書籍・雑誌

2008年11月21日 (金)

『音作りの新常識』

先日、書店で見たら、「音づくりの新常識」(福田雅光著、音楽之友社)という本が出てた。「本」というより「ブックレット」という体裁だが、200ページもない本なのに、1200円(+税)! 1000円以下にできませんかね? という感じがしなくもない。

さて、この本は、オーディオマニアな人には目新しいことは書いてないのだろうと思うけど、僕みたいな初心者、迷える子羊には意外に参考になるように思う。別に新しいことが書いてるわけじゃないが、

「スピーカーケーブルはアンプ自体が変化するわけではなく、ケーブルの性質によって変化しただけであるのに対し、電源ケーブルは機器自体を本質的に改善する力を備えている」(18ページ)

などは、なるほどと思わされた。

おすすめの電源ケーブル、RCAケーブル、スピーカーケーブルの一覧表もある。ごく簡潔にだが、特徴が書かれている。それぞれのケーブルが「写実系」「芸術系」に分類されており、参考程度にはなるだろう。

僕のような、現在のシステムが「明瞭だけど、温かさが足りない」と思っている人にも、参考になりそうだ。あらためて、自分のオーディオの音作りを見直してみたい人によい書籍だと思う。

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2008年5月11日 (日)

ハンナ・アーレントの書籍購入

先月、国立に行ったときの帰りに、書店でハンナアーレントの書籍を発見した。『暴力について』(山田正行訳、みすず書房2000)。この本は、同じみすず書房から1973年に訳書が出ている。訳者はことなっている。

ちょっと手にとってみて、面白そうだな、と値段を見たら、3000円だった。ページ数は261ページしかないのに? 値段の高さに軽い衝撃を受けた。気を取り直して、中身をもう少し眺めた。考えた。やっぱり決意して買ってしまった(笑)。

この本は、「政治における嘘」「市民的不服従」「暴力について」の3つの論文、「政治と革命についての考察」というインタビューからなっている。

この本、難解な部分も多い(僕は「市民的不服従」の項はわからない部分が多かった。読み直します)。僕は疑問に思ったり、本当にそうなのか判断しかねる部分もあるのだけど、とりあえず僕がその通りだな、と思ったことを記しておこう。

〈事実の真理〉はけっして有無をいわさぬ強制的な真理ではない。われわれがそのなかで日常生活をおくっている事実の織物全体がいかに脆いものであるかは、歴史家のよく知るところである。それはつねに一つひとつの嘘によって穴を開けられたり、集団、国民、階級の組織された嘘によって引き裂かれ、否定され、歪められ、またしばしば山のように積み重ねられた嘘によって周到に覆い隠されたり、ただ忘却の淵に沈むにまかされたりする危険にさらされている。事実が人間の事柄の領域に安住の地を見いだすためには、記憶されるための証言や確証されるための信用のおける証人が必要である。この点からすれば、いかなる事実についての言明でも疑いの余地がないということはありえない、たとえば二足す二は四であるという言明のように確実で攻撃から守られているものなのではない、ということになる(4-5ページ)。

 この「政治における嘘」という論文は、アメリカの対ベトナム戦争(政策)に関して出された「国防総省秘密報告書」に関する省察である。僕が上記引用部分を「その通りだな」と思ったのは、ベトナム戦争というよりも、今日の歴史認識論争との関連である。たとえば南京事件などで、今日の通説、証言、歴史の叙述などに関して、どこか怪しいと思える部分があれば、疑問をあげて、その疑問に耐えられない(と判断した)場合は、「だから虐殺などでっちあげなんだ」と安直にいう否定論者も多いようなので。

ちなみに、先の引用部分につづいて、下記の文章がつづく。

欺瞞がある程度まではきわめてたやすいものであり、また人がその誘惑にのりやすいのは、事実のもつこの脆弱さのためである。事態がまさしく嘘をつく人が主張するとおりであるかもしれないので、欺瞞はけっして理性と対立するようにはならない。嘘をつく人は聴衆が聞きたいと思っていることや聞くだろうと予期していることを前もって知っているという非常に有利な立場にいるので、嘘はしばしば現実(管理人注=この書籍の中では、「リアリティ」とふりがな)よりもはるかに真実味があり、理性にアピールする。嘘をつく人は公衆が信用して受け入れてくれるように注意深く目配りしながら物語を用意するが、現実はわれわれが受け入れる準備のできていない予期せぬものをつきつけるという、いやな習慣をもっている。(5ページ)

 アメリカがイラク攻撃につきすすむにあたって「イラクは大量破壊兵器を持っている」と根拠のないことを喧伝して世論をあおり、戦争につきすすんだことを考えると、この引用部分も昔のことのようにはまったく思えない。日本もアメリカに疑義をとなえず、追従し、いまでも追従している。なんともなさけないことだ。

 なお、この本はまだ読み途中なので、気が向いたらまたエントリにするかもしれない。

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2008年4月 7日 (月)

最近読んだ本。

そういえば、最近読んだ本を少しも紹介していませんでした。いちばん最後にこのブログで紹介したのは、昨年8月のものでしたね(汗)。

その後、あんまり本を読まない時期があったり、オーディオの新規購入でそっちに力を入れたり、仕事が忙しかったり、何だかいいわけばかり思いつきますが、この間読んだ本は、下記の通りです。

○貧困襲来(湯浅誠、人文社会科学書流通センター2007)

○生活保護「ヤミの北九州方式」を糾す―国のモデルとしての棄民政策 (藤藪 貴治 、尾藤 廣喜、あけび書房2007)

○国保崩壊―ルポルタージュ・見よ!「いのち切り捨て」政策の悲劇を (矢吹 紀人、 相野谷 安孝、あけび書房2003)

○医療保障が壊れる(相野谷安孝、旬報社2006)

○It’s now or never―私は早く、C型肝炎とさよならしたい! (福田衣里子、書肆侃侃房2006)

○薬害肝炎―誰がC型肝炎を「国民病」にしたか (大西 史恵、金曜日2005)

● デビルドッグ (越前谷 儀仁、並木書房2008)

○ 南京事件論争史―日本人は史実をどう認識してきたか (笠原十九司、平凡社新書2008)

●これでは愛国心が持てない (上坂冬子、文春新書2007)

○歴史/修正主義(高橋哲哉、岩波書店2001)

○歴史における「修正主義」(歴史学研究会編、青木書店2000)

○「軍事植民地」沖縄―日本本土との〈温度差〉の正体 (吉田健正、高文研2007)

○母さんが死んだ―しあわせ幻想の時代に ルポルタージュ「繁栄」ニッポンの福祉を問う(水島宏明、ひとなる書房1990)

○パレスチナ紛争史(横田勇人、集英社新書2004)

これで、2007年7月から合計で119冊。

戦争関連(※)は、同時期の合計で、103冊。

※大東亜戦争までの、日本が起こした一連の戦争と歴史認識、補償、戦後責任など

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2008年1月16日 (水)

藤岡信勝氏の修正主義は、歴史だけではない?

少し前ですが、僕は下記URLで、藤岡信勝氏の生活保護行政への認識があまりに貧困なので、批判しました(「平気でウソをつく人々」、『「自虐史観」の病理』文春文庫2000。以下、藤岡論文と称す)。

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/09/post_d8b4.html

藤岡論文がとりあげている「母さんが死んだ」(水島宏明、ひとなる書房1990)は、札幌市の母親餓死事件(1987年1月)を扱っています。藤岡論文では、子どもを残して衰弱し、餓死した女性が勤めていた喫茶店の経営者=黒田政子さん(仮名)をウソつき呼ばわりしています。どのようにウソつきよばわりしているかは、上記URLを参照していただくとして、藤岡氏は、つぎのようなこともいっています。

---水島氏の著書は、続いて、黒田が岡田さんに「居酒屋を持たせてくれる」と約束していたことを書いている。春から秋にかけて岡田さんがやけに張り切っていたという友人の証言がある。たしかにこのお店が持てれば一家四人で生活できる収入がえられるだろうが、その話がどうなったのか、水島氏の著書は納得のいく説明をしていない。---(223ページ)

---一方、久田氏からの取材から浮かび上がってきたのは、黒田が弟との結婚を前提に「店を持たせる」と岡田さんに約束しておきながら、弟が警察に逮捕されると岡田さんとの約束を反故にし、喫茶店をもやめさせたということだ。この時から岡田さんは生きる希望を失ったのであろう。黒田はこの自分にとって都合の悪い事実をかくすために、マスコミを利用し福祉行政批判のキャンペーンをやらせたのかもしれない---(223ページ~224ページ)

結局、ここに現れるのは、「行政には責任はない」という、個人に責任を押し付ける論理です。歴史修正主義は過去の戦争でも国家、支配層の免責をしますが、その思考回路は戦後日本、そして現在の日本でも同じなのでしょうね。歴史修正主義者は現在の価値観で過去をさばくなという。しかし一方で、過去を免罪する価値観で現在の国家の不正や怠慢も免罪する。さすが歴史修正主義者というところでしょうか?

ところで、藤岡氏が非難する「母さんが死んだ」を読むと、藤岡論文は、重要なことにふれていません。それは餓死した母親が数ヵ月前だけでなく、過去に生活保護を受けていたのに、打ち切られたという事実です。この母親は、福祉事務所に何回か足を運んだことがあるのです。プロローグのなかにも、次のような一節があります。

---彼女と、生活保護との接点は死亡する数ヵ月前ばかりでなく、遡って、その前にも何度かあったのである---(13ページ)

 この母親が夫と離婚し、生活保護を受給したのは1978年です。中央区の母子寮に入所しています。母親は長男が小学生に上がったのをきっかけに、病院でパートとして働くなど、彼女なりの努力をしていました(水島氏の著書では「雑役婦」となっている)。しかし1981年4月、正職員にはなったものの、諸経費を引くと7万円しか残らず、パートのときの7万7千円よりも手元に残る収入が減ってしまいました(54ページ)。このため引き続き生活費の不足分を生活保護として受給していたのです。

 ところがその後、白石区の市営住宅(3LDK)に入居(母子寮は1DKだった)したのをきっかけに、白石区の福祉事務所が、生活保護を打ち切っています。打ち切られそうだ、ということを本人が話していたことを聞いたという証言もあります。その後、母親はサラ金にお金を借りることになっていったようです。

 そして生活が立ち行かなくなり、生活保護をきってからずいぶん経ってから、ふたたび当人が福祉事務所に相談にいった。白石区の福祉事務所は、本来は生活は大丈夫なのか把握し、保護を打ち切った相手だからこそ余計に保護が必要かどうか把握しようとすべきではなかったのか? そういうことが問われていると思いますが、藤岡氏には、そういうことは思い当たらないようです。

 ところで、喫茶店の給与も、1日3千円でした。夜にも飲み屋で働いていましたが、それも3千円です。しかも昼夜とも働けたのはほんの一時期だったといいます。いずれにしてもこんな給与では、やはり生活保護基準以下です。やはり生活保護をうける要件は満たされています。

  さらに重大なのは、『母さんが死んだ』は、餓死した母親以外の証言として、福祉事務所のケースワーカーに暴言をはかれた、受給申請をなかなか受け付けない、などの証言が多数載っていることです。

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「生活保護を受けている。しかし、受けるまでたいへんだった。十年間も難病に苦しみ、『働けない』という医師の診断書を持っていったが、『仕事できるでしょう』といって信じてくれない」(154ページ、47歳男性、難病患者)

「『まだ若いし、あんたならソープランドでも働けるよ』っていわれたんです」(256ページ、札幌市豊平区)

「四年前、生活保護の窓口に行った。妻が妊娠中だったが、保護受給条件として『子どもを堕ろせ』といわれ、病院まで紹介された。けっきょく子どもを堕ろして保護をもらった」(155ページ、札幌市東区の32歳男性。身体に障害がある)

「白石久野保護課の××(実名)が、自宅を訪問するたび何回も食事に誘ってくる。私の友人(女性)は、食事や飲酒に誘われ、つき合ったら体の関係を求められた」(159ページ、札幌市白石区)

「いい方がとにかくきつくて『なんでそんな人(精神病の夫)と結婚したんだ。選ぶ人を間違ったな。男を見る眼がないよ』」(158ページ、札幌市白石区) 

***************************************

つまり、藤岡氏は問題を捻じ曲げて矮小化しています。

「黒田はこの自分にとって都合の悪い事実をかくすために、マスコミを利用し福祉行政批判のキャンペーンをやらせたのかもしれない」という、単なる黒田氏の陰謀論にしてしまっています。しかし、そんな程度にとどまらない実態が『母さんが死んだ』には示されているのです。なのに、上記のような多数の証言が告発している問題に触れず、単純に黒田さんが悪意を持つウソつきであり、信用できない人間である、という話にしてしまい、「福祉行政批判のキャンペーン」全体を、信用できない話にしたてあげてしまう。ここに、藤岡氏の悪意が象徴されています。

また、母親餓死事件では、当人が亡くなっているのだから、余計に何が真相だったのかはわかりません。でも、どうして過去に受給した人が再びやってきたときに、生活状況を把握し、保護が必要かどうかきちんと把握し、必要な手立てをとらなかったのでしょうか。結果として、母親は亡くなったのです。本当に行政に責任はないといえるでしょうか? それが本書のテーマになっているのだと思いますが、藤岡氏にはそんなことは理解できないみたいです。もしかしたら本をきちんと読んでいないかもしれません。

何はともあれ・・・藤岡信勝氏は、僕にとって、ますます信用できない人物となりました。問題の矮小化、ねじ曲げもはなはだしい。その非人間性は、信じられないほどです。自分が思い描くウソつきの存在を証明するために、『母さんが死んだ』の文章をトリミングして、論旨をゆがめたのではないかとさえ思います。さすがです(笑)。

最後に、前回のエントリで少しふれた、久田恵氏の著書も該当部分を読みました。しかし久田氏の生活保護基準の計算と、『母さんが死んだ』にあげられている生活保護基準の計算が、明らかに1ヶ月あたり数万円は違います(久田氏の方が低い)。この点には、『母さんが死んだ』には計算根拠がしめされているのにくらべ、久田氏の著書には計算根拠が不明確なので、調べられたら調べたいと思います。20年も前の保護基準なんて計算できるのか知りませんが・・・いずれ、知り合いのソーシャルワーカーに聞きます。そのうち、気が向いたら(最近これが口癖になったな)。

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2007年10月10日 (水)

731部隊の国際シンポ記録がブックレットに

大阪でことし4月8日におこなわれた731部隊問題を考える国際シンポの記録(要約)である、『戦争と医の倫理』が「かもがわブックレット」として出版されました。2007年10月10日発行。…今日じゃん。

僕も先日三人のシンポジストの発言を紹介するなどしたが、

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/04/post_8e8d.html

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/04/post_7659.html

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/04/post_ab12.html

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/04/post_572d.html

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/04/post_830e.html

http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/04/post_a67e.html

僕の拙い説明よりも役立つ(?)かもしれないので、どうぞお気に召せば買ってくださいまし。

…僕は別に、かもがわ出版の人ではございませんが。

一冊600円、63ページ。

よろしくです。

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2007年9月10日 (月)

藤岡信勝氏は、生活保護行政にもうとい?

藤岡信勝氏といえば、「新しい歴史教科書をつくる会」の現会長です。藤岡氏といえば、彼の持つ歴史認識が有名ですが、単に歴史認識にとどまらず、現代の日本についてもこんな点で歪んだ認識を持っているのかと驚いたものがあります。それは『「自虐史観」の病理』で示された、生活保護行政への認識です(「平気でウソをつく人々」、『「自虐史観」の病理』文春文庫2000)。

 もともと『現代教育科学』(1996年8月号)に載せた論文を再掲したもののようですが、どんなことを藤岡氏がいっていたか、少しだけ紹介します。

 この論文(以下、藤岡論文と呼ぶ)は、「母さんが死んだ」(水島宏明、ひとなる書房1990)という本に描かれた、札幌市の母親餓死事件(1987年1月)をあつかったものです。生活保護を申請したものの、福祉事務所に断られ、数カ月後に餓死したとされている事件です。
 その事件について、もう少し説明すると、亡くなった女性は結婚しましたが、男性にギャンブル癖があるなどして、離婚、女性一人で子どもを3人育てながら、その後、黒田政子さん(仮名)の経営する喫茶店に勤めていたましたが、1986年10月に風邪をこじらせてから病気がちになり、働けなくなって仕事をやめざるをえなかったようです。生活保護を申請に直接女性が福祉事務所に行きましたが断られ、黒田さんも何度か福祉事務所に電話したのですが、福祉事務所は生活保護を受給させようとはしなかった。この福祉事務所の対応が、餓死を招いたとして、問題視された事件です。

 さて、まず、この論文で目についたところから感想を述べましょう。

---他人をおとしいれるようなウソ、そればかりか一国家の名誉を汚すことになるようなウソを平然としてつくことのできる人間が、この世の中に一定の割合で存在するということなのだ。---(211ページ)

そういえば、最近、「THE FACT」に藤岡氏は賛同しましたっけ。たしかにあれは国家の名誉を汚したと思いますね。国家の名誉を落とすようなことに加担する人が過去に上記のような発言をしていたとすれば、たしかに説得力が増しますね。

---⑤岡田さんの死に至る行動である。十月半ば、風を引いてこじらせたのがきっかけで、家で寝込みがちになる。十一月十三日、黒田にすすめられ福祉事務所に行って生活保護をことわられる。「その日以来」、ますますふさぎ込み、「とうとう完全に寝たきり」になる。「食事もまったく受け付けなくなった」。/いくつかの疑問が生じる。生活保護をことわられただけで、そんなに落ち込むのだろうか。(218ページ)  ---

 無知のきわみだと思うが、わざといっているのでしょうか? 生活保護を断られたくらいで落ち込むのかって? 社会科学者の端くれであれば、もう少し調べてほしいところです。下記のような事例は、僕でも聞いたことがありますよ。

 ▽テレビやクーラーなどがあると、「それは財産だ」「贅沢品だ」などといわれて、生活保護申請を断られる。家も売り、車も売り、身ひとつにならないと生活保護は受けられないんだといわれる。あるいは財布の中身を見せろといわれ、「それを全部使い切ってから出直してこい」といわれる。
 ▽「女だったら、それ相応の働き口があるのでは」といわんばかりの対応をされた。親戚・家族関係、貯蓄などを根掘り葉掘り聞かれて苦痛だった。申請者本人や、家族が病気なのに「働けないのか」といわれるなど。

 上記のような事例は80年代後半や、藤岡論文を著した90年代半ばにもあったはずですが?

 ここ2~3年の話としても、「警察官を生保申請の窓口に配置し、医療相談員や弁護士などの同席も認めない、警察官に『お前はウソをついているだろう』といわれ、患者が泣いていた」(高松市の病院)などの報告を僕も聞いていますけど(2005年か2006年ごろの話)。そういう人権侵害をおこなっている福祉事務所のケースワーカーもいるのです。

 また、ひどいことをいわれずとも、明日も生活できないかもしれないという人が、最後の希望だと思った生活保護を受けられません、ダメですといわれたら、それは普通自分や家族の死を意味しますよね。落ち込んでも不思議ではありません。自分の死を予感して、気丈でいろというのでしょうか。ちょっと想像力の欠如にもほどがありますね。病気に精神的追い討ちが加われば、伏せてしまうようなことはありえると思いますが。

 自分の無知、想像力の欠如を「疑問」などともっともらしくいうのは、もう少し慎重であるべきでしたね。

 つづいて。順番が前後しますが、下記の藤岡氏の意見も、安易に行政を免罪するものだと思います。

---③「衰弱してやせていくばかりの岡田さんの身を案じた黒田さんは・・・」と著者は書いている。普通ならば「入院することを強く勧め」とつづくはずのところである。ところが本文では「十一月半ば、福祉事務所に電話をかけた」となっている。やることがチグハグではないか。(217ページ)---

何でちぐはぐなのか、ぜんぜんわかりません。お金ないんだから、入院なんてできないでしょう。誰がお金払うんですか? 誰が子どもの面倒を見るんでしょうか?

---④黒田はそのあとも心配して三回も福祉事務所に電話をかけたという。「このままではほんとうに死んでしまう・・・」と黒田は行ったことになっている。これはおだやかではない。黒田は、なぜ岡田さんが「このままではほんとうに死んでしまう」とわかったのだろうか。不思議である。病気をして仕事に出られなくなったということ、それにもかかわらず生活保護をもらえなかったということと、「餓死」との間には大きな飛躍がある。しかも死を予見したのなら、なおさらのこと、黒田は岡田さんを引きずってでも入院・治療させるべきであったのに、それをしていない。黒田は岡田さんの「餓死」を予見しつつ、それを放置したのである---(218ページ)

黒田さんがどこまで岡田さんのために努力をしたのかわかりませんが、別に黒田さんはもともと岡田さんの雇い主だったというだけで、衰弱して働けなくなった岡田さんの治療をささえるほどの財力があったかどうかは疑問です。だって、経営しているのは喫茶店程度でしょう。大富豪じゃないでしょうし。同時に、働けなくなっているのですから、岡田さんは、生活にも困窮していたでしょう。その困窮した状態を保護する役割は、行政の責任だと思いますが。生活が困窮すれば、しかも働けなかったのだから、普通死を予感すると思いますが? 

 また、生活保護法には、困窮したものを急迫した事由がある場合、これを保護することを「妨げない」(第4条)、「保護の申請がなくても必要な保護を行うことができる」(第7条)と記されていますよ。

 藤岡論文は、「母さんが死んだの嘘」(文藝春秋1992年8月号)という、久田恵氏、中川一徳氏のレポートを元に、12月には合計20万円の児童扶養手当と児童手当を支給されるはずだったのに拒否した、という「驚くべき事実」が明らかになったなどともいっているので、くわしくは同レポートというのを参照した上で、反論すべき部分があると判断すれば、気が向いたときに反論エントリを書きたいと思います。その号の文藝春秋そのものは入手できないのですが、このレポートに加筆したものは久田恵氏の単行本『ニッポン貧困最前線』に収録されているそうなので、それを手配しました。『母さんが死んだ』にくわえて、『福祉が人を殺すとき』(寺久保光良、あけび書房1988)も手配しました。

 いずれにせよ、どうも安直なんだよなあ、藤岡氏の論立ては。人の生活実感や生死に対する想像力が欠けていると思うけどなあ。また、歴史問題では証言や史料を得るのはたいへんだったりするだろうけど、より容易に証言や資料を得ることができるはずの現代社会では、いったいどのような調査・努力というものをしているのでしょうか? そもそも、こんな想像力のない人が、教育を語れるのでしょうか? こんな人が道徳だとか、他人を大事にしよう、やさしくしようなんていったとしたら、それこそお笑い種ですよね。え? 笑い事じゃないか。

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2007年9月 7日 (金)

歴史問題・・・国民もひどく、鈍感?

『前衛』2007年8月号と9月号で、関東学院大学・林博史教授のインタビュー記事が載っている。「いつまで史実を否定し被害者をふみにじるのか」と題され、8月号は(上)、9月号は(下)になっており、それぞれ「慰安婦」問題、沖縄の「集団自決」に対する軍の強制の存在を教科書から削除した文部省の検定の問題がわかりやすく載っている。

まあ、くわしくは(興味があれば)読んでもらうとして、僕は次の箇所にちょっと衝撃を受けた。正確には、ごく当たり前の課題を、あらためて突きつけられた感じというのだろうか?

---私はこうした政府や自民党などの暴論がくり返されることに対して、それへの批判が日本の国内できわめて乏しいことについて率直に危惧の念をもっています。とくにメディアが権力におもねり、世界の人権水準や国際的な市民の努力を日本国民に知らせないような姿勢は大変大きな問題です。沖縄では、すべての市町村議会や県議会も、このようなひどい検定意見撤回と記述の回復を求める意見書を採択し、戦争への反省と良識が健在であることを示しています。しかし文科省・日本政府は検定意見の訂正を拒否していますし、文科省の姿勢を批判する声は、本土ではあまりにも少なすぎます。

 「慰安婦」問題にしても沖縄戦の問題にしても、本土の政治家・メディア・国民のひどさと鈍感さには、目を覆いたくなるものがあります。こうした状況を日本内外の市民が協力して打ち破りたい、そう考えています。(『前衛』9月号38ページ)---

 まあ、政治家とメディアはそのとおりだけど、国民も「ひどく」「鈍感」なのね。たしかにそう思うけど。「ひどく」「鈍感」でないような日本の国民を広げるにはどうしたらいいのでせう。

 すぐに答えは出ませんけど、まあ、目に留まったので、一応メモ書きってことで。

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2007年9月 2日 (日)

8月は11冊

8月に読んだ本。昨年7月から読み始めた本は105冊に。まあ、ブックレットや薄い本も入っているから、実際には9冊分ぐらいの労力かなあ。また、厳密には戦争と関係あるというのは無理のある本を除くと、戦争関連は99冊になりますです。

「自虐史観」の病理、アメリカ弱者革命、戦後責任論に関しては印象に残ったことがあるのだけど・・・まあ、余裕ができたら(気が向いたら)エントリ書きます。とりあえず、読んだ本リストを下記に記します。

○BC級戦犯裁判 林博史 岩波新書2005  8月1日読了
□生き延びるための思想  上野千鶴子 岩波書店2006  8月4日読了
●「自虐史観」の病理 藤岡信勝 文春文庫 2000 8月6日読了
○朝鮮人戦時労働動員  山田 昭次、古庄 正、 樋口 雄一 岩波書店 2005 8月9日読了
○アメリカ弱者革命 堤未果 海鳴社2006  8月10日読了
○アジア・太平洋戦争 吉田裕・森茂樹 吉川弘文館2007  8月13日読了
○武力で平和はつくれない2007 市民意見広告運動     8月16日読了
○ちょっと待った集団的自衛権って? 川村俊夫 学習の友社2007 8月17日読了
○「三光作戦」とは何だったか 姫田光義 岩波ブックレット1995 8月18日読了
○ラムゼークラークの湾岸戦争 ラムゼークラーク 地湧社1994      8月25日読了
○戦後責任論  高橋哲哉 講談社学術文庫   8月31日読了

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2007年8月 5日 (日)

7月は8冊

おさかなです。7月はずいぶん仕事がたいへんで、ブログの更新もおろそかになっておりました・・・。元「慰安婦」イ・ヨンスさんの証言の検討もやらなきゃだし(頭の中にエントリの構想はぼんやりとあるのだけど)。最近は、「自分の国がそんなに嫌いですか?」(『自虐史観の病理』藤岡信勝、文春文庫2000の本の帯)という類の議論にどう応答するか考えたいなあという気もしています。

さて、そんな僕の読書、7月の到達は8冊でした。

●『歴史教科書への疑問』日本の前途と歴史教科を考える若手議員の会、展転社1997

●『よくわかる慰安婦問題』西岡力、草思社2007

 感想は、下記URL。

 http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/07/post_c591.html

 http://anemonefish.cocolog-nifty.com/osakana/2007/07/post_a6b6.html

○『ドイツは過去とどう向き合ってきたか』熊谷徹、高文研2007

○『写真で伝える東京大空襲の傷あと・生き証人』鈴木健士、高文研2007

○『戦争責任論』荒井信一、岩波現代文庫2005

※95年に出版されたものの文庫版

●『慰安婦と戦場の性』秦郁彦、新潮選書1999

○『中国人強制連行』杉原達、岩波新書2002

○『餓死した英霊たち』藤原彰、青木書店2001

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2007年7月22日 (日)

猫権?

最近仕事で残業続きで、今日も用事があって外に出ていたおさかな。

う~ん、微妙に頭痛がします。

さて。何を今月読んだかもうっかり忘れてしまいそうな今日は、戦争関連のお堅い本ばかり読んでいる自分に癒しをあたえようと、次のような本を買ってきました。

『ネコと暮らせば』

(野澤延行、集英社文庫2004)

え? 『父と暮せば?』(主演=宮沢りえ、監督=黒木和雄、原作=井上ひさし)

帯を見ると・・・

「ネコにもネコの権利がある。」

うおっ? 捕虜だの、元「慰安婦」だの、非戦闘員だの、国民だのの権利を考える以外にも考えるべき権利があると主張されるのですね!(感動)

・・・というわけで、まあ、そのうち読みますよ(平常心に戻る)。

今読んでいるのは・・・『慰安婦と戦場の性』(秦郁彦、新潮選書1999)でやす。あ~すんごいギャップ。明日には読み終えるつもり。

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