモしなきゃ。出版社、出版年はめんどうなので略。年末か年始にまとめて感想をアップするときに明らかにしますので、あしからず。

○歴史修正主義の克服 山田朗著 12月3日読了

●国民の油断 歴史教科書があぶない! 西尾幹二・藤岡信勝 12月6日読了

○歴史の偽造をただす 戦史から消された日本軍の「朝鮮王宮占領」 中塚明 12月12日読了

○戦後補償から考える日本とアジア 内海愛子 12月12日読了

○「聖断」虚構の昭和天皇 纐纈厚 12月15日読了

 で、現在「大東亜戦争への道」(中村粲)を読んでいます・・・。650ページくらいあるので、12月25日くらいまでかかる予定です・・・。現在210ページくらいのところ。でもクリスマスもあるし・・・もう少し伸びたりして(笑)。

 ちなみに、気づく人は気づくでしょうが、上記の○は侵略戦争だと認める立場、●はその逆です。いま読んでいる「大東亜・・・」は●になります。

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2006年12月13日 (水)

気がつくと蔵書が70冊をこえている・・・。

最近、おさかなは本を買いまくりです。

日清・日露戦争~アジア・太平洋戦争終戦、および東京裁判から戦後補償にいたるまで、本を買いあさっています。

7月から日本の近代の戦争の勉強を始めましたが、南京事件に端を発し、日清、日露、韓国併合、アジア・太平洋戦争、従軍慰安婦、歴史認識や教科書問題、東京裁判、戦争責任、戦後補償などの本が増殖中。本がわさわさしてます。そろそろいいかげん、学生時代の法学書を捨てないと・・・。憲法と法哲学の本だけは捨てませんけど。

さて、その近代の戦争関連で本が増殖し、気がつくと、昨日数えたら、72~3冊になってました! もともと持っていた本は7~8冊ぐらいだったと思うんだけど。おっかしいなあ。

ちなみに、7月から本を買っているといいましたが、読んだのは7月=3冊、8月=10冊、9月=10冊、10月=6冊、11月=4冊で、12月はいまのところ4冊です。だから・・・いま37冊読んだことになりますね。おお、学生時代より勉強してる! たぶん。

個人的には、吉川弘文館の「戦争の日本史」シリーズの日清、日露や、第一次世界大戦とシベリア干渉戦争の巻が早く出ないかなあと首を長くして待っているのですが・・・。

それはさておき、いま、纐纈厚氏の「『聖断』虚構の昭和天皇」を読んでいるところです(新日本出版社)。これを15日までに読んでから、ようやく、侵略戦争正当化の大著=中村 粲氏の「大東亜戦争への道」(展転社)でも読もうかなあと思ってます。

「大東亜戦争への道」、年末までには読み終えよう。

・・・そういえば、まだ「日本とシナ」「国民の油断」のレビュー書いていないな。これらの本は、あまりにも疑問で頭がいっぱいになったり、イライラしたりで、ちょっと感想がまとまっていません。いずれにせよ、年末年始にはレビューをアップしたいと思います。

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2006年12月 4日 (月)

11月は4冊

11月は四冊読みました。徐々に読む数も減り、トーンダウン? まあ、でも近代日本の戦争(戦争史)について勉強し始めた直後の8月や9月の勢いが異常なのだと思いますが。ゲームにも復帰しつつ、仕事もちょっとたいへんだったし、彼女とも遊んだり、そういう複合的な要因があるのだと思うです。はい。

さて、11月に読んだ4冊は下記の通り。

○朝鮮近代史 姜在彦 平凡社選書1986 2200円+税(11/15読了)

 朝鮮に対し日本が何をしたのか一通り把握する入り口としてはいいでしょう。ただ、朝鮮の支配層が「無能」だったと書いてあっても、通史を書くことに重点がおかれているせいか、「なぜそういえるのかなあ」と思ったり、よくわからない瞬間も。これを入り口に勉強するのはいいかもしれません。通史本です。

●新「南京大虐殺」のまぼろし 鈴木明 飛鳥新社1999 1900円+税(11/25読了)

 詳しい感想は下記URL参照。

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2006/12/post_4d56.html

●日本とシナ 渡部昇一 PHP2006 1400円+税(11/28読了)

 いきなり冒頭の見出しにこうある。「-神道を守り抜けば日本人は誇りを維持できる」・・・何なのでしょうか、それ・・・。

 また本書では、著者自身が、天皇は神の子孫なんだということを海外で外国人相手に話したエピソードも紹介している。ちなみにこの本の帯にはこうある。

 ----シナとは普通の意味の国家ではないこと、歴史書において嘘と真実の区別をしない習慣が根付いている文明であること・・・

 よくもいえたものだ。さらに・・・

 ---「なぜ、皇室に姓がないのか。(中略)神様の子孫に姓などあろうわけはない」(46ページ)

 嘘と真実の区別をつけるべきなのは、誰のことだろうか? くわしくはまた感想をアップしたいと思います。 なお、本書の後ろ3分の2くらいは、中村粲氏の「大東亜戦争への道」をテキストにした通史の解説になっています。

○<新装版>沖縄戦 国土が戦場になったとき 藤原彰編著 青木書店2001 1800円+税(11/28読了)

 1987年に発刊したものの新装版。目新しい変更などはおこなっていない。沖縄戦の概略をつかむ一助になるでしょう。これで沖縄戦を理解するというよりも、沖縄戦を理解する入り口という感じかな。

 なお、読了日が上記の本と同じなのは、11月の半ばからちょくちょく読んでいたのと、この本が160ページ程度と薄いためです。

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2006年12月 3日 (日)

「新『南京大虐殺』のまぼろし」読んだけど・・・

「新『南京大虐殺』のまぼろし」(鈴木明、1999、飛鳥新社、1900円+税)読みました。

 本の帯には「『虐殺論争』に終止符を打つ、衝撃の発見!」などとあります。しかしそれは誇大広告です。この本は南京大虐殺については「あった」とも「なかった」とも断言せず、結論らしいものは提示していません。結論を導き出す材料すら提示できていません。

◆◆◆僕が今回書いたことは、戦後半世紀以上を通して、世界中の誰もが書かなかったことであり、気づかなかったことであり、『南京大虐殺』の、本当の意味での核心にふれたものであったという点だけは、強い自負を持っている。まだまだ書き足りないことはあり、不完全なものであることも自覚しているが、それはやがていつの日か、中国にも完全な『言論の自由』のある社会が出現して、すべての資料(史料)が公開されれば、この不満は解消されるものであることを確信している(あとがき)◆◆◆

 つまり、他力本願? 

 結局、この本のいいたいことの中心は、アメリカ人ジャーナリストエドガー・スノーが書いた「アジアの戦争」が東京裁判の「シナリオ」に決定的な影響をあたえたんだ、ということのようです。

◆◆◆しかし当時アメリカが日本を「理解」するにあたって、アメリカ国内にそれほど多くの「参考書」があったわけではない。/しかし日本にやってきたアメリカ検事団が、このとき既に侵攻していた、ドイツの「ニュールベルグ裁判」を参考にして、「日本」という国が「計画的、且つ組織的」に「世界征服」という野望を持っていて「共同謀議」し、その結果が「真珠湾攻撃」に結びついた、というシナリオを描こうと思っていたことは、当然である。

 (中略)ナチス・ドイツがヒトラーの著作『わが闘争』をバイブルとして、「計画的、且つ組織的」なヨーロッパへの侵攻、さらに、千年も亡びることのない「第三帝国」の完成を夢見て、白人至上主義、民族の優位性、ユダヤ人の撲滅、民族浄化政策を「計画的、且つ組織的」に行ってきたことは、これらヨーロッパ系アメリカ人にとっては容易に理解出来ることで(中略)・・・

 しかし、(おさかな注=東京裁判における)アメリカ検事団は、日本の中に、『わが闘争』のような適当な本を探し出すことができなかった。この中でわずかに信頼できた一冊の本が、「日米戦争」の数ヶ月前に発行された、エドガー・スノーの『アジアの戦争』である。(412ページ~413ページ)◆◆◆

 仮にスノーの本が東京裁判に影響をあたえたとしても、「虐殺論争」に終止符を打つことにはならないと思います(エドガー・スノーの本が東京裁判に影響を与えたと言うこと自体、吉田裕氏は批判しています=『現代歴史学と南京事件』岩波書店=が、ここでは触れません)。なぜなら、下記のように軍や関係者自身によって虐殺は記録されているからです。東京裁判が公平に正しく裁かれたのかどうかということと、これら日本軍によっても南京事件が記述されていることは、別次元の問題です。これを克服しない限り、南京事件の「論争」に終止符を打つことはできません。

◆◆◆「第一一四師団第六六連隊第一大隊 戦闘詳報」

(一二月一二日午後七時ごろ)最初の捕虜を得たるさい、隊長はその三名を伝令として抵抗断念して投降せば、助命する旨を含めて派遣するに、その効果大にしてその結果、我が軍の犠牲をすくなくなからしめたるものなり。捕虜は鉄道路線上に集結せしめ、服装検査をなし負傷者はいたわり、また日本軍の寛大なる処置を一般に目撃せしめ、さらに伝令を派して残敵の投降を勧告せしめたり。
 一般に観念し監視兵の言を厳守せり。

(一二日夜)捕虜は第四中隊警備地区洋館内に収容し、周囲に警戒兵を配備し、その食事は捕虜二〇名を使役し徴発米を炊さんせしめて支給せり。食事を支給せるは午後十時ごろにして、食に飢えたる彼らは争って貪食せり。

(十三日午後二時)午後二時零分、連隊長より左の命令を受く。
 旅団(歩兵第一二七旅団)命令により捕虜は全部殺すべし。その方法は十数名を捕縛して逐次銃殺してはいかん。

(十三日夕方)午後三時三十分、各中隊長を集め、捕虜の処分につき意見の交換をなさしめたる結果、各中隊(第一第三第四中隊)に当分に分配し、監禁室より五十名宛連れ出し、第一中隊は路営地南方谷地、第三中隊は路営地西南方凹地、第四中隊は路営地東南谷地付近において刺殺せしむることとせり。(中略)
 各隊共に午後五時ごろ準備終わり刺殺を開始し、おおむね午後七時三十分刺殺を終わり、連隊に報告す。第一中隊は当初の予定を変更して一気に監禁し焼かんとして失敗せり。
 捕虜は観念し恐れず軍刀の前に首をさし伸ぶるもの、銃剣の前に乗り出し従容としおるものありたるも、中には泣き喚き救助を嘆願せるものあり。とくに隊長巡視のさいは各所にその声おこれり。 (「南京戦史資料集」667-74ページ/「南京難民区の百日」笠原十九司 岩波書店170ページ)◆◆◆

◆◆◆「黒須忠信陣中日記」(1937年12月16日)

 午後一時、わが段列より二十名は残兵掃[蕩]の目的にて馬風山方面に向かう。ニ、三日前捕慮[虜]せし支邦兵の一部五千名を揚子江の沿岸に連れだして機関銃をもって射殺す。その後銃剣にて突刺す。自分もこの時ばかりと憎き支邦兵を三十人も突刺したことであろう(「週刊金曜日」第12号、1994、39ページ/「南京難民区の百日」笠原十九司 岩波書店215ページ)◆◆◆

 ほかにも有名なものでは中島今朝吾日記とかありますが・・・。

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2006年11月27日 (月)

幅広い読書?

「新『南京大虐殺』のまぼろし」を読み終え、まだ南京事件の本で松村俊夫氏や阿羅健一氏の本が残っているのを横目に見つつ、近代史の勉強をしようと、下記の本を注文し、続々届いておるところでございます。

○自虐史観の病理 藤岡信勝

○歴史修正主義の克服 ゆがめられた<戦争論>を問う 山田朗

○国民の油断 歴史教科書が危ない! 西尾幹二・藤岡信勝

○東京裁判(上)(下) 朝日新聞東京裁判取材班

○私の見た東京裁判(上)(下) 富士信夫

○日本とシナ 渡部昇一

○大東亜戦争への道 中村粲

○戦争責任論 荒井信一

○日本人の戦争観 吉田裕

本当はこれ以外にも以前に買った本があるんだけどね・・・。上記を見る人が見ればわかるとおり、幅広い?(というより両極?)論者の本になりました。

いま、「日本とシナ」読んでます。疑問だらけで頭がわいています。「新『南京大虐殺』のまぼろし」は読み終えたので、そのうち感想をアップします。いつになるかなあ・・・。

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2006年11月20日 (月)

「新『南京大虐殺』のまぼろし」読んでるけど・・・

鈴木明氏の本。まだ読み途中だけど。100ページ超えてもまだ本題に入らない・・・「虐殺論争に終止符を打つ、衝撃の発見!」とか帯に書いてあるけど、本当に驚きはあるんでしょうか??

いま210ページぐらいですが、ようやく少しは本題っぽくなったのか? 何かよくわからん・・・何でこんなに冗長なんだろう・・・。何がいいたいのかもっとはっきりしろって感じです。500ページ以上もあるけど、ほんとにこの本、「発見」なんてしてるのかしら? かなり不安になってきましたよ。

読み終わったら感想をアップします。読み終われば、この本の僕の中の位置づけもはっきりさせることがでしょうから。

少なくともこの本の文章は、論戦・論争向きではないなあ。もっとストレートに論旨展開してほしい。

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2006年10月31日 (火)

今月は6冊だけ・・・

今月は読書は低調。仕事がたいへんだった? う~ん、後半はね・・・。いろいろバタバタしたりもしたし、根詰めて勉強ばっかりしていたので、エバークエスト2(オンラインゲーム)が微妙におさかなのなかで復活したせいもあります。

先々週は北海道に一泊二日の取材だったし。ついこの間の日曜日は朝の7時半に家を出て、その日の23時50分すぎに家に帰り着くという強行出張をおこないましたし(中国地方へ)。昨日はネムさかなでした。今日もちょっとネムです。でも、マシになりましたけど。

さて。今月読んだのは以下の本です。

○教科書攻撃の深層 俵 義文 学習の友社1997 1600円(税込) (10/1読了)

 教科書攻撃とその主張や攻撃の歴史、政治家の歴史認識の発言の歴史などもわかりやすくかかれている。ちょっとあまりに簡単に書いてあると思う人は、この本をきっかけに「自虐史観」だとおっしゃる方々の本を読んだり、歴史修正主義を批判する人たちの本を読んではいかがでしょう。入門書としては悪くないと思います。

○美しい国へ 安倍晋三 文春文庫2006 ※値段は忘れた。貸し出し中(10/3読了)

 面白い! おさかなの世界観とはまるでさかさだけど。くわしくは下記URLに感想。

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2006/10/post_69e9.html

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2006/10/post_6b1b.html

○東アジア史としての日清戦争 大江志乃夫 立風書房 3300円+税(10/10読了)

 長い・・・。読みにくい・・・。何と言えばいいのかわからない・・・。500ページを超える大作。しかし後で参考になる本なのかもしれないが、すんなり頭に入ってこない・・・。もう一度おさらいはしようとは思いますが、くだらない本だというのではないのですが、取り立てておすすめできない本です。一言で言うと、冗長な感じがします。

○岩波講座アジア・太平洋戦争1 なぜ、いまアジア・太平洋戦争か 倉沢愛子/杉原達ほか編 岩波書店2005 3400円+税(10/25読了)

 これも400ページ近くある本で決して短くない本だが、とにかくいろんな論者のいろんな論文が入っている。アジア・太平洋戦争が決して過去のものとして済まされないことを、いろんな角度から指摘してくれる本だと思う。論理的思考能力と社会科学的素養?がちょっと必要かも。おすすめには違いない。くわしい感想は下記URL参照。

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2006/10/post_b5ff.html

○戦争違法化の時代と憲法9条 川村俊夫 学習の友社 2200円(税込)(10/30読了)

 わかりやすく、戦争の違法化がどうすすんだか、戦争違法化の努力がどうはらわれたかかかれている。押し付け憲法論にもそれなりに反論。

○「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実 吉見義明/川田文子編著 大月書店1997 900円+税(10/31読了)

入門書。Q&A方式?でわかりやすい。主要な「論争」の論点はこれに出ているので、これで勉強してからさらにつっこんで勉強する人にはいいかも。かもかも。本っていうよりブックレットですね。100ページないです。一応入門書としておすすめです。

 今月はこんな感じでした・・・『新「南京大虐殺」のまぼろし』、そろそろ読まないとと思いながらまだ読んでいないおさかな・・・。

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2006年10月25日 (水)

おすすめです。岩波「なぜ、いまアジア・太平洋戦争か」

まじめにブログ書こうとしているのに、うちの健太(アメショー、♂)が掃除機のホースにしがみついて後ろ足でけりけりしています。うるさいです・・・。おとなしくしましょう、あなたもいいかげんもうすぐ8歳になるでしょ。落ち着きましょう。

さて、今月はまだ5冊目にとりかかったところで、本は余り読めていません。「東アジア史としての日清戦争」が500ページを超える強烈に分厚い本だったせいもありますが、ちょっとかなりショックなことが個人的にありまして、二晩くらいまともに眠れませんでした。5日くらいはそのことばっかり考えていたかもしれません。

本当に仕事に向かって何も耳に入らないようにする瞬間だけ忘れることができたくらいつらかったです。ちなみに彼女にふられたわけではないので、ご安心を(意味不明)。

さて、「なぜ、いまアジア・太平洋戦争か」(岩波書店)を読みました。この本も400ページ近くあり、中身が非常に重厚で、読むのにやや骨が折れました。いろんな研究者が、アジア・太平洋戦争を単に満州事変から敗戦までと区別するのではなく、その前後をもふくみ、また今日の戦争観・歴史観はもちろん、社会にも焦点を当てるこの本は、おさかなにはとても興味深く感じられました。いくつか、主だったところを抜粋してみませう。

「同化とは、決して日本人化するということではなく、差別・抑圧するものがあった時、それに抵抗する力をなくすことだと思います」(58ページ、指紋制度の問題での、朴愛子の意見陳述、85年11月)

「天皇の戦争責任問題が顕在化しなかった原因の一つは、全ての責任を軍部に押しつけた上で、天皇と国民との間に戦争責任の問題をお互いに不問に付すというある種の黙約が成立していたことに求められる」(96ページ)

「ただし、戦争に関係した(関係させられた)個々の日本人のレベルでは、本当にアジア解放を望み、そのために現実に手を差し伸べた人々がいた事は否定しない。しかし個人の思想や行為と、国家としての日本帝国の政策は厳密に区別しなければならない」(200ページ)

「(ナチズムに対する歴史修正主義者の主張は)一見すると何か実証的であるかのような、しかし実際は、たちの悪い『口実』やあやしい文書をつなぎあわせただけの『論証』を組み立てているのである。とくに特徴的なのは、はじめに過剰に現実に対して負荷をかけ、その負荷に耐えないものについては、実証的に反証された、とする手口である」(365ページ)

「少なくとも一点だけ述べるとするならば、歴史学が問いを開くものであることを忘れて、科学性にしろ国民性にしろ、教説の管理人になりはてているところでは、既存の権威の痛快な転倒者として自己演出する『歴史修正主義』の格好の標的になるだけだ、ということは忘れてはならない」(388ページ)

これ以外にも、日本の外国人に対する指紋押捺制度が、「満州国」時代を起源にしていること、その満州国に派遣された警察官が、戦後表彰されていることなども知っておさかなはびっくりしたりしました。

今日の日本におけるアジア・太平洋戦争をめぐる学問的到達を知るにかなりいい本だと思うので(素人がいっても説得力がないが)、ぜひおすすめします。ちなみにこの本は岩波講座「アジア・太平洋戦争」の第一巻で、全部で八巻もありますが、他の本はおさかなも読んでないし、高いし(3400円+税)読めとかおすすめは(いまのところ)しませんけど、この本は絶対いいよ。あの戦争は何だったのかと疑問に思ったり関心のある人はぜひ読みましょう。

ただ、あの戦争はなんだったのかという問いに全面的にこたえるという本ではないです。いろんな視点をあたえてくれる本だと思います。3400円+税の価値は、ありますよ。

最後に注意書き;本のレベルとしてはややハイレベルだと思います。文章がわかりにくいというより、社会科学的素養とでもいうのか、読み手にやや能力を要求しているように思います。論理的思考能力を要求します。まあ、肩肘を張らないにしても、最低、満州事変~敗戦の通史の本は一冊は読んでおきましょう。

また、日清・日露戦争~満州事変以前の通史や、唯物史観、つくる会の主張や自由主義史観、ジェンダーフリー、南京事件「論争」ぐらいはだいたいどんなものか知識があったほうがよりベターです。ジェンダーのところはおさかなは知識がほとんどなく(すみません)、ちんぷんかんぷんでした。出直します(泣)。

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2006年10月 4日 (水)

『美しい国へ』感想その2

そういえば、今日職場で「『美しい国へ』を一日で読んだよ」っていったら、「え? 買ったの? 安倍晋三の印税になるんじゃないの?」って言われた。そういえばそうなのかなあ。そうか。がーん。まあ、そんなこといったら、自分の主張の違う人間の本は読むなってことになりますが、気になって気になって、買って読んでしまったのですよ、しかも一気に!(泣)本当はもう二ヶ月ぐらいあとにしようかと思っていたのだけど。

で。今日は昨日の続き=第二弾です。今日は少し早めに家に帰れたのでね。

■「はたして日本は侵略戦争への道をたどっているだろうか。自衛隊が独自に戦線を拡大していくようなことをしただろうか」(139ページ)

 たどってるでしょう。イラク攻撃は、「大量破壊兵器を隠しているイラクはけしからん」といってはじまりました。しかし「大量破壊兵器はないらしい」と、アメリカ国内でも調査団が事前に報告していました。国連の調査団も、大量破壊兵器があるのかどうか調べていましたね。そういう努力を無視して一方的に戦争を始めたのがアメリカ(とイギリス)。世界にさきがけて支持したのが日本です。米英の占領をサポートするために、いまも航空自衛隊はイラクにいます。陸上自衛隊もほとんど何もできなかったとはいえ、イラクへ駐屯し、今後の海外派遣への地ならしをしたと思います。

 イラク戦争が侵略戦争ではなかったと? 日本が侵略行為らしいことができなかったのは、憲法9条があるからです。それは安倍さんもわかっているはずです。だから9条を変えたいんでしょ? また、自衛隊が独自に戦線を拡大しないのは、9条はもちろんですが、アメリカいいなりだからですよ。アメリカの指揮を無視して行動できないからです。

■「かつて私の祖父の岸信介がインドを訪問したとき、ネール首相が、来印を歓迎する群衆にむかって、『いままで宗主国のイギリスにはかなわないと思っていたが、日本は、日露戦争でロシアに勝った。わたしもインドの独立に一生をささげる決心をした』と、演説したことがあるが、インドの世論調査では、親しみを感じる国のナンバーワンに、つねに日本があがる」(159ページ)

 岸信介氏になんていったのか、知りませんが、ネール氏は自伝で、つぎのようにいっていることは提示しないとフェアじゃないですね。

 「日本のロシアに対する勝利がどれほどアジアの諸国民をよろこばせ、こおどりさせたかということをわれわれは見た。ところが、その直後の成果は、少数の侵略的帝国主義諸国のグループに、もう一国をつけ加えたというにすぎなかった。その苦い結果を、まず最初になめたのは朝鮮であった」(磯野勇三訳『ネール自伝』)※海野福寿『日清・日露戦争』から

■「さて、たとえばいま二十歳になった人が、きょうから払いはじめて、六十歳までの四十年間、毎月(国民年金保険料を)払い込んだとすると、総額はざっと八百万円になる。この人が年金をもらえるのは、働いていなければ六十五歳からだが、支給される額は、年に七十九万円(月額にして六万六千円ほど)である。ということは、この年金を十年間もらいつづければ七百九十万円になるから、ほぼ十年でモトがとれることになる。もしこの人が、八十五歳まで生きれば、払った額の二倍の給付が受けられることになる」(180ページ)

 モトがとれて当たり前でしょうが。いったい何のために年金制度があり、社会保障制度があると思っているのでしょうか。モトがとれればいいのなら、貯金して引き出せばいいでしょ。バカにしてますか?

 ちなみに男性は平均寿命は04年で79歳ですね。4年分だけ税金が投入されることになります。10年は自分もちです。社会保障ってケチだなあ。三分の二は国民が自分で払えってことでしょう。

 そもそも社会保障のために出しているお金っていうのは、保険料だけではないことを忘れてはいけません。税金も、社会保障の財源です。

 ところで、消費税って「福祉のため」「高齢化社会のため」じゃなかったっけ? 3%から5%に上げて、年間12兆円ぐらいは国にお金入っていますよね? 何に使ってきたのさ? その分も考えたら、税金で持ってもらえる年金は四年だけなんて、国民年金加入者で、男の人は、自分を呪うしかないですね。バカらしくてヘソで茶が沸きます。85歳まで生きて、二倍の額がもらえる? 当然ですよ。「二〇〇九年度までに(基礎年金への税金の負担は)半分に引き上げられる」(191ページ)んでしょ。

■「年金というのは、集めたお金を貯めて配るというシステムだ」(186ページ)

 すんごい簡単すぎますが・・・あなたのいう「集めたお金」に税金はちゃんと入ってますか?

■「だから、加入しているみんなが『破綻させない』という意思さえもてば、年金は破綻しないのだ」(186ページ)

 そんなに単純なんですか?

■「(※年金は)戦争ですべてを失った国民を救うためにはじまった」(188ページの見出し)

 年金制度がはじまったのは、第二次世界大戦中です。戦費調達のためだったという指摘もかなりありますが。そんなに単純に言い切って良いんでしょうか。ちなみに、厚生年金は安倍氏は1944年からだとこの本の中でいっていますが、1942年からですよ。間違えないでくださいね。可決は1941年で、第二次世界大戦の突入する前です。「戦争ですべてを失」う前ですけど。実施は1942年です。

■「教育の目的は、志ある国民を育て、品格ある国家をつくることだ」(207ページ)

 教育の目的=国家をつくること? ナショナリストを自称する安倍氏らしい、都合のいい解釈ですね。そんなに単純なんでしょうか。・・・そもそも品格ある国家って何?

■「内容のとぼしいマンガのような教科書もあらためたい」(209ページ)

 文部科学省が検定までしているのに、マンガのような教科書なんですか? 国はいったい検定で何をしてきたの? 自民党は何をしてきたの?

■「たしかに子育ては大変でお金もかかり、何かを犠牲にしなければならないかもしれない。しかし、そうした苦労をいとわない、損得を超えた価値があるのではないか」(217ページ)

 何らかの事情がおありなのかもしれませんが、安倍さん、子どもいませんよね。そんなあなたに苦労をいとわないようにっていわれてもね。叱咤激励ありがとうございます。

 サービス残業もかなり野放しになっていますけど、そういうのを解消して雇用を創造することなどに、政府が乗り出すべきでしょう。職があり、国民にお金があればすぐ子どもが増えるかというと、そう単純でもないですけど、今日の格差社会を解決し、少子化解決の展望をはかる責任が政府にはあるはずです。少子化は、あなたの所属する自民党自身の責任でもあるんです。お金がないなら子どもも減る。当然でしょう。教育費だってかかるしね。

■「努力が正当に報われるためには、競争がフェアにおこなわれなければならない。構造改革がめざしてきたのは、そういう社会である。既得権益をもつ者が得をするのではなく、フェアな競争がおこなわれ、それが正当に評価される社会である」(224ページ)

 だから、格差社会なんだってば! 「一億円以上の金融資産を持つ富裕層の資産が急拡大していることが野村総合研究所の調査で分かった。二〇〇五年の金融資産額は百十三兆円。〇三年時点と比べて二年間で五十兆円増えた(※213兆円に達した)。景気回復による株高が追い風となり、金融機関のビジネスチャンスが広がった」(「日経」2006年9月6日)

 金融資産をもてるほどのお金持ちは、ますますビッグになるってことですね。庶民でも株で少しはもうける人がいるでしょうが、少数でしょう。ところで「株」って「フェアな競争」で「努力」なんでしょうか?

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『美しい国へ』読んだが‥その1

『美しい国へ』(安倍晋三著、文春新書)読みました。読みやすい本ですね。ただ、中身は軽すぎて論理の飛躍がひどいです。おさかなと立場の違いがあるのははじめからわかっていますが、立場が違うなりに、論理構成はきちんとしていただきたいなあ、というのがおさかなの感想です。

論理の飛躍や、明らかな間違い、またおさかながとても疑問に思った点をいくつか例示しましょう。

なお、(※)は、おさかなによる注です。

■「安保条約をすべて読み込んでみて、日本の将来にとって、死活的な条約だ、と確信をもつことになるのは、大学に入ってからである」(21ページ)

 ところで・・・20ページには「社会党、共産党の野党、そして多くのマスコミは、日米安保条約の破棄を主張していた。『日米安保の延長は自衛隊の海外派兵を可能にする。すでに日本はアメリカのベトナム侵略の前線基地になっており、日本帝国主義はアメリカと結託して、ふたたびアジア侵略をはじめようとしている』というわけだ」と1970年のことをいっている。

 しかし、ベトナム戦争の拠点になったことが、日本の将来の死活にどう関係したのか、本書にはひとことも説明がありません。ベトナム戦争は今日の国際社会で、侵略戦争だったといわれるものの一つですが、そのベトナムの地に日本の基地から飛び立った米軍が、どのように日本の将来に死活的な役割を果たしたというのです? 自分の論理の飛躍は棚に置き、「うさんくさい気がした『安保反対』の理由」などという小見出しを堂々と掲げていますが、厚顔無恥というものです。

■「たしかに軍部の独走は事実であり、もっとも大きな責任は時の指導者にある。だが、昭和十七、八年の新聞には『断固、戦うべし』という活字が躍っている。列強がアフリカ、アジアの植民地を既得権化するなか、マスコミを含め民意の多くは軍部を支持したのではないか」(25ページ)

 「大東亜戦争」当時のことのようだが、報道や言論の統制をはかり、「隣組」を組織して思想まで監視させたような背景があったことを抜きにしていないだろうか。もちろん、支持した国民も多数いたが、当時の時代背景は、そんなに単純ではない。

■「国に見捨てられたかれらが、悲痛な思いで立ち上がっているのだ。私たち政治家は、それにこたえる必要がある」(北朝鮮の拉致問題で。46ページ)

 中国残留孤児にも、日本が戦前、満州への移民を推し進めた結果として生まれた人が多数いる。彼らも国に見捨てられた人たちだが、ずいぶん政治は冷たいようですね・・・。

■「公害訴訟など、過去の国の失政を追及する国家賠償請求訴訟において、原告が勝訴すると、マスコミは『国に勝った』と喝采することが多い。しかし、その賠償費用は国民の金から支払われるのであって、国家という別の財布から出てくるわけではない。だからこそ、その責任者は被害者への責任だけでなく、納税者である国民に対する責任が厳しく問われるのである」(65ページ)

 そういえなくもないが、本当に法学部出身者(彼は成蹊大学法学部卒)ですか? 意図的に問題の所在を狭くしているように思います。納税者である国民への責任が問われているというよりも、たとえば薬害であれば、薬害を起こしてしまったり防げなかったその責任を問われているのであり、そういう過ちを二度と起こさないよう措置をとることが問われているのであり、社会不安を起こしたその責任が問われているのであり、被害者の健康や人生を侵害した責任が問われているのであり、国の責任として償う気があるのかどうかが問われているのではないのでしょうか。

■「ところが日本では、安全保障をしっかりやろうという議論をすると、なぜか、それは軍国主義につながり、自由と民主主義を破壊するという倒錯した考えになるのである」(66ページ)

 仕方ないでしょう。「大東亜戦争」を正当化する「つくる会」の教科書採択で協力し、また檄をとばす御仁(=安倍氏)のいる自民党が、「安全保障をやろう」といえば、本当に安全保障のためなのか? 大丈夫なのか?と思う人がいても不思議ではありません。次のURL参照。http://www.tsukurukai.com/01_top_news/file_news/news_040616.html

■「(※東京裁判で)指導的立場にいたからA級、と便宜的に呼んだだけのことで、罪の軽重とは関係がない」(70ページ)

 なんじゃそりゃ。そんなに単純なものなのか? 指導的立場とは、責任が重い立場ではないのか?

■「米国のアーリントンの国立墓地の一部には、奴隷制を擁護した南軍将兵が埋葬されている。小泉首相の靖国参拝反対の論理にしたがえば、米国大統領が国立墓地に参拝することは、南軍将兵の霊を悼み、奴隷制を正当化することになってしまう」(74ページ)

 靖国神社は、遊就館でどうどうと「大東亜戦争」はやむをえなかった、間違っていなかったとのたまう神社です。その神社に参拝することの是非が問われているのに。そもそも、単純にA級戦犯が合祀されているからけしからんということだけが「靖国問題」と呼ばれているのではないでしょう。

■「かれら(※日の丸・君が代を快く思わない人たち)にとっては、W杯の日本のサポーターの応援ぶりも、きっと不愉快なことなのにちがいない。ただ、その不愉快さには、まったく根拠がないから、かれらの議論にはなんの説得力もない」(83ページ)

 日の丸・君が代を問題している人たちの主張を、単純化しすぎだと思います。そのようなあっさりとした断定にこそ根拠がないと思います。

■「だが、すごいと思うのは、いざ外に向かうときは、アメリカ国民は、国益の下に一枚岩になることだ」(86ページ)

 イラク戦争を起こした責任を問う声や、イラク戦争反対の運動がアメリカでも起きているようですが、いったいこの現象は「一枚岩」と呼べるのでしょうか。ちょっと単純すぎる断定ではないでしょうか。

■「(※ミリオンダラー・ベービーが)とりわけアイルランドへの帰属意識という点に注目して作品を見直すと感慨深い。クリント・イーストウッド自身がアイルランド系だというから、その思いが込められているのかもしれない」(90ページ)

 どう感慨深いのかよくわかりませんが・・・「モ・クシュラ」は娘にも相手にされない、不器用な老トレーナーの、彼なりのマギー(女性ボクサー)への精一杯の愛情表現だと思いましたけど。帰属云々の大切さを表現しているようには見えませんでしたが、ちょっと単純な映画評では? 私には、違和感があります。自分の主張=愛国心に意図的につなげたいようにしか見えません。

■「世界を見わたせば、時代の変化とともに、その存在意義を失っていく王室が多いなか、一つの家系が千年以上の長きにわたって続いてきたのは、奇跡的としかいいようがない。天皇は『象徴天皇』になる前から日本国の象徴だったのだ」(104ページ)

え? 江戸時代は、天皇なんてかなり影薄くありませんでしたか? そんなに単純に言い切っていいんですか?

■「日本、ドイツ、イタリアは、あいついで国際連盟を脱退、『アメリカは自由の理念を世界に広めるという特別な使命を持つ』と宣言したウィルソン(※大統領)の理想は、ここにいたって挫折をよぎなくされることになる。一九四一年の日本の真珠湾攻撃は、アメリカ外交に決定的な変更をせまることになった。いまや孤立主義を捨て、自分たちの信じる独立宣言や憲法にうたわれたアメリカの価値観を世界に広げなければならない-理想主義の追求が、はっきりと外交にもちこまれたのは、このときからである」(115~6ページ)

え? 何言っているのかよくわかりません。「理想主義の追求が外交にもちこまれた」のは日本の真珠湾攻撃のおかげだといいたいのでしょうか? ここでいう「理想主義」「理想」とは、「国際連盟の創設を提案し、世界史上初めて、国際機構による平和の維持という理想」(114ページ)とも同義語のようですが。ところで国際連盟から日本が脱退したのは、世界から満州事変、満州国建国を非難されたせいだったと思います。自分で国際社会に挑戦して連盟を脱退しておいて、アメリカが「国際機構による平和の維持という理想」を外交にかかげたのは日本のおかげだとも読めますけど、そういうことがいいたいのでしょうか? 

■「憲法前文には、敗戦国としての連合国に対する”わび証文”のような宣言がもうひとつある。《われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたい》という箇所だ。このときアフリカはもちろん、ほとんどのアジア諸国はまだ独立していないから、ここでいう《専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会》とは、おもに連合国、つまりアメリカをはじめとする列強の戦勝国をさしている。ということは、一見、力強い決意表明のように見えるが、じつは、これから自分たちは、そうした列強の国々から褒めてもらえるように頑張ります、という妙にへりくだった、いじましい文言になっている」(122~3ページ)

 かわった憲法前文解釈ですね。

■「たとえば日本を攻撃するために、東京湾に、大量破壊兵器を積んだテロリストの工作船がやってきても、向こうから何らかの攻撃がないかぎり、こちらから武力を行使して、相手を排除することはできないのだ」(133~4ページ)

 え? 現行憲法のもとでも、領海侵犯でだ捕できないの? 領海侵犯なら、当然海上保安庁が排除するはずですが? 

とりあえず疲れたので、今日はここまで。

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2006年10月 1日 (日)

また9月も10冊読みました

 9月は中国に旅行に行き、食中毒をくらって一週間ぐらいお腹の調子が悪かった日々が続きました。もう、それはふらふらでしたが、にもかかわらず8月に引きつづき9月も10冊の読了を達成してしまいました。ちょっとわれながらあきれてしまいます。その原動力はどこに・・・。意地なのか、正義感なのか?

 10月は、日清・日露戦争と朝鮮近代史を勉強したいと思っています。・・・入手した余計な本がたくさんあるので、それも読まないといけないのですが(泣)

○日本近代史の虚像と実像1 開国~日露戦争 大月書店1990(9/3読了)

 個人的には、論文が細切れに載っているという印象で、ちょっと読むのが苦痛でした。マニアか専門家向けかもしれません。素人にはおすすめできません。もちろんおさかなも素人ですけど(笑)。

○南京大虐殺の現場へ 洞富雄/藤原彰/本田勝一編 朝日新聞社1988(9/4読了)

 過去の論戦の様子がわかりやすく載っているので、興味のある人は読んでもいいかもしれません。板倉由明氏の改竄についても触れられています。

○日本の歴史20 アジア・太平洋戦争 森拓麿 集英社1993(9/6読了)

 おさかなは素人ですので、通史把握のためにと思って読んだ本です。いくつか細かいところではよくわからなかったり同意しかねたりする部分もあった気がしますが、忘れました(笑)。でも、おおまかな流れをつかむのにはよいと思います。

○南京への道 本田勝一 朝日文庫1989(9/8読了)

 中国の被害者の証言を書き連ねた本多氏の著作。でも他の著作で紹介されている証言もかなり多かったので、あっさり読んでしまいました。でも、中国の被害があっさりしているということではありませんよ、あしからず。難を言えばモノクロのせいもありますが、証言者の人がこれが傷だよと示してくれても、どこが傷なのか見えにくい。

○十五年戦争史1 満州事変 藤原彰/今井清一編 大月書店1988(2006/9/18読了)

 とくに印象に残っていません・・・。個人的には自分の出身大学が京都の大学だったせいもあり、滝川事件をあつかった「V 非常時下の知識人」が学生運動や、教授会の中でのたたかい、裏切り、分裂などが描かれていて、興味深かったです。

○韓国併合 海野福寿 岩波新書1995 (2006/9/19読了)

 宗主・宗属関係というのが、今日の国際社会ではなじみのない関係なので、最初はちょっと読みにくかったです。宗主・宗属関係などについて注意して読み進んでいくと、何とかきちんと読めると思います。韓国を武力で脅したり、韓国の要人を軟禁・殺害したり、頼まれもしないのに朝鮮に軍隊を駐留するなどの、日本の主だった行為をつかむのにはいいかもしれません。この本をきっかけに、もう少しつっこんで勉強するというのがいいかもしれませんね。

○日本の歴史19 大国主義と民本主義 武田晴人 集英社1992(2006/9/24読了)

 これも通史の把握のために読んだ本。わかりやすいと思います。大正の「成金」がどうやって成金になったのかよくわからなかったので、ちょっと勉強になりました。第一次世界大戦のみならず、当時の社会背景についても触れていて、興味深く読みました。

○大日本帝国の時代 由井正臣 岩波ジュニア新書2000(2006/9/26読了)

 読んで損しました。日清・日露戦争は両方とも何で戦争に突入したのか、この本ではよくわかりません。明治から敗戦直後までの通史のおさらいのつもりで読んだのですが、それにしても記述が簡単すぎです。

○天皇の軍隊と日中戦争 藤原彰 大月書店2003(2006/9/27読了)

 思いのほか、面白いと思ったのが藤原氏の回想記と対談。自身の歴史家としての歩みを振り返っているが、時代と格闘した様子がわかりやすく、具体的。「対談とか回想記などというのは、だらだらしてつまらない」と思いがちなおさかなも、面白いと素直に思いました。三光作戦や、日本の敗戦後も国民党軍に参加させられ、共産党軍とたたかわされた日本軍があったことなどについても触れられています(大半は、他の雑誌や著作に載った論文みたいですけど)。

○十五年戦争史3 太平洋戦争 藤原彰/今井清一編1989(2006/9/30読了)

 この本では、沖縄戦に興味を持ちました。沖縄で沖縄県人をスパイ視して日本軍が殺したことなどが触れられています。もう少し裏づけがほしいところですが、スパイ視していたこと自体は軍の資料によっても明らかで、あらためて日本はそんなことを考えていたのかとびっくり(「沖縄語ヲ以テ談話シアル者ハ間諜(<おさかな注>スパイ)トミナシ処分ス」日本軍「球軍日報」1945/4/9)。ほかにも、「Ⅳ 大東亜共栄圏の支配と矛盾」も当時の日本軍が何をしたのかが比較的わかりやすく書かれ、把握するによいと思いました。

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2006年8月30日 (水)

気がつくと今月は10冊本を読んでいた

 南京事件を勉強し始めたのは先月のこと。だいたいあの戦争は正しかったのかどうかという議論がはじまると、その焦点のひとつになるのが南京事件なもので、勉強しなきゃと思って勉強し始めたのです。

 南京事件について、まだ勉強したいとは思っているのですが、累計で7冊ぐらい本を読んだので、8月の途中から、1945年に終わったアジア太平洋戦争の全体像をつかもうと思って、学習中です。

 ところが、アジア太平洋戦争を勉強しようと思うと、満州事変までさかのぼる必要がありますよね。アメリカに満州などの権益を手放せ、中国から撤兵しろといわれて、これを拒絶してはじめたのがアジア太平洋戦争でしたから。

 ところが。満州事変を学ぼうとすると、これもまた「そもそも何で満州に日本軍がいたんだよ」という話になって、「日清・日露戦争までさかのぼって勉強するしかないか」と、勉強するテーマがいっきょに広がって関心も広がり、困っているおさかなです。

 で、手当たりしだい? に本を読んでいます。気がつくと8月に読んだ本は南京事件関連もふくめ、10冊になっていました。読んだのは、つぎのような本です。

○南京大虐殺改竄派の敗北 本田勝一ほか 教育史料出版会2003(8/1読了)

○南京難民区の百日 笠原十九司 岩波書店1995(8/4読了)

○南京の日本軍 藤原彰 大月書店1997(8/5読了)

○従軍慰安婦 吉見義明 岩波新書1995(8/6読了)

○天皇の軍隊と南京事件 吉田裕 青木書店1986(8/14読了)

○新版 十五年戦争小史 江口圭一 青木書店1991(8/16読了)

○日本の歴史18 日清・日露戦争 海野福寿 集英社1992(8/22読了)

○日本軍政下のアジア 小林英夫 岩波新書1993(8/24読了)

○はじめて学ぶ日本近代史(上) 大日方純夫 大月書店2002(8/28読了)

○はじめて学ぶ日本近代史(下) 大日方純夫 大月書店2003(8/30読了)

われながらよく読んだな‥。この辺でまた自分と立場が正反対の本もこのあたりで1~2冊読もうかなと思いつつ、とりあえずまだ歴史の流れをとらえられてないと思うので、きちんととらえることに全力をつくそうと思います。まあ、素人ですから、歴史の流れをとらえることができたと実感するまで本を読みつづけるっていう、ただそれだけのことですけど。

いや、しかし。大学卒業してからどころか、いままでの人生で一ヶ月にこんなに本読んだの、たぶん初めてだなあ。ああ、ほげほげ。

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2006年8月21日 (月)

『新版 十五年戦争小史』は読みにくい‥

『新版 十五年戦争小史』(江口圭一、青木書店1991、2884円[税込])を読みました。

一言で言うと、読みにくい(絶叫)!

 この本は、学生時代、うちの大学でもテキストでした。でも、授業(日本政治史)を選択しただけで、単位はとりませんでしたし、本自身も満州事変直後ぐらいで読むのが嫌になったほど、文章が読みにくいのです。

 この本は、著者が十五年戦争(満州事変~アジア太平洋戦争終結)を題材に、大学の講義でテキストとして使えるように作成したものですが、膨大な史実を無理に圧縮したせいなのか、極端に読みにくいのです。ちょっと気を抜いて読んでいると重要な言葉を気に留めないうちに読み飛ばしてしまい、途中で話がわからなくなってまた少し戻ってくるのを繰り返さざるをえなくなる感じで、読み通すのに苦労しました。

 ただ、章立てが「大日本帝国」「十五年戦争の発端」「戦線の拡大」「上海事変と満州国」‥というように細かくわかれ、ほぼ時系列に並んでいて(もちろん文章上多少の前後はある)、本もそんなに分厚くないので、あとで十五年戦争とは何だったのか振り返るのには便利なのかもしれません。

 あと、個人的に印象に残った箇所が、「おわりに」の次の部分です。

 「一方、天皇以下の戦争指導者とは異なる次元と意味において、日本国民も十五年戦争について責任を免れることはできない。日本国民もまた国家エゴイズムに深く囚われており、少数の例外を除いて、日本国民の圧倒的大多数は戦争を支持し、時には熱狂さえして戦争に協力した」(264ページ)

 ・・・・同感です。

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2006年8月15日 (火)

『天皇の軍隊と南京事件』を読んで

『天皇の軍隊と南京事件』(吉田裕、青木書店1986、¥2000+税別)読みました。200ページちょっとしかないのに、中身が非常に深いです。文章は小難しいことはありません。多少昔の資料が読みにくい(まあ、戦前の言葉ですから)のですが、吉田氏は少な目の言葉で余計なことは言わず、しかし緻密に論旨を展開していく、そういう人なのかなという印象を持たせる本です。この本が出たときは吉田氏は32歳くらいですか?・・・だとしたらけっこうレベル高いですね、いや、本当。ちなみにこの本が出た当時は、おさかなはまだ小学生です。

さて、本を読んで振り返ってみると、以下の点を学ぶことができたと思います。

①南京事件は歴史上消せない事実であるということ。

 軍の資料は処分されるなどして、いまとなっては限られた資料しか残っていませんが、それでもなお、軍の詳報、軍幹部や末端の兵士の日記・記録などに南京事件の虐殺や略奪、強姦があったことが記されています。

 虐殺については、規模の大小を正確に測ることは今日となっては困難だと述べていますが、資料も明示しており、どんなに控えめに見ても、虐殺された人は数十人や数千人、1万とかいう程度ではないことは、はっきりとわかると思います。

②「皇軍」の実態を注意深く検討している。そこから見えてくるのは、世界に名だたる栄えある軍隊などではない。

 軍隊の近代化を怠り、無駄に白兵戦を繰り返すとか、士気の低下などがさんざん論じられています。戦争の目的が抽象的ではっきりしなかったことなどが、残虐な行為に結びついていった様子などが描かれています。でも、特に僕が興味深いと思ったのは、この著書の最後のほうです。

「大正デモクラシー運動の奔流が全国をおおうようになると、その社会的影響は軍隊内部まで及び、兵士の軍機への盲目的服従を確保することがしだいに困難になりはじめたのである」(191ページ)

 この点については、田中義一陸軍大臣の「近来服従ノ観念漸ク減退シ下級者ノ言動穏当ヲ欠キ露骨トナリ反抗的態度ニ出デ遂ニ刑辟触ルルモノ増加シ殊ニ結党暴行セシモノアリ」(1921年)、宇垣一成陸軍大臣の「特ニ下級幹部ノ犯行増加セルト社会思想ノ影響ニ伴ヒ兵卒ノ言動ニ格段ノ注意ヲ要スルモノヲ見ルニ至リタルトハ軍隊設立ノ大本ニ鑑ミ寒心堪ヘザル所ナリ」(1924年)などの指摘が興味深い(同じく191ページ)。結局、モノを言わせぬ統制・管理の軍隊だったが、兵士の「自覚教育」をはかるも成功せず、軍隊の弱体化に向かったことが指摘されている。

 いずれにしても南京事件が引き起こされた一要因を軍隊の体質にも求め、分析している点が非常に興味深いです。他の本でも軍隊の体質に触れた本はいくつもありますが、より深い分析を試みている点が評価できます。

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2006年8月10日 (木)

「天皇の軍隊と南京事件」読書中‥

おさかなは、仕事も編集である・・・。記事書いて取材して編集して・・・というのが仕事なのに最近、南京事件の著作を読み漁っている。仕事でもプライベートでも目を使っていると、正直疲れます。プライベートくらい頭や目を使わないことをしなきゃなあ、と思うこのごろです。

さて、南京事件について深く知ろうと、また本を購入。アマゾンなどを利用し、インターネットで本を6冊買いました。

○天皇の軍隊と南京事件 吉田裕 青木書店(中古)

●「南京虐殺」への大疑問 松村俊夫 展転社(中古)

●新「南京大虐殺」のまぼろし 鈴木明(中古) 

○南京への道 本田勝一 朝日新聞社

●:「南京事件」日本人48人の証言 阿羅健一 小学館

○ 南京大虐殺の現場へ  洞富雄/藤原彰/本田勝一編 朝日新聞社(中古)

ただいま、「天皇の軍隊と南京事件」を読書中・・・。ちなみに●は、2006年8月10日現在、おさかなと異なる立場になる著作です。本当に読むんでせうか? 新「まぼろし」は絶対読みますけど。

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2006年8月 6日 (日)

『南京難民区の百日』読みました

 8月3日~4日に広島へ出張していました・・・。4日の晩に実家にたどり着き、5日は1日中ぼーっとして、今日帰ってきました。

 で。この出張と休みの間に、本を三冊読み終えました。南京事件関連は二冊。その一つが、『南京難民区の百日』(笠原十九司、岩波書店、1995、\2400<税込>)です。

以下、感想を述べます。

 南京事件の概説書としてもよくまとまっていると思います。資料を丁寧に引用しながら、ほぼ時系列に事態の進行が解説されていることが好印象です(時系列ということ自体は珍しくないのでしょうが)。

 とくに南京城の陥落前後の攻防や、中国軍の壊滅にいたる経過などが具体的に書かれていて、いつ何が起こったか、なぜ起こったのかなどがイメージしやすい。文章もそんなに難しくありません。

 この本の副題は「虐殺を見た外国人」ですが、安全区国際委員会や第三国のジャーナリストなど、外国人の資料だけが引用されているわけではなく、日本軍の記録や、日本軍関係者の日記などの資料もいくつも引用されています。虐殺や強姦、徴発の実態などがいっそうつかめたように思います。

 「南京事件」(同氏著、岩波新書1997、¥780+税)も実は最近読んだのですが、「南京事件」は何だか簡略すぎてちょっと不満?だったのですが、この本で不満もだいぶ解消されました。

 また、安全区国際委員会のがんばりもすごいです。強姦の現場にたびたび呼び出されたり遭遇する委員たち。また、個人的にはウィルソン医師について、よく体が持ちましたね・・・という感想も持っていますが。

 あと、一つ感じたことがあります。言葉の問題ですが、「南京大虐殺」はあくまで「南京事件」の一部だととらえるのがいいのかなと思いました。いままでぜんぜん気がつきませんでしたが。問題とされているのは虐殺だけではないので、南京大虐殺は南京事件に含まれるという解釈でいいのかな??とちょっと思いました。ちょっと「大」がつかないとインパクトありませんが、しかし「南京大事件」というとかえってヘンな新聞の見出しみたいで、かっこ悪い。まあ、インパクトではなく、事実はどうなのか追求することを大事にしたいと思います。

 いずれにせよ、まだ勉強します。このままの勢いで行くと、南京事件関連であと10冊は読みそうです。「なかった」派の本ももう何冊かは読もうとめぼしをつけているところです。

 

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2006年7月30日 (日)

「南京難民区の百日」「南京大虐殺歴史改竄派の敗北」を買ってきた

「南京難民区の百日 虐殺を見た外国人」(笠原十九司、岩波書店)

「南京大虐殺歴史改竄派の敗北 李秀英名誉毀損裁判から未来へ」(本多勝一・渡辺春己・星徹共著、教育資料出版会)

 上記二冊を買ってきました。南京大虐殺に関しては、否定本も買おうかなと思ったのだけど、論理矛盾に付き合うのは疲れるし、否定本を読んだばかりということもあって、また今度にします。

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2006年7月29日 (土)

「『南京虐殺』の徹底検証」って大丈夫?

「『南京虐殺』の徹底検証」(東中野修道、展転社、1998、¥1800+税)読みました。一度読んでまた読んでいる途中。

「南京大虐殺否定論13のウソ」(南京事件調査研究会、柏書房)でずいぶんコテンパンにいわれていたので、そんなにひどい本なのかちょっと信じられなくて読みました。「南京大虐殺はあった」という本だけでなく、なかったという本も読もうと思って読んでみたのですが。

「徹底検証」を読んでの率直な感想は、次のようなものです。

 ①論理の飛躍や、資料の無理な解釈が多い。

 ②人権感覚を疑うような記述が散見される。

 ③①②のことなどから、十分信用できない本である。

少なくとも、「『南京虐殺』、これでもあったといえるのか!!」と大見得を切るほどではないなと思いました。まだ勉強途上なので、本全体を検証するわけにはいきませんし、本全体の検証は先達に任せます。ただ、上記のような感想を述べた手前、なぜそう思ったのかについて、いくつか例示しておきます。

 なお、僕は現段階で、南京大虐殺否定論とは反対の立場です。しかし、この本を読んだとき、この本がとっている立場が許せないというよりも、いいかげんな論理構成、論理の飛躍などにいちばん反感を覚えたことを付け加えます。

【例 1】

中国軍について、79ページではつぎのようにいいます。

-----「訓練がなかったから、規律がなかった。従って正規軍も匪賊と五十歩百歩であった」

・・・訓練がないとなぜいきなり匪賊と似たようなモンだってことになるんでしょう。論理飛躍しすぎです。自分の中国人蔑視思想を吐露しているだけでしょう。

 【例 2】

次は、日本語を意図的にねじまげて解釈していて、びっくりした例。

まず、東中野氏は、陸軍歩兵学校が昭和8年に刊行した教授模例『対支邦軍戦闘法ノ研究』の「捕虜の処置」を引用します。

-----「捕虜ハ他ノ列国人ニ対スル如ク必ズシモ之レヲ後送監禁シテ、戦局ヲ待ツヲ要セズ、特別ノ場合ノ外之ヲ現地又ハ他ノ地方ニ移し、釈放シテ可ナリ。

支邦人ハ戸籍法完全ナラザルノミナラズ、特ニ兵員ハ浮浪者多ク、其存在ヲ確認セラレルモノ少ナキヲ以テ、仮リニ之レヲ殺害又ハ他ノ地方ニ放ッテモ、世間的ニ問題トナルコトナシ」(87ページ)

 東中野氏はこの資料を、88ページから89ページにかけて原則は釈放だったと強弁し、つぎのようにいいます。

-----「また、『特別ノ場合』、即ち日本軍の命令に服さない場合、『仮リニ之レヲ殺害』したとしても、ハーグ陸戦法規第八条は『総テ不従順ノ行為アルトキハ、俘虜ニ対シ厳重手段ヲ施スコトヲ得』と明記しているから、戦時国際法上の問題はない。社会的にも、問題にならないというのであった。」

 ここで東中野氏は、重大な日本語の読み違え=操作を行っています。東中野氏の引用した資料(=「捕虜の処置」)をよく読めば普通の日本語の能力があればだれでもわかることですが、「特別の場合以外は(=通常は)釈放したり、殺してもいいんだ」ってことが書いてあるのであって「特別の場合は(=非常時や問題が起きたときは)殺してもいい」ってことが書いてあるのではありません。

 こんな誰でもわかる文章を操作する。学問を学び、研究し、仮にも教授と名乗る人が、こんなあからさまな文章の操作をしていいのでしょうか。

【例 3】

 東京裁判での大内義秀氏の証言の引用部分です。「彼我不明の焼却屍体」(71ページ)を日本軍が見つけ、軍医がみて「日本兵が捕虜となり支那軍によつて焼かれたものであらうとの判定でした」(72ページ)となっています。「彼我不明の焼却屍体」なのになぜ「日本兵」と「判定」できたのかはよくわからないのですが、ここでは保留します。その引用の後に来た東中野氏の文章に僕はびっくりしました。

---「生け捕りとなった日本兵が生きたまま焼かれていた。しかし、それでもこれを捕虜虐待(戦時国際法違反)と言うことはできない。やらなければやられていたであろう。それが戦闘であった。」(72ページ)

 捕虜虐待が戦時国際法違反ではない!! そんなことはないでしょう。捕虜を武器も持っていない状態で焼いたりしたら、戦時国際法違反ですよ。やらなければやられていた? 捕虜なのに? 捕まえてるのに? 武装解除されていても? わけがわかりません。戦時国際法は捕虜の虐待を禁じています。いきながら殺すなど言語道断です。なぜそれが国際法違反に問えないのか。

 この部分は形式上中国軍の無法を「やらなければやられていた」と許してあげているように見えます。しかし敵だろうが味方だろうが明らかな戦時国際法違反を認めるようでは、そんな人の国際法解釈なんて信用できません。これをこのまま中国兵に当てはめれば、中国兵の捕虜も虐殺されていいんだってことになりませんか。

 「捕虜の資格」(189ページ~)でも戦時国際法の解釈をおこない、中国軍はそもそも捕虜の資格がなかったんだとかいっていますが、上記のような解釈を行う人が国際法を云々するとは、恐ろしいことです。

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2006年7月 6日 (木)

「『南京虐殺』の徹底検証」を買ってきた

 日本はアジアに対して「侵略戦争をした」そういわれていますね。でも「侵略戦争じゃない」「自存・自衛の戦争だった」などの主張をする人がいます。90年代の半ばぐらいから、何だかずいぶんそういう主張をする人が目に付くようになった気がしています。

 で。最近やっぱり侵略戦争だったのかどうか、事実をきちんと知り、学ぶ必要があると考え、少しずつですが勉強しています。

 そして、侵略戦争だったのかどうかはかる上で争点になっているものの一つが、南京大虐殺、南京事件です。今日は、否定派=南京大虐殺はなかったという人の本を読んでみようかと本を買ってきました。

 買ってきたのは、亜細亜大学教授の東中野修道氏の著書「『南京虐殺』の徹底検証」。帯には「『南京虐殺』、これでもあったと言えるのか!!」とか書いてあります。

 断っておくと、別に東中野氏の主張を理解したいとか同意したいと思っているわけではありません。立場的には正反対になるはずです。

 なのになぜ買うのか? 基本的に南京大虐殺はあったという人たちの本だけ読んでも、今ひとつ本当におかしいことをいっているのかどうか、いま一つ実感が持てないのです。本当におかしなことをいっているのか確かめたい気になって。ちょっと自分でも呼んで、いろいろ判断してみようと思います。どれぐらいの徹底検証をしているのか・・・。

 専門家じゃないのに、われながらご苦労なことで・・・。物好きだね。本当。

 

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